分析の目的
ただ、今日の、時系列分析は、単位相関関係のみに着目し、その背後ではたく場の力を見落としているように思える。
相関関係は、時代や市場環境などによって大きく変わる。問題は、何にが相関関係の変化を与えているかを明らかにすることである。
一時点や一期間を切り取ってその時点、その期間の相関関係だけを問題にしても、条件が変われば成り立たなくなる基幹性が高い。
例えば、高度成長期だけ見ればGDPと売り上げ、所得、金利、地価、株価、物価などの相関家計は強く。特定の指標を見れば予測もしやすかった。
ところが、高度成長が終焉すると高度成長時代、有効だった指標が全く役に立たなくなった。
通期での関係と、一時期の関係、つまり、全体と部分を切り離して考える必要がある。
特定の要素間で相関関係が強く働いている期間と働いていない期間があるか。
その関係は継続したか。
相関関係が弱まったとしたら、どのような条件の変化があったか。
それを明らかにすることで要素間の因果関係だけでなく、相関関係を成り立たせている条件を解明していく。
原因と結果を一対一に結びつけるのではなく。前提条件に従って、多対一、多対多、一対多と結びつける必要がある。
周期性の高い現象は相関分析を直接当てはめる事が可能だが、経済現象は、因果関係や明確な周期性がある現象ばかりではない。
不確実とは何かと考えるなら、逆に、確実とな何か、確実に起こる事とはなにかを考える事である。
不確実な事ばかり考えていても、なぜ、不確実なのか、その原因を明らかにするのは難しい。
不確実な事は、対極に確実な事があるからで。
例えば、死は確実な事の一つである。
生きていく事には、不確実性が伴うが、死は、確実に訪れる。
要するに、生病老死の内で、老と死は。確実に訪れるのに対し、生と病は、移ろい易く、不確か。
なぜ、経済が不確実か。それは、人間だから。
人間だから不確実なのだ。
正確な予測をするためには、変化の兆しや異常な状態をいち早く補足する事である。
では異常とは何か。異常というと、異常な事ばかりに注目する傾向があるが、異常とは、その対極にある、正常、つまり、正常とは、何を意味するのかを定義しておく必要がある。
正常か。異常かの判断する基準にも、位置と運動と関係がある。すなわち、異常な位置か、異常な動きか、異常な関係か、そして、異常な状況か。
変化は時間の関数である。故に、動きの異常性は、時系列的な現象として現れる。
非時系列的と時系列的な現象の関連。
変化している部分と、不変な部分を見極める事である。
変化も構造的に見る。
基本的な比率が変わっていない。
同時に変化している部分と固有な変化をしている部分。
すべての要素が変化に関わっているわけではない。
直接、影響しあっている要素はなにか。
商品の属性による制約は、産業の盛衰に決定的な影響を及ぼす。
時系列分析で重要な概念の一つに定常性の問題がる。定常性というのは時間的に一定している状態をいう。
為替の変動は、経常収支と金利差に影響される。
目的変数を、物価変動とする。
説明変数を、為替、金利、地価、キャシュフロー等とする。
経済主体は、お金を支払って必要な資源を入手する。
また、手持ちの資源を手渡してお金を入手する。
何が物価と相関関係が高いか。
為替、金利、所得、収益、地価、原油
何が、場に働く相関関係を変えるのか。
仕組みが正常に機能しなくなる要因には、衝突、爆発、破裂、分解、故障、失速、暴走、制御不能等が考えられる。
それらを引き起こすのは、災害、事故、戦争。
現象としては、暴騰、急落。
債務の拡大によって市場がどのような変化を引き起こすか。
相関関係の有無より、何が相関関係を何が成り立たせているのかが問題
制御不能、機能不全に陥ることである。
無重力状態と、重力が働いている状態では運動の因果関係が変化するように、経済現象も、前提条件によって因果関係も変化する。
究極的な目的は、持続可能性である。
現在の経済政策で、経済体制は維持できるのか。仮に破綻するとしたら、その先は、どうなるのか。どうすればいいのか。
厭な事は、乗るべく避けたいというのは人情だ。しかし、それが避けがたい事だとわっかたら、逃げてばかりはいられない。
そのとき何が一番、きついのかと言うと困難な事態ではなくて、どうしたらいいもかがわからない事だ。
とりあえずは。予測する事を目標とすべきで。予測した上で、経緯財を制御する。制御するためには、どのような操作、つまりは、対策を立てる事が、最終的に求められているのだと考える。
その為に、関係性や、規則性を解明すると思っていい。
経済の仕組みは、システムの一種であるから、経済の問題は、制御の問題である。
経済を分析し、あるいは、予測する目的は、経済をいかに制御するか、経済の仕組みいかに操縦するかに尽きる。
つまり、その時その時の経済情勢に合わせて、どのような経済政策とるべきかを明らかにすることである。
経済変動には波があり、潮目がある。その潮目を見極める事が経済を予測する上でのカギとなる。
この様な目的を達成する為には、先ず、数理モデルを設定する必要がある。
数理モデルを設定するためには、経済の仕組みを動かす原理を知る必要がある。今日の経済システムを動かしているのは、「お金」である。
市場経済の機構は、入金と出金によって機能している。
「お金」の過不足が、入出金の因子となる。入出金の因子を組み合わせてモデルを構築する。
経済現象は、多くの事象が、寄り集まった塊だという事を念頭に置いておく必要がある。
何が知りたいのか。
意外とそれがハッキリしない、曖昧にして、分析している場合が多い。
何が知りたいのか、それによって基となるデータも違う。
データありきになって、目的がわからない分析にが多く見られる。
必要性を無視して、金になるかならないかだけに注目している。目先の利益ばかり追い求めている。
景気が悪くなると犯人探しを始める。誰かを悪役にしないと気が済まない。
どこかで、勝手に理屈、犯人を捜して、そいつの性にしないと気が済まない。
しかし、目先の事で犯人探しをしていると、ホンボシを見失う。真の原因がわからなくなる恐れがある。
日本政府の債務の大部分は、国内で消化されているから、財政は破綻しないというと主張する評論家がいる。
これなど論点のすり替えの最たるものである。
経済は、財政だけを問題としているのではない。むしろ、物価の問題の方が深刻なのだ。
物が不足している時に、「お金」をじゃぶじゃぶにしたら物価は上がる。だから、インフレーションは、これからが、本番。
戦後の一時期を除いて日本は深刻な物不足に襲われたことがない。
怖いのは、金さえ出せば、日本人は、何でも手に入ると思い込んでいる事である。
石油だって、食料だって、売ってくれなくなることがあるなんて、考えてみようともしない。
不足する資源をいかに獲得するかは、戦略の問題だという事を見落としている。
国力があったから、必要な資源を手に入れる事が出来たので、国力が衰えれば、食料も、エネルギーも、当然、手に入らなくなる。
国家の在り様を考えないで、財政を論じても愚かな事である。
企業収益を問題にしているのか。雇用を問題にしているのかによって、論点も変わてくる。企業が利益を上げてるといても、人員を削減して利益を上がてるのか、それとも収益の拡大によって利益を上げているのかで、話は変わてくる。
何が問題なのか。それは、国民の生活がなりたたなくなることである。生活に困窮して餓死するような人が出たら、最悪である。
