組織的に仕事をする為には、すべての人に作業を割り振る必要があるので。
その為に、作業を洗い出す
何も作業をしていない人間を作るなど。
会社を辞めさせたかったら、何も仕事を与えずに、ほっとけば、三日もしないうちにやめたくなるよ。
それが、干すという事さ。

役割分担というのは、実際に、何をやるかがわからないと、最終的には決まらない。
ただ、頭の中で抽象的に考えても仕事には落とせない。
なぜなら仕事は現実だから。

何が、どれくらいできるかは、やらせてみないとわからない。
ボールを投げさせてみないとわからないというのと同じ。
取り合えず、ボールを投げさせてみる。
それが、現場監督の心得さ。
だから、軽く仕事をしてみる。
軽い仕事なら、作業を洗い出すのはさほど難しくない。
自分も修行のつもりでやる。

手始めに、最初に、何をやるかで決まる。
つまり、何から着手するか。それを誰と相談するか

こういう時に真っ先に浮かぶ人間が、自分が自然に頼りにしている人間
だから、一度、直感的に挙げてみる。それを梃にして、構想を練る。

人も作業も、思いつくままに挙げてみる。
この時は質より量。
(これを集団でやるのがブレーン・ストーミング)。
それを整理する過程で構想を練る。
発散と収束を繰り返す。

顔合わせとか、趣旨説明など、当時の軽い仕事で分担をして、体制を仮決めして、試行してみる。
仕事は、実際にやる事実際の顔ぶれを思い浮かべてやる。
実際にやる事実際の人を結びつける事で仕事の段取りと役割分担をする。

誰と相談し、誰に段取りをさせ、誰に資料を作らせるか。
相談をする相手が、大体補佐か、副、参謀的な役割を担い。
段取りをする人間が事務方。
資料を作る人が、担当。
さらに、準備段階になると、担当が枝分かれしていく。

準備や前処理によって組織の枠組みを作っていく。

組織では、打ち出しが重要で。
打ち出しというのは、どうやって、自分の考え主張を表に打ち出すか。
だから、最初が肝心。
打ち出し方が弱いと。後が続かなくなる。
問題は、打ち出し方だけど。打ち出しから、組織的にやらなければならない。
相手に、出だしから伝わらない。

だいたい、やる事が決まったら、「さあどうしよう」と、メンバーの顔を見ながら段取りをした。
「顔をも見ないで、仕事の段取りも、差配もできるか。
仕事の割り振りも、分担もできるか」と叱られた。
それが棟梁、親方の仕事。

選手の顔も見ずに守備位置や打順を監督は決められない
現実の野球は、テレビゲームとは違う。
生身の人間がプレーするのである。

仕事がなければ掃除でも、準備の手伝いでもさせろ。
遊ばせるな、遊ばせるとチームワークを覚えないぞと。
遊ばせると遊んでる人間はチームを乱す。

自分の事は、客観的に見れないが他の人の事は客観的に見れるから。
他の人間にやらせれば、自分のやる時と違って客観的に見れる。
リーダーは、自分の主観だけに囚われていては、冷静な判断が下せない。
客観的に準備させ、主観的に判断する。

マネージャー、リーダーは調整役でもあるし、時のは調整役に徹しなければならない時もある。
自分ができない事を他の人にやらせなければならない。
自分だけがわかっていてもしようがないし。
力の差もある。できる人間、物分かりがいい人間ばかりではない。
むしろ出来の悪い物分かりの悪い人間と手を組まなければならない場合が多いものである。
聞いているうちにだんだん腹が立ってくるものである

だから、直線的につなぐと話が見えなくなる。
途中に、勝手な行動や、つなぎができない人間、間の悪い人が一人でも入ると、一本線や、直列的だと仕事も情報も断絶する。
一本道、一本筋だと、道に障害が発生しただけで半身不随、機能しなくなる。
担当を決めて、立ち位置を変えて見させることが必要になるし、必要によってはバイパスを通す必要が出てくる。

他人の事は、よく見える。
自分は、見えない。
自分が担当、特に、使いっ走りにの仕事をしてしまうと、客観的にも、全体もとらえられなくなる。
リーダーは、一定の距離をもって全体が見えるところの立つ。それが参謀と指揮官長になる。

陰口をきくな。
逆ねじをするな。
意見があるなら、正々堂々と面と向かって言え。

特にこの辺はよく見ておく。
異分子が入ると組織の方向性が乱れる。
確たる方向が決まっているときは、簡単には崩れないが、離陸段階でやられると失速することがある。
ただ、あんまり神経質にもならない。
組織の勢いに任せるしかない。
ただ、中心となるメンバーは特に注意する。

担当の使い道はたくさんある。
逆に担当を決めないと手のうちようがなくなる。
自分の事より、他人のことのほうがよく見えるし、冷静に判断できる。

目は、なぜ、二つあるのか、それは、単眼では、距離が測れないからである。
単眼ではなく二眼レフになれと。
つまり距離感が重要なので、単眼で見ていると、事態を平面でしか見れなくなる。

