仕事にせよ、組織にせよ、打ち合わせにせよ、会議にせよ、まず、頭を作る事から始める。
何故、頭の部分から作るのか、それは、仕事も、打ち合わせも、会議も、チームワークだからであり。
一つの事に集中させる必要があるからで。
野球をするのなら参加者全員が野球をやる。
それも、野球の練習なのか、試合なのか、今後の予定を説明する為なのかを全員が理解していなければ、成り立たなくなるから。
今日、何をするか、目的もわからないで参加したのかと叱られた。
打ち合わせに、その日の打ち合わせの目的を理解していない人が一人でも混ざると、打ち合わせができなくなる。
野球をやるつもりで集ったのにサッカーをやる準備をしてきたものが混ざるようなもの。
何をやるのかを洗い出す目的で打ち合わせしようとしたとき。やるのかやらないのかを打ち合わせに来たと錯覚している人がいたら、打ち合わせそのものができなくなる。
場所を決める目的の打ち合わせに、メンバーを決めるための打ち合わせだと誤解している人がいたら、話にならない。
いつ、どのタイミングで何を打ち合わせるかに重要な意味がある。
まず、頭となる部分を作る。
なぜ頭になる部分を作るのか。
共同作業だから。
集中させる。
決まったらやることに集中させる。
意見を聞く時は、意見を出すこと、聞くことに集中させる。
だから、目的を明確にする。
また、頭は原点だという事。何かあった時に帰るところ。
問題が生じた時、追跡するためには原点を明確にしておく必要がある。
そして要。
頭で統一をとらないと、一貫して統制がとれなくなる。
つまり、最初から、最後まで、バラバラだという事。
また、基準になる。計画や結果を測る尺度基準は頭で決める。
契約、約束だという事。目的や目標は、やり始めてからでは決められない。
スポーツのルールは、試合の前に決めておく。
賭博のレートは結果が出てから決める事は許されない。
試合が終わってから守備位置を決めるのではない。
守備位置は、試合が始まる前に決める。
計画は、実施した後経っても意味がない。
何をするか、ゴールはどこかは、はじめてから決める事はできない。
何をもって成功とするか、それが目的。
着手する前に決める。結果が出たら、目的と参照して評価する。
それが頭。
会議、打ち合わせをする際、冒頭で、頭となる部分の説明から入る。
まず、事務方が、出欠をとった上、打ち合わせの責任者を確認する。
その上で、今日の予定を説明し、注意事項を伝える。
次に、目的を明らかにする。
今日は、どういう目的、例えば、方針を決める為に集まってもらったのか。
それとも意見を聞く為に集まってもらったのか、作業を洗い出し役割分担を決めるため集まったのかを打ち合わせ、会議の責任者が説明する。
昔は、打ち合わせや目的から組み立てるのが常識だったが、回を重ね、時間がたつにつれ、打ちあわせの意義や目的が失われ、打ち合わせや目的の意義を教えられる人がいなくなる。
打合せや、目的の意義や重要性を理解している人がいなくなる。
打合せの目的や意義が形骸化する。
そうすると、打合せや目的なんてどうでもいいという意識が芽生える。
そうすると打合せや目的を省くようになる。
そうすると仕事が破綻するが、最初から、打ち合わせの意義や目的を理解していないから、原因がつかめない。
注意をしてもまた、面倒くさいわけのわからないことを言い出したくらいにしか捉えない。
場所を決める目的の打ち合わせに、メンバーを決めるための打ち合わせだと誤解している人がいたら、話にならない。
次いつ打ち合わせるか、そこで、何をするかなんて、その場で決められる。
難しい事ではない。
だから、その意味が解らないで、やらないと深刻な事態を招く。
総ての作業が止まってしまう。あるいは着手されずに放置される。
しかも、その原因を誰もわからない。
そして、打ち合わせなんて、目的なんてどうでもいいと思い込んでいる。
そうすると、いつまで、経っても、組織も動かないし、仕事も始まらない。
打ち合わせや会議の段取り、目的の重要性は、仕事の基本中の基本でできれば社会に出る前に身につける。
そうすれば、常識、当たり前な事になるが、年をとっても身につけていないと大変な事になる。
要するに、試合が始まってから、最低限ルールや基本動作を学ばなければならない事になり。
