個人主義者の目的は、善の成就である。個人主義者の善とは、自己善である。善の成就とは、自己善の実現を意味し、つまり、自己の行動を通して自己善と社会の法を一致させていくことである。自由とは、自己と外的世界の相互変革によって自己の内的世界と外的世界を一体とすることである。

故に、個人主義者は、行動しなければならない。行動や言動を通じてしか、自己実現ができないからである。

自己善が実現された状態とは、自由な状態である。自己実現を自己が目的としている以上、個人の目的は、自由である。個人主義者の究極の目的は、自由である。それ故に、個人主義と自由主義は、不可分な関係にある。

個人主義は、実践哲学である。自己実現とは、自己の内的世界をこの世に実現することである。自己が唯一の体現体であるという事は、自己の肉体を媒体として、行動によってしか外的世界に示す事ができないことを意味する。つまり、個人主義というのは、個人の行動や言動を最初から前提としている。そして、この個人の行動や言動を人民の合意に基づく法が許す範囲で保証しようというのが民主主義である。

自己の目的は、自己実現である。自己実現の過程で権利と義務が派生する。その権利と義務を国家が、保証すべきだというのが、民主主義の基本思想である。故に、個人主義と民主主義も不離不可分な関係にある。

この様な個人主義は、観念や思索の作物ではない。個人主義は、行動を通じてしか実現できない。行動や経験の作物である。個人主義の思想は、その人の生き様、人生に現れる。というより、行動や生き様でしか現せない。その意味でも個人主義は、観念より行動を重視するのである。言った事よりやった事である。約束する事より、約束を守ったかどうかである。

行動を重視すると言う事は、論理より、動機即ち、意志を重んじるのである。自己を実現する力とは、行動の根源、エネルギーとなる意志と愛の力である。つまり、個人主義の本質は、愛と意志である。法や掟ではない。あくまでも自己善であり、その人の生き様が問題なのである。

個人主義の根本は、故に愛である。しかも、個人を主体的存在と定義している個人主義における、愛とは、能動的な愛であり、受動的な愛ではない。