人間は、男と女の間に生まれる。これは、将来は別にして、現時点では、ある種、絶対的要件の一つである。

ここで重要なのは、個人は、必ず、母親と父親が居ると言う事である。そして、その母親や父親にも、それぞれ、母親と父親が居ると言う事である。この連鎖の上に、個人は、成り立っており、また、社会も成立しているという事実である。この人間関係の連鎖を前提にして、人間社会は考えなければならない。

親と個人、未成年、個人、個人と配偶者、個と配偶者と子供これが、人間関係の基本である。

個人は、男(父)と女(母)の間に生まれる。つまり、父母と個が、人間関係の基本的、原初的関係である。それから、個人として自立し、やがて、配偶者と結婚し、子供を産むというのが、基本的な変化である。そして、子供が、個人として自立できるようになるまでも間だ、父母が、父母、養育できなければ、社会が養育する義務がある。

人間関係の基本は、依存と自立である。この依存関係を認めないと、その後の社会も契約も成り立たない。つまり、社会というのは、人間の依存と自立を基本にして成立しているのである。

人間としての属性には、男と女の差がある。男であるか、女であるかは、その人自身の持つ固有の属性の問題であり、民主主義の基礎単位である、個人の単位においては、本質的な差にはならない。

男と女の差が、民主主義制度の枠組みに影響を及ぼさないように、人間から派生する属性は、二義的な属性であり、本源的な属性ではない。これは、人種や民族の差も同じである。

ここで、人間関係の基本を整理する。

個人は、必ず、母親と父親が居る。個人は、生後一定期間、他者に依存しなければ生存できない。個人は、男と女の性別があるが、これは、個人の二義的な属性であって、個人としての立場に影響を及ぼす性質ものではない。そして、親と個人、個人、個人と配偶者、個と配偶者と子供これが、人間関係の基本である。

この様な人間関係を前提として民主主義は成立している。

民主主義は、迷惑の掛け合いみたいなところがある。誰にも迷惑かけてはいけないと言われたら、民主主義は成り立たない。