街は、クリスマスの為のイルミネーションが飾られ、山は、紅葉に彩られようとしている。見た目は、去年と何も変わっていないように見える。しかし、イルミネーションに飾られた公園を行き交う人々もまばらで、街はゴーストタウンの様に人影が消えてしまっている。
2020年11月現在の今と去年の今頃とでは、全く違う。別世界と言っていい。withコロナなんていうが、すでにマスクをする生活が日常になってしまっている。
この点が重要なのである。そして、コロナ騒動の起こる以前の世界は、やがて、忘れられ、記憶の奥底へと沈んでいく。コロナ後の世界は、現実になりつつある。
だからと言って、コロナ後の世界が明らかなわけではない。未来は深い闇に閉ざされている。
過去の経験や出来事は、通用しない。コロナ、コロナというけれど、コロナは、これから起こる経済変動のキッカケに過ぎない。市場の根底には、もっと本質的な要因が潜んでいる。
現在は、戦時経済と同じで、とにかく、コロナの収束に全力を尽くしている。その為に、コロナ対策以外の事が影を潜めているが、根本の原因が解決されたわけではない。 恐慌にせよ、財政破綻にせよ、ハイパーインフレーションにせよ、偶然に起こるのではない。人為的に起こされる現象であることに間違いない。
予測できるかではないかの問題は、別にして、何らかの政策が引き起こした事象である事を忘れてはならない。
コロナによって今進行している経済の変動が隠されてしまっている。財政問題は、何も片付いていないし、日本銀行が保有する国債の残高は、天文学的な値である。
コロナ騒動の背後でどのような変化が起きつつあるのか。今こそ、しっかりと見極めておかないと、コロナ後に予測される激動の時代を生き抜くことはできない。
コロナの後の世界を生き残るためには、先ず経済の仕組みを明らかにしておく必要がある。
経済変化は、いくつかの要素が複合的に作用する事で起こされる。一つの要素だけを探っただけでは原因は掴めない。全体的な推移を観察しながら、経済変化は、その時の全体に、どの様な要素が作用した事で、引き起こされたかを見極める必要がある。
「お金」の流れによって生産財を必要とする人に配分する事で経済は成り立っている。生産と消費との間を仲介している手段が「お金」なのである。
「お金」の流れの働きを無視して経済の動きを説明しようとするのは、電気の働きを無視して電気製品の効用を説明しようとしているような事である。 経済を複雑にしているのは、実体的「お金」の流れと名目的「お金」の流れが混在している事による。経済における実体的な流れは、人、物、「お金」の流れに他ならない。
現代の経済は、経済主体を「お金」が通過する事によって成り立っている。 つまり、経済主体は、「お金」の通過点、中継点なのである。市場経済は、「お金」が経済主体の間を流れなければ、経済が成り立たないような仕組みになっている。
経済の動向を見る時、需要な要素は、通貨の総流通量、部門間の配分、そして、比率である。どの部門にどの程度のストックが蓄積されているか、それが鍵を握っている。
市場には、売買による「お金」の流れと貸借による「お金」の流れの二つの「お金」の流れがある。
売買は、市場の表で、経済の働きを発揮され、経済の目的を実現する。そして、実体経済を動かしているのは、売買取引である。売買は、収益と費用を形成する。故に、収益と費用が市場経済の柱なのである。
市場を動かす取引は、市場の表面に働く売買取引と市場の裏で働く貸借取引がある。広義で捉えれば資本取引も貸借取引の延長線上にとらえる事が出来る。
売買取引は、決済を意味し、貸借・資本取引は、移転を意味する。この点が重要なのである。ストックと雖も、資金の流れがないわけではない。むしろ、決済と同量の移転があると考えていい。貸借は、支払いを準備する行為なのである。
conda install seaborn
import numpy as np
import matplotlib as mpl
import matplotlib.pyplot as plt
import pandas as pd
import seaborn as sns
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資金の過不足が、なぜ、生まれ。それがどのような「お金」の流れを作り出すのか。 そして、資金の流れは、どの様な働きをしているのかを見ていきたい。
資金の過不足、流れを生み出すのは、「お金」の出入りである。
「お金」は、使う事で効用を発揮する。紙幣は、使わなければ、ただの印刷された紙である。「お金」を使うとは、財やサービスと交換する事である。「お金」の効用は、それ以外にはない。つまり、「お金」は、交換価値を表象した物なのである。
「お金」は、使えばなくなる。つまり、「お金」は、使うと不足する事になる。故に、常に、「お金」を補充し続けなければ経済主体は維持できない。使うとなくなる。「お金」が不足すると生活に困る。常に、「お金」を得る為に働き続けなければならなくなる。 この収入を得る為の働きと、必要な資源を市場から購入するという働きによって市場経済は成り立っている。
市場経済は、入金と出金、即ち、収入と支出によって効力を発揮する。市場は、「お金」の流れによって動いているのである。
収支とは、収入と支出である。
では、貸借の役割とは何か。貸借は、支払いを準備する。売買が成立する為には、買い手は、資金がなければならない。つまり、買い手が資金を準備する手段の一つが借金なのである。「お金」がなければ、何も手に入れる事が出来ない。そこに「お金」の大切さがある。現代社会の犯罪の多くは、何らかの形で「お金」が絡んでいる。それは、「お金」の働きの重要性の証である。 そして、貸借は、支払いを準備する。多くの人は、一般に、「お金」が不足したら借金をする。
貸借は、市場の裏にあって売買取引を準備している。故に、売買取引と貸借取引は表裏をなすのである。
その証拠に「お金」の本質は、借用証書である。紙幣は、債権であり、債務である。
債務(負債、借金)は、成長の原動力となるが、同時に、成熟期には、衰退の原因となる。
注意しなければならないのは、損益と収支は違うという事である。損益は、収益と費用の関係によって成立し、利益の基となる。それに対しても収支は、現金の収入と支出を指す。収益は、売買からのみ生じるが、収支は、売買だけでなく、貸借や贈与からも生じる。
ここで注意しておかなければならないのは、損益が成り立つのは、法人企業だけだという事である。法人企業の中には、民間金融機関も含まれる。要するに、営利事業が許されている部門だけが、損益が成り立つ。非営利団体には、損益が成り立たない。なぜならば、非営利事業は、非市場事業だからである。
故に、家計と財政は、現金主義なのである。つまり、家計と財政は、現金収支でしか測れず、損益は成り立たない。そういう意味では、損益が成り立つのは、生産・供給サイドであり、消費・支出。需要サイドでは収支に依らなければならないのである。
「お金」さえ回っていれば、経営は持続できる。例え、それが借金だとしても、収入にはかわりない。生活はできる。
借金で生活できるとなれば、労働意欲は急速に低下するだろう。モラルもなくなる。 労働という事について錯覚している人が多い。労働は、自己実現の手段の一つなのである。
「お金」さえ回ればいいとなれば、需要も供給も関係なくなる。価格が価格としての働きをしなくなる。価格は、需要と供給を調節するのが基本的な働きなのである。
バブルには、伏線がある。高度成長が終焉した事で、本業で思うような収益が確保されなくなった。その時に円高とオイルショックが日本を襲ったのである。それがバブルの伏線である。 円高は、高度成長が終わった事と重なって輸入産業の収益を増々、圧迫した半面、資産克の上昇を招いた。大量の余剰資金を生み出したのである。それが、多くの企業を財テクに走らせた。また、資産価値の高騰は、相続税対策も活発にした。
要するに、生産に結び付かない余剰資金が大量に発生した事である。その事で実需と資金価値とが乖離したのである。
家は、住むために建てる。投資の為に家を建てるのは、二義的である。生活をする為に家を建てるのが本義である。ところが、住む事を忘れて値上がりを期待して家を建てる人が増えた。バブルの時は、その為に、家の価格が異常に上がり、実際に家を必要としている人が家を買う事が出来なくなった。バブルの時、無理して借金をして家を購入した人は、長い事、借金の返済に苦しむことになる。最悪の場合は、破産する。
適正な住宅価格は、年収の7倍程度とされているが、それをはるかに上回る価格で取引された。それが、実需を市場から排除したのである。そして、土地から得られる収益を当てにするのではなく、キャピタルゲインをあてにした取引が横行したのである。
実需から乖離した取引は実体のない取引である。泡銭である。泡銭が泡と消えたのである。
実需は、所得を基礎として形成される。実需は、賃料に影響される。なぜならば、実需は、損益を基礎としているからである。投機が実需を上回るようになると経済は、空焚き状態となる。それがバブルである。投機資金が実需を市場から排除するのである。
2020年には、空き家が846万戸を数える。(住宅・土地統計調査)その反面に、オリンピック重要を当て込んだ、投資用のマンションが流行っている。コロナは、オリンピックを当てにしていた経済政策を根本から覆したのである。
経済の動きを、現金主義で考えてみる。 現金主義では、定収入、可処分所得、経常支出、借入金の元本と月々の返済額、貯蓄、資産、物価の変動、税などが主要な要因となる。
月々の収入は、経常的な支出の枠(制約)となる。月々の収入を一定に保つ仕組みが定収、即ち、月給である。借金の返済が定収を上回る様では、生活が成り立たなくなる。定収の範囲内で生活費を捻出する。それが、市場経済の基本である。これは、家計にかぎらず、全ての経済主体、民間企業も、政府も、金融機関も、国家も同じである。
現金主義では、貸借の流れは、表に現れる。借金の返済は、支出として明確に意識される。故に、収入以上に借金の返済が上回れば、生活が成り立たなくなるのは、実感として感じられる。しかし、損益主義では、金利は意識されても借金の返済は、意識されない。金が廻っているうちは安全なのである。しかし、時々、金回りが悪くなり、資金不足に陥る。
現金の支払いだけならば何も買わなければ問題がない。しかし、借金はそうはいかない。借金の支払いが滞れば、破産する。
倒産の直接的理由は、借金が返済できなくなる事であり、収益が悪化するからではない。損が出ても資金繰りさえつけば、経営は継続できるのである。
借金の返済額は、借金の元本と金利によって定まる。元本は、ストック・債務を形成する。債務は貸し手の債権であり、資産である。この関係が重要なのである。
現金主義では、安定した収入、できれば、定収入が確保され、それから、税や社会保障費と言った公的支出、借金の返済と言った固定的支出が引かれた残りから、生活費を捻出する。収入が得られなくなったら、生活が成り立たなくなる。支払準備としての現金残高が生活水準を決める。
現金主義では、損益が問題なのではなく。残高が問題なのである。それに対して市場では損益が重要となる。そして、付加価値を生み出すのは、損益である。
市場経済を動かしているのは、市場取引である。
市場取引を構成するのは、売り手と買い手、「お金」と財である。
市場取引は、一対の売り買いによって成立する。売りは売り上げの元となり買いは費用の本となる。売上は、収益である。売りと買いは一対で成り立っている。
売りと買いは、対称であり、この対称性が複式簿記の根拠となる。
売り買いは、財と「お金」の交換を意味する。売り買いは、売り手から買い手に財を渡し、買い手から売り手に「お金」を渡す事で成り立っている。市場取引は、財の受渡、現金の収支、つまり、受けと渡し。入金と出金の四つの要素からなる。
資金の流れを見る前に、市場経済は、収益と費用を柱にした体制、仕組みだという事を明記しておく。収益と費用は、分配を実現する唯一の手段だからである。 故に、経済の動向は、収益と費用の関係に還元される。
バブル崩壊後、三つの過剰が言われるようになってきた。三つの過剰というが、三つの過剰の意味が正しく理解されていない。三つの過剰というのは、過剰債務、、過剰設備、過剰雇用である。
この点が肝心なのである。
過剰債務というのは、負債が過大である事、過剰設備というのは、資産が過大である事、過剰雇用とは、費用が過大な事である。 決算を構成する要素は、資産、負債、資本、収益、費用であり。この内、資産、負債、費用が過剰だと言われているのである。 残されているのは、収益と資本(利益)。
つまり、収益や資本(利益)に対して資産、負債、費用が過剰だというのである。裏返せば、収益と資本、利益が不足しているのである。資産、負債、資本、収益、費用は、絶対的な値ではなく。相対的な値である。
負債や費用、資産だけを削減しても、収益と資本が、それに伴って減少したら抜本的な解決にはならない。
経済主体は、「お金」が廻れば、経営を継続できる。「お金」を借りたって、貰ったって、「お金」が廻っていれば、経営は継続できる。しかし、それでは、市場が機能しなくなる。市場の働きは、生産財を分配する事である。その手段が「お金」である。問題は、「お金」を獲得する手段なのである。手段を択ばなくなったら、「お金」は、正常に機能しなくなる。
収益を柱とした体制が崩れ始めると市場経済はおかしくなる。なぜならば、損益を逸脱すると生産と結びついた公正な分配が出来なくなるからである。
収益と費用が損益の根源となる。つまり、市場経済は、損益の上に成り立つ。貸借は、市場の裏で働いているのである。
「お金」の流れは、フローとストックを形成する。即ち、損益は、フローを貸借は、ストックを形成する。
資産家は、確かに、金持ちかもしれない。しかし、バブル全盛の時代には、資産家の貧乏人も沢山いたのである。要するに、資産は、持っているけど、収入が少ない。その資産も価格だけが高くて、売るに売れない資産だと最悪である。売るに売れない理由は沢山ある。自分が住んでいるとか、先祖代々の土地だとか、立地条件や地形が悪いという場合である。
「お金」があれば事業に成功できるとは限らない。「お金」があっても、「お金」を上手に活用して利益が上げられなければ、資産を食いつぶすだけである。
実際の収支を考えたら、本来、売りたくても売れない。貸しても回収できない。それでも不動産投資が止まらない。それは将来の資産価値の上昇を期待しているからである。将来の資産価値は、蜃気楼のようなものである。ありもしない価値をあるように錯覚しているに過ぎない。それがバブルである。
一旦、資産価値が下がれば、売りたくても売れない。貸しても回収できないという現実だけが残る。それが恐慌である。この様な状態になると債務の増殖を防げなくなる。
フローによる金持ちが実業家なら、ストックによる金持ちは、投資家である。
株の時価総額、アップル1,848,090(百万㌦)、マイクロソフト1,531,483(百万㌦)、アマゾン1,512,003(百万㌦)と天文学的な数字か並ぶ。ストックが異常に拡大している証拠である。注意してほしいのは、株は、生産性とは無縁だという事である。
新興企業は株の時価総額だけでなく、レパレッジを効かせて資本を増幅している例が多くある。問題は、収益が伴っていればいいのだが、必ずしも利益が伴っているとは限らない。
新興企業の多くは、時価総額大きいからと言って利益が上がっているとは限らない。赤字の企業も多いのである。例え、赤字だとしても時価総額が多ければ、資金調達に問題はない。ただ、その資金は、生産的行為には基づいていないという事である。名目的な価値、見せかけの価値に基づいている。実体がないのである。
バブルの原因は、フローから資金を調達する事が難しくなり、ストックに資金調達を頼る事にある。本業そっちのけに相場にのめり込んだ企業がバブル形成時には多く見られ、その大多数がバブルが崩壊する事で破綻したのである。
バブルは、資産価値の上昇が、恐慌は、収益、収入の減少が根本の原因である。 実質価値と名目的価値の乖離が根底にある。
貧国の原因の一つは、借金による事を忘れてはならない。その日の「お金」に困るのも貧しいが、借金で首が回らなくなるのも貧しいのである。
経済の実相を理解する為には、先ず、「お金」の流れを明らかにする必要がある。
「お金」の流れは、部門間の過不足と流れを生み出す。
借金、即ち、負債は、金利を産む。金利や利益は、時間価値を派生させる。付加価値とは、時間価値を見意味する。金利や収益は、時間の関数である。
バブル崩壊後、金利は低下し続け、2020年現在は、ゼロ金利、マイナス金利である。しかし、このような低金利時代は、異常なのであり、過去の歴史にはない。
例えば、1980年代前半、アメリカの政策金利は20%に誘導目標を設定していた。20%近い高金利も異常であるが。ゼロ金利、マイナス金利も異常である。金利がゼロという事は、実質的に金利の働きが失われ、時間価値が喪失したことを意味する。
intermediate investment 中間投入 y10、 Output of Goods 産出 y11、 Total assets 総資産合計 y12
全体の流れを見て見る。第一に、GDP。第二に、中間投入。第三に、総産出、第四に、総資産合計。
sk= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=0,index_col="y")
sk.head()
fig = plt.figure(figsize=(10,6))
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(sk.GDP)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,2)
plt.plot(sk.y12)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(sk.y10)
plt.plot(sk.y11)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(sk.y12)
plt.plot(sk.y11)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
左上 GDP 右上 総資産合計 左下 中間投入=青 市場産出=橙 右下 総資産合計=青 市場産出=橙
フローの全体は、付加価値に現れる。付加価値は、総生産、総所得、総支出、すなわち、GDPを意味する。
企業では、生産サイドでは、d1、付加価値=Added value。
分配サイドでは、y5輸出-輸入=Export-Import、y6雇用者報酬=Employer compensation、y7 営業余剰・混合所得=Operting surplus、y8 固定資本減耗=Fixed asset depletion、y9 生産・輸入品に課される税=Tax imposed on production importsである。
支出サイドで見ると民間最終消費支出、政府最終消費支出。y5 輸出-輸入=Export-Import 企業法人では、b4、売上=sale。b5、原価=cost of sale。b6、在庫=stock。 b7、販売費、およぴ、一般管理費=selling,general and administrative expenses。 b8、経常利益=Ordinary profit。b9、営業利益=Operating income。b10、支払利息 Interest expense,etc。 前期、当期との差額は、資金需給を表している。
$GDP(支出)=民間最終消費支出+住宅投資+民間設備投資+在庫投資+政府最終消費支出+公共投資+輸出-輸入$
経済体制は、人々が生きていくために必要な資源も生産財を満遍なく分配する事を目的とした仕組みである。
経済の仕組みとは、人々が、生きていくのに必要とする資源を生産、調達し、全ての人に必要なだけ分配する仕組みである。(必要性の定義が経済体制の前提となる。)分配する手段が「お金」である。つまり、全ての人を活かす事が目的なのである。経済の仕組みが正常に機能しなくなれば人々は餓える。
必要とする資源の総量が経済量である。広義でいう経済量は、貨幣価値だけでなく、貨幣で測れる以外の資源も含まれる。ただ、便宜上、経済量は、貨幣価値で表される。
経済量は、人口と、単位消費量の積として表される。商品には、其々に寿命や流行がある必要する資源の構成は、商品寿命やその時々の人々の嗜好、生活の在り方に応じて変化する。経済量にはライフサイクルがある。
必要な資源の調達・生産、そして、分配、消費。必要は消費によって本来測られる。
経済は、生産量と分配、消費が均衡する事で成り立っている。
問題は、分配の手段である「お金」をどう配分するかである。本来、「お金」は分配の手段であり、分配するのに必要なだけ(量)あればいいのである。価格は、財の量と通貨量と人口で決まる。
成長もいつかは、止まる。食欲も満腹になればなくなる。いつでも飢えているわけではなく。腹が満たされる事は幸いなのであり、何も無理して飢えさせることはない。
商品の寿命による。かつては、商品寿命によって価格も設定された。商品の製造に携わる人間の口銭を基礎としたからである。
極端にいえば、仮に、十年の寿命のある商品を一年で売り切ってしまったら後の九年は、失業する事になる。九年間、生きていくためには、十年間を働かないでいいくらいの価格にするか、十年、かかって売り切る様にするしかない。
財は、本来必要なだけあればいい。家も人口以上に建設される事はなかった。要するに、必要性が価値基準となっていたのである。バブルは、住む家ではない家を量産した。ただ高価なだけで人が住む事を目的としていない家を大量に建ててしまった。しかも、少子高齢化が囁かれていた時にである。これこそ、経済原則に反した行為であるのに、あたかも、それが経済原則にのっとっているかのような説明がされてである。これは経済学の堕落を意味する。経済学が経済本来の目的を真向から否定したのである。経済は、金儲けの手段ではない。
ところが余剰な資金によって生産と分配、消費の均衡が保たれなくなった。それがインフレーションやデフレーションの真因である。
物量としての経済量は、有限である。人々が生きる為に必要とする資源は、有限であり、人口にも限りがある。人々が消費できる量には限りがあるのである。しかし、「お金」には際限がない。箍が外れたら際限なく拡大する。上に開いてしまうのである。
消費しきれずに余った物は、処分する。処分されなくても陳腐化したり、腐ったりして、使いものにならなくなっていく。それに対して、余剰な資金は、名目的価値を減価しないで金融資産として蓄積する。
経済は、部門間の遣り取りと均衡によって成り立っている。一国の経済料理基礎は、物量と人口によって制約される。制御する必要があるのは、「お金」の動き、過不足である。分配は、「お金」の配分によって決まる。故に、雇用が鍵を握るのである。
余剰資金の処理を間違うと市場は制御不能な状態に陥る。
経済は、生きる為の活動である。故に経済の目的は、国民生活を成り立たせることにある。 要するに、人が生活に困らなければ、「お金」に振り回される事はない。また、「お金」が機能しなくなれば、代替手段が生まれるのである。 「お金」が絶対なのではない。「お金」は、手段である。
100グラムの地金は、1グラム7000円の時、700万円である。それが、1グラム100円円値上がりすると710万円になる。しかし、金そのものの材質も量も変わらない。即ち、金の使用価値は何ら変わらない。ただ、使用価値は、用途によって変わる。単価が変わっただけである。単価を変えるのは、相場、即ち、人である。