なぜ経済の問題が片付かないかって、それは、自分たちに不都合な問題から目を背けているからだ。
自分たちに不都合なのは、例えば、犯罪や戦争、堕落や腐敗、伝染病や飢饉などである。
欲は、人を向上させる原動力である。欲があるから、人は生きられる。
しかし、欲も過剰になり、抑制できなくなると暴走する。
経済を狂わせる原因となるのも、欲である。エゴは、欲の塊である。
経済もコンピュータも人のためにある事を忘れてはならない。
人を活かすという目的を見失ったら、経済もコンピュータも本来の役割を果たせない。
経済事象を善悪で論じるべきではない。
例えば、黒字は善で赤字は悪。
円安は善で、円高は、悪。競争は善で、提携は悪。
借金は悪で、預金は善。成長は善で停滞は悪。
廉価は、善で高価は悪とか。
要するに無駄遣いが悪いのである。
何を問題としているかと聞かれれば、根本は生存である。財政状態が悪くても生存できれば、問題にはならないが、財政は破綻しない代わりに、ハイパーインフレーションになって、国民生活が成り立たなくなるというなら話は別である。
経済の根本は、生きるための活動である。
生きるために必要な資源いかに確保するか。だからこそ、戦争だって経済活動の一部だと考えられるのである。
生産年齢人口一人あたりの所得によってどれくらいの財が生産できるか。
そして、生産された財が、すべての消費者の需要を満たせるか。
そのために必要な支出を総所得で賄えることができるかの問題である。
経済のシステムは、「お金」で動いている。しかし、経済のシステムの目的は、「お金」ではない。
自動車を動かしているのは、ガソリンであっても、自動車の目的は、ガソリンではないように。確かに、ガソリンがなければ自動車は動かないが、自動車を運転する目的は、ガソリンにあるわけではない。
インフレーションとか、不況とかといったお金の動きに目を奪われて、実際の生活は見落とされがちだが、経済の実体は、人々の生活にあることを忘れてはならない。ハイパーインフレーションや恐慌によって人々の生活がどんな影響があり、どのように変化したか。その点が重要なのである。
いくら正確に予測できたとしても、原因が明らかになっても、対策が立てられなければ意味がない。正確に診断しても処方箋、治療法が示せないようなものである。それは、何もわからないより、却って残酷な場合さえある。
病気を治すのが目的であって、診断を下すことが目的なのではない。
異常な事に気が付いても深く考えようとせず。見てみぬふりをする傾向があるが、異常な事は、何らかの予兆、兆しだととらえるべきで。この点を留意しておく必要がある。臭い物に蓋をしては、分析は成り立たなくなる。況や、データをいじくったら、分析の根本が失われる。
コロナが騒がれだしって財政問題はどこかへ行ってしまたように見えるが、それ自体、異常なのである。
誰だって、平和で豊かな世を求めている。また、平和で豊かな状態を維持したいと。戦後、七十年以上もたつと、平和であることが当たり前。自由や民主主義は進化論に従って、自然になると思いこんでいるお人好しが増える。天下泰平である。平和も豊かさも自分たちの努力なしには維持できない。戦争や、貧しさが密かに忍び寄っている。だとしたら、問題は人々の意識にある。
泰平な世が、これだけ長く続いた事自体、異常なのである。平和で豊かな世を続けたければ、平和で豊かな時代は、努力をしなければ持続できないという事を自覚していなければならない。異常な事は、異常なのである。よし、悪しは別に。
自分たちに何が制御できて、何が制御できないかを知る事である。
経済を考える時、飛行機の軌跡を読むようなことなのか。それとも、パイロットの操縦を見るべきなのか。その点を明確に意識する必要がある。
飛行機事故を調査する時、天候や地形が原因なのか、飛行機の構造に問題があったのか、それとも、パイロットの操縦ミスによるのか、それによって、責任の所在も対策も全く違う事になる。
見極めなければならないのは、何が人為的な事で、何が非人為的、すなわち、自然な事かである。これは分けて考えなければならない。
例えば、工業製品は、天候に左右されることはない。それに対して、農産物は、天候が決定的な要因となる。
人間の力によって解決できる問題なのか。人間の力ではどうしようもない事なのか。
今回のコロナによって、それを、我々は、痛感させられる事となったし、温暖化問題もしっかりと環境の変化を見極めて結束して当たらないと解決する事はできない。人間は、自分の力の限界を知る必要がある。
変化の要因には、違いがある。例えば、季節変動を起こす要因には、固有の因子がある。
生産要因である場合もあるし、消費要因である場合もある。天候や、事故のような不可抗力によるものもある。
経済の局面は、位相に従う。故に、位置や段階を無視しては、経済は語れない。
仕事の局面は、位相に従う。だから、手順、段取りを忘れたら仕事は成就しない。
加速している時は、加速度の影響を受けるが、等速運動になると、加速度の影響を受けなくなる。
経済に置き換えると成長段階では上昇圧力を受けていたのが、成熟段階では、上昇圧力を受けなくなる要素があるという事で。
では、上昇圧力受けなく生す要素は何かである。逆に、成熟期では下方圧力がかかる要素が生じる。
それが、何かである。重要な鍵は、要素間の結びつきである。
従前のような一対一の展開ではなく。一対多、多対一、多対多といた構造的展開を視座に入れる必要がある。
また、場に働く力の変化も重要な要素である。
例えば、飽和状態の市場と不足状態の市場とでは場に働く力の性質が違う。
経済を制御するためには、表面に現れてこない資金の動きを正確にとらえる必要がある。
お金の働きの中で価値の一元化という働きにもっと注目すべきなのである。
価値の一元化が分業や分配を可能としているのである。
経済は「お金」の流れによって動かされているシステムである。
故に、入金と出金によってシステムは、動かされている。
入金には、損益によるものと、貸借、すなわち、資金移動によるものがある。
資金移動による「お金」の流れは、損益上には、現れてこないが、経済システムでは、重要な働きをしている。
主たる資金移動の手段は、貸し借りである。
資金移動は、債権と債務を生む。債権と債務は、資金移動によって生み出される。債権と債務は貸し借りの関係から生まれる。
資金移動は、支払いを準備し、ストックを形成する。
債権と債務は、表裏の関係にある。
資金が市場に向かって移動すると、同量の債権と債務が派生する。資金が回収側に流れると、同量の債権と債務が清算される。
債権は資産を形成し、債務は、負債を形成する。
強引な 不良債権処理は不良債務を生む。
経済には内と外がある。
対策を立ってる時、自分たちが知りたいのは、直接、管理したり、操作する事が出来る変数は何かである。
また、予測する場合は、危機を予知したり、変化の兆しをとらえて、環境の変化に適した対策や準備する事である。
仕組みの外に働く場の力と仕組みの内にあって、仕組みを動かす力。
知りたいのは採られた政策が原因となってどのようなどの様な減少が起こったのか。
自分たちが操作できる変数と操作でない変数がある。操作できる変数を内生変数とし、できない変数を外生変数とする。
内生変数には、直接管理できる変数、間接的にしか管理できない変数がある。この見極めをする事が重要なのである。
