幕末の志士は、善人であり、白虎隊は、悪人なのか。
頼朝は、善であり、義経は、悪なのか。
原爆を落とした者は、善で、国の為に戦ったものは悪なのか。
レーニンが善で、ツアーは悪なのか。
神の名の下ならどんな残酷な所業も善となるのか。異教徒の行為は、すべて悪なのか。
勧善懲悪と言えるのか。
だから、負けられない。
命がけで戦うしかない。
日本人は、ウクライナが善でロシアが悪だと決めつけている。
プーチンは、結果でしか善、悪は証明できないと思っている。
所詮、一般民衆の善悪など蚊帳の外。
さて、日本人の考える勧善懲悪が成り立つであろうか。
プーチンが死んだ後、誰が、プーチンを裁くというのか。
神か。ロシア国民か。歴史なのか。ウクライナなのか。
なぜ決められないのか。
計画を実行しよう、現実にしようとすると、その人の本性が出るから。
どこかの国と同盟を結ばなければならい。
じゃあどの国と、アメリカなのか、中国なのか、ロシアなのか、イギリスなのか、ウクライナなのかs、イスラエルなのか、パレスチナなのか、台湾なのか。
それを、口に出した瞬間その人の思想があからさまになる。
為政者は、それを口に出さなければならない。
自称知識人の多くは、それをあいまいにしたまま、一般論で逃げている。
だから、多くの知識人や、メディアは、具体的な名前を出さないで、みんな仲良くしようよとか、平和が一番みたいな総論で逃げる。
しかし、それでは何も決められない。
なぜなら、現実の施策は、どこの国と手を組むかだからである。
具体的な国名を出した途端、思想があからさまになり、争点が明らかになるからだ。
現実に直面した時、その人の本性が現れる。
男なら、自分の愛する人が暴漢に襲われたら、意識がある限り戦え。
「勝てそうもなかった」とか、「誰も助けてくれなかった」とか、「誰も指示してくれなかった」とかではなく。
自分が守らなければ、自分は人でなしになるからだ。
それが決断。サムライだ。日本男児だ。
精一杯、精一杯、生きてですね。
一生懸命、生きるしかないじゃないですか。
何を善とし、何を悪とするかは、神のみぞ知る。
神は善悪を超越した存在。
人の世の善と悪とは、人の世の問題。
だとしたら、行きつくところは信仰でしかない。
生きるという事ですね。
最近、しみじみ思うのですね。
死は必定だとしたら、何が生きる目標なのかと。
いつか人間は、死ぬ。
それを前提にして医療は成り立っている。
医者は、全力で、患者を生かそうとする。
当然、医者にできる事に限界がある。
死が必定である限り、どんなに、頑張ったところで、医者のできる事には限りがある。
死が定めであるなら、医者は、必ず、人の死に立ち会わされることになる。
死を受け入れない限り、医者は、続けられない。
過酷な仕事だなと痛感させられた。
医者は、最後まで、患者を救おうと懸命になる。
しかし、救えないと悟った時から医療の方向性は変わる。
医者の姿勢も、患者の態度も変わる。
患者は、医者に問う。
「あとどれくらい生きられますか。」
「余命はどれくらいあるのですか」と。
「信仰がなければモラルが守れまい」とアメリカの神父に言われたと。
新渡戸稲造は言われて武士道を書いたそうだが。
なぜ、死後の報いによってモラルが守られるのか。
それは、死んだあとの報いを恐れるからで。
どちらかと言えば、今の日本人は、死んでしまえば総てが御仕舞と、タガが外れつつある。
そうなると死んだ後の報いなど考えないでやりたい放題やった方が得と。
挙句に、「死後の世界なんて非科学的」という者がいるから。
何を恐れているのか。
死後の世界を信じようが、信じまいが。
自分の人生に、どれほどの影響があるのか。
よしんば、人類が滅亡するにしても。
突き詰めれば、自分の生にどれほど影響があるというのか。
それで、自分の生き方が変わるというのか。
どうでもよくて、ただ淡々と生きよう。
何物にもとらわれずに。
生きるという事は、息を吸ってはいて。
草や木だって。
なんか、人間のバカばかしさですね。
神を信じることができないような生き方をしてですね。
今頃、信じる、信じないもないもので。
許してほしいなら、悔い改めろですね。今。
それより、自分は、今、生きていて、生かされていて。
何なんでしょうね。
死は必定だとしたら、何が生きる目標なのかと。
父も母も戦争を生き抜いて。
戦時中は、死は日常的出来事。
人はどこまで残忍になれるのか。
出会い、そして別れ。
生まれた時に、父、母に会い。
そして、愛する人と出会って、子と会う。
友と出会い。
一生をかける仕事に出会い。
師と会い。
よきリーダーに出会い。
仲間と出会う。
思想と出会い。
神と会う。
人の人生は出会いで決まる。
ならば、出会いこそ定めなのかもしれない。
だから、父は、縁を大切にしろ。
良縁を求めろと言い続けた。
中尾彬が死にましたよね。
「もうああいう役者がいなくなったよね」と。
要は生きる事の凄味ですね。
中尾彬には役柄でなく、自身が持つ凄味。
生きるとは息を吸って吐いて。
寝て、醒めて。
中尾彬は、中尾彬という役を演じきったのかもしれませんね。
夢のまた夢。
なぜと問うことなかれ。
今を生きて、明日死のうとも。
信じる事。
何を信じるのかと言えば。
今まで自分が生きてきたこと。
そして、いいも悪いも自分が関わってきた事実。
大切なこと、大切にしてきたこと。
それを信じて。
それこそ、かけがいのない真実ですから。