産出は、売上に相当する。付加価値が増えるのは、基本的に総産出が増えるからである。つまり、総産出は収益である。
収益、産出が上がられなければ、付加価値も増えない。なぜならば、所得の限界は、産出によって画定されるからである。売上が、増えなければ、利益を上げられずに賃金も増えない。賃金ばかりを上げようとしたら、利益は減る。場合によっては、損失になる。利益がなければ、賃金は上げられないのである。
ところが多くの経済学者評論家は、所得だけを上げろ、賃金を上げれば景気は良くなると主張する。木を見て森を見ていないのである。近視眼的では全体の仕組みは見えてこない。
中間消費は、原価を意味する。付加価値は、粗利益に相当する。 中間消費と中間投入は一致するはずであるが、統計上に誤差によって若干の差が生じる。
付加価値や利益を生出す元は、売上、つまり、産出である。経済成長の源が付加価値だというのならば、産出まて辿って分析する必要がある。
付加価値の働きを理解する為には、付加価値が形成される過程を分析する必要がある。付加価値は、生産、分配、消費と貯蓄という過程を示している。生産は、物中心で、分配は、「お金」が中心となり、消費と貯蓄は、人の問題である。
産出と中間投入、付加価値の関係は、垂直的構造を、生産、分配、消費と貯蓄は水平的構造を形成する。
付加価値係数=中間投入係数(列)計という等式が成り立つとされている。 総産出-中間投入=付加価値とされるから、付加価値は、総産出の半分とみていい。 大体、中間投入係数は、50%とされるが、生産効率や中間投入の構造の変化によって幾分かの誤差が生じる。
注目すべきなのは、バブル崩壊後、総産出に対して資産合計が急速に拡大、即ち、フローに対してストックが急速に拡大している事である。
そして、コロナ対策がストックの拡大に拍車をかけている。
総資産、総産出、付加価値(中間投入、総生産、総所得、総支出)、雇用者報酬の関係を見ると経済の大枠が見えてくる。
fig = plt.figure(figsize=(10,6))
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(sk.GDP/sk.y12*100)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,2)
plt.plot(sk.y10/sk.y11*100)
plt.plot(sk.GDP/sk.y11*100)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(sk.y10/sk.y12*100)
plt.plot(sk.y11/sk.y12*100)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(sk.y6/sk.GDP*100)
plt.plot(sk.GDP/sk.y11*100)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
中間投入に対して付加価値が増えるのは、生産性の上昇を意味する。1985年のプラザ委合意から2008年のリーマンショックまで、一見して生産性が上がっているように見えるが、全体の規模が変わらないという事は、総体的に生産性は、低下している。つまり、生産性が上がっているように見えて実際は、付加価値が生産の向上に寄与していない。付加価値の比率が上昇したのは、公共投資が増えた結果だと思われる。
働きを見る時は、単に、比率だけを見るのではなく、全体の規模と照合してみる必要がある。
雇用者報酬を総生産が下回るのは、資金の余剰を意味する。その事からするとバブル崩壊後、消費サイドは、資金的なゆとりを失っている事が窺える。
経済主体は、入出金によって効用を発揮させ、経済を動かしている。
収入源が必要。収入手段が問題となる。
前提は、支払準備がされている。
先にも述べたように、市場に流れる「お金」の流れには、売買と貸借の二つの流れがある。 決済によって生じる「お金」の流れと、支払を準備する為に生じる「お金」の流れである。 実際に財と「お金」を交換する事で、「お金」の効用を発揮する流れと、「お金」の過不足を補填して支払いを準備する為の流れである。
経済の仕組みは、現金収支、「お金」の入金、出金によって動かされている。
現金収支の手段には、売り買いによる決済と貸し借り等による資金移転がある。
「お金」は、分配の手段であり、尺度・基準である。「お金」は、分配の為の単位である。故に、「お金」で、何をどの様に測るかが肝心となる。この点を見落とすと「お金」の効用を理解する事はできない。何の根拠、基準もなく「お金」をバラ撒いたら「お金」は、「お金」としての機能を発揮できなくなる。
「お金」は、「お金」その単体で成り立っているわけではない。「お金」が指し示す物やサービスと言った経済的価値がなければ効用を発揮しない。「お金」は、「お金」。交換の手段であり、交換価値を表す単位である。
分配を実現するのは、決済である。決済の流れに対して、反対方向に物や用役が流れている。決済の流れが生産財の分配を実現するのである。
分配は、所得と結びつくことによって成り立っている。収益や所得は、生産と消費を結び付ける手段である。収益や所得に結び付かない資金は、生産性がない。収益と所得は、市場によって成立する。
資金移転には、貸し借りの他に徴税と給付(贈与)がある。資金移転、即ち、支払いを準備する為の取引は、主として貸借取引と資本取引からなる。
貸借の流れは、債権と債務を産む。
市場の表面に流れ、取引の決済を担っている売買取引に依る流れと、市場の裏側で流れ支払いを準備する貸借取引による流れである。 売買取引は、フローを形成し、貸借取引は、ストックを形成する。資本取引は、貸借取引の延長線上にあるとみなされる。
収入の手段には、所得と借入金がある。支出の目的には、消費と投資がある。つまり、収入の根源は、生産であり、支出の根源は消費である。
生きるためには、必要な資源を消費者は、市場から購入する。購入とは、「お金」を支払って財を市場から手に入れることを意味する。 財を手に入れるためには、物を売ったり、働いて報酬を得たりして「お金」を準備する必要がある。
表には、現れないがストックにも流れがある。例えば、借金は、ストックであるが、借入と貸出、それに伴う、借金の返済と回収という「お金」の流れがある。この流れは、資金移転であり、損益上には現れない。しかし、企業は、借金の返済が滞る、即ち、不渡りを出せば経営が破たんするのである。
一般に市場に現れた動きに目を奪われがちであり、ストックは、お金が動かないものという認識がある。 これは、重大な錯誤である。 市場の表面には、現れないが、市場の裏側にも流れがあり、実際に経済主体を経済的に破綻させる原因は、市場の裏側で流れる「お金」が途絶える事である。
例え、利益が上がっていても、借入金の返済が滞れば、ストックは、拡大する。ゼロ金利だとしても借金の返済は、待ってはくれない。ストックが無制限に拡大すれば、資金の流れが淀むのは必然である。 無制限に金融機関から融資を受けられるのなら、問題ないと思われるかもしれないし、現実に、そのように主張する経済学者も増えてきている。しかし、ストックの拡大は、フローを圧迫する。その行きつくところがゼロ金利であり、マイナス金利である。ゼロ金利やマイナス金利は、金融機関の収益を圧迫し、経営を成り立たなくする。金融機関が機能しなくなれば、借金に頼っている企業は、軒並み経営が破たんする。
以上の事を鑑みると、フローとストックの比率が重要となる事がわかる。
借金は、債務である。借金は、負債である。 債務である借金には、返済が義務付けられる。 元本の返済は約定に従って確定している。支払いが滞ると罰せられる。 借金の返済は、法的な責務である。
借金の返済は、契約に基づき計画的に執行される。故に、借金をすると一定期間、支払いが固定的に発生する。基本的に返済は、予め決められた額を決められた額だけ分割して返済する事になる。
借金には、金利がかかる。金利は費用としてみなされる。金利は費用であるために、多くの場合、金利ばかりが注目されるが、より決定的な働きをしているのは、元金の返済である。なぜならば、元金の返済は、損益上計上されない、つまり、表面に現れてこないからである。それでいて経常収支固定的な支出として継続的に圧迫し続ける。
借金の目的は、支払いを準備する事である。つまり、借金は支払いを準備する。
借金は、資金移転であり、借金の元本の移動は、損益勘定には、計上されない。 負債は名目勘定であり、損益にかかわらずに、返済は、義務付けられている。例え、収入がなくても返済は、しなければならない。
基本的に借金は、経常的収支外の支出に充てられる。一時的で多額の出費に備えるという性格がある。 日用品や消耗品に対する支出を目的としたものではない。そして、返済は、長期間かかる。 借金の用途は、一時的に多額の資金を必要とする投資に向けられる。 短期的な借金もあるが、日常生活、可処分所得に影響を与えるのは、長期的負債である。
つまり、経常的な収支とは別枠の用途で使われるが、経常的な収入の中から返済される。この事によって実質的可処分所得の幅が狭められる。
借金は、基本的に債務を構成する。故に、対極に債権、即ち、資産が想定される。債務は債権との関係で成立しているように、借金は資産との関係の上で効用を発揮する。
基本的に借金は、収入の不足分を補う目的でされるものだが、逆に、経常的収入を圧迫し、収入が減少したり、なくなった時に経済主体そのものを破綻させてしまう性格がある。返済は、法的な責務なのである。責務を守れなくなった場合、基本的権利を中断される性格がある。
この借金の性格が市場経済の性格に色濃く影響している。
しかし、借金の返済は、約定に基づいた待ったなしの支出である。破産する主たる原因は、借金の返済が出来なくなる事である。「お金」がなければ物は買えないが、それ以上求められることはない。しかし、借金の返済が滞れば、代償が求められるからである。
借金の返済は、支出と言う観点からすると固定費と同じ働きをする。 問題なのは、借金の返済は、費用としてみなされない事である。
ただ、費用としてみなさないから適正な期間損益が測れるともいえる。借金の返済を費用としてみなすと借金の有無が価格に決定的な影響を及ぼす事になるからである。
借金の返済を費用としてみなされていないから、損益上には、現れてこないし、損益に影響を与える事はない。 つまり、表立っては、借金の返済は、利益には影響を与えないし、納税にも影響しない。 しかし、借金の返済は、待ったなしである。期日までに支払いを準備する必要がある。支払が準備できなければ倒産する。ある意味で他の費用をより厳格である。
借金の返済原資は、基本は、収益の中に求められる。主として税引き後利益と減価償却費である。ここにも問題がある。税引き後利益の目的野中には、借金の返済は含まれていないのである。 つまり、借金の返済は、税にも、利益にも、利益処分にも計上されないのである。
売上、即ち、収益が減少する事で真っ先に行き詰まるのは、資金繰りである。借金の返済ができなくなる事である。次に、困るのが固定費の支払いである。つまり、借金と費用が障害になる。
借金は、損益において清算されないために、返済が滞ると市場に蓄積する。 そして、徐々に利益を圧迫して価格を押し上げるようになる。
ストックがフローに対して相対的に膨張する事となる。社会全体に占めるストックの比率がフローに対して相対的に大きくなると「お金」の流動性が損なわれる事になる。
借金の返済額が、税引き後利益と減価償却費を裏まわるようになると債務は、一方的に拡大していく事になる。
給付金と貸付金の決定的な違いは、民間の負債になるか、公的な負債になるかにある。 給付金にすればいいかと言うと給付金にすると財政を圧迫し、一般政府の負債を増やすだけなのである。
民間企業の負債を一般政府に付け替えたとしても社会全体の負債は、減るわけではない。ただ経済主体を移しただけである。結局、物価をじわじわと押し上げる事になる。
結果的に、社会全体の債務負担を増やす事になる。
バブル崩壊後、民間企業の財務内容は、一見改善しているように見える。しかし、それは縮小均衡の結果であり、拡大均衡ではない。縮小均衡だから、経済成長には結びつかないのである。
import pandas as pd
sk= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=0,index_col="y")
sk.head()
バブル形成時からバブル崩壊後のストックの推移を見てみよう。
fig = plt.figure(figsize=(8,6))
plt.subplot(3,2,1)
plt.plot(sk.b1)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,2,2)
plt.plot(sk.b12)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,2,3)
plt.plot(sk.b4)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,2,4)
plt.plot(sk.d13)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,2,5)
plt.plot(sk.c1)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,2,6)
plt.plot(sk.b9)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
上の左、金融機関借入金。上の右は、減価償却費。中の左は、売上高。
この式は、企業の支払い能力を示すと言われている。
下の左は、ソフトウェアを除く投資額である。下の右は、経常利益。
民間企業の経営は、投資(資本)、負債、収益、費用の均衡の上に成り立っている。支出という点では、借入金の返済も費用も同じなのである。収入という点では、売上も借入金も同じなのである。最終的には、収支の均衡が破れた時に企業経営は破綻する。
そのカギを握っているのは、現金、即ち、キャッシュフローである。
紙幣の根源は、負債である。負債には、短期的負債と、長期的負債があり、短期的負債の主たる目的は、運転資金・繋ぎ資金で、長期的資金は、投資である。また、負債は、債権と債務が対になって成立する。債権は、投資によって、資産を構成する。
重要なのは、投資の性格で、主たる投資には、設備投資、公共投資、住宅投資があり、設備投資は、法人企業。公共投資は、一般政府。住宅投資は、家計が主たる担い手である。
設備投資だけが営業余剰・混合所得を生む。 公共投資と住宅投資は、直接的には、利益を生まないという性格がある。公共投資は、雇用者報酬にだけ関わっており、付加価値の増加には結びついていない。 即ち、経済成長に直接かかわってるのは、設備投資と公共投資である。
住宅投資による負担は、市場や所得が拡大している時と市場や所得が縮小している時とでは違ってくる。その差は、賃貸住宅との関係を左右する。
住宅価格は、日本では、大体、年収の7倍、理想的には、5倍だとされた。
住宅投資は、自家用である限り損益は成り立たない。自分の住む家は、営利目的ではないからである。 故に、自分が住む目的で建てる家は、現金主義なのである。
住宅投資は、住宅用地、人口、住宅面積、価格、そして、所得、貯金、住宅ローンによって成り立っている。 所得の範囲内で、住宅ローンの返済ができる事が前提である。所得と借金の均衡が破れたら生活は成り立たなくなる。
ストックは、フローの幅に制約を受けている。この制約が忘れられると経済は制御できなくなる。
人が住むために適した土地は限られている。人口も減少へと向かっている。基本的に、設備と言った資産も人件費も固定費である。何が景気を動かしているのか。それは価格である。
市場で動くのは、単価である。人と物が一定とされるのに対して、「お金」の価値が揺れ動く。それが大きく経済を揺さぶるのである。
営利性のない公共投資をいくら増やしても、経済成長には寄与しない。バブル崩壊後、経済成長が停滞したのは、民間の設備投資が抑制されたからである。
経済を動かしているのは、市場に流れる資金のフローであり。民間企業のキャッシュフローが付加価値の源泉なのである。営利事業に否定的である限り、健全な資本主義は成立しない。
基本的に市場取引は、売り手と買い手、貸し手と借り手があって成り立っている。つまり、取引は鏡像関係、対称関係が成り立つ。この鏡像関係が、複式簿記を生み出している。
入出金は、収入と支出と言う形で表現される。即ち、市場取引における収支の手段は、売り買いと貸し借りの二つがある。この二つの手段が市場に損益と貸借の二つの流れを生むのである。
そして市場経済の根本は、この二つの流れによって作られていると考えていい。
民間企業は、生産にかかった費用を財を市場で販売する事で回収する。 利益は、その過程で生じる副産物である。 この買いと売りによって需要と供給の関係を成立する。
収支の力は、価格に対して作用する。需要と供給や所得と支出の力関係は、価格に上昇圧力と下降圧力として作用する。
価格は、数量と単価によって構成されている。故に、市場の働きは数量と単価に作用する。
「お金」の流通量と需要と供給の力関係によって価格は変動する。 「お金」の流通量は、フローとストックによって定まる。
フローは、単位期間内の収支の働きによって作られる。ストックは、単位期間を超える収支の働きによって作られる。 収支は、収入と支出からなる。
問題は、収入と支出の性格である。
重要なのは、収益と支出の釣り合いである。収益と支出の釣り合いがとれなくなると市場取引が成立しなくなり、市場は制御不能の状態に陥る。
そこで問題となるのが収入と支出の性格の違いである。 売買に基づく資金の流れは、経済の実相を表し、貸借による資金の流れは、市場取引を準備する。 収益は、不確実で変動的、即ち不安定であるのに対して借金の返済は、確実で、一定している。しかも、収入と支出の関係は、基本的に相対的なのである。
個人事業者は、日々の収入は一定していないし、景気に左右される。雇用者は、失業すれば定収は失われる。農業の収入は、天候に作用される。この様に収益は、不確実な要素が付きまとう。民間企業や一般政府の様な生産主体は、不確実性を整流し、確実性の高い所得に変換させる装置でもある。生産主体のこの働きを見落としていると生産主体の費用の働きを理解する事はできない。
市場経済は、収益と費用が均衡を保とうとする働きによって成り立っている。
経済が成長している間は、負債は、負担にならないが、経済が停滞、縮小し始めると負債は、収支を圧迫する。
仮に、借金の返済額が収益や所得を上回ったら経済主体は破綻する。 それは一般政府も例外にはならない。
借金の返済額を収益の中で確保できなければ、ストックは自己増殖を始める。売上が一定な場合、利益を確保しようとすれば、費用を削減する以外にない。経費を抑え込めば不景気になる。
収入と収支は、売買による収支と貸借による収支がある。そして、売買による収支と貸借による収支では、働きや性格が違う。この違いを明確にしておく必要がある。
また、収入と支出も働きや性格が違う。
収入と支出の大きな違いは、第一に、確実性、第二に、固定的性がある。 基本的に収入は、不確実で、変動的であるのにたいして支出は、確実に、そして、固定的に発生する。 この違いが経済を複雑にしている。
特に、借金の返済は、長期にわたって、一定の支出を強制する。しかも、費用として認識されず、損益に計上されない。借金の返済は、費用ではなく、資金移転なのである。借金の返済は、損益には直接影響しないが、返済が滞れば、破産するのである。
収入と支出の関係は相対的なのである。収入、支出、各々バラバラに見ればいいというものではなく、収入と支出の働きを関連付けて考察する必要がある。
一定で確実な支出に対応する為には、収入を安定させる必要がある。分配主体は、収入を安定させるための整流器の働きをしている。分配主体と、生産主体を一体である場合が多い。生産主体は、民間企業や一般政府等を指す。特に、民間企業は、市場を介して収支を均衡させる為の一翼を担っている。
つまり、企業や政府は、収入を整流する働きがあるのである。
負債の増加は、価格(物価)の上昇を招く事を忘れてはならない。借金の返済は、目に見えない、表に現れないところで収益を圧迫する。つまり、費用には計上されないが支出である事には変わりないのである。だからこそ、フローとストックの釣り合いがとれなくなると価格、物価にも影響が出てくる。
負債の増加は、目に見えない支出を増加させる。それが流動性を悪化させるのである。
経済を動かしてきた根本的原理が働かなくなるのである。市場経済も新たな局面を迎える事となる。
注意しなければならないのは、一般に、市場の表面に現れる売買取引の結果、即ち、損益ばかりに目を奪われて、市場の裏側で働いている。貸借の流れを見落としがちだという点である。
「お金」がなければ物は買えないが、破産する事はない。返済する「お金」が準備できなければ破産する。 実際に経済で決定的な働きをしているのは、貸借の流れである。
無論、売買取引がなければ市場の機能は発揮できない。あくまでも、中心となる働きは損益である。この点は、忘れないようにしておく必要がある。
市場経済は、損益、即ち、収益の中から費用を支払い、借金の返済資金も準備する。それが原則である。 収益によって費用と借金の返済をする事が原則である。
最近の議論の中でこの原則が忘れられているか、無視されている事がある。つまり、借金や税金によって借金の返済や費用を支払えばいい問う考え方である。この様な考えは、収益が市場経済の柱だという事を忘れているか、故意に無視している。 収益によって費用と借金を返済するという原則が失われれば、市場経済は成り立たなくなる。
ちなみに、「お金」の本質は、借用証書、債務である。
また、表象貨幣は劣化しない。
問題となるのは、一度、発行した表象貨幣を回収する事が出来るかという点である。 表象貨幣は、物的な貨幣とは性格が違う。
また、自然数eは、経済で重要な意味を持つ。それは、経済変化の基本は指数的変化だからである。
データを分析する目的には、主として三つある。 第一に、状況や現象の背景や要因の構成、構造を解明する。 第二に、因果関係を明らかにして問題を解決する。 第三に、将来、起こる事を予測する。
分析の最終的目的、即ち、結論を構成するのは、予算と解決で、結論となる予測や解決策を立てるための要因を明らかににする事の三つである。 そして、その目的を果たすための前提となるのは、現状認識であり、現状認識は、問題点を明らかにする事に意義がある。
何が問題なのか。現状を単に認識するだけでなく。現れている状況がどのような影響を何に、誰に、与えるのか。それは、良い影響か、悪い事か。悪いとしたら、何が問題となるか。それを明らかにする事が鍵なのである。
三つの目的の中でも、経済では、将来を予測する事が重要な役割を果たしている。
予測するというのは、どういう目的でするのか。予測は、基本的に仕組みを制御する事を目的とする。
予測をする際、留意しなければならないのは、予測に活用する数値には、確定値と推定値、予測値の三つの値がある事である。更に、確定値には、所与の値と任意の値がある。
変化は、特定の局面を普遍化する事はできない。つまり、どこかの局面だけを切り取ってそこだけをみて法則を導き出す事はできない。高度成長期に地価を見ると右肩上がりとみられ、バブル形成から崩壊までの間をなると山形になり、バブル崩壊後は、逆に右肩下がりにみられてしまう。
将来の経済状態を予測し、それに対する対策を立てる。それが経済を分析する為の最終的な目的の一つである。
