小手先のことばかりやっていては仕事は、覚えられないよ。
根本的な考え方にもメスを入れないとね。
三無世代は、根本的な事に、触れさせてもらえなかったり、タブー視させられてきた。
彼等は、根本的な事、構想とか、目的みたいなことに触れさせてもらえず。
自分の意見を言おうとした、どやされる。
だから、主旨だの目的に触れることは許されないと思い込む。
だからそれがトラウマのようになり。
主旨や目的に、触れることさえ恐れるようになった。
結果、何も考えられない。わからない。
それでは、仕事の全過程の手順、段取り手筈を覚えられない。
特に、構想や目的がなければ、頭のない仕事になってしまう。
仕事も組織も頭(かしら)が不在のである。
船頭がいない。
船頭のいない船みたいなもの。(怖い)
いなければ、自分が頭になるしかない。
頭は、要。
頭がないというのは、要がないのも同じ。
始めたら、始めた傍から、仕事も、組織も、ばらばらに解体、分裂していく。
仕事だって、組織だって、リーダーの考えに基づかなければ、
考えなしに思いつきに基づいていたら、考えなしの組織、仕事になる。
例えば、イベントやキャンペーン、料金表などを見なおす際、
なぜという事を抜きにして、出し物とか商品企画を考えても意味がない。
そんなことをしていると根本的なことを忘れて、出し物や数字に囚われてしまい。
出し物が目的になったり、ユーザー会が旅行会みたいのことに変質してしまう。
本質的なことが失われ、形骸化しているのに、無自覚に継続し、変更することも、やめることもできない状態に陥ている場合がよく見受けられる。
それが、社員旅行みたいな事なら、まだしも、商品企画、料金政策、考課制度、人事制度など経営の根幹にかかわる箇所にまで及ぶと、いわゆる死に至る病巣になってしまう。
イベントや政策、制度の根源には必ず、経営思想や戦略、経営方針が隠されている。
それが頭(あたま、かしら)」。
それを明らかにしないと、変更や廃止したとき、どのような不都合が、どこに現れるかわからない。
だから、是非、善悪としてではなく、実務上の要請からいきさつを明らかにする必要がある。
ただ、その際、気を付けなければならないのは、明らかに不正だとか、不法、犯罪でない限り、善悪を持ち込まない事である。
基本的に考え方の違いであり、その違いを、どう、とらえ、以後、どうしたらいいのかに頭を切り替えるかである。
ただ、根本思想から、自分の考えに改めない限り、自分達で主体的に取り組むことはできない。
まず、事実を正しく理解し、事実に基づいってどうすべきかを考える事である。
いきなり答えを出す前に、何をすべきかを明らかにすることである。
答えを探す前にやることを考える。
その場で答えられない時は、即答せずに、どうするかを考える。
例えば、確認するとか。
憶測、推測に基づいて返答しない。嘘になる危険性が高い。
手元に資料、記録がない場合は確認してから応える。
やってないことはやってない。
わからないことはわからない。
確実な事、事実に基づいて決断しなければならないから。
間違った情報からは正しい判断は下せない。
目的を明らかにして、文書にして提出しなさいと指示された時。
多くの人は、自分一人で考えて、答えを出すものと決めつけているように見える。
しかし、目的の性格から自分以外の人の意見を聞いて決める方が妥当だと考える。
問題は、誰の意見をどのように聞くかだ。
そこが打ち合わせの肝となる。外(例えば、ユーザー)の人から聞いたほうがいいのか、内(メンバーやスタッフ、上司等)の人に聞いたほうがいいのか。
どんな項目を選択するかの基準は、帳票の使用目的、用途に基づくから、必然的に目的を明らかにする必要が生じる。
いきなり、目的とは何ぞやとやったら、途端に、何をすべきか、やる事、作業が見えなくなる。
その前にどうすると考えよう。
求められているのは決断であって、答えではない。
自分一人でやろうとしたら、自分一人でできる事しか、思い浮かばない。
組織は、自分一人では、何もできない、仕組なのである。
自分一人では、何もできないのに、一人でやることしか思い浮かばなかったら人を差配することはできない。マネージメントはできない。
根本的な事を考えていく上で何が知りたいのか、何を学びたいのかを、先に考える。
急がば回れである。
リーダーは、常に、人の事を優先的に考えるようにする。
指示、指令が出たら、誰に何をやらせるかを考える。
例えば、度胸がよくて決断力はあるが、複雑な事を考えるのが苦手な○○、物事を体系的に組み立てたり大局的に、とらえるのは得意だけど、事務的な事が苦手△△、細々とした事務的な仕事を処理するのは得意だが、物事を体系的に組み立てたりするのができない××。
