人生で重要なのは出会いさ。
人と人の出会いは、総ての始まり。入り口。扉。
人と人の縁、絆が未来を開き、可能性を高める。
自分が中心でなければ見えてこない世界がある。
それは、リーダーだけに言えるのではなく。
担当者にも、客でも、投資家でも、行政でも、競争相手でも言える。
営業が見える世界と、事務方から見える世界、現場から見える世界、センターから見える世界、部屋の中から見える世界、外から見える世界、車窓から見える世界、飛行機から見える世界、テレビで見る世界は違って見える。でも実体は一つ。
その人の見える世界は、その人の立場に立たないと見えてこない世界がある。
だから聞く。
自分の視点を持つ。そして自分の視点を意識する。
若い人は、若い人の視点で。
中年は中年の視点で。
初心者は初心者の視点で。
ベテランはベテラン、未熟な者は未熟で。
男は男の視点で。
できない者はできない者の視点で。
できる者は、できる者の視点で。
それぞれの視点で見る。
いいとか、悪いとかは、二の次。
自分と他人とは違う。一体にはなれない。それを悟る。
わかってくれないと嘆く前に、わかっていないと悟って、わからせる事を考える。
誰もわかっていないし、自分もわかっていないと悟って。
その上で、相手との距離を測る。
自分と他人とは違うのは当たり前で悪い事ではない。
最初から、相手に合わせようとしたり、一体になろうとしない。
そんな事をしたら自分を見失うだけ。
自分と他人とは違う。たとえ親子でも。
考えてみれば、当たり前な事は、当たり前で。
ところが、その当たり前な事を悪い事のように思う人がいる。
そのうえで、それぞれの距離、立ち位置の差、見えることの違いを測る必要がある。
距離があるから位置が決まる。
距離をとれれば、単位になる。
重要なのは自分との距離であり。
意見や見方が違うには当然。
それは、自分と他人との立ち位置が違うし、育ってきた環境の経歴、自分の属性(身長、体重、性格、親兄弟、学歴、生年月日、生まれたところ、宗教等々)も違うのだから一致する方が異常。
だから自分と他人とは違う。
違うし、優劣は本質的には関係ない。
大切なのは自分との距離。違いと差である。
時間も、人も、距離を作る。
つまり、幅だよね。
仕事は点ではなくて、幅がある。
作業には、期間がある。
距離を作るのである。
人も立ち位置を変える。
立ち位置が違う人の視点から見るから立体的なる。
円筒も横から見れば長方形で上から見れば丸。
距離を置いてみる。そうしないと実体は見えない。
誰が正しいかではなく、立ち位置の違い。
先ず、自分と相手とは違うと言う事を自覚してほしい。
その上で、相手と助け合い、協力し合う事を考えてほしい。
いきなり対立したり、警戒すると正常な人間関係が築けない。
だから、まず信頼のできる人を作り、その人を基準、梃子にして相手との距離を測るようにする。
そうやって、まず自分の立ち位置を確立する。
動物でいえばマーキングである。
自分と相手との距離を測るためには、自分の存在を周囲の人間に発信する。
その際、その集団、組織のリーダーが重要な役割になる。
リーダーは灯台みたいなもので。
組織や集団の中心がどこにあるかを知らしめるからである。
レダーや音波探知機と同じ原理。
自分が発する言動に対する反響によって自分と相手との距離を測り、位置づける。
自分から発しないと自分との距離は測れない。
その根源となるのは自分の存在である。
自分の存在を組織集団に認めさせる。
それが挨拶である。
挨拶をしたうえで自己紹介をする。
実際の行動、実践、自分が、やることに置き換えていく。
やらない理由を潰し、実戦モードに切り替えていく。
やると言ったらやる。やる事だけを考える。
だから、やるならやる。
やらないならやらないと最初に宣言する。
自分の口で言う。
言わなければ駄目。
言っても受け入れられるかどうかわからない。
言わなければ始まらない、。
自問自答しても、距離が取れない。
自問自答は、自分の内に他を想定せざるを得ない。
自分のうちに他を想定しているという事は、最初から分裂してしまう危険性がある。
だから、他は、極力、外に求める事を原則としている。
優劣でなくて距離だよね。
長所欠点は、相対的だから。
解釈によって、見ようによって長所にも欠点にもなる。
若いと言う事は、経験不足という点では弱点になるかもしれないけど、新しい事を修得すると言う点では長所になる。
背が低いと言う事はバスケットボールでは弱点かもしれないが、競馬では長所になる。
人にはそれぞれ向き不向きがある。
長所は、油断をすると短所になり、短所は工夫によって長所にもなる。
大切なのは違いであり、差だよね。
劣等感なんて、考えようだよね。
自虐的になれば自分を押しつぶすし。
バネにすれば自分を生かす。
優劣ではなくて、差であり、違い。つまり距離が大切で。
その距離が許容できるか。
その距離をどう縮めるかだよね。
見たままに、感じたままに報告すればいいんだよ。
右から見ている人間が左から見ている事を推測して報告すれば、間違って伝わる。
上から見て、いる者は上から見える事を。下から見てる者は下から見える事を。
前から見ている者は前から目える事を。
後から見ている者は後ろから見える事を。
横から見ている者は、横から見える事を。
斜めから見ている者は、斜めから見える事を。
表から見てる者は表を。
裏から見ている者は、裏から見える事を。
内から見ている者は内から見える事を。
外から見ている者は、外見を。
動いている者は動いて見える事を。
止まってみてる者は止まって見える事を。
そのまま、見えてるままに報告しないと用をなさない。
決断者をそれぞれの立ち位置を確認した上で、決断する。
誰が正しくて、誰が間違っているかではない。
立ち位置と、曇りのない目で、正確と精度の問題だ。
違うのが当たり前で、一致する方がおかしい。
知りたいのは、実体であり、事実なのだから。
正確な決断をするためにはあらゆる角度から見て全体像を知る必要がある。
だから事実関係を、忖度しないで、いいところも悪いところもあるがままに報告しろと。
事実だけを語れ。聞かれた事だけを言え。
いい訳、弁解はするな。
憶測、推測で応えるなと。
希望的観測は交えるな。
予断はするなと。
判断が狂うと。