変化も一定の決まった形があるわけではない。前提条件や環境、空間に働く力によって変化は、大きく影響を受けている。
変化に対する見方にも、変化を直線的なものとしてとらえる見方や循環的なものとしてとらえる考え方があり、それは死生観にも影響する。輪廻転生の様に魂は、生まれ変わり、循環しているという見方と、人生は一度しかないという見方がある。死生観は、人の生き方にも決定的な働きをしている。
また、いくつかの変化が重なり合っているとみるか、掛け合わさっているとみるのかによて変化の様相も変わってくる。 和に重要な意味があるのか、積や比に意味があるのか。それはデータの性格にもかかわる大事である。間隔尺度か、比例尺度か、よく吟味をする必要がある。
変化の捉え方には、差によるものと比によるものがある。差は増減を表し、比は、率、比較を表す。
時系列的変化には、周期的変化、季節変動、傾向的変化、一時的変化、不規則な変化がある。 変化の形は、確率や統計の下地となる。変化そのものは、時間の関数であり、広義の時系列変化と考える事ができ、ここでいう時系列変化は、狭義的な意味であり、短期的な変化と捉えていい。一時的変化の形は、確率分布の形、フーリエ級数等だと考えていい。
変化は、一律一様に起こるわけではなく。段階的であったり、場や空間の相変化による場合もある。階層や構造、仕組み、法則等が隠されている事も考えられる。段階や状態が変化した場合は、変化を表す方程式や恒等式が変わる。それまでのやり方や手段では通用しなくなるのである。
また、変化には、不可逆的な変化と可逆的な変化がある。時間は、不可逆的であるから基本的には、変化は、不可逆的な事である。時間が陰に作用している時は、可逆的な変化もある事に注意する必要がある。
変化を演繹的に予測するか、帰納法的に予測するかの違いもある。演繹法的に予測する為には、経済の仕組みや因果関係を明らかにする必要があるし、帰納法的に導き出すためには、表に現れた現象から変化を推測する必要がある。
自動車の走った軌跡から自動車の仕組みは解明できないように、景気の変動から、市場の仕組みを解明するのは難しい。この辺が統計分析の限界である。 重要なのは、どこでブレーキを踏んだか、クラッチを切り替えたか、アクセルを踏んだか、その時の道路のどうだったかである。 飛行機も一方的に上昇し続けるわけにはいかない。一定の高度に達したら、水平飛行に切り替える必要がある。
目先の変化に囚われていると、その背後にある、重要な要因を見逃してしまう。 万有引力の発見の意義は、物と物との間に働く力を明らかにしたことにある。 物と物との間に働く力が、物と物との関係を規定している。 物事を制御する為に、表に現れた現象の裏にある働きを明らかにする必要がある。
株の予測には「テクニカル分析」と「ファンダメンタルズ分析」がある。 テクニカル分析とは、株式の値動きや相場の先行きをデータや経験則から分析・予測する手法で、代表的なものとしてはチャート分析等がある。 ファンダメンタルズ分析とは、財務状況や業績をもとに企業の本質的価値と市場価格とのギャップを分析する手法で、PER、PBR、ROEなどが代表的な指標として使われる。
「テクニカル分析」と言うのは、飛行機の軌跡から飛行機の飛ぶコースを予測するような手法で、「ファンダメンタル分析」は、飛行機の構造、仕組みから飛行機の軌跡を読むような手法である。どちらも限界がある。 軌道から飛行機の動きを読むのには、明らかに限界がある。飛行機の仕組みから飛行機の軌道を読むのにも限界がある。 市場に働く力と力学的な法則が明らかにできなければ経済主体を制御する事は難しい。
経済政策は、市場の仕組みに基づいて実施される必要がある。
経済政策を立てるためには、市場をどの様な状態、形にするのかを明確にしておく必要がある。言い換えるとその時その時の政策は、将来、市場をどの様な状態にしようとしているのか、どの様な形にすべきなのかの構想に基づいて立てられなければならない。
例えば、ストックが蓄積さる以前の市場と、ストックが蓄積された後の市場とでは、市場に働く力に違いがある。ストックがどの程度蓄積されていて、それが、フローにどの様な影響を与えているかを見極め。その上で、どの部門、どの方向に資金を流すか。その為には、どの様な構造、状態、形に市場を導いたにいいのかを明確にしておき必要がある。
ストックの拡大は、フローに対しては、強烈な上げ圧力として働き、金利に対しては下げ圧力が働く。この相反する圧力が市場に猛烈な緊張をもたらす。
資金循環 日本銀行
f = 資産・合計/フロー,負債・合計/フロー
ff = 負債・資金過不足/フロー
fs = 資産・合計/ストック,負債・合計/ストック
fss = 負債・金融資産・負債差額/ストック
部門
Financial institutions=Fi(金融機関)
General government=Gg(一般政府)
Domestic nonfinancial sector=dns(国内非金融部門)
Nonfinancial corporations=cor(非金融法人企業)
Households=Households(家計)
Private nonprofit institutions serving households=Pnish(対家計非営利団体)
overseas=overseas(海外部門)
ff=pd.read_csv("C:/Users/kk/Documents/houjin/ff.csv",index_col="y")
ff.head(5)
国民経済計算書のストックには、資本勘定、金融勘定、その他の資産量変動勘定、及び、再評価勘定がある。
資本勘定、総資本形成や資本移転と言った実物勘定を扱う。
金融勘定は、金融資産と負債を扱う。注意しなければならないのは、金融資産と負債とは表裏一体をなしている事である。
経済指標を考える上で、何と何が表裏一体となるかが、経済の仕組みを考えていくうえで重要な鍵になる事である。 例えば、金融資産と負債、売りと買い、貸しと借り、債権と債務これらは表裏一体となっている。 純貸出(+)と純借入(−)も表裏をなしている。また、資本勘定の純貸出(+)/純借入(−)と金融勘定の純貸出(+)と純借入(−)も表裏をなしている。 総生産、総所得、総支出も一体と考える。
これらの点を前提として各部門の資金の流れを見ていく。
統計と確率を一括りに扱うから統計と確率、両方ともわからなくなるのである。統計と確率は、別物である。 統計は、既に現れた事実を記述し、あるいは、既に現れた事象を元に全体を推測したり、将来を予測することを言うのに対して、確率は、何らかの事象がこれから生起するであろう比率で表した事である。確率を計算する為に統計を活用する事はあるが、統計と確率は別の事である。
正規分布ありきで説明しようとするからわからなくなるのであり、正規分布を一つの基準として捉えればいいのである。何もかも正規分布になると訳ではない。
経済統計で幻惑されるのは、実測値と推測値が混在している事である。特に、会計上の数値は、金銭的な裏付けのない名目的な値と金銭的な裏付けのある実質的な値がある事を注意しなければならない。経済の実体を明らかにする為には、「お金」の流れが重要な意味を持つ。
経済に決定的な影響を及ぼしているのは、資金の流れである。資金の流れを負えば、経済の動きは読めてくる。部門別に資金の流れを追ってみる。
部門間の資金の過不足と他の要素との相関関係を結び付けて考えてみる。 残高と差額、過不足の関係をみてみる。 残高は、総量を表している。差額は、資産と負債の構成の変化を表している。過不足は、流れた方向を表す。 先ず全体像をみてみよう。 残高には、フローとストックがある。
fs=pd.read_csv("C:/Users/kk/Documents/houjin/fs.csv",index_col="y")
fs
fs.head(5)
fig = plt.figure(figsize=(15,12))
plt.subplot(6,4,1)
plt.plot(ff.fi_f)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,2)
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plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,4)
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plt.subplot(6,4,5)
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plt.subplot(6,4,6)
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plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,7)
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plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,8)
plt.plot(fs.cor_fss)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,9)
plt.plot(ff.Households_f)
plt.subplot(6,4,10)
plt.plot(ff.Households_ff)
plt.subplot(6,4,11)
plt.plot(fs.Households_fs)
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plt.subplot(6,4,13)
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plt.subplot(6,4,14)
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plt.plot(fs.Gg_fss)
plt.subplot(6,4,17)
plt.plot(ff.Pnish_f)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,18)
plt.plot(ff.Pnish_ff)
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plt.subplot(6,4,19)
plt.plot(fs.Pnish_fs)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,20)
plt.plot(fs.Pnish_fss)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,21)
plt.plot(ff.overseas_f)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,22)
plt.plot(ff.overseas_ff)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(6,4,23)
plt.plot(fs.overseas_fs)
plt.subplot(6,4,24)
plt.plot(fs.overseas_fss)
一行目から金融、非金融法人企業、家計、一般政府、対家計非営利団体、海外部門。 一列目から、f = 資産・合計/フロー,負債・合計/フロー、ff = 負債・資金過不足/フロー、fs = 資産・合計/ストック,負債・合計/ストック、fss = 負債・金融資産・負債差額/ストックと言う順で並んでいる。 日本銀行
比較する事で、規模、構成、増減、傾向、各々何が変化して、何が変わっていないかを見てみる。特に分岐点や傾向の変化に注目する。 何がきっかけになって変化が触発されたかが鍵となるからである。
例えば、非金融法人企業は、フローの規模は、バブルが形成時では、急速に上昇し、それがバブルが崩壊すると急速に萎んでいる。フローの資産、負債差額を見るとバブル形成時は、負(マイナス)であったのが、バブル崩壊後急速に縮小し、2000年頃から正(プラス)に転換している。ストックの規模は、バブル崩壊ので上昇していたのが、バブル崩壊後は、横ばい状態である。バブル形成までは、増加していた負債が、バブル崩壊後は、横ばい状態になっている。この事から、バブル形成からバブル崩壊後の資金の流れが読み取れる。
非金融法人企業のフローと、GDPの相関関係は高いのがわかる。民間の設備投資が付加価値に大きく寄与している事の証である。
フローの資産合計は、単位期間内の資産の増減を表している。ストックの残高は、累積された資産の残高である。資産合計と言うのは、負債と資産を合計したものであり、差額とは、資産から負債を引いた差を累計した額である。
フローの過不足は、資金調達額と運用額の差額である。フローの過不足は、資金の流れる方向を示している。
金融資産と負債差額は、資産と負債の関係を表している。資産、負債の差額は、正の値は、資産の増加を意味し、負の値は、負債の増加を意味している。
資産と負債の差額で非金融法人企業と一般政府、海外部門が負の値をかけてが正の値をとっている。これは、家計以外の部門が負債を増やしていて家計がその分、資産を積み上げていることを意味する。
金融機関で目立つのは、金融機関も2009年以降、資産を積み上げている点である。
過不足と資産・負債の差額はゼロサムである。
何処からどの様にして調達し、何に対してどの様に運用するか、それが、部門ごとの資金の過不足を決める。
資金の調達は、目的、即ち、運用先によって違ってくる。運用の目的には、投資と消費がある。投資には、設備投資、在庫投資、公共投資、住宅投資が主たるものである。
資産合計と負債合計は、流通量、残高を意味する。
フロー資産残高とフローの過不足、ストックの残高と金融資産・負債差額の動きが一体でないのは、総量とシェアが一体的な動きをしていないことを意味している。
金融資産と負債とは、表裏一体で同額である。
先ず外枠である。外枠を構成するのは、金融部門と海外部門、そして、国内非金融部門との関係である。 金融部門と国内非金融部門とは、相互に補完し合う関係にある。
金融機関のフローの増加は、金融資産の増加を意味し、それは、国内非金融部門の負債の増加を意味する。
国内非金融部門の足らない部分を補う形で海外部門が働いている。
金融部門も海外部門を支払いを準備する事が役割であり、基本的に均衡を保つ事が求められる。
fig = plt.figure(figsize=(10,6))
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(ff.dns_f)
plt.plot(ff.fi_f)
plt.plot(ff.overseas_f)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,2)
plt.plot(ff.dns_ff)
plt.plot(ff.fi_ff)
plt.plot(ff.overseas_ff)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(fs.dns_fs)
plt.plot(fs.fi_fs)
plt.plot(fs.overseas_fs)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(fs.dns_fss)
plt.plot(fs.fi_ss)
plt.plot(fs.overseas_fss)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
左上 フロー 資産(負債)合計国内非金融部門=青、金融機関=橙、海外部門=緑 右上 フロー 資産、負債差額 国内非金融部門=青、金融機関=橙、海外部門=緑 左下 ストック 資産(負債)合計国内非金融部門=青、金融機関=橙、海外部門=緑 右下 ストック 資産、負債差額 国内非金融部門=青、金融機関=橙、海外部門=緑 国民経済計算書 内閣府
対家計非営利団体は、規模からして体制に大きな影響を与えていない。国内の経済の状態は、主として非金融法人企業と家計が担っていて、その基礎的な部分を担っているのが一般政府である。
経済の動向、変化は、経済の規模と部門間の力関係によって定まる。
基本的に経済規模は、市場の規模によって定まる。市場規模は、付加価値の大きさによる。付加価値は、非金融法人企業と家計の働きによって形成される。なぜならば非営利事業は、付加価値を生み出さないからである。
fig = plt.figure(figsize=(10,6))
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(ff.cor_f)
plt.plot(ff.Households_f)
plt.plot(ff.Gg_f)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,2)
plt.plot(ff.cor_ff)
plt.plot(ff.Households_ff)
plt.plot(ff.Gg_ff)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(fs.cor_fs)
plt.plot(fs.Households_fs)
plt.plot(fs.Gg_fs)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(fs.cor_fss)
plt.plot(fs.Households_fss)
plt.plot(fs.Gg_fss)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
左上 フロー(残高) 資産(負債)合計非金融法人企業=青、家計=橙、一般政府=緑 右上 フロー(過不足) 資産、負債差額 非金融法人企業=青、家計=橙、一般政府=緑 左下 ストック(残高) 資産(負債)非金融法人企業=青、家計=橙、一般政府=緑 右下 ストック(資産-負債) 資産、負債差額 非金融法人企業=青、家計=橙、一般政府=緑
バブルが崩壊すると家計と非金融法人企業のストックの残高に注目するとワニが口をわらいていねように見える。そのワニの口を補うように一般政府のフローが伸びている。ストックの資産-負債を見るとその構図がよくわかる。それがバブル崩壊の一つの構図である。
フローで目立つのは、バブル形成期とバブル崩壊後の資金の流れで、バブル形成期、プラザ合意後に非金融企業法人の伸びが大きく、その反動でバブル崩壊後、急速に減少している。家計は、非金融法人企業に合わせる様な動きを見せているが、上昇するにせよ、下降するにせよその変化は非金融企業法人に比べて緩やかな動きである。
過不足を見ると非金融法人企業と一般政府は対称的な動きを見せており、家計は、全体の傾向を反映しているように見える。この点が重要なのである。バブル崩壊後、経済活動の振幅が小さくなっている。それは、家計の動きによく出ている。同時に非金融法人企業と一般政府の流れが入れ替わっている。
この点がバブル崩壊後の景気低迷を表している。問題は、景気低迷の結果なのか、原因なのかである。
ストックを見ると1990年バブル崩壊が一つの分岐点である事が如実に表れている。残高は、家計、経常的に上昇しているのに対して、非金融法人は、資金が停滞し始めるる。それに呼応するように財政支出は上昇する。
家計の資金の基礎たる資金の調達手段は、所得(雇用者所得)であり、一般政府は、税(歳入)、そして、民間企業は、収益である。 生産主体(金融法人、非金融法人、一般政府)から家計への資金の流れは、主として賃金である。その他に、一般政府からの給付金がある。逆の流れは、消費主体から生産主体への「お金」の流れは、主として売上である。
その補助的な手段として借入金がある。貸借の本来の役割は、補助的手段であり、資金の過不足を補い、支払いを準備する事にある。故に、決済としてではなく移転として扱われる。しかし、実際は、経済主体の存亡を握っている。経済主体は、借金を返せなければ破産するのである。
運用は、消費と投資である。家計の運用先は、民間最終消費支出と住宅投資である。一般投資は、歳出、公共投資である。
市場は階層構造になっている。市場構成する階層がどのようにできているのかを明らかにしていく。 また、市場の生成発展は、段階的になされる。
先ず資金調達の局面がある。市場経済では、資金がなければ何も始まらない。まず何らかの形で資金を調達する必要がある。それが第一段階である。
階層には、フローとストックがある。市場の表層を流れるのがフローである。市場の底辺を構成するのがストックである。
ストックの部分は、「お金」の動きがないかというとそうではない。むしろ、ストックは、固定的な「お金」の動きがあり、それが経済変動を裏から促していると考えるべきなのである。静的な動きと言っていいかもしれない。
見極めなければならないのは、経済を構成する要素が、何に影響し、どの様に作用するかである。 特に、フローとストックにどう働くかである。 基本的に、損益は、フローを形成し、貸借は、ストックとなる。 フローとストックは、「お金」の流れと過不足に深く関わっている。
重要なのは、時代の変化とともに個々の要素の働きに違いが生じているという事である。 何が、働きを変化させているのか。 また、政策のようなイベントがどの様に作用しているのかを見極めるのが、一つの目的である。
その為に変化の様相を見ていく。
経済を表している。大枠を表にしてみる。
上左 a5 総人口=Total population 。上中 a6 消費者物価指数=CPI Consumer price index 。上右 b4 売上=sale。 下左 y1 民間最終消費支出=Private final consumption expenditure 。下中 y6 雇用者報酬=Employer compensation 。下右 GDP
fig = plt.figure(figsize=(12,4))
plt.subplot(2,3,1)
plt.plot(sk.a5)
plt.subplot(2,3,2)
plt.plot(sk.a6)
plt.subplot(2,3,3)
plt.plot(sk.b4)
plt.subplot(2,3,4)
plt.plot(sk.y1)
plt.subplot(2,3,5)
plt.plot(sk.y6)
plt.subplot(2,3,6)
plt.plot(sk.GDP)
数学は、物理的な数学と経済的な数学の二種類がある。歴史的に見ても、本来、目的を別にした体系であるはずなのに、いつの間にか混同されてしまい、特に、経済用の数学は、廃れている。 数の体系にしても、経済は、自然数、離散数、余り算を主とした体系であり、今日では、二進数も重要となってきている。
統計は、どちらかといえば、政治や経済を元として発展してきた数学の一種である。この点をよく理解しないと確率や統計の意味や目的は失われてしまう。
経済において数学の効用は、予測、予算などで発揮する。 現在の数学は、予測の手段として、主に、機能的な方法が用いられる。 しかし、正確な予測をする為には、演繹法的な手段を開発する必要がある。