人為的に操作できる変数には、金利、税率、国債、公共投資等がある。
固定的なのは、人口、投資、長期借入金等である。
何が確実で、何が不確かか。それが、問題なのである。
変化には、確実性に、差がある。要は、確実な事と、不確かな事がある。
例えば、収益は、不確実であり。費用は確実である。特に、社金の返済は、待ったなしである。
不確実なのは、収益であり、生産物の中でも農産物の生産量である。
確定的なのは、支出、即ち、投資や費用で収入でも人為的に操作できるのは、負債。
それに対して不確実なのは収益や所得。この点が、問題なのである。
生活共同体は、生活の場。生活の場は、生産の場と消費の場、分配の場が重なり合って成り立っている。
村落共同体であり、都市国家である。経済には、村落共同体的な側面と、都市国家的側面がある。
共同体は、消費の場でもある。
経済は、個人という視点だけで考えるとおかしくなる。
そういう意味で純粋に個人主義にはなりにくい。最低限でも家族という単位を捨てることはできない。
現在の考えかたの主流は大量生産である。
即ち、大量に生産しておけば、消費に対応できるという考えである。
しかし、その為に、常に、余剰、無駄が生じている。そして、余剰な部分が、時々、経済に悪さをするのである。
消費と生産の釣り合いがとれなくなり、浪費や乱開発の原因となる。消費が暴走し、制御できなくなるのである。
資源や環境は、無限ではなく、限りがある。限りがあるからこそ、生産と消費の均衡を保つ必要があるなである。
生産と消費の均衡を保つことが、経済システムの役割である。
経済成長だけが経済の目的ではないし、生産性の向上が経済的合理性を損なうこともある。
生産性の向上が、公正な分配の障害となる事がある。
不足する事は、生存に関わる事だが、過剰な事も長い目で見ると破滅な事に結びつく事がある。
いくら生産性が向上しても適正に分配がされなければ、経済の目的は果たせない。経済の仕組みの目的は、生産と消費と分配を結び付ける事にある。
生産だけに偏ると経済の本質を見誤る。経済の基準は必要性なのである。
生産、分配、消費の場は、「お金」の働きによって連結されている。
価格(消費、支出)と収益(生産)、所得(分配)は、相互に関連している。
経済が成熟するに従い本来は、量から質への変換が計られなければならない。
大量生産から多品種少量生産へ。画一から多様へと変換する事で付加価値を維持する。そのためには高級化が求められる。
とにかく食べられる様な生活から自分たちが食べたい物へ。
画一的なデザインから多彩なデザインへ。
標準的な性能から高性能化。
豊かさは、生活の質によって実現する。
それが、今日、ますます量を追求し、汎用化、画一化され、廉価に価値を見出すようにされている。
量的拡大は質的変化をもたらす。
重要なのは密度である。
市場経済は、生産の場と消費の場が分離する過程で分配の場として市場が成立すことによって形成される。
故に、市場経済では、生産の場と分配の場、消費の場を各々、制御する事が求められる。
市場というのは、抽象的な概念であり、現実の市場は、個性的な多くの市場が複雑に組み合わさり、重なり合って構成されている。
一つの市場ではなく、一律に扱う事もできないのである。
市場にはいくつかの形態がある。
市場の形は、成長段階や市場の性格、産業構造、製品の性格、更に、市場が形成された歴史や地理的要件によっても違いが生じる。
また、流通構造(生産、卸、小売、貯蔵、運送)によっても違う。
また市場の状態、飽和状態の市場か、不足状態の市場可によっても差が生じる。
市場は、成長段階、発展段階によって働きも構造も変化する。
市場の発展段階には、
発展段階、一つとっても一様ではない。軽工業と重工用途では市場の発展段階に差が出る。
伝統的な市場、既存の市場と新興市場とでは、性格は自ずと違う。
市場の性格。農業や漁業のように天候に依存した市場と工業のように設備に依存した市場とでは需給関係の在り方に差が出る。
産業構造にもよる。例えば、工業と農業では市場構造は違う。
また、装置産業と情報産業、観光業とは、損益構造が違う。初期投資、運転資金などの構造も違ってくる。
所得が減ったら、必要がなければ、買わないだろう。しかし、生きていく為に必要な物は所得が減っても買わなければならない。
この様に景気の動向に左右される産業もあれば、あまり影響を受けない産業もある。
労働集約的業種と資本集約的業種でも市場の働きは違ってくる。
また、専門性や練度を必要とする市場と単純労働による市場との間にも違いがある。
製造、卸、小売り、原料や運送と言った流通段階によっても市場の形は違う。物流の在り様でも違う。
輸出産業や輸入産業は、為替の影響を受けやすい。
金融政策や経済政策だけでは、経済を安定化させることはできない。
今日の経済は、市場の構造や役割、働きを考えずに、ただ、競争さえさせればいいという誤った考えに支配されている。
市場経済は、市場の働きに大きく依存している。市場の働きは適正な価格によって安定的な収益があげられる事を前提に成り立っている。 重要なのは、適正なっ価格であって廉価、単純に安ければいいという訳ではない。 収益は、所得の源泉なのである。
競争、競争というが、何を競うのか。
価格が総てではない。品質や性能、デザインなどで競う事が、本来の競争である。
価格だけで競っていたら、価格以外の差が失われ、多様性が喪失する。
ところが、今日の競争は、不毛な過当競争に陥り、利益すら上げられなくなっている。
これだけ多様性、変化に富んだ市場を単一な政策、単純に規制を緩和し、競争をさせればいいという政策は制御できない。
市場は、市場経済において中核的な場、機関である。成長段階や産業の性格、環境の変化などに応じってきめ細かく規制を変えていく必要がある。
単純に需給だけでなく投資負担も含んで考える必要がある。なぜならば、貸借による「お金」の流れは損益上に計上されないからである。
兎に角、市場経済の要は、市場取引だということを忘れてはならない。
生産主体が市場取引によって適正な収入を得てその中から、費用、所得を払い、借金を返済する。その過程で、支払準備としての「お金」を分配する事で経済の仕組みは回っているのである。
適正な収入は、適正な価格によって担保されている。適正な価格が維持できなくなれば市場は成り立たなくなるのである。
クラスやオブジェクトの働きを正しく理解する為には、条件と働きが重要となる。
クラスやオブジェクトを成り立たせているのは、位置と運動と関係である。
経済は、人を中心にして機能する。故に、経済の動きを左右するのは、コアとなる思想である。
要素間の関係とは、相関関係であり、因果関係である。
経済をモデル化する為に部門をクラスとする。
部門の性格と働きを定義する。
その上で部門の初期条件を設定する。
個々の部門の働きがどの様に変化したか。また、前提条件は変わっといないか。
前提条件は何によって変化したか等の確認を怠ると正しい判断が下せなくなる。
部門には、消費主体、生産主体、公的主体、金融主体等の性格がある。
個々の部門は、経済主体として共通の機能を持っている。
クラスは、メソッドとアトリビュートで構成されている。
クラスを考える上で重要なのは状態空間である。
問題は、経済を制御する事が可能かどうかである。
