私は、仕事は、頭から、順に説明できるようにしろ。
そして、部下に無駄働きをさせるな。
部下の、やった仕事に責任を持つ。頭が肝心だ。
だから、物事や組織の原点を頭という。
我々の世代は、この頭を潰した。
頭になる部分を独占したら、人は、主人の決定に依存しなければならなくなるから。
それが、植民地教育、奴隷教育である。
頭にあたる部分に触れると恫喝し、恐怖心を植え込む。
そうすると、人は、無力化し、主人の言いなりになる。
いわゆる、ロボトミィー化、ゾンビ化である。
命じれば、無感情に、人殺しだってできるようになる。
魂を抜く教育であり、洗脳である。
どの教育にも、洗脳の要素が、幾分ある事は頭に入れておく必要がある。
頭を潰す教育を施すと頭になる部分を生理的に受け付けなくなる。
要するに、人殺す理由などどうでもいいのである。
殺せと命じられたから殺す。
そうなると、殺す理由を説明される事を忌避するようになる。
大学に行く理由なんてどうでもいいのである。
親がいけと言うから行く。
先生がいけと言うから、取り敢えず、試験を受ける。
周りがいくから、どうでもいいから行くのである。
そこで思考が停止する。
無力化、無気力化する。
なぜ、大学に行くのかは、入学した後で考える。
順序が逆である。
でも、当人は、気が付いいていない。
入学したら、燃え尽きる。
無気力になる。
何のための勉強。
それが洗脳である。
洗脳された事に気がつかない。頭が欠けているので。
一度、行動規範を刷り込まれと、その行動規範に反する事、生理的に受けつけなくなる。
例えば、頭を潰されると、主旨、目的なんて言うと、ムズムズしだす。
イライラして、居ても立ってもいられなくなる。
感情が爆発し。逃げ出したくなる。眠くなる。
そして、導入部分を受け付けなくなる。
いつまでたっても始められない。
例えば、剣道で言う作法なんて無意味に思えるようになる。
いきなり試合をしようとする。
礼儀なんて、ただの形式でしょ。
どうでもいいじゃない。
コイントスで決めるか、サイコロを振るかなんて、その事自体に意味がない。
始まりの形である。
なぜ、選手は九人なのかと議論を始めたら、試合は始まらない。
導入部分の働きを理解しない者は、そこで議論を始める。
確かにどうでもいい事でやってみて不都合なところが生じたら、定められた手続きに従って変えればいい。
コイントスがいいか、サイコロがいいかは本質的な問題ではない。
ただ、どちらかに決めないと、試合は始まらないのである。
仕事は、先決めであり。後決めではない。
男が決断しなければ、子はできない。
決断しなければ、責任ができない。
ただ、よくにみをゆだねただけになる。
自分としての意志がない。
間にも難しい事ではない。
たわいない事。
たわいない事だから、面倒なのである。
やればすぐに覚えられるの。
覚えれば、何でもない事を、生理的に受けつかないように刷り込まれている。
麻薬中毒のようなもので厄介なのである。
東大に入学した後に、自分は、クイズ王になるために東大を受けたのだと気がついたと言う東大生がいる。
こうなると、東大という大学の真価がわからなくなる。
学問を志すから大学に行くので、志は、結果ではない。動機である。
学問の意義など最初から持ちようがない。
要は、頭がないのである。
頭と尻尾のない仕事はするな。
作業は、ウィンナのようなもので、両端を閉めないと。中身は詰まらない。
頭から説明しなければ、わからないだろ。
仕事には、順があって順を追てやらないと、ゴールには到達できない。
わからなくなったら、道に迷ったら、頭に戻れ。
仕事の前後を間違うと転倒するぞ。
順番を確認してから作業に着手しろ。
全体像を確認しながら、前後左右を組み立てる。
それが、会議の下準備。
下打ち合わせもしないで会議はするな。
仕事は、順番に、手順に沿ってやる。
指示の上書きはするな。
指示の上書きをすると仕事の脈略、整合性が失われるから。
一番、怖いのは、それまでの仕事を無駄にする。
担当した物の仕事が無駄になる。
それが怖いので。
無意識に、仕事の流れを無視して上書きをしてしまう事がある。
こうなると始末が悪い。
だから、頭なのである。
頭でしっかり確認をし、仕事を繋いでいくのである。
仕事は、大項目、中項目、詳細と作業リストに基づいて整理し。
議題は、大項目で、全体の流れを見る。
中項目で作業を区分し、詳細で作業の進捗を読む。
無論、状況に応じて作業の深度を深めるのは自由。
前回の結論が作業の始点で、今回の結論が作業の終点。次回までにやってくる事が、目標。
必ず経過報告を聞き、次回までの仕事に繋いでいく。
前後左右だけだと繋ぎつなぎの仕事になるから。
常に全体像を確認する。
昔は、頭となる人物がいたし。
社会全体で育ってきた。
今は、頭が潰されているから、人を育てようがない。
まるで、頭のない、ゾンビみたいな国になりつつある。
無念である。