帰納法的な手段としては、回帰分析や近似式(指数近似、線形近似、対数近似、多項式近似、累乗近似等)が重要な役割を果たしてきた。 また移動平均なども用いられてきた。近似曲線としては、成長曲線、ロジステック曲線、ゴンペルツ曲線、遅れS字曲線等が使われてきた。 数学は、近似と誤差だという考えもある。しかし、近似は近似である。この点を見極めないと数学の限界も見えてこない。
線型関数というのは、要するに、比例関係を表した関数である。変化の根底には、線形関係、即ち、比例関係が隠されている。
経済的な変化を回帰分析やロジスティクス曲線などを当てはめて近似するのは難しい。それは、経済的変化が表面に現れた現象だけを負っても解明できないからである。経済の動きを成り立たせているのは、単一な要素ではなく、複合的、構造的、空間的な働きだからであり、変化自体も階層的だったり、段階的である場合が多いからである。
問題の本質や所在を正しく見極めて、経済の動きの背後にある仕組みや働きを解明する事が先決なのである。目に見える現象だけでなく、背後の空間の状態や場の働きを構造を見極める必要がある。
空間や場の働きを明らかにする為には、何を前提としているかが鍵を握っている。
それが現状認識であり、問題点の解明である。 現状を認識し、問題点を解明すれば、適切な仮説が立てられる様になる。問題認識の重要性がそこにある。
電磁気のような場に働く力なのか、場に働く力が変異したのか、風力や、水力、電力のような流れの力の働きなのか。例えば、無重力な場では、重力が働かなくなる。重力が働いている場と重力が働いていない場、無重力な場とでは、物体の動きに違いがある。
バブルが崩壊するに伴ってそれまでの相関関係を打ち消す力が働いているように思われる。
場に働く力とは何か。 市場経済における場とは、市場である。市場に対してどの様な力が働いているかが鍵なのである。 市場に働く力には、需要と供給によって働く力がある。次に、資金の過不足、資金の流れによる力がある。そして、ストックによる力がある。ストックによる力はは、フローに働きかける。
市場にかかる働きの根源は、生産と消費の関係から生じる。 生産と消費の関係から、需要と供給、収入と支出、財と対価、労働と報酬の関係が生じる。
これらの関係が市場に働く力の源となる。
import pandas as pd
sk12= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=12,index_col="y")
sk12.head()
fig=plt.subplots (figsize=(8,8))
sns.heatmap(sk12.corr(),square=True,cmap="Blues",annot=True)
GDPにたいして民間最終支出、雇用者報酬、総人口、消費者物価、売上高、資産合計(国民経済計算書)、非金融法事企業のストック残高は、高い相関関係を示している。
fig = plt.figure(figsize=(12,4))
plt.subplot(2,3,1)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.plot(sk.a3)
plt.subplot(2,3,2)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.plot(sk.a4)
plt.subplot(2,3,3)
plt.plot(sk.c1)
plt.subplot(2,3,4)
plt.plot(sk.c2)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,3,5)
plt.plot(sk.c3)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,3,6)
plt.plot(sk.z1)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
上左 株価、上中 住宅指標、上右 ソフトウェアを除く設備投資(当期末資金需給)、 下左 土地(当期末資金需給) 、下中 長期金融機関借入金(当期末資金需給) 、下右 財務キャッシュフロー 法人企業統計 財務省
import numpy as np
import matplotlib as mpl
import matplotlib.pyplot as plt
import pandas as pd
import seaborn as sns
%matplotlib inline
m1= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=3,index_col=0)
m1.head()
fig = plt.figure(figsize=(12,6))
plt.subplot(3,3,1)
plt.plot(sk.a2)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,3,2)
plt.plot(sk.a3)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,3,3)
plt.plot(sk.b2)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,3,4)
plt.plot(sk.a4)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,3,5)
plt.plot(sk.z1)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,3,6)
plt.plot(sk.b1)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,3,7)
plt.plot(sk.c3)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,3,8)
plt.plot(sk.m6)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(3,3,9)
plt.plot(sk.m7)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
上左 a1 ドル・円 為替=dollar-en 上中 a3 日経平均=the Nikkei stock average 上右 b2 土地簿価= Land book value 中左 a4 公示47住宅指数=housing index。 中中 z1 全産業・財務キャッシュフロー 中右 b1 金融機関長期借入金残高(残高)=long-term banks loans。 下左 c3 金融機関長期借入金残高(資金需給)=long-term banks loans。 下中 m6 金利=The interest rates 下右 m7 支払利息等(当期末)=Interest expense,etc
原油価格の高騰は、オイルショックとして、経済に決定的な影響を与えた事が知られている。
為替の変動、物価、株価、地価は、短期的に変動する。
株価や地価は、短期的に変更するが、基本的にはストックに属している。
それに対して人口は、緩やかに、長期的に変化する。
為替、円は、ニクソンショックによって変動相場制に移行した直後と、プラザ合意後の二段階で上昇した。
為替の変動は何よって引き起こされ。どのような影響を引き起こすか。また、どの様な目的で為替を操作しようとするのか。その効用と弊害には、どのような事があるのか。
為替は、経済的動機で政治的に操作されてきた歴史がある。それも、非常に粗っぽく暴力的にである。しかし、為替を強引に操作しようとする事には無理があり、いずれも何らかの副作用が生じている。
日本は、本当に豊かな国に変身したのか。国の豊かさは、為替による錯覚による部分が多分にある。外国からみて見かけ上は豊かに見えても、実際は、為替の変動が原因である場合がある。
1971年8月15日のニクソンショック以前は、円は、1ドル=360円に固定されていた。それが、1995年4月には、1ドル=79円75銭まで、円高ドル安まで進んだのである。実に、ドルは、5分の1程度まで落ちたのである。
所得を円で換算しても、外国から見れば、所得が5倍になったように見える。しかし、実体はどうか。見掛けは、所得が増えたといっても、住む家の広さは変わらず、相変わらず満員列車に揺られ、通勤時間は短縮されるどころか、長くなったとしたら。それでも、豊かになったといえるだろうか。豊かさを実感できるかどうか、それが問題なのである。
世界に示される経済指標は、基本的にドル建てである。日本のGDPや購買力が上昇したといってもドルの下落を考えなければ実体を理解する事はできない。逆に、円安が進めば、相対的にGDPも購買力も低下する。仮に、GDPを国力を表す指標だというなら、為替の変動を考慮しなければ、国力を測る事が出来ないという事になる。
円高、円安の是非を論じる時、ただ、目先の貿易収支ばかりに目を囚われている経済の実体を見失う事になる。
グローバル化が進んだ今日、自国一国では経済が成り立たなくなってきた。自分の国が、世界市場で、どう位置づけがされているのかを、知らなければ、経済の将来を占う事はできない、
島国の日本人は、一人合点、手前味噌、井の中の蛙に陥りやすい。過去の栄光に浸って現実を直視できなければ、我が国の明日は見えてこない。なぜならば、経済的に自立できなくなる事は我が国の独立を危うくする事だからである。 世界は、善意で満ちているわけではない。我が国が正義を貫こうとしても実力が伴わなければ、結局、屈するしかなくなる。
自国の主権を守りたければ、正確に国際社会、世界市場の力関係を冷徹に分析する必要がある。さもなければ、平穏な生活を守る事すらできないのである。
本当の国の実力を比較したければ、自国通貨を本に比較しても意味がない。基軸通貨を基礎として比較する必要がある。現在ならドル建てて比較しないと真の実力はわからない。
確かに、1985年から90年までの間にGDPは、3割増えたが、ドルベースだと2倍以上に膨らんだ。一人当たりGDPでは。アメリカを抜いて世界一位になる。このあたりから、日本人の意識がおかしくなる。(「平成金融史」西野智彦著 中公新書)
為替は、根本的に交易を基礎としている。全てを自給自足しているなら、為替相場は成り立たない。通貨を交換する必要がないからである。 つまり、鎖国状態では、為替市場は必要とされない。為替の基本は、貿易の決済である。
外貨準備は、交易に必要な支払いを準備する為の資金である。為替は、交易を担保として成り立つ。
我が国の国民が必要とする資源が不足するから海外交易が求められるのである。
言い換えると、石油の様な、その国が必要とする資源を担保する事で為替は成り立つ。主として国防に関わる資源が関わっている。
基軸通貨というのは、金や、銀の様な希少金属、SDRのような国際交易の決済用通貨、特定の国の通貨、あるいは、仮想通貨等、国家間の交易の決済手段として成り立てばなんでもいいのである。
現在の基軸通貨は、ドルである。
特定の国の通貨を基軸通貨とした場合の問題は、基軸通貨国は、決済用の資金を準備する必要がない代わりに、自国の通貨を決済通貨として提供し続けなければならないという点である。その為に、自国の通貨を売り越しにする必要があり。慢性的に経常収支が赤字となり、資金を還流させなければならなくなる。
経常収支と資本収支、外貨準備は、表裏の関係にある。経常収支が赤字になれば、資金を調達しなければならなくなる。
借金と金融資産とは表裏の関係にある。債権と債務も表裏の関係にある。
次に、通貨の発行量と流通量を見て見たい。期間は、1970~2019年
fig = plt.figure(figsize=(8,4))
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(m1.m1)
plt.subplot(2,2,2)
plt.plot(m1.m2)
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(m1.m3)
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(m1.m4)
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(m1.m5)
上左 m1 マネーサプライ=M2 + CD / flat / money supply 上右 m2 マネタリーベース平均残高=Average Monetary Balance 下左 m3 銀行券=banknote 下右 m4 信用乗数=credit multiplier 橙 m5 マネーサプライ/銀行券= money supply/banknote 青 日本銀行
全体して効率があるように思えても、単位たりにして見て見るとそうでもなかったりする。
豊かさを測る基準は、国民一人ひとりの生活水準、即ち、単位当たりの効用である。総額だけではなく、平均や分散を見てみないと本当に国民が豊かかどうかは、判断できない。
貧富の格差は絶対的な事ではなく、総体的な事であり、貧困は、社会的格差によって生み出される。
総生産、総所得、総支出は、集計値である。しかし、人々の実際の生活水準を知るためには、単位当たり、即ち、一人当たりの指標に置き換えてみないと解らない。
ただそうはいってもまず全体を把握する必要がある。個々の実績を積み上げても全体の効用は見えてこないからである。
国全体や企業の働きも重要だが、普遍的なのは、人々の生活である。生活の基本は消費である。 一人ひとりの消費生活の状態がどうかが最終的にその国の経済の目的となる。
だから、経済の根本は、消費単位なのである。
y1 民間最終消費支出=Private final consumption expenditure
y2 政府最終支消費出=Government final consumption expenditure
y3 総固定資本形成=Gross fixed capital formation
y4 在庫品増加=Increase inventory
y5 輸出-輸入=Export-Import
y6 雇用者報酬=Employer compensation
y7 営業余剰・混合所得=Operting surplus
y8 固定資本減耗=Fixed asset depletion
y9 生産・輸入品に課される税=Tax imposed on production imports 国民経済計算書 内閣府
fig = plt.figure(figsize=(8,4))
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(sk.x1)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(sk.x4)
plt.subplot(2,2,2)
plt.plot(sk.x2)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,2)
plt.plot(sk.x3)
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(sk.x3)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(sk.x4)
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(sk.GDP)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
左上は、期末資産合計と非金融資産を表したグラフ。国民経済計算書 内閣府
右上のグラフは、非金融資産と金融資産を表したものである。 国民経済計算書 内閣府
左下は、金融資産と負債。右下は、GDP。
そして、バブル崩壊後、鰐がなかなかくじを閉じないのである。これはいったい何を意味するのか。その原因を探る事は、バブル崩壊後の景気停滞を解消する糸口となるやもしれない。
ワニ口になるというのは、何らかの関連(例えば、収入と支出、名目と実質等)がある二つの要素が、一定期間同じ動きをした後、特定の一時点から正反対の動きをするからである。
ワニの口を閉じる為には、分岐点おいてどの様な施策、政策が採られたか。その時の背景や状況はどのようなものだったか。ワニ口を構成する要素はどのような性格があるかが、ワニ口を起こした要因を解明する手掛かりとなる。
例えば、地価の簿価と時価がワニ口の様になった要因の一つは、地価の簿価は、名目的な価値に基づくのに対して時価は、その時その時の相場に基づいている事が要因の一つである。
背景にあるのは、バブルの形成と崩壊であり、1985年から2000年にかけての地価の時価の推移は、正規分布している様に見える。
名目的価値と実質的価値が乖離する事による。実質的価値と名目的価値乖離した結果、実質的価値の減価がするのに応じて、債務処理が名目的価値である簿価を押し上げる。
名目的価値は、いわば、実質的価値の残像ともいえる。
正規分布には、確率密度関数と累積分布関数があり。確率密度関数を実質的(山型)な変化が表せば、累積分布関数の形に名目的(ロジステック関数)な変化が現れる。 簿価と地価の関係は、確率密度の変化と累積分布の変化にみえる。
収入と支出がワニ口になるのは、収入と支出の非対称による。収益が急激に減少しても、固定的な費用を抑える事は難しく、逆に、退職金等一時的な支出が増加する。その間、負債によって補うために、支出は一定の線で高止まりする傾向がある。放置すれば、資産が負債に置き換わっていく事になる。
ワニが口を開けたようになったまま閉じる事が出来ないのは、市場に何らかの断層が出来ている事が考えられる。それを放置すると市場や社会に亀裂が入る危険性がある。
バブルが崩壊して三十年たった今日、地価が高いところから空洞化が始まっている。経済は、空洞化したところから蝕まれていく。
バブル形成時、資産価値の上昇に伴って債務も拡大する。 バブル崩壊後は、資産価値が下落しても債務は、高止まりする。
資産が上昇すると資産の維持費用も高騰する。また、資金の調達力も拡大する。プラザ合意後、収益力が低下した企業は、資産運用によって収益の低下を補おうとした。円高は、収益力を低下させたが、海外から見て相対的に資産価値を上昇させる効果があったからである。
地価が高騰している時は、例え、収支が合わなくても、土地を売れば元が取れる。また、土地の値上がりによって高額な利益を得る事が可能である。しかし、一旦地価が下落すると残されるのは、借金だけである。土地は売れば損失になので売るに売れない。残されるのは、借金だけである。しかも、借金の元本の返済は、表に現れない。利益の中から借金の返済資金が捻出できなくなれば、債務は拡大す根一方になる。表に現れる損益、利益だけを見ても理解できない。借金の返済に依って設備投資は、滞らさざるを得なくなる。
経営者が投資意欲がないのではない。投資を抑制せざるをえないのである。
x1期末資産合計=Closing assets x2非金融資産=Non-financial assets x3金融資産=financial assets x4負債=Liabilities x5資産合計=Closing assets (金融機関) x6負債=Liabilities (金融機関) x7資産合計=Closing assets (非金融機関) x8負債=Liabilities(非金融法人) x9資産合計=Closing assets (家計) x10負債=Liabilities(家計) x11資産合計=Closing assets (一般政府) x12負債=Liabilities(一般政府)
fig = plt.figure(figsize=(10,6))
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(sk.x5)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(sk.x6)
plt.subplot(2,2,2)
plt.plot(sk.x7)
plt.subplot(2,2,2)
plt.plot(sk.x8)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(sk.x9)
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(sk.x10)
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(sk.x11)
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(sk.x12)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
左上 金融機関の期末資産合計と負債 右上 非金融機関の期末資産合計と負債 左下 家計の期末資産合計と負債 右下 一般政府の期末資産合計と負債 青が期末資産合計、橙が負債 国民経済計算書 内閣府
ここで注意しなければならないのは、「お金」があるから使うのではなく。必要だから、あるいは、欲しいから買うという事である。
それでも、「お金」がなければ買いたくても買えないし、物がなければ「お金」を出しても買えない。
この辺が微妙なのである。
経済というと金儲け、つまりは生産に偏りがちだが、経済の根本は、むしろ、お金の使い道、消費の方にこそある。
何に使うかも考えずに金儲けをするから、意味のない無駄遣い、浪費をするのである。
使い道のないお金や物はかえって経済には害となる。
収入も増えればいいというものではない。
値段も、単に、安ければいいという訳ではない。収益と費用、所得と支出の均衡が重要なのである。
借りた金を使う事と、自分の金を使うのではどう経済的効果が違うのか。それが問題なのである。
「お金」の使い道には、消費と投資があるが、消費による「お金」の流れと投資による「お金」の流れが明確に区分されていない。
損益上で測れるのは、消費による「お金」の効用だが、貸借による「お金」の働きも経済主体の存亡に関わる大事である事に変わりはないのである。
「お金」がなくても破産するわけではない。物が買えないだけである。しかし、返済する為の「お金」が準備しなければ破産する事になる。 経済学ではに、「お金」が不足する事ばかりを問題とするが、買うために必要な「お金」なのか、借金を返すために必要な「お金」なのかを問題とする事はあまりない。
借金によって現金の所有権がどう移転し、その結果、債権と債務が何を根拠に成立するか。その辺の絡繰りが経済の動きを明らかにするための鍵となる。
借金をして家を建てた場合、借りた「お金」は、一旦、工務店や建材やに支払われる。そして、借主には、資産と債務が残される。貸し手には、債権が生じる。借り手は、約定によって借金を返済していく。この構図が基礎になるのである。ただ、返済される「お金」は、費用として損益に計上されるわけではなく。返済は、資金移転と見なされる。
一般に、稼いだお金を使い切ったりはしない。なぜならば、家計では、病気や急の出費に備えたり、結婚、教育、出産、老後、住宅建設などの為に「お金」を蓄えておく必要があるからである。
だから、家計は、ストックが常に拡大する傾向がある。
預金は、視点を変えると金融機関の負債である。余剰資金は、ストック、即ち、金融資産と負債を増やす。
