金をもてば、その人の品性が問われ、金に窮すれば本性が現れる。
金によってあからさまになるから金は嫌われる。

人は、金を蔑みながら、金の為に罪を犯す。
金なんてない方がいいというが、金のない世界がどれほど凄惨かは、金が通用しなくなった世界を見ればわかる。

金は、人を変えてしまう。
普段、金の為に、働いているわけではないとか、金なんてと金を蔑視する者でも。
人徳者だって、聖職者だって、英雄豪傑だって、偉大な指導者も、政治家も、金に窮すれば人が変わる。
金に困れば、人は、親を裏切る事も、子を売る事も、友を欺く事もする。
魂だって、道義心だって、愛情だって、志だって売る。
慈善も、思いやりも、恋愛感情も、商売にしてしまう。
年寄りをだまして貯えた金をむしり取り。
国を売る事も、愛する人を売る事さえもする。

金に窮すれば人は変わる。
だから借金は恐ろしい。
物を借りるのと、金を借りるのとでは、本質が違う。
今の世の中は、借金で成り立っている。
鳥は借金をしない。
借金をするのは人だけ。
借金で自殺するのは人だけ。
金の為に罪を犯すのも人だけ。

人は、おのれの浅ましさを直視しないと。
人は、所詮、神を超えられない。

金は、人を賢くもすれば、愚かにもする。
金があれば安心もするが、金が無いと人は狂う。

お金ほど無機質なものはないのに、お金ほど生臭いものはない。

お金は使えばなくなる。お金は使わなければ効用を発揮できない。
故にお金は満たされることなく、常に不足する。
金は、人を惨めにもするし、傲慢にもする。
豊かにもするし、貧しくもする。
しかし、それは、金の本性なのか、人の本性なのか。

人は、金の為なら働くし。
金のために働かされる。
金を払うから働くので、金を払わなければ何もしてくれない。
なのに、人は金の話を嫌がり。
金の話は汚いと言う。
でも、金が絡むと、人間は、本音を言うものですよ。
恥じる事ではない。
むしろ、金の為に本音を隠す方が問題ですよ。

惨めな思いをした時こそ。
神の本性を悟る事が出来るのです。
神は、人が苦しみもがき、何も信じられなくなった時こそ、その本性を現す。
ドストエフスキーの罪と罰ですね。
その罪の本性に金がまつわりついている。
金の持つ本性が身をもって理解できなければ、罪と罰の真意なんて理解できない。
金の為に惨めな思いをしたから、彼は、生と死の真実に向き合わなければならなくなったのですよ。
そうでなければ、お金の事も、生も死も頭の中で描いた絵空事に過ぎない。
得るものもなく、失うものもない。
お金ですから。
神ではない。

お金の為に取り乱した事と、天下国家の事で取り乱した事と、どれほどの違いがあるのでしょう。
オカメインコを悼み心と、戦場で死んでいく兵士を悼む心の心根にどれほどの違いがあると言うのか。
そこに生命の本性があるので。
自分は、取るに足らない人間なのかもしれませんが。
一寸の虫にも五分の魂と。
今自分は生きて何を訴えたいのか。
だから、覚悟であり、志ですよ。
明日、野辺でおのれの死体を曝すことになったとしても。
今、自分は、何をして生きていこうとしているのか。
だから、支援ではなく。志というのです。
自分の志すところと渡辺さんが志すところが同じなら、それでいいではないですか。
お互いに覚悟を決めて。
金を受け取るにせよ。
与えるにせよ。
それ相応の覚悟と志があっての事です。
だから、同情もしないし、憐れみもしない。
悔いもしない。恨みこなし。
覚悟と志があっての事ですよ。
ただ自分の心に正直でありたい。

金を侮ると怖いですよ。
だけど、金に囚われて金の亡者になるのも怖い。
所詮、金は金。されど金です。
だから、金は人間の本性を顕わにする。
本当の自分の生と死を見つめ直す事ですね。
それはは恥ずかしい事ではない。
お金の事で取り乱すのも。
それが生きると言う事ですよ。

金は、金ですよ。
金は人を変えるけど。
金で人を変えたところで空疎です。
金で変えられるとしても、人の浅ましさだけ。
それで、所詮、金だよというのは浅ましさを上塗りするだけ。
いいじゃないですか。
同情もしなければ、憐れみもしない。
ただ、同行者としてね。
あるものが出す。
それ以上、何を期待します。
オカメインコの方が、余程、純情ですよ。
罪を感じるのは人。
神は、最初から超然として、微笑まれている。
病も、死も、所詮、必然であり。
死後の世界を必要とするのは、生きている人間なのかもしれません。
苦しも、悲しみも、憎しみも、恨みも。
胡蝶の夢ですよ。
金の事は忘れてください。

それは、金には実体がないからですよ。
つまりは人の問題。
神には無縁なのです。

地獄の沙汰も金次第というけれど。
それは人間の思い込みでしかない。
何の裏付けもない。

賽銭で、神は変わらないけれど。
神主は変わる。

出せるから出したのですから。
出したいから出したので。
出したくとも、出せなくなったら出しませんし。
出したくなくなったら出しませんから。
所詮、金は金。
金の事で、人を恨んだり、蔑みたくはないですから。
最初から、何も期待していません。
支援したなんて、思ってもいませんよ。
恵んだかとか、施したとも思わない。
あるから出した。
出せるから出した。
かつて、人々はそうやって助け合って生きていくのが当たり前だった。
今は、それを当たり前だと思はなくなった。
金の問題だから。
金が問題だから。
だから、どっちにしても惨めになる。

お互い、なかったことにしましょう。