全ての部門に共通している部分や働き、固有な部分や働きがある。つまり、固有の手順、アルゴリズムがある。それを、予め解明しておく必要がある。
ここで鍵を握るのは、部門間の総ての取引の総和はゼロとなるという点である。
総和がゼロになるというのは、経済現象を考察する上で重要の要素である。
経済システムの目的は、分配にある。市場経済では、市場で分配は成立する。故に、人口と、一人当たりの所得、物価の釣り合いがとれなくなると市場は制御不能な状態に陥り、暴走する。
分配という観点からすると人口と言っても、単純ではなく。総人口に占める生産年齢人口の割合と言った人口構成等が重要な意味を持つ。
一人の所得でどれだけの人口を養わなければならないか。
一人の所得でどれだけの生産ができるか。
一人の労働でどれだけの所得を獲得できるかといった点が、鍵を握るからである。
経済の運動量を考える場合、「位置」と「運動」と「加速度」、あるいは、「位置」と「運動」と「関係」が、重要な要因となる。
故に、経済をシミュレーション等する場合、状態空間や、行列を用いる事が要求される。
経済の働きは、基本的に、人と物と「お金」の積として表される。例えば、売り上げは、単価、単位量、顧客数に分解できる。
「お金」には、アダプター、レセプター、還元剤のような働き。つまり、物や、時間、サービス、労働と掛け合わせる事で価値を一元化する働きがある。
生産から消費へという一定方向の物の流れを、お金の循環運動によって作り出す。
生産から消費の直線的流れを「お金」の循環的流れで制御し、適正な分配を実現するのが経済の仕組みである。
何を定数とし、何を変数とするのか。
関数とは、部門の働きを制御する機能である。
部門間の働きは、変数間の関係による。変数間の働きを明らかにしておく必要がある。
システム制御では、「入力」、「出力」、「制御」、「演算」、「記録」である。
経済の仕組みを動かしている要素は、「入金」、「出金」、「制御」、「演算」、「残高」である。
市場取引は、入力部分から始まり出力部分で完了する。
取引には、自分側と相手側があり。取引は対称的である。つまり、取引は相対的である。
経済主体には、内と外がある。内部取引と外部取引は非対称である。
重要なのは、任意の経済主体の支出は、他の主体の収入であり。収入は、支出だという点である。この事は、市場と取引の総和は常にゼロになること意味し、取引の対称性を担保している。
実測できる値と「基礎としてモデルを構築する。
その中で、政策的に決められる。(金利、国債、公共投資、税率)二義的に決まる。(税収、物価、収益)
経済では差が重要な働きをする。差以外では、総額や比率が特別な意味を持つ。
「位置」と「運動」と「加速度」というのは、「位置」と「移動」と「力」と言い換える事もできる。
ある地点から違う地点へ移動したとして、その変化がどの様な力によって引き起こされたかを考えるのである。
経済の事象は、原因と結果が一対一に対応している事は少ない。一般に複数の要因が複雑に絡み合っている場合が多い。
作用する力には、構造的な働きや場に働く力があり、一次元的にはとらえられない場合が多い。
投資や支出には、予算制約、生産制約、資源制約、人口制約などの制約がかかる。
限界点、臨界点が、どこにあるのかが問題なのである。 資源も人口も有限であるから無限に成長し続けることはできない。 生存の限界を越えた時、経済は破綻する。
部門の働き
経済の働きは、残高と増減、過不足として表される。
経済の働きには、方向、速度、強弱、高低、長短がある。
部門の働きを方程式にすると
経済成長を前提とすることは間違いである。経済成長は、発展段階の一曲面にすぎず。恒久的状態ではない。人口や資源に物理的限界がある以上、自ずと成長にも限界がある。むしろ、経済は、巡航、成熟期の方が長い事が予測される。また、成熟期を前提とした体制の用意しておく必要がある。
むしろ、成長なき経済情勢下でいかに生産性を向上し、かつ、公正な分配を実現するかにある。
成長すればする程、非生産的部門に雇用の比重は移っていく。
つまり、生産の効率が上がれば分配効率は低下する。
生産性が上がっても価格が維持できれば、分配効率は上がるが、価格が低下すれば分配効率は悪くなる。
安売りだけが目的なのではない。スイスの時計産業のように高価格化する事も、時には必要なのである。
生産性が上昇した影響で失業率が上昇したというように、生産性と所得や雇用が二律背反的(トレードオフ)な形に堕ちらないように設計する必要がある。効率か雇用かと言った二者択一的な問題ではない。それを実現するのは価格である。
例えば、市場には収穫逓減方の変化がよくあらわれる。 また、連続型の確率変数と離散型の確率変数かによって微妙な差が生じる。
経済で用いられる数字は、基本的に自然数、離散数であり。演算は、余り算。故に残高が重要の価値を形成する。
物の数は、「お金」の単価と掛け合わされて価値が、貨幣価値に一元化されて、演算が可能となる。
価格は、市場取引によって確定する相対的価値である。
数には、測る数と数える数があり。経済は、数える数から発展した。
測る数は空間を形成する。
数える数は集合敵になる。つまり、何らかの塊である。
経済の仕組みを動かしているのは、お金の循環。回転数、利率、利幅が付加価値を生む。
総体で見ると量と回転と速度の関係が重要となる。
経済を構成する要素、部門や、経済主体には、共通する基盤がある。
各部門の役割と働きを定義し、部門間の関係を明らかにする事である。
人口等の経済の前提となる変数、基礎的要件がある。
初期設定は、分析や予測等の前提、基盤となるところで、分析や予測の結果は、ほぼ八、九割は、ここで定まると言っても過言ではない。
初期設定は、経済を成り立たせている場、状況、前提条件などを定義する。
国際金融のトリレンマなどが、初期条件の意義を明らかにしている。
為替制度、資本移動の自由、金融政策の独立性をどのように設定するかで経済情勢は変化するからである。
貨幣制度も重要な要件となる。
規制の在り方も重要な要件の一つである。
規制緩和を万能役のように主張する経済学者がいるが、規制緩和の何が経済に有効なのかをあまり示していない。
ただ規制をなくせば、経済が健全になるというのは、幻想にすぎない。
規制のどの部分が何に対してどのような働きをするのか。
規制を闇雲に強化するのも問題だが。何でもかんでも規制をなくしてしまえというのも悪意を感じる。
経済の基盤となる所与の値には、人口等がある。
市場経済の仕組みを動かしているのは「お金」の流れである。「お金」の流れは、「お金」の過不足と場の歪である。
経済の場には均衡と対称を守ろうとする力が働いている。
均衡と対称が崩れると差が生じ価値が形成される。
場、市場に働く力の方向によって経済主体は影響を受けている。故に経済主体の内部の動きだけを見ても、経済主体全体の動きを予測する事はできない。
均衡と対称性を破るのは内部取引と外部取引の差である。
フローが差を広げ、ストックが均衡と対称性を保とうとする。
対称性には、
対称な事は、外部取引は均衡している。
経済は、全体的に均衡している。
経済的現象の全体は、二つの働き、要素が組み合わさって形成されている事が多い。例えば、
ストックは、準備、固定的、売買取引、投資、貯金、在庫、長期的働きによって形成される。
フローは、決済、流動性、貸借、消費支出、所得、生産、短期的働きによって形成される。