住宅投資は、自分たちが住むために投資するので、余った「お金」を運用する事ではない。ところが、近年、住むという目的を逸脱し、投資の為の住宅投資が盛んになった。そして、本来の目的から逸脱した資金がバブルの一因となるのである。
この点を間違ってはいけない。借金をしても収入は得られる。しかし、借金による収入は、定収にはならない。 失業して所得が途絶えたら失業保険に、また、歳をとって年金等に頼らざるを得なくなる。 経常的な収入を得られなくなったり、足らなくなれば、それまでの蓄えを取り崩して生活費に充てる事になる。収入が安定しなければ、家計は、成り立たない。今日の経済を安定させているのは、定収である。定収を得られなくなれば、蓄えを取り崩すか借金に頼らざるを得なくなる。 収入を何に求めるか。それが市場経済の根本なのである。
少子高齢化時代の問題がそこにある。少子高齢化問題の本質は、生産、分配、消費の釣り合いをどうとっていくかの問題である。
成人以前の世代、高齢者と言うのは、非生産世代を意味する。 非生産世代の増加は、生産世代の割合を相対的に低下させることを意味する。また、少子化は、人口そのものの減少と若い世代の比率を相対的に下げる効果がある。つまり、生産年齢世代の割合を恒常的に低下させ続ける事になる。 少子高齢化が進むと生産的活動以外のところから得る収入に頼る世代が相対的に増加する事になる。その時、経済の在り方にどの様な変化が現れるのか。今から予測して準備していおく必要がある。
今後も家計の蓄えがストックの基礎となりうるか、資金源となりえるかは不明である。
バブル崩壊後、金利を下げても、金融を緩和しても物価が上昇せず。デフレーション状態が続いている。それが経済成長の足を引っ張っていると考えられている。その証拠に、政府にとっても日本銀行にとっても脱デレが喫緊の課題とされている。 脱デフレに異論がないとしても何がデフレーションの原因なのかについては、定説があるわけではない。
インフレーションにせよデフレーションにせよ。ストックとフローのバランスがとれていない事が問題なのである。
女性の働く場所がない。政治は男の仕事として女性の参政権も認められていない。現代でも、基幹部分は、男性が担い、女性は、補助的な仕事をするといった傾向が残る。
男は、外で働き、女は家を守る。内助の功。 女性の仕事とされた家事(掃除、洗濯、料理)、出産育児、介護、家政が蔑視され、軽視されてきた。
男性が家長となってお金を稼いできて、妻子と祖父母を養う。 女性は、経済的な自立が許されず、結婚しないと生計がたたない状態に置かれ、社会的に差別されてきた。
賃金体系が年齢を基礎として設計された。働きや実績というよりも結婚、出産、育児といったライフサイクルと年功というステータスが重視された賃金設計となっている。
その根底には、敗戦により、国全体が物不足に陥り、何よりも生活が優先した事に起因する。転じて、高度成長時代は、中流意識が存在し、極端な格差を認めない風潮が生れた。横並び意識。戦後、財閥と地主階級が解体された事が影響している。
背景には、農村中心社会から企業中心社会への移行がある。
「お金」が流れにないのは、市場の生産側の主役である。民間企業が、資産価格と収益の低下によって資金調達力がなくなっているからである。 最も、資産価格の低下も収益の低下も政策的に作られた事ではあるが…。
市場に対して公共投資や低金利等で大量の資金を資金を供給する事で、市場に強制的に資金を流そうとする試みが続けられてきた。 しかし、資産価値の低下や、無原則な規制緩和などによって市場が過当競争に陥り適正な収益を見込めない等で資金調達力が低下した民間企業は、投資を控え、経費を削減して当座の利益を確保する事に汲々としている。
資産価値を抑制し、過当競争を煽るような政策を続けている限り資金は、市場に流れない。今の政策は、蛇口を固く締めておいて、ジャンジャン水を貯めているようなものい゛ある。その内、水圧で「お金」が流れ出すだろうと…。
fig = plt.figure(figsize=(10,4))
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(sk.y1)
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(sk.y6)
plt.subplot(2,2,2)
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plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(sk.ff15)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(sk.ff25)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
左上のグラフは、雇用者報酬と民間最終消費支出の関係をグラフ化したものである。ここでも鰐が口を開けたままでいる。 左下は、家計の金融資産、フロー。
右上は、家計の金融資産、ストック、残高。右下は、家計の金融資産の過不足を現す。
fig = plt.figure(figsize=(12,2))
plt.subplot(1,3,1)
plt.plot(sk.fa1)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(1,3,1)
plt.plot(sk.fa2)
plt.subplot(1,3,2)
plt.plot(sk.fa3)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(1,3,2)
plt.plot(sk.fa4)
plt.subplot(1,3,3)
plt.plot(sk.fa5)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
左 歳入と歳出 中 財政収支とプライマリーバランス 右 債務残高
fa1=歳入 fa2=歳出 fa3=財政収支 fa4=プライマリーバランス fa5=債務残高
fig = plt.figure(figsize=(12,2))
plt.subplot(1,3,1)
plt.plot(sk.z1)
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plt.subplot(1,3,2)
plt.plot(sk.z2)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(1,3,3)
plt.plot(sk.z3)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
z1=財務キャッシュフロー、z2=投資キャッシュフロー z3=営業キャッシュフロー 法人企業統計 財務省
import pandas as pd
sk3= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=2,index_col="y")
sk3.head()
sns.set()
fig=plt.subplots (figsize=(8,8))
sns.heatmap(sk3.corr(),square=True,cmap="RdBu")
b4 売上=sale。
b5 原価=cost of sale。
b6 在庫=stock
b7 販売費、およぴ、一般管理費=selling,general and administrative expenses。
b8 経常利益=Ordinary profit。
b9 営業利益=Operating income。
b10支払利息=Interest expense,etc
d1 付加価値
y1 民間最終消費
y2 政府最終消費
y6 雇用者報酬
y7 営業余剰・混合所得
y8 固定資産減耗
y9 生産・輸入に課せられる税
上は、フローの、下は、資金のストックとの相関関係を1980年から2009年までをヒートマップにしたものである。
import pandas as pd
sk4= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=4,index_col="y")
sk4.head()
市場は、生産、所得、支出、物価(石油価格等)、為替、消費、貯蓄、資産、借金、収益と費用等の相関関係によって成り立っている。市場を構成する要素は、互いに結び付き合い、影響を及ぼし合う事で、市場の働きを維持している。この関係を断ち切ったら、市場は、正常に機能しなくなる。
市場経済と言いながら、市場について、何も明らかにしようともせず、市場に任せて放ったらかしていればいい、なんていう乱暴な事を主張する。そのくせ、経済がうまく回らなくなると、何でもかんでも市場の性にする。
市場は単純に競争の原理が働いている場だと思い込んでいる学者もいる。
大体、競争とは何かを明らかにせずに…。競争は、闘争ではない。競争は、ルールによって成り立っている。ルール(規制)があるから競争は成り立つのである。市場は戦場ではない。市場機能が競争によるとするならば、市場で競争が出来るようにルール(規制)を整えるべきなのである。ルールがなければそれは闘争であって競争ではない。
そんなこともわからないで、市場至上主義、競争原理主義を称える学者が多い。
市場取引は、財と買い手と売り手、即ち、人、そして、「お金」で成り立っている。
市場に必要な量の財と人口、そして、適量の「お金」が満ちている事で機能する。市場の仕組みを動かす原動力は「お金」である。市場は、「お金」が循環する事で成り立っている。「お金」が市場を循環しなくなると市場の活力は低下する。
鍵となるのは、「お金」の流通量と回転数、流通速度、流れる方向、そして、残高である。
財政は、配分の問題である。公共投資を増やすと一般政府の債務を増やし、結果的に、一般政府への配分を増やす事になる。
コロナショック以前から、債務の増大は深刻な問題だった。それがコロナによって加速されている。すでに、臨界点を越えている可能性がある。
債務の増大の背景には、、消費(支出)の減退、市場の収縮が考えられる。
消費の減退の原因は、人口の減少、人口構成の変化、及び、消費構造の変化がある。 更に、分配の仕組み、分配構造の変質。分配の構造とは、評価制度や取引の仕組みである。
決定的なのは、少子高齢化により、富士型から、ひょうたん型に変化した事である。
人口ピラミッドを形から分類すると,富士山型(ピラミッド型),釣り鐘型(ベル型),つぼ型(紡錘型),星型(都市型),ひょうたん型(農村型)の五つの類型に分類できる。
基本的に市場は、損益によって均衡が保たれている。即ち、収益と費用の関係で利益によって測られる。
市場とは、収益と費用、収入と支出を均衡させる場でもある。
資金の循環は、投資と消費に行きつく。投資は、資産と負債を産む。負債の裏には、金融資産(預金)が隠されている。
預金は家計の金融資産であると同時に、金融機関の負債である事を忘れてはならない。 家計や民間企業の預金の増加は、金融機関の負債の増加を意味する。
民間企業の経済活動は、債務を膨らまし、収益を上げる事で回収していく。収益は、売上を意味し、売上は単価×数量である。数量が一定とすると収益を上げる事は、単価を上げる事で、それは、物価上昇を意味する。
sns.set()
fig=plt.subplots (figsize=(8,8))
sns.heatmap(sk4.corr(),square=True,cmap="RdBu")
a3 日経平均 a4 住宅指数 b1 金融機関長期借入金残高=long-term banks loans。 b2 土地簿価=Land book value。 b3 総資本=total captal X1 期末資産合計 X2 非金融資産 X3 金融資産 x4 負債 y3 固定資産形成
ストックの総残高に影響するのは、
y3 総固定資本形成=Gross fixed capital formation
y4 在庫品増加=Increase inventory
import numpy as np
import matplotlib as mpl
import matplotlib.pyplot as plt
import pandas as pd
import seaborn as sns
%matplotlib inline
import pandas as pd
sk5= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=5,index_col="y")
sk6= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=6,index_col="y")
sk7= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=7,index_col="y")
sk8= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=8,index_col="y")
sk9= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=9,index_col="y")
sk10= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=10,index_col="y")
sk7.head()
import pandas as pd
sk11= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=11,index_col="y")
sk.head()
import pandas as pd
sk5= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=5,index_col="y")
sk6= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=6,index_col="y")
sk7= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=7,index_col="y")
sk8= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=8,index_col="y")
sk9= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=9,index_col="y")
sk10= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=10,index_col="y")
sk7.head()
c1 ソフトウェアを除く設備投資=Capital investment exciuding software c2 地価需給=Land Find supply&demand c3 長期金融機関借入金(資金需給)=long-term banks loans Find supply&demand c4 在庫投資=inventory investment
すべての国民は、消費をする。すなわち、消費者である。それに対しすべての国民が生産をするわけではない。故に、国民経済の根本は消費にある。それに、経済は、人が生きるための活動をいう。人は生きるために必要な資源を消費し続けなければならない。
消費を目的として財は生産せる。これらの事を鑑みても経済の根本は消費にある。
人は、生きていくためには継続的に消費し続けなければならない。消費を継続するためには支出し続けなければならない。お金は使えばなくなる。つまり、経済主体、常にお金が不足するように仕組まれている。人はお金を調達し続けなければ生きていけないような仕組みなのである。
市場経済では人は生きていくために必要な資源を対価を支払って継続的に調達し続けなければならない。
生きていくために必要な資源を市場から調達しようとする行為と資金を獲得しようとする行為が資金の過不足の状態を引き起こし、資金の流れを産む。この資金の流れが経済を動かす原動力となるのである。
すべての国民が自力で生活に必要な資金を稼いでいるわけではない。原則としてわが国では生まれてから義務教育期間が終了するまでは、扶養家族として保護者の庇護下に置かれる。
お金がなければ始まらないのが、市場経済の特徴である。
経済学者というのは、現実の市場の動きを無視して、自分の仮説を絶対視し、独善に陥りがちである。
経済に対して妙な道義心、倫理観を持ち込むべきではない。いわく、競争は市場の原理であるとか、利益を上げるのは、悪徳だとか、金利は悪いとか、カルテルは犯罪とか。市場は、人工的仕組みであって自然に出来上がったものではない。そこには人間の意志や思想が反映されている。市場が不完全なのは、人間の技が不完全なのであって,神の性ではないし、市場が悪いわけではない。人間の過失である。人が改める、人が改心するしかない。
市場を規制するのは、所謂、スポーツのルールのようなものである。経済の方に背くのは、道徳的というより、ルール違反である。
市場は、一律一様ではない。規制を一律に緩和すればいいとか、規制を緩和すれば万事うまくいくというのは、一種の宗教的信条のような事である。市場は、生き物であり、環境や前提の影響を受けやすい。
先ず、自分たちの目的、市場に何を期待するのか、どうしたいのかを、きちんと調査し、明確にしたうえで、立案すべき事である。
市場の環境や状況によって規制をどうすべきかは変わる。規制を緩和、あるいは、時代に併せて改新すべき市場もあれば、逆に、規制を強化すべき市場もある。問題なのは、目先の経済事情や当事者の都合だけで、直接的、かつ、強引に市場を操作しようとする事である。足をつばって自動車を止めようとするのは愚かである。自動車を止めたければ、先ず、自動車を運転する為に必要な最低限の知識を学び、運転の仕方を覚える事である。机上の観念だけでは、自動車は制御できないのである。
競争も促すべき市場と抑制すべき市場が混在している。必要に応じて不況カルテルを結んで、競争を抑制すべき市場も中にはある。一様に規制を緩和して競争させればいいというのは、乱暴である。為替の変動による影響も市場、産業ごとに違う。一律には語れない。
コロナの影響も業種によって全く違う。それを一律に扱う事も、逆に、特定の産業だけを優遇する事はできない。部分と全体の整合性が問題となる。
経済政策とは、個々の金融政策や財政政策、単体で機能するものではない。特に、市場は、仕組みであるから、制度や規制を働きに応じて適時変更していく必要がある。離陸する時と巡航飛行している時とでは、操縦の仕方が違うのである。ただ、上昇していればいいと言うほど単純ではない。
経済政策は、複数の施策をミックスして行はなければならない。相互作用を考慮して複合的組み立てるべき事なのである。
競争は目的にはならない。競争は手段である。競争を絶対視するのは愚かである。
市場の目的は、分配である。分配の過程で生産、在庫、消費を調節する事にある。故に、需要と供給の関係が鍵となるのである。
市場は、収益と所得によって成り立っている。収益と費用の均衡、所得と支出の均衡によって市場は成り立っている。収益と所得が市場経済の柱であり、その根底で働いているのが、貸借であり、ストックである。
市場は分配を実現する場である。
適正な収益、適正な費用を測定するのが利益の目的である。
適正価格と廉価とは、同じ意味ではない。利益を上げる事は搾取であるような、間違った価値観によって利益を上げる事は詐欺行為たとする考えが古くからある。利益は、適正な分配を測る基準である。だからこそ、利益の源泉を明らかにし、公開する。それが会計の目的である。
適正な利益を上げる事は悪ではない。費用の大部分を占めるのは、人件費であるから、無原則に経費を削減すれば、必然的に総所得は減少する。それを強引に上げれば利益は失われ、適正な価格は維持できなくなる。
一方で過当競争を煽って収益を圧迫し、他方で、強引に人件費を引き上げようとする施策は、経済の減速を無視した政策である。 市場経済は、収益と費用によって成り立っているのである。
市場の目的は、人々が生きていくために必要とする資源を分配することにある。市場の役割は、分配の過程を通じて生産、在庫、消費を均衡させることにある。その手段が競争である。そして、市場は、需給関係を調節する事で目的を実現している。需要は、消費量、供給は生産力と貯蓄力によって作られる。
エントロピーとは、均衡点に対する指向である。 エントロピーは、不可逆的な働きである。 変化は、時間の関数である。運動は、変化である。故に、変化は、時間の関数であり、何が時間に作用するかが、変更の方向性を規定する。
市場のエントロピーは、水平方向と、垂直方向、部門間、そして、時間と四つの方向に働いている。 水平方向とは、需要(消費、支出、費用)と供給(生産、所得、所得)であり、垂直方向とは、ストックとフローであり、部門間とは、家計、財政、企業、金融、海外部門の均衡である。
部門毎に市場に対する働きの要素が違ってくる。家計は、所得と物価、貯蓄。民間企業は、収益と費用、そして、利益と資本。金融機関は、 金利と債権、債務。財政は、歳入、歳出、税率、国債。海外部門は、経常収支と外貨準備。
これらの要素が、常に、均衡点に向かって相互作用を及ぼしている。この相互作用が市場の原動力なのである。
これらの均衡が破れると市場は、新たな均衡点を求めて暴走する。
何が、市場空間の働きを変えたかである。 市場空間の変質を理解できなかったから、その後の長い停滞を招いたのである。 市場空間を変質させた原因が掴めれば停滞から抜け出す事が出来る。
相関関係を1980年から2009年までの間を5年ずつスライドして見て見る。最後は、1980年から2009年までの通期である。
GDPを核として相関関係を見ていく。
fig = plt.figure(figsize=(5,5))
sns.heatmap(sk5.corr(),square=True,cmap="RdBu")
d1 付加価値=Added value
d2 総資本営業利益率=Return on total operating capital
d3 総資本経常利益率=Return on total capital
d4 売上高営業利益率=Operating margin
d5 総資本回転率=Total capital turnover
d6 有形固定資産回転率=Property,plant equipment turnover
d7 棚卸資産回転期間=Inventory turnover
d8 売上債権回転期間=Accounts receivable turnover
d9 買入債務回転期間=Turnover of payables
d10従業員一人当付加価値=Added value per employee
d11労働装備率=Labor equipment ratio
d12設備投資効率=Capital investment efficiency
1980年代は、貿易収支を除く他の要素は、強い相関関係がみられる。
まず第一の転機は、1985年のプラザ合意による円高である。
ただ、80年代の動きには、高度成長の終焉、ニクソンショック、二度のオイルショックが伏線となる。
ニクソンショックにせよ、プラザ合意にせよ、単独で起こっているわけではなく。前の時代の影響によって引き起こされている。前提条件や経緯を確認しなければ、真の原因は掴めないのである。
fig = plt.figure(figsize=(5,5))
sns.heatmap(sk6.corr(),square=True,cmap="RdBu")