監督、コーチ、審判になってから、ルールを覚えなければならない様な事だから。
馬鹿にしていると、馬鹿にされるようになる。
何のための打ち合わせか。
打ち合わせごとに、目的を明確にする。
顔合わせなのか。
予定を説明し、調節するための打ち合わせなのか。
進捗状況を確認っし、調節するための打ち合わせなのか、
相談連絡のための打ち合わせなのか。
役割分担を決める為の打ち合わせなのか。
要望、希望を聞くための打ち合わせなのか。
会議を準備するための下打ち合わせなのか。
意見交換のための打ち合わせなのか。
場所を決める為の打ち合わせなのか。
方針を決める為のうち合わせなのか。
状況報告のための打ち合わせなのか。
問題解決のための打ち合わせなのか。
反省の為の打ち合わせなのか。
販売店旅行にしても。
旅行会の進捗状況を確認し、結果を、支店長に伝えるのが目的なのか。
旅行会社と打ち合わせのための事前打ち合わせなのか。
旅行会社との打ち合わせの結果を報告し、その後の処理を打ち合わせるのか。
旅行を実施するかどうかを決める事が目的なのか。
旅行を実施するかどうか意見を聞くのが目的なのか。
決める事が目的なら、決められるように準備する。
指示することが目的なら、指示できるように準備する。
検討するなら検討できるように。
問題点を明らかにするのなら、問題点がわかる様に準備する。
作業を洗い出したり、アイディアを抽出したいなら、洗い出せるようにする。
販売店総会の冒頭の段取りに深い意味がある。
決断とは、一つのことを選んで、他のことを切り捨てること。
決めて、未練を、迷いを断ち切る事を言う。
それが決断である。だから、はっきりさせる。
なぜ、一つにしなければならないのか。
全体が一つだからである。一つにしなければならないからである。
だから、リーダーも一人。
リーダーを一人選ばなければならないのも、全体を一つにまとめる為。
リーダーが二人になれば、全体も分裂する。
統一性が保てなくなる。
法も規則も一つでなければならない。
法も規則も一つの整合性の取れた体系でなければならない。
法も一つの全体を持つ。
組織は、一つの全体を持つ。
これが、原則。
故に、全体を一つにすること必要かある。
お客様が何を求めているか、ないがしろにした瞬間、仕事は終わってしまう。
事業は、共鳴共感、共有から始まる。
先ず、ユーザーやトップの考え、方針をチームで分析することから着手する。
なぜなら、オーダー、注文は、ユーザー、トップから発するから、つまり、原点は、ユーザー、トップにあるからである。
出だし、どこから着手するかは、ユーザーの考えや、方針に基づく。
この点を勘違いしてはならない。任せられたからと勝手にやっていいわけではない。
販売店会ならば、会長、及び、理事店の考えや意見をよく聞いて。
七十周年なら、社長の考えや方針をチームで分析する。
錨を下ろす。杭を打つ。
ユーザーやトップの真意はどこにあるのか。
何が言いたいのか。
今までとは違うのか。
今まで通りなのか。
今までのやり方を基礎として新しいやり方をするのか。
それも、全体に対する考え方なのか。
内容に対する考え方なのか。
全体の構成は今までのやり方を踏襲するが、内容は一変するとか。
そのへんを聞き取りながら。
場所に対する考え方に結び付けていく。
招待客に対する基準、方針なのかを読み解いていく。
たとえば、全体の企画は、今までと違うものにするが、場所だけは、今まで通りにするとか。
予算は同じで、後は、今までの考えにとらえられないでするとか。
なぜ、自分たちが選ばれたのか。
これは、真意を理解するうえで重大な手掛かりになる事がある。
決める為に、何を、どうするかか問題なのだ。
例えば、場所を決めるために、どういうプロセスで、何をやるのか。
皆の意見を聞いて、ある程度、方針を定め、方針に沿って三カ所に絞り、その中からトップが決める。
予め、自分が行きたいところを挙げてから、皆の意見を聞いて決める。
予め、目安をつけて、調べておいて、予算で決める。
どういう手順で決める。
どこから手を付ける。
たとえば、最初に、ある程度、方針を決めてか。
過去の事例を調べて。
皆の要望を聞いて。
一定の指針を決めて、カタログを取り寄せ。
テレビで見たら気になるところがあったから。
テーマを決めて等々。