ストックの比率が高くなると流動性は低下する。
流動性が高くなると物価は上昇する。
全体が拡大すると名目的価値は、上昇する。
名目的価値と実質的価値には、互いに均衡しようとする力が働いている。
なぜ、不良債権化するのか。最初から不良債権であるわけではない。
不良債権は、名目的価値と実質的価値の乖離によって生じる。
強引に不良債権を処理しようとせれば、資産価値は、さらに下落し、不良債権は拡大する。つまり、傷口を広げてしまうのである。
不良債権は、名目的価値が一定であるのに、実質価値が低下するのに起因しているからである。
価格(消費、支出)と収益(生産)、所得(分配)は、相互に関連している。
場には、上昇圧力や加工圧力がかかる。場に働く力は、状況空間の歪や前提条件の変化に応じて方向や、力が変化する。
場の力は、物価や為替、所得、資産価値等に集約される。
すなわち、場の力は、物価、為替、所得、資産価値に対する上げ下げ圧力となる。その方向性と強さが問題となる。
場に働く力は、「お金」の流れる方向によって定まる。
経済を実質的に動かしているのは、現金の流れ、キャッシュフローである。キャッシュフローが生み出す「お金」の働きや場の力である。
故に、経済を制御するためにはキャッシュフローを理解する必要がある。
市場に流れる「お金」は、売買による流れと貸借による流れがあるが、貸借による流れは、市場の表面、即ち、損益上には表れない。
「お金」の流れる方向は、フローとストックの関係、需給関係、債権と債務の関係、金利や為替等によって定まる。
一見、順調に回っているように見える経済が突然破綻する事があるのか。その原因はストックにあると考えられる。
ストックが生み出す価値とフローが生み出す価値がある。
ストックが生み出す価値には、キャピタルゲインとインカムゲインがある。
資金移転する際、資金の流れと同量の債権と債務が派生する。
資産が相対的に拡大している時は市場側に向かって資金が流れ。縮小している時は、回収側に資金が流れる。
拡大から縮小へと変化する要因は、売買より賃貸のほうが有利になった時である。
例えば、住宅ローンの月々の支払いが賃貸料を下回るか上回るかと言った問題である。
また、実需がどれくらい占めるかによって、市場側に「お金」が流れるか、回収側に流れるかが別れる。
実需とは、消費のための需要である。
物価は、需要と供給、資金量、資金の回転数、速度、所得、金利、為替によて変動する。
物価には、消費に基づくものと資産に基づくものがある。消費に基づく部分がフローを資産価値に基づく部分がストックを構成する。
消費の拡大は上げ圧力となる。ただ、一意的に考えてはならない。
基本は上げ圧力だが、状況やタイミング、前提条件が違えば、下げ圧力がかかる事もある。
消費の拡大は、市場を拡大する。市場の拡大は、収益や所得の上昇圧力となる。収益の拡大は、投資を刺激して資産の上昇圧力になる。
所得の拡大は消費の拡大を誘う。
あるいは、所得や収益の拡大が、消費を拡大するとも考えられる。この辺は、卵が先か鶏が先かの議論に似っている。
市場は、均衡を保つことで制御されている。故に均衡点が重要となる。総和はゼロなのである。
部門の変数のデータ型は、時系列データ化、タプル型とする。
経済事象においって前提となる変数は以下のとおりである。
経済における時系列データを見る時、注意しなければならないのは、時系列データの多くは予め、因果関係がわかっているわけではないという点である。
因果関係があるような、データでも、前提や状況、情感が変わ、まったく、違う動きをする事が往々にある。
経済現象のほとんどは、相関関係である。そこから、因果関係を推測しているのである。
問題は、現象の背後に、何らかの関係や規則性が隠されていないかを導き出す事なのである。
単純に、因果関係に結び付けて考えると予測がつかなくなる。時系列データの回帰分析をする時は、この点を、十分に考慮しておく必要がある。
経済の時系列データの多くは、確率変数なのである。
経済活動による収入とは、収益に基づく収入を指し。資金移動に基づく収入とは、負債を言う。
経済活動による支出とは、費用に基づく支出を指し。資金移動に基づく支出とは、投資を言う。
生産主体は、所得を整流している。
資金移動は、支払いを準備している。
支払い準備残高が不足すると経済主体は、経済活動がとれなくなる。
経済活動に基づく収入を部門別にみると
民間企業、家計、一般、金融、各々の働きによって収入と言っても働きが違う。
同じ収入でも、生産に関わる収入と直接生産に関わらない収入がある。
収入の中で経済活動に関わらない収入は、資金移転による収入である。
また、生産活動に結び付かない(例えば、公共投資や住宅投資)、言い換えると、付加価値を生まない投資もある。
ただ投資すればいいというのではなく、投資の効果をどうとらえるかが問題なのである。
公共投資の比率が高まった場合、クラウディングアウト状態に堕ちる危険性もある。
つまり、付加価値を生まない投資で、公共投資に本質はこの辺にある。
公共投資に期待しても、公共投資だけでは、公共投資だけでは付加価値は生まれないのである。
生産性の高い、または、拡大再生産が投資全体に占める割合をどうとらえるか、それが、鍵である。
資金移転に基づく収入を部門別にみると
資金移転には、負の遺産(金融資産)に対する投資もある。
給付は、資金移転を意味する。資金移転は、付加価値を生まない、市場の表面に現れない資金の動きが経済支配しつつあ。
また、所得の再配分による働きも大きくなる。
年金や社会保障に基づく給付が、雇用者報酬に取って代わると、社会的効用を従来に尺度では測れなくなる。
経済活動に基づく支出を部門別にみると
固定支出と変動支出がある。固定的
固定的支出、あるいは、固定費と変動的支出、あるいは、変動的支出の構成比率は一律ではなく、産業毎に違い。
その違いが、産業の特性となっている。
産業構造を見る時、財務構造や損益構造の違いに注目しなければならない。
資金移動に基づく支出を部門別にみると
部門クラスのメソッドとは何か。
関数の定義をどうするか。
部門間に共通する変数と関数の定義をする必要がある。
個々の部門の働きや効用を定義する必要がある。
何を求めるのか。
変数の性格と働きも部門によって異なる。
構成する要素の性格や構造によっても変数は変わる。
部門クラスの働きは、「入」、「出」、「制御」、「演算」、「残高」に要約される。
故に、部門のメソッドや関数の定義は、「入」、「出」、「制御」、「演算」、「残高」に関わる事象である。
経済は、生産、分配、消費の段階を繰り返す事で、「お金」を循環させ、分配を実現する。
故に、「生産」、「分配」、「消費」各々の局面をどう設定するかが重点となる。
部門の機能(メソッド)は
経済の基本式をみる時、注意しなければならないのは、陰に作用している時間の働きである。
時間の働きには、時点と期間があり。時点には、前期、当期の別がある。それによってフロー(増減)とストック(残高)の別が生じる。
Consumption(消費)=Ⅽ、投資(investmennt)=Ⅰ、政府(Government)=G、輸出(Export)=EX、輸入(Import)=IM
総供給=国内総生産+輸入=Y+IM
総供給とは、その国、あるいは、経済圏が生産した、または、調達した財の総額を意味する。言い換えると獲得した資源の総量を意味する。