1985年のプラザ合意後の十年を見てみるとa4住宅指数、a3日経平均の相関関係が失われ、逆相関関係にすらなってくる。
1986年1月から五回にわたって公定歩合は下げられ、2.5%という当時としては最低の金利が二年間にわたって胃維持された。87年には、一旦引き締められたが、10月19日のブラックマンデーによってふたたび緩められた。
長期にわたる金融緩和策がバブルに拍車をかけたとされている。これが後の金融引き締め策の伏線となり、バブル崩壊後の金融引き締め策は、ゼロ金利、金融緩和の伏線となった。因果は回るという事か。この間に公定歩合は、実質的な役割が終わった。金利に基づく経済政策の有効性が失われたのである。
fig = plt.figure(figsize=(5,5))
sns.heatmap(sk7.corr(),square=True,cmap="RdBu")
90年代の転機は、バブル崩壊である。
注意すべきなのは、バブル崩壊は、人為的、即ち、政策的に起こされたという事である。だから、その時、どの様な目的で、どの様な政策が採られたかを検証しないとバブルの真の原因は掴めない。バブルを潰したのは、確信に基づくのである。この点を忘れてはならない。
1989年5月から1年3か月の間に5回利上げされ、2.5%だった公定歩合は、6%まで上昇した。
1989年12月29日、日経ダウ平均38,915円、過去最高値38,957円を記録する。
1990年3月に、「土地関連融資の抑制について」(総量規制)の通達が出される。その他に地価税の創設、固定資産税の課税強化、土地取引の届け出制、、土地特別保有税の見直し、譲渡所得の課税強化、土地取得金利分の損益通算繰り入れを認めないなどの方針が出される。
全国市街地は、1991年9月にピークを迎える。
1990年、バブルが崩壊するとB4売上との相関関係も失われる。
fig = plt.figure(figsize=(5,5))
sns.heatmap(sk8.corr(),square=True,cmap="RdBu")
1995年~2005年間における転機は、1997年の金融危機である。
1995年~2005年までの特徴は、大きな制度改定が断行された事です。
税制、会計制度、金融制度の枠組みが大幅に変えられ。また、大蔵省が解体され、財務省に組み替えられた。そして、派遣法が大幅に規制緩和された。
年功序列、終身雇用型の人事体制、賃金体制は、成長期にはそれなりの役割を果たしてきたが、低成長期には、矛盾が表面化してきた。それがバブルが崩壊する大きな障害となった。特に退職金は、大きな負担となり、それがリストラや人員整理を促す要因となったのである。その延長線上に雇用問題がある。
正社員から非正規社員、派遣へと方向が転換されたのである。
年功序列型の人事、賃金体系は、年齢や家族と言った属人的な要素に重きを置いていても成長によって変化を吸収する事が出来た。また、経験や知識が重んじられた時代では年功型賃金制度はそれなりの合理的整合性を持っていた。しかし、低成長になり、実績が重んじられるようになるとただ年齢を重ねただけ評価していたら、若年層の意欲や合意を得られなくなった。そして。実績を重んじた賃金制度が求められるようになってきた。
それは、人事制度や評価制度、賃金制度の大改革を促す事になったのである。それは、雇用に対する考え方を根本に覆すと同時に、組合運動にも影を落とす事になる。
なぜ、年功序列型賃金体制が成立したのは、高度成長時代のライフスタイル、女性は、結婚して、子供産んで、育てるの役割で、生活費は男が働いて稼いでくるというスタイルに適合していた。また、高度成長の物価上昇とも合っていた。
この時代の給料は、生活給、属人給としての性格が強かったのも一因で、一番、「お金」が必要とされたのが子育て世代だったから、そこに、手厚く資金が回るように設計された。
ところが、高度成長が終焉し、低成長時代になると格差となり、また、性差別が顕在化してしまった。年齢や勤続年数が評価基準になると、格差が累積するからである。その為に、退職金の負担も課題となった。
そこで、正社員を少なくし、臨時雇いを増やしたのである。しかし、小手先の改革では、かえって障害になる。案の定、派遣社員は、社会問題化してしまった。
少子化の背景には、若年層の貧困が隠されている。時代に適合化した人事制度を導入しない限り、国家は衰退していく。
経済を衰退させるのは、資源の配分を間違う事である。特に、働き盛りで、「お金」を必要としている世代へ、ある程度結果を出し、余剰な「お金」を持っている世代からいかに「お金」を循環させるかである。 経済を動かしているのは、資金不足主体に余剰主体からいかに融通するかなのである。
「お金」は、分配の手段。市場は分配の場である。
分配は、「お金」を報酬、所得して再起に分配し、必要な財を市場から購入、支出する事という二段階で実現する。何によって報酬を得るかが、分配の第一段階となるのである。
分配の為の仕組み、分配の為の組織、制度、思想、体制が重要となるのである。年功序列とか、資格制度とか、派遣とかのもつ意味は、分配の在り方に直接影響するからである。
所得と物価の均衡によって市場経済は、保たれている。
賃金の多寡は、相対的に決まるのである。絶対額だけでは評価できない。
日本版ビックバンは、銀行・保険・証券の核業法の改革、外為法や会計制度の改革、金融ビックバン、会計ビックバンからなる。
会計ビックバンによる変更は、連結財務諸表の重視、金融商品の時価評価、税効果会計、キャッシュフロー計算書、退職給付会計、減損会計等の導入である。どれもが会計制度の根幹にあたる。
会計制度の変更を甘く見てはいけない。会計制度は、市場のルールである。この点を忘れてはならない。 ルール変更によって黒字が赤字になる事さえあるのである。突然のルール変更によって多くの企業が戸惑いを隠せなかった。
1997年の金融危機も政策によって引き起こされた。
fig = plt.figure(figsize=(5,5))
sns.heatmap(sk9.corr(),square=True,cmap="RdBu")
2000年以降の転機は、ゼロ金利政策である。
fig = plt.figure(figsize=(5,5))
sns.heatmap(sk10.corr(),square=True,cmap="RdBu")
通期で見ると市場の傾向が見えてくる。
バブル崩壊後にとられた政策の多くは、教条主義的、原理主義的なものであった。 理念が先行して国益や現実が忘れ去られた。国益などかえって時代錯誤だとまで言われかねなかった。 例えば、競争を原理としてとらえ、何が何でも規制を緩和すればいい。規制緩和というが、規制を目の敵にして、規制は全てなくしてしまえと言った極端な考え方に支配されてしまった。
その結果、状況や環境の変化などに合わせた柔軟な政策が採りづらくなってしまったのである。経済の問題が現実離れした神学論争のようなものになってしまった。
官僚や実務家の意見は遠ざかれ、学者や評論家の意見が貴ばれた。
昨日、執行すれば正しい政策でも、今日、執行したら間違いになるという政策もある。金融緩和がバブルを引き起こし、急激な引き締めがバブルを崩壊させたが、バブル崩壊後の長期停滞を招いたとされる。失われた十年と騒がれ出して慌ててゼロ金利政策をとったが、一向にデフレから脱け出す事が出来ない。
政策は相対的な事であり、その時点その時点の状況、環境に応じて執行されなければならない。政策に不変的な事はない。
環境へ状況の変化に対応した、即時的な政策を施行しないと、時機を逸したり、却って逆効果になる。その点からいえば、経済政策は、常に、タイミングが悪くなる宿命を負っている。だからと言って為政者の責任は免れるわけではない。だからこそ、経済の仕組みと効用を正しく理解して、先手先手に対策を準備しておく必要があるのである。
だからこそ、いつどのようなタイミングでどのような政策が採られたかを検証する必要があるのである。
ただ、増税が不景気の原因だと言った安易に政策と減少とを因果関係で結びつけるのは危険である。先ず、増税の何が、景気な悪負い鏡を与えたのか、その根拠を明確にして、なおかつ検証する必要がある。
経済政策は経済分析を土台にしている。
経済を分析する上で、最も危険なのは、教条主義的な決めつけである。
例えば、経済は成長しなければならないとか。規制は悪。規制緩和は万能薬。独占、カルテルは悪であり、競争は原理。何が何でも競争を促す必要がある。円高は、悪い。デフレーションも悪い。借金や費用はよくない。不良債権は、速やかに処理しなければならない。これらの事は、一つの結果であって原因ではない。
かつては、不況カルテルが認められていて、企業が適正な収益が上げられなくなった時は、カルテルを結ぶことも選択肢の一つだった。過当競争によって荒れた市場を養生したのである。
前提条件や環境によっては、経済成長しない方が経済の健全さが保たれる事もあるし、規制が全て悪いわけではない。過当競争が過ぎれば適正な収益や利益が維持できなくなる。為替は、その時の交易や国際関係を反映したものであり、円高が悪いとは決めつけられない。
世の中は、変化しているのである。表に現れる現象は相対的であり、変化の背後にある、仕組みや構造、前提条件などの辺を読み取らないと現象の意味や働きは明らかにできない。いわんや、規制は悪だと決めつけてしまうのは無謀である。
不良債権も、不良債権をただなくせばいいというのではない。不良債権がどのような仕組みで発生し、不良債権のどこが悪くて、どの様な働きをしているのかを明らかにしなければ、逆効果になる危険性がある。
バブル崩壊後の不良債権処理は、不良債権を処理する事が目的化してしまい。何の目的で不良債権を処理するのかが置き去られてしまった。その結果、市場の底を抜いてしまった。
この様なリスクは、作られたリスクのようなものである。
なぜ、不良債権を処理する必要があるのか。それは、資産と負債の実体経済と不釣り合いになってきた、合わなくなったからである。そして、その結果、名目的価値と実質的価値が乖離し、資金調達力に齟齬をきたすからである。
必要以上に不良債権処理を急ぐとかえって名目的価値と実質的価値の乖離幅を広げるとになる。特に、乱暴な資産の投げ売りを招くと市場の底を割りかねないのである。
債権価値は、絶対的な価値ではなく、相対的価値であり、均衡が大切なのである。
市場経済は、資産、負債、資本、収益、費用の均衡で成り立っている。負債だけ取り上げても経営の状態を理解できるわけではない。不良債権の処理も負債と収益、そして、費用との均衡、資本に与える影響を抜きに考える事はできない。
不良債権の問題は、裏側に、不良債務の問題が隠されている。債権と債務は、一対なのである。債権に問題があるのか、債務に問題があるのかを精査する必要がある。債権と債務の釣り合いなのである。
債権も債務も時間の関数である。時間価値の変化を計算しなければ、債務や債権の働きも均衡も評価できない。
同時に債権は、生産手段であり、収益と費用の源でもある。そして、不良債権処理は、やり方によっては、資本を毀損する危険性がある。不良債権を切り捨てれば片付くという問題ではない。
不良債権と言うが生産手段として有効なら、必ずしも、不良として切り捨てる必要はない。全体の相場を見て処理すればいいのである。ただ、資産価値が減じたから、簿価を下回っているかというだけで清算すべき事ではない。問題はバランスである。
市場の問題は、市場に梃入れしなければ解決できない。あくまでも金融政策や財政政策は補助的な働きしかできないのである。
物の価値を決定づける、即ち、物価を決定づける要因は、資産的要因、負債的要因、資本的要因、収益的要因、費用的要因があり。物価は、これらの要因の相互作用によって動いている。
そして、これらの要因を動かしているのは、「お金」の流れである。物価を予測する為には、「お金」の流れる方向と、ここの部門の残高、そして、フローとストックの関係を見る必要がある。
何が主因となって物価が変動しているか。例えば、収益が物価を引き上げているのか(引き下げているのか)。費用が引き上げているのか(引き下げているのか)。貸借関係による金余り(金不足)が物価に影響しているのか。その点を見極める必要がある。
基本的に経済成長に結び付く、物価上昇は、収益的要因が主導する。
plt.subplot(1,1,1)
sns.heatmap(sk11.corr(),square=True,cmap="RdBu",annot=True)
バブルの形成期と崩壊期を、後から見てみれ、バブル以前とバブル崩壊後とでは、明らかに違う。経済成長も右肩上がりで、バブルが形成されている時は、土地神話みたいなものがあって地価が下がるという事は、全く考えられていなかった。高度成長時代においては、回帰分析もある程度の説得力があったと思われる。
しかし、バブル崩壊後には、様相は一変した。土地神話は崩壊し、逆に、地価は際限なく下落した。経済成長も止まり、長い間、デフレ状態が続き、経済は停滞している。世界経済の機関車と言われた時代は嘘のようである。
経済成長を線型的な変化とするか、指数的な変化とするか、対数的変化、ロジステック的変化とするかは、人それぞれである。 一般に経済成長を恒久的なものとし、今は、経済の成長を前提として考える傾向が強いが、本当に、経済は、成長、膨張し続けると考えるべきなのか。膨張と収縮を定期的に繰り返す。あるいは、段階的に、ライフサイクルのようなものに従って経済は、変化していくとみるのか。一過性の出来事の積み合わせとみるべきなのか。 それによって経済に対する政策も違ってくる。
だからこそ、経済は、何らかの仮説に基づく必要があるのである。ただ、一意的に成長し続けると考えるのには、無理があると私は考える。
一方的に決めつけるのではなく前提条件を確認し、経済の動きを引き起こしている状況や仕組み、場の働き、関係、構造等を解明する事が求められている。
import numpy as np
import matplotlib as mpl
import matplotlib.pyplot as plt
import pandas as pd
import seaborn as sns
import pandas as pd
sk1= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/sk.xlsx', sheet_name=0,index_col="y")
sk1.head()
plt.scatter(sk1.GDP,sk1.b4)
資金と売上の相関関係を見ていると、眼に見えない壁があって、激突しているようにすら見える。 その目に見えない壁の正体が明らかになれば、経済の仕組みが見えてくるはずである。
注目すべき点は、徐々に、あるいは、段階的に相関関係が失われたのではなく、2000年前後を境にして突然失われた点にある。 もう一つ注目すべきなのは、きっかけは、バブル崩壊かもしれないが、決定的な動きが現れるのは、1997年の金融危機だという点である。
fig = plt.figure(figsize=(15,6))
plt.subplot(2,3,1)
plt.scatter(sk5.GDP,sk5.b4,color='black')
plt.subplot(2,3,2)
plt.scatter(sk6.GDP,sk6.b4)
plt.subplot(2,3,3)
plt.scatter(sk7.GDP,sk7.b4)
plt.subplot(2,3,4)
plt.scatter(sk8.GDP,sk8.b4)
plt.subplot(2,3,5)
plt.scatter(sk9.GDP,sk9.b4)
plt.subplot(2,3,6)
plt.scatter(sk10.GDP,sk10.b4)
右上1980年~1989年 上中 1986~1995年、上左 1990~1999年 右下 1996~2004年 右中 2000~2009年 最後は、1980年から2009年までの通期である。
多くの人は、市場の表面に現れるフローばかりに目を奪われがちであるが、実際に経済を裏で動かしているのは、ストックの動きである。ストックに、「お金」の流はないように錯覚されがちであるが、ストックの大きな流れが隠されている。ストックの流れにしだいで経済主体は、生かされも、殺されもするのである。
負債の対極には、資産があるから、いくらでも負債をしても問題ないといった誤解をしている者が結構いる。負債と資産が均衡するのは、簿記上、つまり、名目的な事で借金が増えている、つまり、拡大している事には変わりない。 例えば、地価の値上がりによって名目的な資産価値が上昇し、それに伴って負債が増えたとしても土地が増えるわけではなく、土地の実質的価値に変化があるわけではない。上昇した土地を担保に借金をしても、土地が生み出す価値が、変わらなければ、ストック、即ち、借金の返済資金の負担が増えるだけである。怖いのは、即ち、借金の返済額が、土地が生み出す価値、フローを上回る様になる事である。
ワニ口が閉じないのは、収支の均衡が破られているからである。収支の均衡が保てなくなると市場に断層や亀裂が生じ、社会に階級格差を生む原因となる。また、収益を柱として市場経済が成り立たなくなる。ワニ口が閉じない原因を理解する事が解決の早道である。
ワニ口になる要因は、構造的な事が考えられる。特に、フローとストックの関係や部門間の歪み原因として考えられる。フローとストックの不均衡を生み出すのは、収益と費用の関係である。
現代経済は、成長を前提としていると言われるが、では、成長とは何を意味するのか。成長とは何か。生産量の増加を意味するのか。所得の上昇を意味するのか、消費の拡大を意味するのか。
成長とは何か。生産量の増加を意味するのか。所得の上昇を意味するのか、消費の拡大を意味するのか。
現実に社会問題化しているのが、少子高齢化である。人口は、一朝一夕で変えられることではない。長い期間かかって変化する。人口は、経済の基数であり、トレンド(傾向)を形成する。少子高齢化が問題だとしてもおいそれとは変えられない。少子高齢化を前提として未来の展望を立てる、今を考える必要があるのである。少子高齢化の是非を今論じても意味はない。少子高齢化は、前提条件なのである。
1995年に我が国の生産年齢人口がピークを迎えている。これは事実であり、現実である。事実は事実として受け止めなければならない。
現在経済の問題点は、金余りと言われながら実物経済に「お金」が流れない事である。それは、資金を循環させる仕組みに原因がある。 ここで思い出してほしいのは、市場経済の根本的構造である。市場経済において表で分配を実現している「お金」の流れは、収益によって実現している。そして、収益の裏付けとなる支払準備は、貸借によって補われている。本来、支払いを準備する為の資金が、資金不足を加速するように働くようになると、経済主体は、新たに投資する為の資金の調達が難しくなる。そうなると資金は市場に供給避けなくなり、回収の側に逆流するようになるのである。
市場に資金が正常に循環しなくなると公的機関が市場に介入するようになる。一時的な介入によって資金の流れが正常に戻ればいいが、一時的な処置にとどまらず慢性的に介入するようになると、部門間の不均衡は拡大する。
市場の拡大期には、一般に家計が資金余剰主体となって他の主体に資金を供給する。家計から資金の供給を受けた民間企業は、投資によって収益を上げ、資金を回収する。一般政府と金融は、資金の過不足を補うように部門間を揺れ動く(スウィングする)。
バブル崩壊後、資産価値の下落によって民間企業が資金調達能力(投資力)を喪失した。民間企業が失った投資力を補う形で一般政府が公共投資を増大させ、それが、一般政府の負債を増やす事になる。
問題解決の鍵は、個々の部門がそれぞれの役割、機能を発揮できるようにする事である。それぞれの部門が本来の働きを発揮できるようにする為には、市場の仕組みを明らかにする必要がある。市場は、市場の置かれている環境や状況、段階によってその構造を変化させる。故に、前提条件が鍵を握っているのである。
成長段階、市場が拡大期なのか、縮小期なのか、また、草創期なのか、発展・成長段階なのか、成熟段階なのか、衰退期なのか。ストックとフローの関係は、どうなのか。市場は、不足状態なのか、飽和状態なのか。設備は、過剰なのか、不足なのか。
部門間の力関係、状態どうか。「お金」は、どちらの方向に流れているか。 為替の動向、収穫量、天候はどうなっているか。 需給はどうか。 事故や天災、政治状況、国際関係はどうか。 人口の変化はどうか。
予測をする為には、モデルを作成する必要がある。その為には以下の事に留意する必要がある。
何が管理可能な変数で、何が管理不能な変数なのか。例えば、金利は、ある程度管理が可能で、為替相場や株価は、管理が不可能。 公共投資は、管理が可能だが、物価や景気、地価は、管理が不可能。
何を操作して、何を誘導するのか。何を操縦して、何を制御しようとしているのか。
説明変数は何で、何を目的変数とするのか。
そして、落としどころをどこにするか。目標をどこに置くか。何を、なぜ、どの様な目的で予測しようとしているのか。これらの点を明確にする必要がある。
これから、コロナ後の経済がどのような状態になるのかを予測していきたい。
最終的には、コロナ対策が、どの様な影響を経済に与えるかを考えたい。
特に、財政の持続は、可能なのか。財政の持続可能性について考えてみたい。
生産に与える影響は、雇用に直接的に反映される。
コロナは、生活の在り方や仕事の仕方、その者を変えてしまう。コロナ以前に、AIやIT、機械学習等は、革命的な変化をもたらそうとしていたが、コロナは、その変化を加速させている。
物流や人の流れを遮断する事は、世界経済を分断しかねない。人の移動によって成り立っている産業は大打撃を受けるのは必定である。
ただでさえ、財政難の折に、天井知らずの資金給付は、財政破綻を速める事になる。財政問題は何も解決しておらず。つけを先送りしている状態である事は、念頭に置いておく必要がある。
フローとストックに与える影響は、金融機関の在り方に重大な変化をもたらす可能性がある。
コロナの影響は、一様ではない。産業によって大きな差があり、この差が、将来、大きな歪みを市場や産業構造に及ぼす危険性が高い。また、個人生活にも、大きな格差をもたらす可能性がある。
目先の物価に大きな影響が見えないと言っても、長い目で見た時、物価の変動、インフレーションやデフレーションの波を増幅する危険性がある。
まるで財政危機は、どこかへ吹き飛んでしまったかのようである。しかし、財政状態が、コロナ以前に最悪だったし、その状態に変わりがあるわけではない。そして、コロナ対策は、確実に財政の悪化を加速させる。この点を忘れてはならない。
経済の本質は、生活だという事を忘れてはならない。つまり、国民一人ひとりが生きて行けるようにする事、それが国家経済の究極的な目的である。 その為には、一人の所得で、どれくらいの人間を養っていかなければならないのか。それは家族制度の問題でもある。
もう一つ重大なのは、労働の価値、つまり、生産活動に参加する事に対する対価をどの様に所得に結び付けていくかの問題である。この点がおざなりにしているから経済の実相が見えてこないのである。
市場は、生産と消費を関連付ける場と定義できる。そして、生産と消費とを結び付ける手段が「お金」であり、売買取引である。売買取引の結果として収益と費用が生じる。そして、費用の一部が雇用者所得と営業余剰・混合所得、固定資産減耗、即ち、付加価値に変換されるのである。
労働の価値をどう考えるか。家事労働などの市場性のない労働の価値をどの様に計るべきか。貨幣に換算できない労働は経済的に無価値なのか。経済は、生きる為の活動であり、育児や家事というのは、最も、生活の場に密着した労働である。市場性がないからと言って疎かに扱ったり、蔑ろにするわけにはいかない。
