なぜ、期首に、方針確認会議をするのか。
イベントとか儀式だと勘違いしている人が多いようだが、実務的な観点からすると、期首に方針を決めておかないと、実務的に間に合わないからで、方針を確認した後、速やかに、仕事に着手しないと時間が無くなる。直後に着手しても、時間が足りないと経験的に実感しているからだ。

たとえば、展示会の場所などは、何らかの基準、方針に基づかないで、考えなしに決めようと思えば決められるし、結果的に大差ないように思える。
しかし、考えなしという事は考えなしで、頭を何も使ってない。
惰性、慣性でやっているだけの仕事、自分たちの考えや意志が働いていない。
人は考える、考えるから、社会や組織ができたので、木の実の様に自然になったものではない。
考える事やめたり、自分の意志が持てなくなれば、組織は、制御できなくなる。
それ以前に人間らしさを失い、歪んでいく。
自分が歪んでいることさえ、自覚できなくなる。
場所を決めるのにも、例えば、目的は、見込み客を増やすこととか、駅に近いとか、取引先を優先するとか。費用に見合うとか、何らかの基準に基づいて選択すれば、説明もつくす、反省もでき、今後に生かすこともできる。
考えなしとは考えなしなのである。

何もしなくても結果は同じだと、なめているだけ。でも世の中、そうそう甘くない。
親父たちは甘くない世の中を、子供たちが生活に困らないように、必死に、働きたくわえを残してくれた。
それを考えなしに食いつぶしていたら。

期日を決めて、作業時間、作業日数の見積もりを立てる。
これがマネージメントの基本だと言える。
期日を定めないと計画は成り立たない。

どんな作業にも時間がかかる。
だから、仕事を点で考えたら計画は立たない。
決める事は、一秒かからない。
しかし、決めるためにどのような作業があるか。
それが、決めるために必要な情報を集めて、決められるように整理する、それが資料である。
だから、資料を作成する作業で意思決定のプロセス、工程、過程を明らかにして、工数を計算できるようにする。
その技法が、パートであり、WBSである。

料理ができていなければ食べられない。
食べるのは一瞬だけど料理には時間がかかる。
美味し料理というのは、それだけ手間暇、時間がかかる。
それが付加価値を生む。
ただ、考えなしに生肉や生野菜を出すのでは、料理をしたとはいえない。
料理屋を出すことは簡単だけど、成功は難しいというのは、考えなしに料理を作って売っても売れないという事である。
美味しく食べられるようにして出せ。
資料も同じ。決定権者が決められるようにして出す。
それが資料であり、そのためには、それだけの手間暇がかかる。
考えなしに場所を決めるような事を繰り返していたら、馬鹿になる。
一度、馬鹿になったら賢くはなれない。ただ、立ち枯れていく。

手の打ちようがなくなってから、着手しても、それは最初から、無理、無茶、無謀で、やる前から結果見えている。
どんな結果、たとえ、結果がよくても実体は失敗なのである。
結果がよかったら、いい加減でいいと自分も部下も思い込むからである。
「待ちぼうけ」の詩の様に、いくら、木の根にウサギが転げるのを待ってもウサギは来ない。
なぜ失敗するのか、その原因の多くは遅い、着手するのが遅い事だ。

考えを整理するのに時間がかかる。
計画を立てるのには時間がかかる。
準備するのには時間がかかる。
手続きには時間がかかる。

決めるのは点でも、仕事は点の集まりではない。
複数の要素からなる線が組み合わさってできている。

一つひとつの作業には長さがある。
時間がかかる事を前提としなければならない。
ただ、考えなしにやっていたら、際限がなくなるから、自分で期限を切って、期日に間に合うように段取りをする、それが計画である。
だから、通しで、仕事を経験して、一通りの仕事の手順、段取りをおぼrないと計画は立てられないのである。

作業と作業の、始点と終点、接続をどのようにしていくか。
指揮官に任せるか、ミィティングにするか、チャットでするか、その辺はセンスの問題。

遠くの事ほど決めやすい、近い事ほど決めにくい。
一年先のことを決めるのは、難しくないし、不都合が生じたら変更すればいい。
二日前に言われても、何も決められない。
何も決められなくなって、切羽詰まってから、こられても、できる事には限りがあるのである。

一年先の事は決め易い。制約が少なく、選択肢が多いから。
明日の事は決めにくいい、制約が多くて選択肢が少ないから。
一年前なら決められたのに、直前になってから決めようとするから、決められなくなる。