生産(Yield)=Y、消費(Consumption)=C、貯蓄(Saving)=S、税金(公的保険含む)(Tax)=T
総需要=消費+投資+政府+輸出=C+I+G+EX
支出にも収入にも消費を目的としたものと、生産を目的としたものがある。
付加価値を生み出すのは、生産に結び付いた支出だという点を忘れてはならない。
総需要と総供給は、表裏の関係にあるが、働きは全く違う。この点に十分に注意する必要がある。
総供給(総生産)=総需要(総支出)
資産が増えれば、負債が増える。負債が増えれば資産が増える。
増えた資産を見れば舞い上がり。借金ばかり見れば震え上がる。
貯蓄の対極に資産、あるいは、投資があるが、だからといて、同じ扱いをするのは間違い。貯蓄は、原資であるのに対して投資や資産であり生み出すものが違う。貯蓄が生み出すのは、金利や金融資産であり、投資や資産が生み出すのは、財であり、収益・利益である。
この差が区別できないと収入と支出の働きの差を理解する事はできない。
問題なのは、負債は、固定的なのに、資産は、変動的なのである。
なぜならば、負債は名目的価値であり。
資産は、実質的価値だからである。
人生を楽しむことのできないことが問題なのだ。
投資が、生産や消費に直接関わらない対象、すなわち、付加価値や時間価値を産まない対象に向かうことが問題なのだ。
拡大再生産に結びつかない投資は、付加価値を生まない。
総生産=消費+投資+政府+(輸出-輸入)
Y=C+I+G+(EX-IM)
上の式は、三面等価の基礎となる。
GDP(国内総生産)=GDI(国内総所得)=GDE(国内総支出)
生産=分配=支出
三面等価
ISバランス式
(S-I)=(G-T)+(EX-IM)
貯蓄-投資=政府収支+経常収支
貸した金=借りた金
S(貯蓄)=I-(G-T)+(EX-IM)
市場を経由しない資金の遣り繰りが資金移転である。資金移転は市場を経由しないため、損益には計上されない。
問題は、資金移転は、単なる「お金」の移動を意味しているわけではない事である。
資金移動の一種に借金の返済があるが、借金の返済が滞れば、企業も家計も破産するのである。
また、年金などの給付も資金移転の一種だが、所得の外にある収入であり、付加価値を生まない為、市場の働きを圧迫する要因となる。
この関係が維持されることが前提なのである。この関係が維持できなくなった時、経済は破綻する。
経済の基軸は、所得であり。所得を生み出す原資、即ち、収益である。つまり、指標は、所得と収益を基軸にして考える必要がある。
所得の中から、生活に必要な資源を購入する。所得は収益の中から働きに応じて配分される。
物価は、所得と消費、収益、「お金」の流通量の関係によって形成される。
経済は、基本的にトレードオフの関係にある。
経済では、インセンティブが決定的な働きをしている。
経済を構成する要素を動かしているのは、お金の流れだあるが、「お金」の流れには、売買や賃金の支払いなどの「お金」の効用を破棄するための流れと、貸し借りや、借金の返済と言った、支払いを準備するための「お金」の流れがあり。
前者が、フローを形成し、後者が、ストックを構成しる。ここで、注意しなければならないのは、ストックだからといて「お金」が流れていないわけではなく。フローと同程度、あるいはフロー以上の流れがある事である。
最初に、全体の形を見る。全体の流れを見る。
全体の構成や構造、つまり、時間が員に作用する、静的全体像を知りたければ、分散、幅、外れ値等を見る。
時系列データなら、流れのどこに変化があるか、周期性や傾向を見る。
時系列データは、結果を、時間の流れに沿って記述したデータだという事を忘れてはならない。時系列データそのものから、何らかの法則を導き出そうとするのではなく。時系列データの背後に隠された規則性や関係、相互作用を明らかにする事が本義なのである。強引に原因を特定し、それを普遍化する事は避ける必要がある。要因も前提条件や環境の変化で本質が変わる事がある。氷点下で走る事と、炎天下で走る事を同じように扱うことはできない。
いきなり、因果関係に結び付けるのではなく、取り敢えず、相関関係としてみるのである。
相関関係が、いつどのような条件で成立し、何が、原因で解消したのかを考えるのが肝心なのである。
現状とは、前提条件、場に働く力、空間の歪(どういう状況)、構造、生起している現象(何が起こってるのか)、そして、何が問題なのか(何が問題なの)。
とられた政策。(何をしたの、それで、どうなったの、どうしたの、)
現状を正しく認識し、前提となる状況、条件を設定する。この初期設定は、最後まで影響するので入念にする必要がある。
重要なのは、要件定義である。
為替相場は、その国の通貨の対外的価値を表している。
次に、ストック、すなわち資産価値の状態を確認する。
そして。フローの状態を確認する。
バブル崩壊後、収益や所得は横這い。それに対して増加。国債等の負債は、増加傾向にある。
生産主体の収入と消費主体の支出、そして、生産主体の支出と消費主体の収入は、表裏の関係にあるが、非対称である。
企業収益と所得の釣り合いをいかにとるか。収益と所得の力関係は、結局、物価に反映背れる。
支出は固くて、収入は、不確か。収益は変動しても人件費(所得、賃金)は、固定的。
故に、民間企業の収益が悪化しても、費用は、下方硬直的になる。
「おj金」が不足すると負債が増加する。
部門間に流れる「お金」の方向を変える。
売上が減っても、働いている人たちは生活していかなければならない。
儲けが減ったら、付加価値の高い仕事に転職すればいいなんて世間知らずの学者は簡単に言うが、おいそれと転職ができるわけがない。
いくら、収益が減ったとしても生活に関わる支出は削減できない。収益が減ったら、減った分の収入をどこから計らなければならない。
だから雇用、失業率が、重大となるのである。
企業が収益を追求するのは、利益を上げる事より、費用を支払い。借金を返済しなければならないからだ。利益は指標に過ぎないのである。
収益の対極にあるのは、利益ではなくて、費用と借金の返済である。
「お金」は、経済主体間、部門間の過不足を補うように循環する。
経済を構成する要素間の相互作用、牽制作用によって経済の仕組みは、制御されている。
経済の動向を正確に予測、察知して、経済に仕組みを制御するためには、まず全体の構造を理解した上で、部分を構成する個々の要素間の関係を明らかにすることが、求められる。
学者や評論家の中には、部分を取り上げて全体を見ようとしない人がいるが、それでは、経済の大局を見失う。
構成する要素の性格や構造によっても変数は変わる。
全体の収支、残高の推移を見る。
資金の流れを見て気が付くのは、ストックは右肩上がりに上昇しているのに対して、フローは、一定の幅だ拡大と縮小を繰り返している事である。
フローとストックのこの非対称な動きは何を意味しているのか。フローとストックは連動していないのか。連動しているとしたら、どのような影響を及ぶのか。この点を検証する必要がある。
注目すべきなのは、どの部門が資金不足で、どの部門が資金が余剰なのか。
そして、過不足の関係がどのように変遷したかである。
海外との働きを知るためには、国内と海外とを分けて考える必要がある。交易は国際市場における貨幣の相対的価値を確定する。