労働は、生産と消費、収入と支出を結び付ける手段である。即ち、分配の手段である。労働の価値を測る尺度は、社会の根幹である。それは切実な現実でありながら疎ましく思われ、軽んじられてきた。
現在に至っては、生産、分配、消費を切り離して考える思想まで生じた。しかし、それは統制経済への道を開くことになる。政治体制にも影響してくる。
勘違いしてはならないのは、共稼ぎして、所得が増える事で豊かになれるとは限らないという事である。 要は、生産と所得、消費(支出)の均衡、バランスの問題であり、見かけ上の所得が増えても、それで、購入できる量が変わらなければ生活水準は変わらないのである。
社会全体で社会的な富を見ると、生産量と消費量の均衡点、即ち、必要量が基準となるのである。それは、供給と需要で測られる。
経済は、最終的には、一人ひとりの生活に還元される。経済は、人を活かすための活動だからである。
一人当たりの消費量、一人当たりの生産量、そして、一人当たりの所得。国民が生活していくうえで、何が、どれくらい必要なのか。ただ、生産すればいいという訳ではなく、一人ひとりの生活が成り立つように、必要としている物を、必要としている人に、必要なだけ、漏れなく、万遍なく、配分する事が経済の目的なのである。それが経済の根本である。
その為の手段として「お金」がある。「お金」は、目的ではなく、手段である。その点をはき違えると経済は機能しなくなる。
fig = plt.figure(figsize=(10,6))
plt.subplot(2,2,1)
plt.plot(sk.GDP/sk.a5)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,2)
plt.plot(sk.y1/sk.a5)
plt.plot(sk.y2/sk.a5)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,3)
plt.plot(sk.y6/sk.a5)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
plt.subplot(2,2,4)
plt.plot(sk.y12/sk.a5)
plt.axhline(y=0,linewidth=2,color='black')
経済の破綻をどこで判定するのか。
経済破綻とは、最終的には、国民生活が成り立たなくなった状態を指す。
国民生活が成り立たなくなるというのは、生きていくために必要最低限の資源が享受できない人間が現れた時をさす。 その原因には、生産の問題、分配の問題、消費の問題、貯蓄の問題があり、其々に、金銭的要素、人的要素、物的要素がある。
金銭的要因には、所得格差、貧困、ハイパーインフレーション、不況、恐慌、為替の変動、金融危機、財政破綻等がある。
物的問題とは、交通や物流に障害が生じた場合、事故や地震、洪水、台風などの災害、天候の不順や変化による飢饉や旱魃等である。
人的問題とは、戦争や革命、内乱といった政治的問題。失業といった雇用の問題。人口構成の問題等があげられる。
fig = plt.figure
plt.plot(sk.y1/sk.a5)
plt.plot(sk.y6/sk.a5)
国民一人当たり民間最終支出は、横這いなのに、国民一人当たり雇用者報酬は、減少している。ここでも鰐口が発生している。
国の豊かさや貧しさは、為替相場によって変わる。急に豊かになったり、貧しくなったように感じるのは、為替相場が作り出す錯覚である場合が多い。
先ずリスクの正体を見極め、リスクを回避する事である。リスクを回避するとは、リスクそのものをなくしてしまう事、あるいは、事前にリスクを予測してリスクを遠ざける、逃げる事である。
リスクを回避する事が出来ないとしたら、次善の策として破綻した時にどう決断し、行動するかの策をあらかじめ用意しておく事である。
怖れてばかりいても、何の解決にもならないのである。現実から目を背けずリスクの根源を知る事である。
危機が避けられないのなら、いかに被害を最小限に食い止め、困難を乗り切り、再生を帰すかを考える事である。
現実から目を背けた時、あらゆる希望や可能性は失われるのである。
リスクというのは、不確かさである。リスクを危険な事だと錯覚している人が結構いる。リスクというのは、危険な事ではなく。予測できない不確かな危険な事なのである。危険というだけではリスクではない。確かな事は、危険な事でも、リスクにはならない。石油や原子力、石炭、水力、電機そのものは、危険物である。危険物であっても確かな事だからリスクにはならない。リスクは、不確かに事である。
リスク対策の一つは、不確かさをなくす事、予知、予測できる様にする事である。
そして、予知、予測できない事は、地震と、経済破綻と言った事象が起こった時にどの様に対処すべきかを予め想定し決めておく事である。
コロナ後の世界のリスクにいかに備えるかは、予知する事かができるか、できないかが一つの鍵を握っている。
バブルや財政破綻、恐慌は、本当に予知できない事なのであろうか。予知できるのに、自分たちの過ちを認められなくて、目を背けているのではないのか。
予測がつかないからリスクなのであって、予測がつけばリスクはリスクでなくなる。対策の立てようがあるからである。 だから、リスクの対策の一つは、予測、予知である。
地震対策には、予知を重視すべきか、対策を重視すべきかの論争がある。経済も同様である。経済の破綻が予知できれば対策の立てようがあると考えるか。破綻が避けられないとしたら、破綻した時の対策を立てるべきだという考え方である。
また、リスクの性格を理解する事である。
今まで、大丈夫だったんだから、これからも大丈夫だとする根拠なき楽観論もある。また、今日、そのような楽観論が支配的になってきた事を憂うる。この様な根拠なき楽観論は、リスク管理において禁物である。リスク管理は、常に、最悪の事態を想定する必要がある。ありえないという楽観は最も危険な事である。悲観的な準備し、楽観的に判断するそれが鉄則である。
コロナ後の世界を考える時、先ず、前提としなければならないのは、コロナ以前の問題である。
情報、通信技術の発達は、急速に人々の生活様式を変えようとしている。
決定的な変化は、インターネットの発達である。SNSの発達によって、それまでのツリー型で、閉鎖的、自己完結的、オンプレミスなシステムが、ネットワーク型で、開放的、相互依存的、クラウドなシステムへと変貌し。それに伴ってそれまで、組織にシステムを合わせていたのが、システムに合わせ組織を構築するように変化してきた。
また、AIやIT、機械学習、ビックデータ、テレワーク、自動運転などは、生活のスタイルや職場環境、住環境を根本から組み替えてしまう可能性がある。それに適合できた会社や社会だけが生き残る事が出来る。
ただ、このような変化に自分達の仕事が奪われるのではないかという妙な恐れを抱く者がいるが、根本的な技術は人間の為に開発される物であり、仮に、自分達に害になる事があったらそれは機械の問題というより、人間の側の問題である。刃物を凶器とするのも、生活の為に使うのも人間であり、刃物が悪いわけではない。自動車だって使い方を間違えれば凶器となるのである。
成長を前提としてきた経済から経済は、脱しつつある。成長拡大しつつある産業と新たな成長拡大が望めない産業が混在しているのが現状である。成長拡大から縮小へと向かう市場と成長拡大しつつある産業が共存している。
一律に成長を前提として経済を捉えていると、成長が止まった産業は、環境に適合できなくなる。 拡大成長だけを経済の状態として捉えるのか、それとも、縮小停滞も経済の一局面として捉えるかによって経済政策の根本が違ってくる。
雇用という観点からすれば、成長・拡大だけを前提としていたら経済は成り立たなくなる。 成長だけが経済の目的ではない。
経済の真の目的は、必要な物を必要なだけ生産し、欲している人に、必要なだけが配分する事にある。成長は、経済の一局面に過ぎない。成長する為に、経済本来の目的を犠牲にする事は、本末転倒である。
少子高齢化が進む日本では、これまでの終身雇用、年功序列型の組織体制では成り立たなくなる。
フローの収縮と相対的なストックの拡大である。 市場は、成熟するに従ってストックを蓄積していく。故に、高度に発達した市場には、厚いストックが累積している。
フローとストックの均衡が破れると資金が正常に市場に供給、循環しなくなる。市場を制御する為には、「お金」の流れをいかに管理するかにかかっている。
コロナ対策は、ストックの増大を加速度する事になる。コロナ対策も所得の再配分の一角だと考える必要がある。ただ、「お金」をバラまけばいいというのではない。
ヘリコプターマネー宜しく景気対策として資金を供給する事は、財政破綻を早まらせるだけである。また、民間の経済活動の妨げにもなる。
市場環境の変化に対してより能動的に対処すべきなのである。一番の問題は、民間企業が健全な収益が上げられない事、健全な投資ができない事にあるからである。
市場の経済関係において絶対的優位というのは、ありえない。なぜならば、市場の根本は、交易であり、交換だからである。 経済は、相互依存の形で成り立っている。 それは、個々の国や個人の生産と分配をどう均衡するかの問題であり、封建社会では、生かさず、殺さずなどと言った統治がされてきた。 しかし、結局は、個々人の力を最大限発揮させるためには、公平な配分が必要だという認識に達した。それが、自由経済の根本思想である。 この様な、自由市場では、エントロピーが働いているとみられる。
先進国の中には、自分たちは、絶対優位の立場にあると思い込んでいる者がいる。しかし、基本的には、生活水準は、均衡の方向に向かう力が働いていると考えるべきである。
均衡に向かおうという働きと分散させようとする働きが、市場を常に活性化させる。ただ、長い目で見れば経済的価値は、一定の水準に均衡しようとする力が働いているとみるのが妥当である。高い生活水準にある国は、低い生活水準にある国に抑制されるし、低い生活水準にある国は、高い水準にある国に、所得や物価を通じて引き上げられる。
なぜならば、生活水準が高くなればそれを維持する為に、高い所得にしなければならない。所得が高く成れば低所得の国との競争力を失う。 知識や技術が平準化されればされるほど、所得格差を縮めようとする力が働くからである。
それが購買力平価である。
先進国だけが優位に立てるという考え方は、幻想にすぎない。頂上を極めれば下る事になる。
市場には、均衡へ向かおうとする力が常に働いている(エントロピーの増大圧力)。過渡期である今日、集中に向かうのか、それとも分散なのか。ネットワーク社会は、一見矛盾したこの課題を避けて通れない。 そして、均衡か、混沌かを巡って経済は、二極化されつつある。
アメリカと中国の経済的な対立が表面化し、双方、25%という高い関税を課すことになる。
アメリカ一極体制だった国際関係が、中国の台頭によって多角化しつつある。 中国の出方によっては、基軸通貨のドルの地位も危うくなりかねない。
かと言って中国は、盤石かというとそうでもない。中国は、中国で内外に問題を孕んでいる。特に、過大な債務をどうするかを誤ると体制の崩壊すら招きかねない。 また、香港問題を誤れば、国際社会において孤立化を深める事になりかねない。
それは、経済のブロック化や戦争を準備しかねない問題である。経済の枠組みが大きく変更される可能性を孕んでいる。
次の大戦は、核兵器や生物化学兵器の存在を前提としておかなければならないのである。
米中のヘゲモニーを巡る争いは当分続くと考えるべきである。日本は、否応なく米中のヘゲモニー争いに巻き込まれることになる。
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import matplotlib as mpl
import matplotlib.pyplot as plt
import pandas as pd
import seaborn as sns
%matplotlib inline
ww1= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/ww.xlsx', sheet_name=0,index_col=0)
ww1.head()
ww2= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/ww.xlsx', sheet_name=1,index_col=0)
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ww3= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/ww.xlsx', sheet_name=2,index_col=0)
ww3.head()
ww4= pd.read_excel('C:/Users/kk/Documents/houjin/ww.xlsx', sheet_name=3,index_col=0)
ww4.head()
fig = plt.figure(figsize=(10,6))
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1980年~2020年 外貨準備のみ1980年~2019年
左上 一人当たりGDP(㌦) 右上 経常収支(十億㌦) 左下 債務残高対GDP比(%) 右下 外貨準備高(十億㌦)
日本 青 アメリカ 橙 ドイツ 緑 韓国 赤 中国 紫(一人当たりGDPを除く)。一人当たりGDPで紫は、シンガポール。一番上はスイス。
日本は、債務残高が突出して高いのが見て取れる。
我々の前に立ちはだかっているのは、全体と個の問題である。 それは古くて新しい問題。我々は、自由主義と全体主義の決着はついたと思い込んでいた。しかし、情報、通信技術の発達は、自由市場に革命的な変化をもたらすと同時、全体主義、別の意味をもたらす事となった。
それは、敢えて言えば、滅んだとされた共産主義や全体主義を甦らす事に通じる。中国は、全土に監視網を敷き、管理社会、監視体制を強化しつつある。個人の人権やプライバシーは、全体の為に犠牲となりつつある。統制や計画が市場経済にとって代ろうとしている。
皮肉な事に、個人を中心にして発展してきたネットワークが、逆に、全体を統制する手段ともなることが明らかになってきた。 個人の権利を守ろうとする勢力と全体を統制しようとする勢力がインタへネット上で鬩ぎあっている。
それは、個人主義と全体主義の生き残りをかけた戦いとなることは明らかである。 個人を尊重すべきか、全体を優先すべきかは、民主主義の根幹を揺るがす問題である。
最終的に障害となるのは、市場の性格や働きとの整合性である。統制的な体制は、市場には、そぐわないからである。
2019年度末、国債残高は、928兆円。日本銀行保有の国債残高は、495兆円。
コロナ騒ぎの中で、財政問題は、どこかに消し飛んでしまったようだが、現実は、深刻な事態がじわじわと進行していることに変わりはない。 しかし、財政の見根本的な課題は何も解決されていない。
財政は、バブル崩壊、リーマンショックの後遺症を未だに引きづっている。バブル崩壊時、リーマンショック時の政策を抜本的に見直し、過ちは過ちとして認めて、改めない限り、泥沼から抜け出す事はできない。
1999年(平成11年)2月、日本銀行は短期金利の指標である無担保コール翌日物金利を史上最低の0.15 %に誘導することを決定した。それ以来、ゼロ金利政策が始まったとされ、2020年11月現在でも基本的にかわりはない。低金利政策に対する出口は見えず、むしろ、2016年には、マイナス金利、日銀当座預金にある超過準備に対して-0.1%のマイナス金利を課され、2月16日より施行された。この様な低金利政策によって金融機関の経営を圧迫している。
金融機関の業績は、急速に悪化しており、業界再編の動きが高まっている。この様な渦中でコロナは起こった。
市場経済は、収益と費用、資産、負債、資本(利益)の五つの要素の均衡によって保たれている。この点を忘れてはならない。
バブル崩壊後、過剰な債務を返済し、設備投資を抑え、経費の削減に努めてきた。しかし、忘れてはいけないのは、借金の返済も設備投資も、雇用も収益があって成り立ってきたという点である。
ところがバブル崩壊後、適正な収益を維持する事よりも、無原則に規制を緩和して競争を煽り、低価格を追求する事によって利益や収益を犠牲にする政策が採られてきた。その為に、市場は荒廃していったのである。
時代の変化にそぐわなくなった規制を緩和したり、変更する事はやぶさかではない。しかし、規制緩和を万能薬の様にとらえ、何が何でも 規制をなくしてしまえというのは乱暴な話である。過当競争による価格競争は、市場を荒廃させるだけである。
規制を緩和するのならば、どの様な根拠、どの様な目的によって、どの様に規制を変えていく必要なのかを明らかにすべきなのである。
民間企業に求められているのは、初心原点に帰る事である。多くの企業が本業を忘れている。目先の利益を求めて、将来への展望を失ってうろたえているのである。
バブルの時は、ジャパン イズ ナンバーワンだなんて言われて舞い上がってしまい。バブルが弾けてると一遍に自信を失って今度は、我を忘れている。どんな時にも、状況を冷静にとらえ、前向きに取り組めば、前途は開ける。かつての日本の様に新しい分野に果敢に挑んで多くの国は、道を切り拓いているのである。
敗戦直後の事を考えれば、今の日本は恵まれているのである。
現実を直視する事が肝心なのである。日本が立ち遅れている分野があれば、率直に認め改める事である。
バブル崩壊後、資産価値の下落は、民間企業から資金調達力を奪った。民間企業の多くは、外部資金調達を諦め、内部資金調達へとシフトしていった。フリーキャッシュフローの範囲内で設備投資を控える動きが顕著となり、日本企業の対外競争力は、相対的に低下していった。
それまで主力とされてきた家電製品などが中国や韓国の企業にとって代られつつある。
何が原因で日本は、韓国や中国の後塵を拝するようになったのか、冷静に考える事である。
日本企業の問題点は、収益力、利益率が低い事である。適正な利益、費用が確保されない。売上やシェアばかりを優先してきた事に問題がある。量より質への転換を官民で計る事が肝心なのである。
家計の柱は、所得である。雇用者報酬は、バブル崩壊後減少に転じており、基本的にその傾向を引きづっている。
所得の資金源は、収益である。民間企業の収益が伸びない中では所得は伸びない。あくまでも、雇用者報酬は、粗利益の中から工面されるのである。賃金だけを上げろというのは乱暴な話である。将来の収益が見込めなければ、民間企業は投資を控える。
家計が保有する金融資産残高は昨年12月末時点で1903兆円。前年比で3.3%増加し、過去最高を更新した。
コロナ以前に世界情勢は、流動性を深めていた。日本だけでなく、アメリカ、中国、EU、中東、南米、いずれも、深刻な問題をょ抱え込んでいて、いつ、どこが、何がキッカケで、破綻するか予断が許されない状況にある。
コロナ問題によって米中の対立点がより鮮明となった。単に経済の問題と片付けられない内容を含んでいる。
米中の対立は、単に経済的な問題というだけでなく、国家理念、思想信条、国家体制、国家戦略、国防、政治的な問題を孕んでいるため、一筋縄で解決できる事ではない。
コロナウィルスによる経済危機と他の経済危機とはどこが違うのか。特に、金融危機とどこが違うのか。その点を明確にしておく必要がある。
金融危機は、基本的に実物経済に直接影響を及ぼす事は稀である。
戦後、日本経済に深刻な影響をもたらした事件は、石油危機、ニクソンショック、プラザ合意後の円高不況、バブル形成と崩壊、リーマンショック、東日本大震災などがあげられる。
この中でニクソンショックやプラザ合意、バブル、リーマンショック等は、金銭的な危機である。それに対して、石油危機や東日本大震災は、現実の生活を直撃した。
実物経済に直接影響するのは、石油危機や東日本大震災などがあげられるが、いずれにしても影響は、限定的だったと言える。東日本大震災と違うのは、東日本の様に局地的な被害で終わらずに、地球的、世界的規模に被害が及んでいるという点である。
コロナは、実物経済を直撃し、人や物の流れを中断してしまった。その被害は、全世界に及び、コロナは、戦争のような事である。ただ、戦争は、供給設備や人に対する打撃を伴うが、コロナは、設備等に対する物的被害はない。この点がこれまでの戦争による経済危機とは大きく異なる点である。
実体経済に影響を与えるのは、戦争や災害のような事である。 実物経済に深刻な被害をもたらすという事では、コロナは、戦争や大地震のような事だと言っていい。
コロナの影響は、世界大戦に匹敵するといえる。ただ、戦争というのは、生産設備が破壊されていないという点にある。
コロナウィルスに対する対策は、金融的処置だけでは止まらないという点である。要するに金銭的な対策だけでなく、人的、物的で実効力のある施策を実施する必要がある。生活を直撃している以上、現実の生活を保障する実体的な施策を講ずる必要がある。
実体的な施策とは、物量や人的な交流が遮断された事に対する対策、生活保障や医療支援である。勘違いしてはならないのは、資金不足に陥っているのは、一様ではない。一律一様に資金を再分配しても経済的効果は、期待できない。実体的な施策の本旨は、景気対策ではなく、所得の再分配である。また、家計は、資金余剰主体である事を忘れてはならない。公務員や一般企業の多くは、一定の所得は保証されているし、コロナの影響は全ての産業一様に影響しているわけではない。産業毎に温度差があるのである。
ロックダウンなどによる損害補償、休業補償や資金繰り、雇用対策である。ロックダウンは、人々の生活を直撃している事を忘れてはならない。ロックダウンによって生活が成り立たなくなる人がいる。
国家間の経済交易や国際市場の調整等である。現在の経済は、国際間の連携の上に成り立っている。経済交易のネットワークの一部が破損しても影響は全体に及ぶ。この点を考慮して国家間の協調関係、ネットワークを構築する必要がある。
また、生活の在り方や職場環境もガラッと変わってしまう事が予測される。コロナ後の生活環境や職場環境の激変に対応する為のインフラストラクチャーの整備等も求められる。後戻りする事が許されないのである。
基本的にコロナにおける経済対策は、資金不足主体である一般政府から資金余剰主体である家計に対する資金移転だという事を忘れてはならない。
今日の様にコロナの影響で収入が減少していると相対的に借金の返済負担が重くなる。借り換えを続けていたらストックは拡大し続けるのである。当然利率も圧迫を受ける。ゼロ金利と言った異常な状態も長引く事になる。
「お金」は、金融市場に滞留している。物不足にならない限り、価格が暴騰する事は考えにくい。しかし、一旦、物不足になれば、その先は予測がつかない。コロナの流行は、その物不足に火をつける危険性がある。特に、生鮮食料やラインラインに関係した市場で物不足が顕在化したら、大変である。(2020年7月16日現在)一部の食料品価格が厭らしい動きをし始めている。
政府は、2020年4月20日に、事業規模が117.1兆円、財政支出が48.4兆円の新型コロナウィルス感染症緊急経済対策を 閣議決定した。
一般会計補正予算の増加分25兆6914億円は、すべて、国債の発行で賄う。最も規模が大きいのは、10万円の特別定額給付金で、総額12兆8803憶円。(「経験なき経済危機」野口悠紀雄著ダイヤモンド社)
更に、政府は、2020年に第二次補正予算を2020年5月27日に閣議決定した。事業規模は、第一次補正の際と変わらない117.4兆円。一般会計は、31兆9114億円。それに伴う国債の発行額は31兆9114億円である。
