最終的には、誰が鈴をつけに行くかが、問題になるんだよ。
「自分が、鈴をつければいい」というと、自分が、鈴をつけに行くことになると思うと、誰も発言しなくなる。
雉も鳴かずば撃たれまい。
決められない最大の理由は、決めたらやらなければならないからだ。
やると決めたら、やらなければならない。
鈴をつけに行くと決める事と、鈴をつけに行くのとは違う。
運転すると決めるのと、運転するのは違う。
猫に鈴をつけるのはいい事だ。
でも、誰が、どうやって鈴をつけるのかとなると話は別だ。
鼠が猫に鈴をつけに行くというのは命がけのこと。
悪党を捕まえなければならない。
でも誰が、どこで、どうやって捕まえるのか。
試験を受けても合格するとは限らない。
どうせ駄目に決まってる。
勝かどうかわからないのに努力したって意味ない。
勝ってこないよ。
失敗するに違いない。
結果がわからないのにやるだけ損。
くたびれ儲け。
結果もわからないのにやったしょうがない。
どうせ、やったって無駄。
一生懸命やったて、失敗したら立ち直れない。
やれば自分の実力はあからさまになる。
できない事もわかる。嘘はつけない。嘘がつけなくなる。
どっちにしても、なるべくやりたくない。
やりたくない理由はいくらでもある。
面倒だ。苦手だ。やりかたがわからない。
でも決めたらやらなければならない。
逆に、決めなければ、やらなくていい。
だから、決めない。
やるにしても他の人に言われてやることにすれば、自分は悪くない。
最期は、行動力の問題で。
決めたところで、行動できなければ意味がない。
言うは易し、行いは難し。
やると決めたら、やらなければならない。
好きな子ができて、結婚したければ自分で言え。
他の人に頼んで口説いてもらっても、意味ないよ。
好きならば好きと自分で言えなければいつまでたっても結婚は無理よ。
行動あるのみ。心で決めただけでは実現できない。
やるのはいいけれど、上手くいくかどうかわからないから、あまり他の人に知られたくない。
失敗した時、恥ずかしいし。
やるのなら、自分のやりたいようにやりたい。
なぜなら、自分の思い通りの結果が出るとは限らないから。
みんなに隠れて試験を受けて、合格したら、皆に発表する。
失敗したら、黙っている。
でもそれでは、誰も、助けることができない。
やってから決めるのではない。
決めてからやるのではない。
一緒にやる為には自分がやろうとしていることを皆に知らしめておく必要がある。
決めるには勇気と覚悟がいる。
誰かが鈴をつけにいかなければならないのである。
ただ言えるのは、真っ先に指揮官が抜刀して切り込んだら、その時、全ては終わると言うこと。
決断には、勇気と覚悟がいる。
最後は戦わなければならない。
支店長に叱られるのと、お客に叱られるのと、どちらが嫌か。
支店長に叱られたくないと思えば、お客に謝りに行くし、お客に叱られるのが、嫌だと思えば、支店長をあてにする。
だから、部下を叱れない支店長は、部下を育てられない。
子どもを叱れない親はいつまでたっても世間に謝り続ける。
暴れ者に注意をしなければならないとして。
誰が、暴れ者に注意をするのか。
どうやって、どこで、いつ注意するのか。
自分が注意しなければならないとしたら。
注意したくなければ、気がつかなければいいんだ。
見なければいいんだ。
他に気がつく人がいるだろう。
やりたくなければ決めなければいい。
時が経ち皆が忘れるのを待つ。
しかし、それではいつまでも問題は解決しない。
言えば、自分がやらされるのではと思うと誰も発言しなくなる。
いい考えが浮かんでも、下を向いて何も言わない。
提案する者、決める者、やる者は分けて考える。
そうしないと、誰も発言しなくなる。
考える者、決める者、やる者は、別にする。
兼務してはいけないというのではない。
ただ、役割としては別に考える。
頭の良いやつばかり集めても仕事ができるわけではない。
性質が違う。
やる者、即ち、現場は、安全性、確実性を重視するから保守的になる。
考える者は、いつもと同じことをやってても、何も変わらないのが、わかっているから、何も変わらないから、不確実なことに賭ける。
束ねるのがリーダーだから、リーダーは志を問われる。
リーダーは、覚悟と勇気、そして、使命感と責任感が求められる。
考える者と実践者であることが求められるから。
リーダーは、先頭を行く。
時に陣頭に立って指揮をする。
故に、リーダーの処遇、対偶をよくするので、リーダーは基準であり、象徴。
ハッキリ言って、決めなければならない最終局面では、自分が鈴付けに行くんではないかと頭をかすめると、決められなくする圧力が強くなる。
少なくとも、反対すれば、自分が鈴をつけに行かなくて済むだろうと。
要は決めなければいい。
話を逸らしたり、とぼけたり、はぐらかしたり、黙ったり、陰に隠れたり、その場から逃げたり、欠席したり、白紙に戻したり、蒸し返したり。
とにかく、決められなければいい。
勇気も覚悟もないけれど、勇気も覚悟もないとそしられると面子関わる。
なるべくなら、自分でなくて、他の人が原因で、話が流ればいい。
そうなると、誰も決めてになる事を言わなくなる。
そして堂々巡りを始めて時間ばかりかかて。
誰もが、正しいと思い、やらなければならない事はわかっている。それなのに決められない。
でも、いざとやるとなると物怖じする。できればやりたくない。
自分が決定的なこと言いたくない。
それで押し付け合い。
見て見ぬふりをする。
なるべく関わりたくない。
どうでもいい事で反対したり、批判しておいて、自分の逃げ場所を作っておきたい。
「あの時言ったじゃん」と。
だから最後は覚悟と勇気。
それがサムライの美徳。
臆病、卑怯、未練は恥辱。
臆した。卑劣、未練とそしられた。
「やる気あるのか」と。
言っておくけど、大将に、鈴付けにいてくれという、組織は最低だぜ。
自分でやるのも、他人のやらせるのも嫌だ。勇気もないし、覚悟もできない。
そうなると、決められない理由を挙げ始める。
時間がない。
今は、忙しい。他にやることがある。
人がいない。
金が無い。やったことがない。
できない、指示できない。頼めない。
権限がない。自分には決められない。
責任がない。言われたりゃります。
自分には資格がない。
聞いていない。聞こえない。知らない。
話が違う。他にいるでしょ。
いいわけである。
でも、突き詰めると、やりたくない、やる気がない。
判ってるんだよ。
やらねばならない。
正しいと。
ただ自分の口からいえないだけ。
やらないなんて言ってない。反対もしてません。
ただ、やらなければいいと。
でもわかっていない。
やれと指示された事をやらない事は叛逆している。明らかな、抗命だという事だ。
だから、リーダーを仰ぐ。
しかし、覚悟も勇気もできる者がいなければ、決めたところで無駄。
誰も、鈴をつけに行かないから。
やると言ってやらないのが一番たちが悪い。
やらないと言ってやらないほうがずっとまし。
言えるのは、やると決まったら、誰かがやらなければならない。
その時、かって出るくらいの人が出る組織でないと何もできない。
そして、全員が結果責任をとらされるという事だ。
だから、臆病者、卑怯者は嫌われる。
やる者こそ、ヒーローなのだ。英雄。
誰でもできる事をやってもヒーローにはなれない。
挑戦者こそをヒーローとする組織にしか明日はない。
行動あるのみ。