今日の経済は、一国で自給自足できる体制ではない。国家が生き延びる為には、国内に不足する資源を海外から調達してくる以外に手立てはない。
それは、違う経済圏、貨幣圏との交流を通じてなされることを意味する。
あらゆる事ですべての人より優れている人はいないように、国民が求める全ての物を自国だけで調達することのできる国はない。
だからこそ、自国の都合だけで自国の経済を決することができないのである。
どの人にも長所欠点があるように、どの国にも過不足がある。自国に何が不足し、何が余剰なのかを正しく認識しておく必要がある。
海外部門というのは、内的経済と外的経済の境界線にあって内的経済の防波堤であると、同時に、外的経済との接続、インターフェースの役割を担っている。
海外は、交易(経常収支)と為替が決め手となる。すなわち、国内に不足する資源を調達する事、必要とする資源を調達するための資金を稼ぐ事、内外の決済を成立させるために、国内に流通する通貨と対外的通貨の価値を調節する事の三点である。
為替は、通貨の国際的位置付を確定している。
為替相場には、常に下げ圧力、上げ圧力が働いている。場に働く力の方向を見る事である。
よく、円高が是か、非かを議論する向きがいるが、為替相場を構成する力関係が重要なので、是か非かを論じても意味がない。
何が、上げ圧力の基となり。下げ圧力を生み出しているかが重要なのである。
下げ圧力や上げ圧力の因子多くあり、複雑に絡み合っている。しかし個々の働きを突き詰めると意外と単純なのである。
何が、場の力の変化を主導しているのかを見極める事である。
為替の変動が、輸入にどういう影響を及ぼすか。
輸出にどういう影響を与えるかを見極める必要がある。
円高は、善か悪かを議論するのは意味がない。
第二に、問題となるのは、貿易収支である。
輸入と輸出を一緒くたにして考えている人を多く見受けられるが、輸入と輸出を同列に語る事はできない。特に、輸入を考えないで、ただ。輸出の事ばかり重視していては、交易の本質が見えてこない。
国内で不足する資源を調達する手段が、輸入である。もし、必要な資源の総てを国内で調達できるのなら、つまり、自給自足できるのなら、輸入する必要はない。
輸入が必要でなければ、輸出も必要ない。必然的に為替も成り立たない。
交易を輸出ありきで考えるのは無意味である。
輸入する為に輸出するのであって。輸出する為に輸入するわけではない。
問題となるのは、なぜ、何を、どれくらい輸入しなければならないのかである。
第三に、資本収支である。経常収支の過不足を補う役割を資本収支が担っており、為替にも重大な影響を与えている。
国内経済の資金の流れ
非金融法人企業の働きは、生産手段に投資し、財を生産をして、所得の分配する。
資金の調達し、収入をあげて資金を回収し、借金を返済し、経費を支払う事によって「お金」を循環させる。
企業は、生産を担い、企業の中軸は収益にある。収益は、市場の状況に依存している。 ただ、注意しなければならないのは、企業は、生産だけでなく、雇用、すなわち、所得の分配をもになっている事を忘れてはならない。
生産部門、生産主体は、生産だけを担っているわけではなく、分配の要でもある。
故に、経済的働きを所得に結びつけ、生産と消費を制御する事が可能となるのである。
そして、分配を担っているのが費用であり。生産性だけを追い求めて、分配という働き、すなわち、費用を闇雲に削減すると、生産と分配、分配と消費の均衡がとれなくなり。経済を制御する事が出来なくなる。
生産主体は、雇用を創出し、所得を分配する。
生産主体は分配の中軸、始源もである。
企業の働き
投資を見る場合、投資の原資をどこから調達するかが鍵となる。
成長拡大期の市場を基礎としている経済と、成熟し飽和状態に達した、市場とは市場に働く市からの性格が違う。
企業は、分配の要でもある。組織を通じて所得(「お金」)を分配し、市場を通じて生産財を分配する。
賃金は、費用であると同時に所得である。また、生活費の原資でもある。すなわち、分配の手段であり、生産の手段、消費の手段である。賃金を下げる事は難しい。下方硬直的である。
企業の働きを明らかにするためにはキャッシュフローを見る必要がある。
経済に及ぼす企業の働き状態を見る場合、無論、収益を見る事も重要だが、同じくらい、資金の流れを補足する必要がある。とくに、投資は、企業の将来を占う要素となる。
家計は、消費経済の中核を担っている。家計は、生活の基盤である。
家計の働きの前提条件は、
家計の働き
家計は、所得が主柱である。所得は、消費支出の原資となる。
家計における投資の中心は住宅投資である。ただ最近は、耐久消費財などに対する消費投資が増えている。
家計で重要になるのは、住宅に投資するか、賃貸にして、費用として扱うかである。
財政を構成する要素には、国債、公共投資、雇用所得、税率、税収がある。
財政の根本は、社会資本の整備にあり。 基本的に非営利団体である。
基本収支は税収であり。
借入金は国債に頼っている。
また、投資は公共投資を指し。政策的要素が強い。
国債、即ち、国の借金で困るのは、財政の硬直化である。
財政赤字を考える時、歳入不足ばかりを問題とするが、歳出面も、歳入不足以上に問題となるのが給付の増加である。なぜなら、給付は所得外の収入になり、資金移転として考えられるからである。つまり所得の再配分でありながら、付加価値を生まない。給付が増大すると所得の社会的効用が失われてしまう危険性がある。そうなると、分配の正常な機能が損なわれてしまう怖れが生じる。
財政は、雇用者所得以外、付加価値に影響しない。
利益を上げない事を前提としている事から付加価値の増加に寄与しない。
財政の働き
納税者は、なぜ、自分達が税を取られている意味がわかっているであろうか。納得しているだろうか。
軍事費は、非生産的支出である。
戦前は、財政に軍事費が占める比率が異常に高かった。
しかし、戦後は、軍事の占める比率は低い。
それなのに、なぜ、財政は資金不足なのか。
金融は基本的に指数関数である。幾何級数。
金融の変数は複利を原則する。故に指数が重要となる。
金融は、資金循環が主たる働きで、資金余剰主体から資金不足主体へと資金を融通するのが役目である。
金融機関の、基礎的収益は、金利にある。預金は負債である。
また、投資は金融資産となる。
金融の働き
経済成長は、絶対量の不足によって終焉するのか、分配の不均衡によって破綻するのか、消費の減退によって衰退するのか。
ストックの働きを、考察する時、私的所有権の持つ意義を忘れてはならない。
金持ち、高額所得者と資産家の二種類がある。
フローの均衡とストックの均衡は、どうかかわっているか。
フローとストック、それぞれの均衡と、全体との整合性、関係をどのように考えるか。
経済の先行きを予測するのは、経済を制御する事である。
経済の最終的目的は、人々が生きていく為に必要な資源を適切に分配する事である。
そのための手段が「お金」だとしたら、「お金」の働きを有効に機能させる事である。
何をベースとして設定すべきか。それは、鉱工業指数と人口とする。
なぜ、鉱工業指数と人口をベースとするか。それは、鉱工業指数と人口は実体のある数字だからである。
予測は、合目的的の行為であるから、無目的な予測は避ける。何を目的として、要するに、何を解決したいかを予め明らかにする必要がある。
予測は、過去に基づくものと構造、すなわち、仕組みに基づくものがある。