現在の様な政策を続けていれば、かなりの確率で財政破綻が起こる事が想定される(2020年11月現在)。現実には、財政はすでに破綻しているといってもいいる。
鍵となるのは、持続可能性であり。それは、中央銀行と国債の臨界点がどこにあるかの問題である。
日本銀行は、無制限に国債を引き受けつつある。つまり、事実上の財政ファイナンスしているのである。これはかなりのリスクを覚悟しての上だと思う。
しかし、国債を大量に抱え込むことによって日本銀行は、身動きができない状態に陥りつつある。出口戦略と言って、今更、国債を引き取らないといったら国債の暴落を招き、長期金利を制御不能なほど上昇させてしまいかねない。長期金利を低い状態にしておくためには、国債を買い続ける以外にない。
しかし、それは債務の無制限な拡大を招く。
しかも、日本銀行は、株の買い支えすらしている。日本銀行は、今や、日本で一番の株主になっている。健全な自由主義経済では考えられない状態である。
財政破綻は、基本的に部門間の配分の不均衡によって生じる。特に、民間部門との不均衡が原因だと考える。
所得と営業余剰、固定資産減耗、税の配分の不均衡である。つまり、付加価値の配分に問題があるのである。その背景には、ストック(投資、負債)とフロー(所得と利益、金利)の不均衡が根底にある。
一般政府は、営利団体ではないとされる。即ち、非市場主体であり、以外、付加価値を生み出さない。雇用者報酬と税は、配分であって付加価値の原資ではない。付加価値の原資は産出、売上である。非営利事業である公共投資や公共事業は、付加価値を生まない。
コロナ対策を立てる場合、前提となるのは、財政は、コロナ以前に破たん状態にあるという事である。
家計に資金を供与する際、留意すべき事は、家計は、資金余剰主体であり、一般政府は、資金不足主体だという点である。
景気対策は別途考えるべきあり、付加価値を生まない公共投資や公共事業に頼るべきではない。付加価値を生まない公共投資や公共事業は、ワニの口を開くだけに終わるからである。景気対策は、基本的に市場を健全化する事であり、時代や状況の変化にそぐわなくなった規制を変更する事であるが、それは、単純に規制を緩和すればいいというのではない。民間企業が適正な収益があげられるような規制に変更することを意味する。日本の市場は利益率が低いというのが兼ねてからのもんた政視されてきたのである。無意味に競争を煽って安売りを奨励するのは、デフレ政策だという事を忘れてはならない。費用を罪悪視するのではなく。適正な費用を維持できるような競争が成り立つような規制にすべきなのである。競争の内容、質が問題なのである。無原則な規制緩和は、市場を荒廃させるだけである。
コロナによる影響は、一律一様ではなく、産業によってかなり明暗を分けている。産業毎に温度差がある事を前提としてコロナの影響を捉えないと現実的な対策は立てられない。
観光・運輸業、飲食業、イベントなどに関する支援として、新型コロナウイルス終息後に、「GO TOキャンペーン」を実施するとしたが、この予算として経済産業省に1兆6794億円を予算計上し、内閣官房、経産省、国土交通省、農林水産省が連携して取り組むとされた。
実際は、ころなの終息の目処もたっていない2000年7月22日から東京を除いて開始された。
民間企業に与える一番の影響は、人や物の往来の分断である。ただでさえ、アメリカ・ファースト、ブレグジットに象徴されるように多くの国が内向きになっている。コロナによって、世界経済は分断される危険性を孕んでいる。
基本的に家計は、資金余剰主体で、一般政府は、資金不足主体である。コロナ対策の給付金は、資金余剰主体にたいする資金不足主体からの資金移転である事を忘れてはならない。
家計は、一貫してもストックも、フローも資金余剰主体であった。それが、バブルが崩壊するとフローは、余剰幅を縮小している。不足してきている分を埋めつつあるのが非金融法人企業である。
2020年7月7日、厚生労働省が発表した5月の毎月勤労統計によると所定外給与は、前年同月比で25.8%と減少した。これは、2008年3月のリーマンショック時の22.7%より大きく、記録的な下げ幅となった。
同日発表された5月の消費支出は、前年同月比で16.2%減と2001年以降最大の下げ幅を記録した。(日本経済新聞2020年7月7日)
政府が4月に始めた1人10万円の特別定額給付金は総額で約12兆円にのぼる。子育て世帯や学生向け給付金も配られた。昨秋の消費増税時から始めたキャッシュレス決済向けポイント還元では、政府補助分だけで5千億円弱相当が消費者に流れ込んだ。PayPay(ペイペイ)の「100億円還元」など民間独自のサービスも相次いだ。(2020年9月27日 日本経済新聞)
家計の現預金は6月末時点で1031兆円と3月末比で30兆円以上増え、過去最高に積み上がっている。(2020年9月27日 日本経済新聞)
家計の預金は、金融機関の負債と考えればいい。家計で現預金が増えるという事は、その分、金融機関の負債が増えることを意味し、金利の動向によって金融機関の経営が圧迫を受けることを意味している。
コロナは、我が国の問題だけではなく、世界的な問題である。アメリカ、中国、EU、新興国、アフリカそれぞれに問題を抱え、それが、それぞれの国の国内事情や国家戦略が複雑に絡んでいる。
中でも、米中、二大大国の思惑や戦略は、コロナ後の世界を見据えて厳しく対立するようになってきた。
一番の問題は、世界的な規模で債務が拡大している事にある。コロナ対策は、この傾向に拍車をかけている。
世界的な規模で債務が拡大している。ただ、債務の拡大と言っても、債務の拡大の主たる要因は、各国一様なわけではない。日本の債務は、財政部門の債務であり、アメリカは、海外部門、中国は、民間企業の不良債権である。だからこそ、国際協調が不可欠なのである。個々の国の歪を単独で解消しようとすれば、国家間の間に亀裂が入る事となる。
一国主義でも、無原則なグローパリズムでもなく、個々の国の歪みをよく理解したうえで、それぞれの国の国情に合った施策を協調してとる事である。
アメリカは、2020年4~6月期に2兆7350億ドル(289兆円)、7~9月期9470億ドル(100兆円)10~12月期、1兆2160億ドル(128兆円)を国債で調達する。これは前年度の五倍に相当する。(「21世紀型大恐慌」山﨑養世著 PHP)
米財務省は、10月16日、2020年度の財政赤字が過去最悪の3.1兆ドル(約330兆円)になったと発表した。財政赤字は、国内総生産比で15%程度となり、2009年の金融危機の際の9.8%を上回り第二次世界大戦時の20%台に迫る水準である。(日本経済新聞2020年10月12日)
国際通貨基金(IMF)は14日公表した報告書で、2020年の世界全体の政府債務が、世界の国内総生産(GDP、約90兆ドル)にほぼ匹敵する規模になると予測した。GDP比で過去最大の98.7%となる。主要国は新型コロナウイルス対策として計12兆ドルの財政出動に踏み切ったが、膨らんだ債務をどう正常な水準に戻していくかがコロナ後に問われることになる。
21年の先進国の政府債務はGDP比125%と予測した。1880年代からの長期データでみると、第2次世界大戦直後の1946年(124%)を超えて過去最大となる。33年の大恐慌時(80%)や、2009年の金融危機直後(89%)を大きく上回る。(2020年10月16日 日本経済新聞)
十月、バイデン氏が大統領選挙に勝利。しかし、トランプ大統領、敗戦を認めず(11月現在)に混乱が続く。選挙戦では、コロナ対策が先か、経済が先かが争われる。
中国は、香港に対する強行政策に出て、国際的な孤立を強める。政治と経済を分けて考えられるかどうか、微妙である。
世界で債務が拡大している。ただ、債務の拡大と言っても世界は、一律一様に債務が拡大している訳できない。
中国における債務の拡大は、主として民間企業における債務の拡大である。中国の経済成長は、民間の設備投資が引っ張ってきた。設備投資に拡大に消費が伴っていない点が指摘されている。これは中国のバブルの特徴である。
2020年1月31日 イギリスは、正式にEUを離脱した。ロンドンは、ヨーロッパの金融センターであり、イギリスのEU離脱は、ヨーロッパの将来に影を落としている。
コロナによる影響は、一律ではなく、差がある。差には、量的な差と質的な差がある。その差に応じた対策を講じる必要がある。
ほんとうに「お金」に困っている人と「お金」に困ってない人を同等に扱えば、かえって不公平になり、また、経済に偏りや亀裂を作る原因となる。重要な事は、「お金」が余っている所から「お金」の不足しているところに、如何に「お金」を廻すかなのである。基本的に最終的には分配の問題に還元されるのである。
観念的平等主義者は、一切の差を認めようとしない。しかし、現実はどうか、能力、知識、経験、技術、性格、嗜好、性別、環境、年齢、学歴、実績、人種、民族、風俗、習慣、宗教、価値観、意欲、適正、悉く差がある。真の平等は、これらの差を前提としなければ成立しない。なぜならば、全てを同等に扱えば、個人差が、あからさまになるからである。 寒冷地と温暖地に住む者は、それ自体が差を生むのである。温暖地に住み者と寒冷地に住む者に同じ仕様の家に住まわせること自体差別になるのである。 身長の高い者と低い物に同じサイズの服を与える事を、平等とは言わない。
経済は、差で成り立っている。差によって動いている。我々は、差を受け入れなければ、経済の本質を見極める事はできない。単純に差を否定する、拒むのではなく。差の働きを見極める事が重要なのである。問題なのは、差ではなく。差から生じる不条理なのである。差の働きを正しく見極めれば、差の効用を正常に発揮する事が可能となる。差から発する不条理とは、差の持つ働きを歪める事から生じるのである。 差を否定したところで差はなくならない。この事をよくよく肝に銘じておく事である。
コロナで見落としてはならないのは、コロナは実体経済、物の生産や物流に直接影響しているという事である。そこが、単なる金融危機とは違う。
問題を解決したり、モデルを作る際、鍵となるのは、内部要因と外部要因を見極める事である。 内部要因とは、自分達で管理したり、操作する事が出来る要因であり、外部要因とは、自分たちが、管理したり、操作する事はできない要因である。外部要因は、目的変数を構成する。それに対して基本的に、内部要因は、政策の根拠を構成する。
何を変数とし、何を定数とするか。何から何を導き出そうとしているのか。 あらかじめ確定している値は、何か。操作できる、入力できる値は何か。
モデルは合目的的なのである。
経済危機は、どの様な形で表れるか。第一に、企業倒産の増加。第二に、失業率の上昇。第三に、収益の減少。第四に、所得の減少。第五に、株の暴落。第六に、地価の暴落。第七に、不良債権の増加。第八に、長期金利の上昇。第九に、国債の暴落。第十に、金融危機。第十一に、財政破綻。第十二に、戦争や革命。
戦争や革命は、経済危機の原因にも、結果にもなる。また、今回は、パンディミックが引き金を引く形になっているが、地震や津波と言った災害がキッカケとなる場合もある。
経済危機は、一つの要素によって引き起こされるのでもなく、収斂されるわけでもない。複数の要素が連鎖する形で進行していく事が予想される。先に述べたような複数の要素が複雑に絡み合いながら、複合的、並列的、同時に起こる。問題は、どの様な組み合わせで、どの様な順番で発生し、連鎖していくかである。
財政破綻とは何か。財政破綻とはどのような形で起こるか。財政が破綻したらどうなるのか。
財政破綻とは、財政主体が支払い不能に陥る事である。財政主体が支払い不能に陥るのは、税収不足、また、国債の引き受け手がいなくなった時である。言い換えると、発券機関である中央銀行が引き受けてになれば、支払不足に陥る事はない。しかし、その場合、通貨の供給量に際限がなくなり、物価に反映する。通貨の流通量を制限する事が不可能になるのである。
財政が破綻するというのは、行政府の経済が破綻することを意味するので、国家そのものが破綻するわけではない。民間企業の経営も家計もそのまま継続される。しかし、家計や企業が無傷でいられるわけではない。
国家としての最低限の機能を残し多くの行政機能が一時的に停止する。国家の最低限の機能とは、国防と治安である。 日本は、最初から国防に問題がある。故に、余程覚悟しないと国家の主権、独立が危うくなることは覚悟しなけれはならない。
次に、年金や社会保険、医療保険等が大きく削減される。また、税金の負担が大きくなる。
公共投資や公共事業が大幅な整理削減される。国家のインフラストラクチャの整備遅滞し、老朽化が防げなくなる。また、建設土木という基幹産業に資金が廻らなくなる。防衛、防災、即ち、国防費が大幅に削減される事で国家が無防備な状態に置かれる。
通貨の信認が失われる事で通貨価値が下落する事が考えられる。通貨が下落は、インフレーションの発生と円の下落を意味する。
日本銀行の破綻による金融危機へと連鎖していく事が予想される。
金融危機とは、金融機関が機能不全に陥る事によって発生する。
金融機関の働とは、資金不足主体へ資金余剰主体から資金を融通する事で、資金を市場に循環させる事である。金融が機能不全に陥るとは、資金が市場に循環しなくなり、資金が循環する事で成り立っている経済主体や市場が破綻してしまう。
金融が機能しなくなる第一の原因は、貸借の不均衡である。つまり、借り手と貸し手の割合が不均衡になり、いずれかに偏り、資金が滞留する事である。第二の原因は、収益が低下する事で返済が滞る事である。第三の原因は、債権と債務の不均衡により、担保力、即ち、資金の調達力が低下する事である。第四に、所得の低下によって購買力が低下し、結果的に収益が低下する事である。これらの要素が複合的に絡み合って金融危機は引き起こされる。
金融機関は、資金を融通すると為の機関で、資金余剰主体と資金不足主体との仲介するのが役割であるから、常に中立的な位置をとる必要がある。その為に、収支は均衡、つまり、ゼロ和になることが望ましい。余剰主体か不足主体に偏ると金融は、正常に機能しなくなり、中立性が維持できなくなる。それが、金融危機を引き起こすのである。
金融機関は、自らが財を生産する事はなく、資金を融通する事で、市場に「お金」を循環するのが役割である。金融機関は、あくまでも黒子に徹する必要がある。
金融機関は、長期なわたる低金利、ゼロ金利、マイナス金利、金融緩和によって相当に経営状態、財務内容が痛んでいるという事に十分、注意する必要がある。日本人は、バブルのつけやバブル崩壊後の後始末を金融機関に押し付けてきた。何が不幸な現象があると犯人探しに狂奔するのは人間の悪い習性である。犯人探しよりも、現実を直視して、再発を防ぐことに尽力すべきなのである。改めるべき点は改めるべきだが、必要以上に責め立てて、却って本来の目的を逸脱するのは本末転倒である。
財政危機同様、現在の様な政策を続けていれば、かなりの確率で財政破綻が起こる事が想定される(2020年11月現在)。金融危機は、財政危機と表裏の関係にある。
恐慌とは、急激な資産価値の下落により、市場が収縮する事によって起こる。基本的にフローとストックの不均衡が原因で引き起こされる。
急激に市場が収縮する事によって、収益力が低下する、反面、相対的に固定的な支出、即ち、借入金の返済や費用の負担が増加する。それによって、企業倒産、失業、景気後退が起こる。
恐慌は、ストックが急速に収縮する事で起こる。バブル崩壊後の日本でも、地価や株価の暴落がある。地価や株価の下落によって名目的価値と実質的価値が乖離し、その結果、金融資産(債務)が拡大し、実物市場を圧迫するようになる。即ち、設備投資のような実物投資を金融投資が圧迫するようになる。それが実物市場を収縮するのである。ストックの拡大がフローを圧迫するようになる。貸借取引が売買取引を阻害するようになる。
恐慌を深刻にするのは、倒産や失業などによって所得を直撃する事である。市場経済、貨幣経済が浸透する事によって所得がないと家計が成り立たなくなっている。市場経済は、収益(生産主体の収入)と所得(消費主体の収入)を柱とした経済だという事の現れである。
恐慌は何によって引き起こされるか。地価や株価の急激な下落が引き金になる。バブル崩壊後の日本は、恐慌に近い状態が長期にわたっているといえる。恐慌と違うのは、急激な景気後退やはなかったが、緩やかな景気後退と停滞、デフレーションが長期にわたって続いている点である。その為に、ストックが拡大が制御できなくなり、フローを圧迫し続けている。
金融危機と恐慌は深い関係があるとみられる。
恐慌は、株価の暴落が引き金になる例が多いが、コロナショック後のアメリカの株価を見ると異様としか言いようがない。
2020年2月12日に2万9551ドルの高値を付けた後、2月20日から急落し、3月23日には、率で30%を超える、1万8591ドルまで下落した。だが底値を付けてけら急速に持ち直し、11月24日、NYダウ工業株30種平均が3万ドルに乗せ、S&P500種指数とともに、史上最高を更新した。
コロナショック後世界の株価は、異常な動きをしたのち、実体なき高値を維持している。 これは、世界的な金余り現象が背景にあると考えられる。実体なき資産の高騰は、バブルを意味する。いつまでも、このような状態が持続する時考えられない。
楽観的で、期待感に基づいた判断は禁物である。
異常な事は、異常なのである。当初仮定した事や想定した事と違う事が起きたり、都合の悪い事、理解できない事が起こるとデータを無視して正当化しようとする動きが出る。特に、経済政策に対する評価、解釈において往々にある。酷い場合は、統計数値を改竄するケースすらあるが、このような行為は、最も危険である。後付けの理念で経済政策を評価するのは、行為そのものが理論としての正当性を損なう行為である。
特に、経済学は、初期設定としての理論やモデルが、極端に抽象化されている場合があり。仮定そのものが非現実的な事が多い。人間に対する多くの仮定が最たるものである。
異常な出来事、事象は、異常な事として認識すべきである。現在の日本銀行所有の国債の残高量は、異常であるし、ゼロ金利も異常である。金利のもつ本来の働き抜きにゼロ金の意義を理解する事はできない。ゼロ金利ありきのような、ご都合主義的な解釈は、政策の信頼を損なう事である。どの様な状況で、どの様な働きを期待し、なぜ、誰が、ゼロ金利政策を採用したかを明らかにすべきなのである。
同様に、金融緩和も、無制限な中央銀行の国債の引き受け、株式の買い入れも異常な行為である。それを正当化する為には、正当化できる根拠を示す必要がある。また、それは、為政者の国民に対する義務でもある。
ハイパーインフレーションは、異常な物価上昇という意味であるが、異常というのも、社会生活や正常な経済活動が営めなくなるほどの異常さだという事である。ハイパーインフレーションは、政治的原因で起き起こされる貨幣的な現象だとされる。
ハイパーインフレーションは、ありえないという楽観論があるが、絶対にハイパーインフレーションは、ありえないとは言い切れない。なぜならば、日本は、エネルギーや食料などの生活必需品の多くを輸入に頼っているからである。国力が衰えたり、急激な円安、戦争等に巻き込まれた場合、急激な物価上昇がないとは言い切れない。現実に、過去には、オイルショック時の狂乱物価などの経験もある。
物価は、生産、分配、消費の均衡の上に成立する。この均衡が破れると物価は不規則な動きをするようになり、均衡が維持できなくなると制御不能に陥る。ハイパーインフレーションは、市場の均衡が破れる事によって起こる。
スタグフレーションとは、不況下の物価上昇を言う。経済が不活性なのに、物価が上昇するのである。
スタグフレーションと恐慌は、類似した点がある。スタグフレーションの延長線上に恐慌があるともいえる。
スタグフレーションの要因には、交易が絡む事が多い。国内物価と為替、内外価格差などである。この様な例には、為替の変動による場合と原油価格の暴騰のような原材料価格の高騰などがある。
戦争は、政治的手段の延長であると同時に、経済的な要因によって引き起こされる。我々は、戦争の直接的要因である、軍事的、政治的要因に目を奪われがちであるが、戦争は、経済的な要因によって引き起こされ、また、戦争を契機にして経済は大きく変化してきたのである。
戦争は、経済の結果でもあり、原因でもある。
財政破綻や国債、紙幣の成立などは戦争が何らかの形でかかわってきた。戦争は、経済的現象ともいえ、戦争を撲滅する為には、先ず経済的な問題を解決する必要がある。
戦争は、国家間の軍事的衝突で、生産設備や労働力に直接的な被害を及ぼす。戦争の被害は、当事国よりも戦場となったて国や地域に甚大な被害を及ぼす。歴史を観る時、当事国ばかりが脚光を浴びる傾向があるが、その陰で戦場となった国々の被害を忘れてはならない。
戦争は、悲惨であり、戦争は決して起こしてはならない。しかし、人類は、これまでも、経済的な歪みを戦争によって清算してきたのも事実である。この事実を厳正に受け止め、戦争の背後にどの様な経済的事情があったのかを明らかにしない限り、戦争はなくせないし、恒久的な平和は望めない。戦争は、権力者の妄想によってのみ引き起こされるわけではない。
そして、次の戦争がこれまでの戦争と決定的に違うのは、核兵器や生物化学兵器のような破滅的な兵器の存在である。この事実から目を逸らす事は許されない。反戦、反戦と叫ぶだけでは戦争は防げない。
基軸通貨としてのドルの地位は揺るがないように見えるが、ドルは、基軸通貨としての宿命を常に負わされてきた。その限界が近づきつつあるようにも見える。一国の通貨を基軸通貨とする限界である。
また、中国は、中国で、国内情勢も絡んで、独自の方向性を模索している。 今後、EUのユーロ問題も浮上してますます混迷する事が予想される。
元々一国の通貨を基軸通貨とするのが妥当かどうかの課題もある。基軸通貨は、大国の覇権闘争も絡み合って一筋縄では片付かない様相を呈してきた。
米中対立の激化は、冷戦後、アメリカ一極と言われた国際情勢を、再度、分裂しかねない。
中国はバブル崩壊の危機、アメリカは財政問題とアメリカも中国も、各々、問題を抱えている。しかも、両国の問題は、複雑に絡み合い、相互に深く影響し合っている。貿易一つとっても表裏の関係にあって切り離して考える事はできないのである。
その米中は、政治や思想、経済、いずれも深刻な妥協できない問題が複雑に絡み合って一朝一夕に解決できる状態ではなく。最悪の場合、決定的な対立を引き起こしかねない。
しかも、北朝鮮やイラン、ロシア、サウジアラビア、イスラエルなどの思惑が絡んで、余計に事態を複雑している。世界情勢は、先の読めない混沌とした状態に向かいつつある。
どのような事が起こるにせよ。それは、これから取られるであろう、政策の結果であることに間違いがない。人類は、自らの決断に責任を持たなければならないのである。
野党は、「理念なき政策」と与党を責める。では、野党の言う「理念」とは何か。よもや、共産主義ではあるまい。理念というのは、国家ビジョンなり構想の下になる考え、思想であり。最終的に求められるのは、国家や体制に対する青写真、設計図である。
経済危機は、避けようのない場合が多い。経済危機は、人為的に作られた事であったとしても、為政者は、故意に、あるいは、何らかの意図をもって経済危機を引き起こすわけではない。
経済危機に遭遇したら、危機の本質、リスクの根源ほ明らかにし、冷静に対処する事が求められる。起こった事は、起こった事で、批判したり、評論したところで解消できるわけではないのである。
なぜ、何が、どうして、起こったのかを見極める事である。災いを転じて福となし、再起していく以外にない。どの様な災害に遭遇しても人間は、人間としての生業を失う訳にはいかないのである。
生きる為の活動、即ち、経済は、どの様な事態、破局的な事態の中でも継続し続けなければならないのである。