サラリーマンにとって人生とは何なのだろう。
サラリーマンにとって仕事とは、生き甲斐とは、何なのだろう。
定年は、改めて、しみじみと考えさせる。
人に歴史ありという。
定年退職は、サラリーマンの歴史を一瞬にしてリセットしてしまう。
定年は、現代社会を象徴している。
定年は、サラリーマンを狂わせる。サラリーマンの人生を狂わせる。
なのに、社会は、高齢化、人件費、介護制度、財政問題としか見ない。
要するに、定年後のサラリーマンは、厄介者、役立たずでしかない。
サラリーマンは、定年後、自分が蓄えてきた知識や経験も磨いてきた技術も全て否定され。
活かすことも許されないのだ。
サラリーマンの定年後の人生は、お金や制度の問題でしかない。
鬱にならないほうがおかしい。
朝ドラを見ると、戦争秘話、敗戦秘話を避けて通れない。
朝ドラを見た後、九十歳の母に玉音放送を聞いた時どうしたと尋ねた。
母は、そりゃあ泣いたわよと。
皆も泣いていたわ。
その後、ものすごい虚脱感に襲われて。
だって、それまで皆、ものすごく高揚していたから。
戦後、七十年以上経っても、日本は未だに、その虚脱感から抜け出していない。
負け犬根性にひったている。
それでは、子供たちを守れない。
この国を守れない。
戦争は嫌だとか、反戦とか言うだけでなく。
我々は、自分たちの歴史に向かい合ってきただろうか。
未だに、自分たちの手で戦争を総括していない気がする。
何故、戦わなければならなかったのか。
戦争で何を失い。
何を得たのか。
なぜ、あれだけ多くの人が死んでいかなければならなかったのか。
彼等は何を守ろうとしようとしたかったのか。命かけて。
彼等は、唯、言いなりになっただけなのだろうか。
愚かだったからなのだろうか。
彼らの犠牲を無駄にしないために。
目を背けてはいけない。
戦前の日本人は愚かだったとか。
悪かったとか。
騙されていたんだと言われても。
そんなに簡単に割り切れはしない。
単純に割り切るには、あまりに、多くの人が逝ってしまった。
我々は、大切な事を忘れているように思える。
大事な事をやり残している気がする。
語り継いでいかなければならない事を。
だから、語らなければ。
忘れないうちに。
忘れられないうちに。
定年は、サラリーマンにとって敗戦なのだろうか。
定年は、サラリーマンを敗残兵の様にしてしまう。
敗戦の時を、蘇らせる。
定年は、自分のそれまでの人生を封印してしまう。
自分はいつの間にかよそ者になり。
かつての仲間は、仲間でなくなり。離散していく。
思い出を語りたくても、時を分かち合った同志はそこにはいない。
板前、職人、商店主、農民、歌手だって、役者だって、政治家だって、働けるうちは働く。
年相応の仕事ができる。
母親にも、父親にも、定年はない。母親は、死ぬまで母親だし、父親は生涯、父親だ。
なのに、サラリーマンは、定年になると、それまでやってきた事が一日で消え去ってしまう。
サラリーマンにとって、定年は、経済の話でもなく。経営の話でもなく。お金の問題でもなく。
人生の問題なのだ。
いい学校へ行って、いい会社に勤めるのが一番と言われて育ち。
高校は普通科ばかりがもてはやされ、何の目的もなく大学へ行って。
何も考えずに、サラリーマンになる。
だから、世の中から、職人も、板前も、農家も、成り手がいなくなり。
商店街も、農業も、廃れていくしかない。
子供たちに与えられる選択肢はそれしかない。
そして、その結末で待っているのは定年である。
どうやって、子供たちに、未来に希望をもってと言えるの。
俺を見ろと言える。背中を見せられる。
我々は、敗残者なのか。
人生の勝者になる事は許されないのか。望めないのか。
俺達が始めないと。
俺達から始めないと。
それでは、愛社精神にも定年ができてしまう。
愛社心を求めるなら、会社を愛せるようににしようよ。
もっと、社員一人ひとりを愛そうよ。
国だって、同じ。
もっとも、今は、学校で、国なんて愛さなくていいと教育しているけどね。
だから、まず、人生を語ろう。
自分がこれまでどんな思いで、何に夢を持て、何を目的とし。
そして、何に挫折し、悔し涙を流し、何を獲得したか。
人生を語ろう。
会社は、人を宝だというう。
人材を育成しようと言う。
ならば、人の何が宝なのか。
宝、は、その人そのひと、一人ひとりの人生、生きてきた軌跡の中に埋まっているのではないのか。
今ある宝を持ち腐れさせて、人材を育成しようなんて、虚しい。虚しい。
誇りを奪い。誇りを傷つけて。
何が、辛いかって。
自分は、誰からも必要とされていない。
会社からも。
世の中かからも。
国からも。
家族からさえ必要とされていない。
存在価値がないと、思わされた時、底知れない絶望に囚われてしまう。
努力しなければね。
必要とされる人になるために。
でも、、定年の理不尽さ、そんなものではない。
人格に関わらず、定年になると、全てが、抹消されるのだ。痕跡もなく。
まだ、日本人は、敗戦から立ち直っていない気がする。
だから、肝心な事を聞かれると、皆、下を向いて黙ってしまう。
さあ、前を見てさ。誇らしく。
まず自分の人生を語ろうよ。
年をとってもさ。定年後もさ。
自信をもって、堂々と生きていく為に。
未だ、サラリーマンは、人生を語らず。
人生を、自分の人生を語ろうよ。
自分の人生に魂を吹き込むために。
人生を取り戻すために。
誇りを取り戻すために。
人生を有意義にする為に。
自分らしく生きていく為に。