組織的な仕事はつなぎなんだ。繋つなぎね。
この点を間違っている人がいる。
何か仕事を任せるといきなり、自分の考えを聞いてくれという。
いいよとしか言えないけど、嗚呼、これでこの仕事も終わったなと。
自分の考えと言ってもね。
その大本は、会社の要、トップの考えとか会社の方針に繋がっていないと。
会社の方針があって自分の考えで、中心につながっていないと、その時点で、途切れてしまう。
自分お考えと言って、市議とが出来た人に出会った事がない。
当然だよね。最初から接点がないんだから。
挙句に完成度の高い計画書出された、とりつく島がなくなる。
だから、正直困ったなと。
共同で仕事をすると言う意味が分かっていない。
会社の方針や考えを理解しないで、自分の考えで、仕事を始めたら、最初から失敗する。
仕事の始点、原点は、会社の方針なのである。
つまり、繋がりがなくなる。
それに、頑なになり人の意見を受け付けなくなる。
こういう人は、何度言っても自説に固執してしまって。
任せてくれたんじゃないですか。
話を着てくださいと平行線なるのがおち。
基本的に話を繋ぐと言うのが原則で、任せたと言っても、勝手にやっていいと言っているわけではなく。
任せられた、任された分、却って、緊密に連絡する必要がある。
なぜなら、任せたと言っても責任がない訳ではないから。
最初に話を繋げておかないと、話がつながらなくなる。
結局、後が続かなくなり。
何をやっているのかもわからくなり、報告もできなくなる。
しかも、わかっていますと言われた、手も足も出ない。
干渉しないでください。
信用しないんですかと、こうなると、お終いだ。
一言一句、変更が出来なくなり。
注意するでもしようものなら、自分の全人格まで否定されたと言い出しかねない。
任せると言う事の意味が最初から分かっていない。
任せると言うには、勝手に自分の考えでやっていいと言うのと意味が番う。
一件一葉も、伝票の原則ね。一件一葉主義というのがあるくらい。
ノートのつけると、確認が難しい。
一件一葉にしておくと、処理がわかりやすくなる。
その典型が経理の伝票だけど、伝票制度は日本人が勘案した事というのはあまり知られていない。
海外では、今でも、帳簿だと聞く。
一件一葉の典型は連絡メモ。
連絡用メモは、一枚一件書くようにする。
そうすると伝票になる。
伝票というのは何か。
要は、書いたものを譲渡できる。
手渡したり、人に見てもらったり確認したり、共同で検討できるようになる。
それで伝票という。
台帳につけとけば、後は伝票の流れを追えば進捗が確認できる。
これがシステムの原型。
だかr、開発経験者は、伝票設計に心血を注いだ。
視覚性と操作性両方を兼ね備えている。
会計でいうノートは帳簿でこれはこれで意味を持つが操作性が悪い。
これも基本。
会計伝票の形、構造は、貨車の基本的構造を端的に洗え足ている。
つまり、伝票の数は、基数。
現金の流れに元図く。
つまり、入金伝票と出金伝票という、現金出納をベースにし、それ以外の取引は、仕訳伝票で処理する。
これが三伝票制。
これに、経営の基盤となる、売上伝票と仕入れ伝票を加えたのが、五伝票制。
三つ、ないし、五つの書類で、会社の経営を総て記録できる。
これが簿記の本質。
要するに、現金の出納と仕入れと売り上げ。
これが、経営の根幹。
仕事の基本は、オーダーをとる事から始まる。
注文票も一件一様。
ノートにはつけない。
注文票も伝票だから。
伝票だから、システム化できる。
この様な仕事の流れをアルゴリズムという。
つまり、仕事は、きわめて論理的。
これが組み立てられない人間はシステムが組めない。
オーダーをとる、受ける。
それは、レストランで、注文を受けるのと、基本動作は同じ。
だから、要件定義というのは、レストランの注文票を設計するのによく似ている。
この辺は、システム屋が苦労した。
だから、やたらとTODO票に凝る。
わからんでもないけど、結局行きついたのはシンプル。
でも、一つひとつ細分化しパーツ化する事から、システム開発は始まる。
難しく考えない。シンプルにする。