日本人は、忘れている。アメリカも、フランスも、共産主義国も、総て、暴力革命によって建国され、力によって独立が守られたと言う事。
自由も、民主主義も独立も、建国の志士、自分たちの父祖や同胞の血によって贖われた。
だから、アメリカでは、今でも銃を持つことは権利だと主張する。
スイスでは全国民で国を護る。
そういう国の国民が国を蔑ろにしたり、愛国心を否定するなんてありえない。
建国の理念、国家のあり方を教育しようというのは必然的結果なのである。

今の若者は、自分がない。自分が持てない。
だから、自分の意志で何も決められない。
どうしていいか。どうして生きていいかわからないのである。

自分のルーツを否定的に教育していたら、健全な自分は育たない。

戦争に敗けて、日本人は、何を教えるべきかを考える事ができなくなった。
その証拠に自分たちの国のあり方を自信をもって根本から教えてはならないと。

おかしいと思いませんか。日本は個人主義、民主主義、自由主義、共和主義、市民主義の国なんですよ。
その証拠に、日本憲法の理念は、民主主義、自由主の上に成り立っている。
日本で左翼と言えば、共産主義、マルクス主義、無政府主義。右翼と言えば、軍国主義、全体主義、民族主義、君主主義。思想は、これだけですよ。
だから、左翼に反すると、自動的に右翼。軍国主義か、全体主義、民族主義。君主主義に振り分けられる。
肝心の民主主義や自由主義、市民主義はどこにいたんですか。

もともと、日本には、自由とか、身主主義のルーツがないんです。
だから、僕は、自由主義、民主主義、市民運動の旗頭ですね、三色旗を掲げる。

自民党とか言いますがね、どこが自由主義で、民主主義なんですか。
ルーツがないんですよ、看板ばかりで。
どちらかと言えば貴族主義的ですがね。
所詮、権力闘争のための手段、方便にすぎない。
それは野党も同じ。
だから、思想的整合性などあったためしがない。
それこそ、過激な左翼運動家と民族主義者が同じ政党に属したりもする。
ご都合主義の野合に過ぎない。

例え、護憲であろうと、改憲であろうと、論点が、いずれも建国の理念から発してはいない。
ただ、今の憲法を変えるか、否かということにばかり、終始して。
だから、教育も国のあり方から発してはいない。
その為に、我が国の歴史とか、あり方に対する教育は、単なる知識を暗記する事だと思い込まされている。これでは教育の本質が失われ、形骸化してしまう。
我が国の歴史、あり方(憲法)を学ぶのは、この国をより良くする事、発展させる事、国民生活を向上させる事に目的があるので、その根本は、真の愛国心にあるのに、愛国心は悪だと教える。

これは、明らかに思想である。
愛国心を否定するのは、私的思想である。
それは、私を尊び、公を軽んじる思想である。
国家の思想を否定しながら、一個人の教育者の思想を保障するのが、思想信条の自由だと。

親に背き、国の刃を向けることを奨励するような教育が、正しいとは、私は思わない。
戦前の日本の教育の根本は、修身、斎家、治国、平天下にある。
一本、筋が通ている。
唯、その根源に軍国主義や全体主義があった。
根源が、民主主義、自由主義に変われば意味も違ってくる。

最初から最後まで、自分でやり抜くことを覚えないと、人として自立できない。
自分に責任を持てないから、他人に依存せざるを得なくなる。
それが奴隷化の始まり、植民地教育である。
独立国、民主主義国、自由主義国は、自立した個人を前提として成り立つ。
個人に信がおけなければ、民主主義も自由主義も成り立ちはしない。
自分の意志でやり抜く。それが自己実現を導く。
そして、自分の意志が自立を促す。

まず自分で自分の行いに責任が持てるようにする。
そして、結婚して家庭を持ち、経済的に自立できるように、家族を扶養できるようになる。
その上で、より良い国にするよう働き。
国の平和と独立を護る。

国が敗れ、自国の理念を自分たちで語れなくなり。
挙句の果てに、借り物の民主主義を語る。
根本が、建国にはなく。
敗戦にあるから、負け犬根が骨の髄まで沁みとおる。

今の日本では、国家の独立も、民主主義も、自由主義も、まともには教えられない。
民主主義と共和主義の違いも判らない。

誰が、国の独立を訴え、誰が、建国の理念を熱く語る。
それこそが、教育の本源なのだ。

教育が建国の理念に基づいていけない。
愛国心を教えてはならない。
そんな国は、日本以外ない。
あるとしたら、それは植民地だけ。
今の日本は植民地教育だ。
日本人の自由は所詮家畜の自由。
困ったら、誰かが助けてくれる。
その甘えに上に成り立つ言論の自由。

誰も守ろうとしない国は、守り切れない。
自分も、自分の家族も、友も、仲間も、自分の国も、そして世界平和も自分たちで守る。
そう覚悟した時、教育の本質が見えてくる。
教育は学校だけでするのではない。
教育は、自分、家族、地域社会、友や仲間、先輩、後輩、父兄、国、そして世界が一体となってする事。
その時、自分も、家族も、社会も、国家も、世界も、未来が、希望が拓けてくる。

社長が、なぜ、創立の理想を語って悪いのか、なぜ会社の理念に基づいて教育をしてはならないのか。
なぜ、創立記念日を祝ってはならないのか。

ツバメよ。
誕生日おめでとう。