開戰の火蓋は待ったなしで切って落とされる。
選挙中だからと言って敵は待ってはくれない。
敵の隙を突くのは、常道である。
ユダヤの敵は、安息日を狙って攻撃を仕掛けてくる。
戦いは、容赦ない殺し合いなのである。
泣き言を言ったって許してはくれない。
負けたら、お終い。
大義は勝者の側にある。敗者は、勝者の憐憫すがるだけ。
油断をした者が悪いのである。
戦略は、敵の核心を突くか、中枢を破壊する事。
問題は、何が核心で、何が中枢かである。
核心を露にし、中枢を裸にする。
将棋も、チェスも、王をとられたら負け。
王を囲むように守りを固める。
王より飛車をかわいがっていたら、勝負には勝てない。

一朝、事がある秋、国の御楯になるのは自衛官。
自衛隊を国民が、背後から支えられなければ国は亡びる。
これは、歴史が証明している。
誰も守ろうとしない国は亡びるしかない。
自衛隊を国民は支えなければならない。
自分にその覚悟があるか、いつも自問自答している。
これは、自衛隊の問題ではなく。
国民の問題である。
国を守るのは自衛隊だけではない。

主権と独立は、自分たちの手で守るしかない。
自由と名誉は、自分でしか守れない。
国民の生命と財産、権利を守るのはその国の主権者だ。
自分たちの手で守れなければ、服従、隷属するしかない。

平時にあって有事をを忘れてはならない。
治に居て乱を忘れず。
戦争は現実なのである。
日本国民は、希望的観測でなく、現実を直視すべきである。
今の日本は、奇襲でなくとも奇襲を受けたようになる。
誰も守ろうとしない国は、守りきることはできない。

我々は、誇り高き侍の末裔である。