彼らをどのように、組織化するか、どう配置するか、役割を決めて、誰に何をさせるかを決める。
それが、組織を仕切るものが最初に考える事。
必ずしも、度胸があって決断力がある人間をヘッドにすればいいというわけではない。
状況と前提、与えられた仕事の内容、などを見極めて役割と人を結びつけていく。
ただ、最初に人を配置することを考え、何も担当していない人間を作らない。
いずれにしてもいきなり結果は出ない。
与えられた課題に対してどのような道筋で結論に至るか。
その道筋を明らかにするのがリーダーの役割。
仕事は、作業の塊。
仕事を組織的に行うためには、作業を管理して制御する必要がある。
作業には、流れがある。
作業には、順序がある。
作業には、人のやる作業と物や動物がやる作業がある。
作業を組織的に、行うためには、人のやる作業を抽出する必要がある。
なぜなら組織は、人の塊だから。
その上で、人と作業を結びつけていく。
仕事の流れを順におって見える様にしないと、仕事を管理、制御する事はできない。
仕事の流れは、情報の流れを作る。
仕事の流れは、「お金」の流れを生む。
仕事の流れは、人の配置と動きを作る。
仕事の流れは、作業の流れを作る。
まず、これらの流れを手順に整理して並べ、結びつけていく。
その時、媒体となるのが、伝票、文書、帳票である。
伝票、帳票、文書によって実体化する。
ただし、多くの部分がシステムに置き換わり、ブラックボックス化している。
この点を留意する。
仕事には目的があり。作業にも目的がある。
本来、それに沿って、伝票や帳票の流れは形成される。
最初は、必要にかられて自然発生した事でも。
基本的に、仕事を制御、管理するのが目的の筈。
それが、定着し、固定化すると手続きになる。
ところが、長い年月が経つうちに、本来の目的が失われ、伝票や帳票の流れだけが残される場合がある。
手続きが本来の目的を失って形骸化するのである。
「お金」の流れは、「お金」という実体があるから、さすがに無意味になることはない。
しかし、物や「お金」、人を伴わない作業の流れ、営業や人事の流れの中には形骸化してしまうものが時折現れる。
例えば、稟議制度、報告制度、営業報告書、業務基準書、就業規則、日報、月報、予算書等。
それらを、見直し、立て直すためには、本来の意図、目的を明らかにしなければならない。
基本は、誰がどのような情報を必要とし、どのような意図、目的で報告させようとしたのか。
基本的に、伝票、帳票は、必要とする人がいて、その人が何らかの意図、目的があって作られるから。
その伝票、帳票の仕様、目的は、必要とした人によって作られているからである。
よくあるのは、過去必要とした人の目的や意図と無関係に、後任の人が、そのまま使っているうちに、形骸化しているケースである。原点となった人の意図が消えるからである。
こういう伝票、帳票は、誰に聞いても、どのような目的で、何を必要として作られたのかが、判然としなくなっている事が多い。
厄介なのは、中途半端に、伝票、帳票が生きてる場合、その伝票、帳票が作られた時点のロジックも生きているという事で。
要は亡霊に操られている状態なのである。
過去の人が作った伝票、帳票の流れが生きている限り、作った人の考えに踊らされることになる。
重要なのは、現行の、伝票、帳票の流れを使うにしても、その根底にあるロジックを理解しておくことである。さもないと使いこなせなくなる。システムや手続きに踊らされる。
伝票や帳票の流れは現場の仕事に密着し、制御しいるから、実務は、伝票、帳票の仕組みに従う。
いくら、集中処理と指示しても、伝票の仕組みが分散処理だったら現場は分散処理に従う。
そこが怖いところ。
実際に変えたければ、形から変えろが鉄則。
システムの怖さは、システムのロジックに知らず知らずに会社が憑りつかれてしまう事がある。
システムは、思考力を奪う事もある。
また、どんなに嫌って辞めた会社でも、上司でも、そこで刷り込まれた行動パータンにいつまでも支配され続けるという事で、一種の呪縛のようなもの。
実際に、やることを並べてみて、
それに、実際の人を名前を挙げって割り振ってみて。
それでできるかどうか考えてみろ。
ただ、年功序列で割り振っても。
学校の成績で割り振っても。
ただ経験豊富で、年上だからと、四番を打たせる。
それを考えなしというのだ。
子供の頃、大人たちによく𠮟られたのは、頭は、帽子の台ではない。
考えろ。
考える事を覚えろ、考えがなければ、馬鹿になるぞと。