経済予測の目的の基本は、どのような経済状態にしたいかにある。
先ず、全体の流れや傾向を見てみる。そして、その根底にある法則や徴候を見出す。
何が、変化を生み出していて。何をきっかけにして流れは、変わるのか。それを推測する。
人と問題点は、飛行機の軌跡から飛行機を動かしている原理を導き出そうとしている点にある。
経済は、人が作り出したものだという事を忘れてはならない。
経済の目的は、人々の生活を成り立たせることであり。そのためには、以下の要件が実現されることが求められる。
一つ目に、物価を制御する事。
二つ目に、全ての国民に必要最低限の資源を分配する事。
三つ目に、全ての国民が、生活を維持する為に必要な資源を、生産、調達する事。
四つ目に、国民の生活を維持するための社会資本を整備する事。
五つ目に、市場の仕組みを維持する事。
一つ目の指標は、物価である。二つ目は、雇用。三つ目は、生産量。四つ目は、投資。五つ目の指標は、金融である。
天気予報のような予測なのか。ロケット軌道を予測する事が目的なのか。
一般に、経済予測は、天気予報のよなもののとらえ方をしている様に思える。
それでは、経済は、天然生成物の様なものに見える。しかし、実際は、経済は人口構造物である。
経済を、天然自然なものと捉えていいるから、経済に問題は、解けないのである。
もう一度、原点に戻って、何が問題なのかを確認する。
今の世の中の仕組みは、分業によって成り立っている。分業は、経済主体がそれぞれの主体の過不足を補い合う事で成り立ている。
故に、どの主体、どの部門で、何が不足し、何が余っているかが鍵となるのである。
基本的に経済の目的は、分配にあるという事。
故に、所得の上昇と市場の拡大、消費の向上をどう釣り合いをとるかの問題だという事である。
経済政策の本質は、所得と、成長と、支出の釣り合いをとる事である。
必要な物を必要なだけ生産して公平に分配する事のが目的。つまり、生産と分配、消費をどのように結びつけるかがポイントなのである。
生産と消費を関連付けられない通貨は効用を発揮できない。なぜならば、通貨は分配の手段だから。
市場経済では、価格の維持が要なので、廉価ではない。
報酬は、生産活動に結びつくから意義がある。
また、労働は、生産活動と報酬を結びつけるから意味がある。
経済的効用が、生産と消費と結びついているか、生産と消費を制御できるので、その機能を果たしているのが分配である。
生産、分配、消費の結びつきが失われたら、経済を制御する事が出来なくなる。
働きに関係なく「お金」をばらまいたら、生産や消費を制御する術を失う。
個々の経済主体を動かしているのは、「お金」の流れである。故に、「お金」の流れと、「お金」の働きを結び付けて考える必要がある。
例えば、生産主体に資金の働きには、生産手段の投資。初期投資と運転資金、資金の流れ。償却等がある。
分配は、働きに応じて支払準備としての「お金」が、所得として組織的に配分され。
消費主体は、配分された所得を支払って必要な資源を市場から購入する事で分配を実現する。
すなわち、分配は、所得の配分、財の購入という二段階で実現する。
経済には、人為的に、制御できるところにもあるし、人為的に制御できないところもある。
人為的に制御可能という事は、操作ができるという事である。
システムは、入出力関係によて機能する。経済システムは入出金関係によて動いている。
部門は、経済主体の集合である。経済主体を動かしているのは、入出金である。すなわち、収支である。
収入には、経済活動に基づく収入と資金移動に基づく収入がある。
支出にも、経済活動に基づく支出と資金移動に基づく支出がある。
市場経済は、経済活動による収入を分配の要として成り立っている。民間企業であれば、売上金額である。
注意してほしいのは、利益ではなく収益だという点である。
問題は、収支の中で収益が一番、不確かで、不安定だという点である。
市場取引には、対称性がある。取引は、相互作用である。
すなわち、売り手がいれば、買い手がいる。貸し手がいれば借り手がいる。故に、取引量の総和は、常に、零和に均衡する。
なぜ、市場を必要としているのか、それは、世の中は、多様だからである。
多様だから、場の力を活用必要があるのであり、制御が重要となるのである。
経済主体の状態空間を定義し、状態量を導出する。
その為には、経済主体の状態ベクトルを想定し、状態方程式と出力方程式を設定し、状態モデルを定義する。
一国の経済の構造は、均衡によて成り立っている。
経済の仕組みには、全体と部分がある。経済の仕組みは全体的均衡と部分的均衡が調和する事で保たれている。
経済主体には、内と外があり。経済を安定させるためには、内的状況と外的状況を均衡させる必要がある。
経済の仕組みは、分業で成り立っている。故に、部門間、主体間、要素間の均衡が要求される。
また、経済の仕組みには内と外がある。国内の均衡と対外的均衡の二つの部分の働きによって成り立ている。
経済に働きには、長期的な働きと短期的な働きがある。故に、短期的働きと長期敵働き(フローとストック)を均衡させる必要がある。
経済取引がゼロ和に均衡する以上、経済で重要なのは、振幅である。つまり、幅が問題となるのである。
内的均衡は、内的制御を、外的均衡は外的制御を必要とする。
国内で不足する資源は、海外から調達する必要がある。それと引き換えに財を海外に売りさばいて資金を調達する。
内外取引の制御によって通貨の価値は、振幅する。国内外の経済は、相互依存関係にある。
経済空間には、開かれた空間と閉じた空間がある。
経済現象は、一般にいくつかの要因が複雑に絡み合って引き起こされる。
原因と結果を一対一に結びつけるのは困難である。
金利をあげれば、物価は下がると単純には、片付けられない。
関係性と規則性を見出すことが第一の目的である。その上で、どうすればいいのかを明らかとする。それが、最終的目的である。
相関関係にしても、因果関係にしても、関係性が重要なのである。
時系列分析に回帰分析を直接的に活用しても有効とは思えない。
相関関係は、時間の経過、環境、状況の変化に応じて変わっていることは明らかであるからである。
回帰分析は、時代や環境、状況の変化によて、個々の部門、指標の変化、関係の変化を明らかにし。
何が、そのような変化を引き犯したのかを解明する手段としては有効だと考えられる。
表に現れている現象ばかりに目が奪われていたら、その背後にある、規則性や、法則性を見落とす危険性がある。
故に、関係性を成り立たせている状況や前提条件が鍵となる。また、何を目的として分析しているかによっても、関係性の意義は変わってくる。
状況や、条件によっては、絶対値より。占有率、比率が重要となる事が多い。
なぜなら、経済的価値は、相対的なものだからである。
経済の実体は絶え間なく変化し続けていて、それに合わせて、経済の基準自体が収縮しているからである。
経済の根幹が、分配にあるとしたら、何を分母とし、何を分子とするかが重要となる。
故に、クロス分析が重要な意味をもつ。経済は、単一的なとらえ方では、解決はできない。
また、経済取引には対称性があり、総和がゼロ和であるから、振幅が重要となる。
予測の前提は、現象の背後にある規則性や関係を明らかにしておくことである。
予測は、根本的に誤差の問題である。
もう一つ重要なのは、偶然、偶発的な事象なのか、それとも、計算された事象なのかである。