正直言て、ある年齢に達していながら、仕事ができないと言うのは哀れなもんだぜ。
科学や仕事の基本は、単純化であって複雑化ではない。
難解な事を、万人にもわかるようにするのが、科学であり仕事だと言う事。
この点を間違うと、簡単な事を複雑にし、複雑な事をさらに複雑にしてしまう。
かつての社員教育は、大体三か月で、一通りの仕事を教え。
次の、一、二年をかけて、経験者の仕事の補助をしながら、通しで仕事を覚えさせ。
一つの仕事を通しで覚えたら、一つの仕事を最初から最後まで責任を持ってやらせる。
一つの仕事を、責任を持ってできる様になったら、一つの部門を任せて。
最終的に、後継がせるか、独立させる。
独立する事をのれん分けと言った。
これが、職人になるともっと厳しい。
最初は、見習、下働きから始まる。
板場修行となると、包丁を握らせてもらえるようになるまで、何年もかかった。
基本的に、教育は、徒弟制度。
職人が、親方や兄弟子から、一対一に指導を受ける。
教科書はない。教科書では教えられないと言うのが原則。
現場で、経験的に学ぶ。
この教育が、現代は通用しない。
そのために、技術や知識の伝承が難しくなっている。
その原因を上げると。
一つは、分業の進化により仕事の専門家が進んだと言う事。
一つは、大量生産体制が確立され、仕事の熟練度が求められなくなった。
仕事の、細分化、規格化、標準化、機械化、マニュアル化が促進された。
一つは、仕事の多様化。
一つは、技術革新により、仕事の陳腐化が早い。
教える側の問題としては、
一つは、頂点に立てるものが限られているため、仕事が固定化され、硬直化されしまう。
外された者の意欲や向上心が失われ、モラルが保てなくなる。
一つは、教えられる人がいなくなった。師と呼べる人がいない。
一つは、物事を関連付けられる人がいなくなった。
もう一つは、受ける側の問題で、学校教育の弊害で、経験的な学習の訓練がされていない。
徒弟制度的な教育は、家内工業が一般的であった時代には、通用しても、現代社会では通用しない。
ただ、では、仕事の基本の総てが変わったかというとそうではない。
問題なのは、徒弟制度的、経験主義的教育が失われた事で、本来伝承されなければならない事も失われた事である。
仕事のプロセスは、以前にもまして重要となり。
また、コミュニケーションや仕事の段取りは、教科書では教えられない部分網羅できない部分を多く含む。
また教科書やマニュアルは、原則的な事しか伝えられない。
また、教える者、教わる者それぞれ、個人差が大きい。
組織を編成したり、段取りを組みてるためのノウハウは伝承される必要がある。
ところが、仕事の分業化が進み、多様化、専門化、細分化が深化した結果。
全体を俯瞰し、全体を構成したり、組み立て、一貫性を持たせ、統制できる人材が育たなくなった。
展望や構想を立ってられる人がいなくなったのである。
必然的に、戦略も政策も欠けてしまう。
要するに、頭がいない。
今の人で一番問題なのは、物事の関連付けができない。
要は、道理や、順序、筋道がわからなくなっている事で。
突き詰めつると自分の考え、自分がない。
だから。善悪、軽重、前後、真偽の分別が待てないのである。
簡単な事を複雑にしてしまう。
何度も言うけど、仕事の着手の仕方、指示命令を仕事に置き換える仕方は、経験的にしか学べない。
これは、早ければ早いほどいい。