複数の視点から見ないと、距離は測れない。
だから、自分以外に担当を置く。

組織の視点には、鳥の目、虫の目、魚の目があるとされる。
中でも、組織のリーダーは、鳥の目を持てと言われた。

一人だと広角度な視点に立てない。
立体的な視点に立てない。
内側に入ると前方しか見えなくなり、後方が死角となる。
外に立つと中から制御ができなくなる。

木を見て、森を見ずにならない。

原則、監督は、試合の外に立つ

監督が自分でプレーすると周囲や全体が見えなくなり、死角が増える。
監督の基本的役割は、人員の配置と采配だから、自分が塁に出たら、監督として何も考えられなくなら。

いきなり、責任者同士、トップ同士が交渉して決裂したら、後がなくなり、手詰まりになる。打つ手がなくなる。
先に、担当者間で打ち合わせさせ。ある程度話が煮詰まったところで、責任者が結論をだす。
それが、根回しであり、お膳立てである。
価格交渉だって、いきなり支店長がするのではなく、担当者に打診させ、相手の出方を見た上で、支店長が出ていく。
それでないと支店長は自分の身を守れない。
担当と、支店長では守備範囲が違うのである。

トップ同士が直に交渉したら、逃げ場がなくなる。
下打ち合わせ、下交渉をしある程度、話を煮詰めてから、最終的詰めを権限を持つ者が行う

手順とは、作業の順序で、手順に決めるというというのは、作業の順序に沿って決めていく。
見えるということ、仕事の場面が手順に見えてきたということ。

見えるということ、見えてきたということ。
場面が見えてくる何をどのように決めたらいいかも見えてくる。
見えてくるというのはそういう事を云うので、例えば、ダブルプレーなんていくら言葉で説明されても理解できないけれど
一度、ダブルプレーの場面に遭遇すれば、何がダブルプレーか一目瞭然にわかる。

決める日を決めておく(設定する)から、決められる
例えば、場所は決められないかもしれないが、場所を決める日は、決められる。
そば、場所を決める日が決まれば、場所を決めるために必要な作業の段取りをつける事が可能となる。
試合の日が決まっているから、守備を決められるので、それまで、ああだ、こうだ、迷っていても決めるべき時に決めないと試合は成立しない。
決断とは、決めて断じることを意味する。

その時に決められることを考え、決められる事を決める

できない事、決められない事いくら上げてもいつまでもできない。
そんな事は言い訳に過ぎない。

先ずできる事を考えできる事から着手する。
その時点で決められることから、決めていく。
三か月先でなければ決められない事は三か月先に決めればいい。
それより、今、何ができて、何をやらなければならないのか
三か月先の試合の先発は誰にするかを今決める必要があるか。
それより、明日の練習をどうするかを決める事の方が今は大事。

その時、決められることを決める。
できる事から始める。
その時、決められない事は決めない。その場で、できない事はやらない。

二日か、三日前にやってきて、要はギリギリに来て、「明後日、会議、お願いします」といい、注文が付けられた時、わかりました、後で調べておきますというのは、まず間違いなくやらない。
自分たちは、こんな仕事をしたら、無礼だと言って次から外されたが、今は仕事のできるものがいないから、やむなく了承するけど、仕事で言えば、その時点で破綻している。
そういう人間に限って、上手くいかない責任を相手の性にする。
それは、決めるべき時に決めるべきことを決めないで、どさくさに紛れて決めようとするから、やっつけ仕事になるので。
三か月間に決めた事でも、二日前に着手すれば、三か月時間があっても、正味使えるのは二日しかない。
三か月かかる仕事を二日に圧縮すれば、当たり前に時間が足りなくなる。
まだ時間があると言ってぐずぐずしているうちに時間が無くなり。
その責任を上司の性にしているだけである。

段取りは事務方が詰める

事務であるかないかをどこで分かつのか。
それは、文書、記録のあるなしである。
だから、書くことが重要で、近代組織(官僚制度等)は、文書、記録によって成り立っている。
例えば、「お金」の入出金、やり取りだけでは会計事務は成り立たない。そこに、帳票、伝票があるから、単純な現金のやり取りも、会計事務となる。
人事も、営業、購買、在庫も、意思決定も文書がある事で事務となる。事務は管理である。
だから、文書記録を嫌がっていたらビジネスマンにはなれない。

危機的状況に陥ったら、全員がそれぞれ、自分の判断で行動しなければならない。
しかも、全体の動きと連携する事が求められる。

危険を察知した時。
俺は関係ないと考えるものがいると全員が危険な状態に陥る。

そういう人間は、見ても見てない事にしてしまう。
組織の目にも、耳にも、鼻にも、舌にもならない。
見ても、見ない事にされたら、見てない事より始末が悪い。

自分達の身や家族、会社、仲間、国に危険が迫っている時、危ないと感じた時、どのような行動を取るべきか、その心構えはできているのか。
会社が危機的な状況、それでなくとも、会社がどのような状況に置かれているのかを考えているか。
危機に陥った時、見てみないふりをするのか、俺には関係ないと無視するのか。
大体、日頃から、周囲の環境の変化に敏感でいるか。

自分達の身や家族、会社、仲間、国に危険が迫っている時、危ないと感じた時、どのような行動を取るべきか、その心構えはできているのか。
会社が危機的な状況、それでなくとも、会社がどのような状況に置かれているのかを考えているか。
危機に陥った時、見てみないふりをするのか、俺には関係ないと無視するのか。自分だけ逃げ出すのか。
大体、日頃から、周囲の環境の変化に敏感でいるか。

同じ船に乗り合わせて、操船している仲間と同じ。
船が沈めば、運命を伴にすることになる。

私は、生きる目的とは事を成す事だと思う。
事を成す為には、何が必要かと聞かれたら、惚れる事だと答える。
惚れる対象は三つある。一つは仕事、一つは人(指導者)もう一つは、異性。
異性に惚れても事は成せない。
だとすれば、仕事に惚れるか、人に惚れるか。
それしかない。