仕事というのは、フルコースの料理みたいなもの、それに対して担当者作業というのは、単品みたい事。
フルコースは、手順に沿ってお客様が食べ終わった時、次の料理を食べ頃にして提供していく。
料理を出す順には順があって、デザートを真っ先に出すことはない。

どこで、いつ、どのカードをきるか。その見極めが難しい。
だから、仕事は、最初から最後まで、通しで覚えないと極められない。

センターは中心である。
中心は、全体の要。

勘違いしている人がいるが、独善ではなく、調停役である。
早い段階で話を聞けば独善には、ならない。
必然的に、中心をとれる。

例えば、場所決めでも、早い段階で、現場に考えを聞いていれば、無理しなくとも、まとめ役になる。
現場の意見が固まってから、話を聞けば、まとめようがなくなる。
仕事には、潮時がある。
だから、四月に、期が変わっていた時は、四月に方針を決め、九月からキャンペーンを始め、十月、十一月に、展示会をするというサイクルで回っていった。
この基本のサイクルは決まってない。
場所に対する考えが決まっていない段階なら、現場の意見を聞いて、方針を決める事ができる。
だから、担当を決めて事前に話を聞かせるのである。
聞いて決める。決めてから聞くのではない。
ボトムアップ→トップダウン。トップダウン→ボトムアップではない。
決めてから考える。考えて決めるのではない。
三か月前に方針を示されたも、現場は混乱するだけ。
だから、強権的になる。

現実の動きに合わせて計画は立てられる必要がある。

現場の動きに先行してセンターは動く。

経営者、管理職、担当では、見通せる時間、期間に差がある。
また、規模にも差がある。
経営者は何年も先まで、見通せなければならない。
上級幹部は、二、三年先、上級管理職は、一年先、中間管理職は、半年先、担当責任者は、三ヶ月先。
新入社員は、せいぜい、三日先の事が見通せたるくらい。

上級幹部や上級管理職は、最低でも、一年間は見通せないと責任は果たせない。
センターは現場の動きを先取りして動く必要がある。

また、経営者は、会社全般を総覧し、上級幹部は、自分の担当した部署中心にして全体を把握して助言することが求められ、上級管理職は、自分が担当する部門の仕事を監督し、中間管理職は、自分が担当する部門の仕事を管理し、担当責任者、与えられた仕事を、担当者は与えられた作業を責任をもってやり遂げる。

このように立ち位置によって視野も責任の範囲も変わる。

上級幹部が、目先のことに囚われ、全体が見えないと、全体は破綻する。
与えられた作業をこなせばいいというわけではない。

方針というのは、全体の方向性を定めればいいので、全体の進むべき方向という意味では重要だが、あまり、詳細にわたると、かえって方針に囚われたり、制約されることになりかねない。

始めの時点では、何々をやるとか。
どこで、いつ、イベントをやる程度でいい。

方針というのは指針で、全体が進むべき方向を指し示した指針。
ベクトルを合わせる。

方針が定まったら、ある程度、時間をかけて、目的や主旨、経緯などを深堀して色付けをする。

先ず誰が中心かを確認する。
誰を中心にするかを間違うと、最初からボタンの掛け違いが起こる。
全社的なイベントの場合、基本、中心は社長になる。

故に、社長の話をよく聞く、あるいは、入念なヒアリングをする。
この過程で、中心メンバーの意思統一を図っていく。

要は この段階では結論を急がづ、会議、打ち合わせ、話し合いの回数が重要。
間違っても、一回聞いたくらいで分かったとしない。

客観的基準、何回、誰と、どれくらいの時間、打ち合わせをしたかカウントする。

話も長ければいいというのではなく。適度な時間。
長すぎると焦点がぼけたり、話が多岐にわたって捉えどころがなくなったりする。
せいぜい、二、三十分がいいところ。適当な時間できる事も鍵となる。

また打ち合わせの回数も要素ごとに目星をつけておく。
結論が出ないままだらだら続けていると収拾がつかなくなる。
予め、三回なら三回と決めておく。

話が煮詰まってしまうと手詰まりになる。

通常三回以上同じ事を話し合っても、話が煮詰まるだけで、切り上げ時を失うのが落ち。

進むべき方向と中心が定まったら。
次に筋道を通す。

これが、事務方の役割になる。

それで、一般に、リーダーが決まったら、事務方を真っ先に決める。
その場合、リーダーに指名させることもある。
それだけ、事務方の役割が重要となる。
事務方によって、事の成否が決まると言われるほどである。

何が、重要かというと、事務方が道を開き、筋道を通すからである。
事務方は、計画の筋を通し、大枠を設定し、回線を開く。どういうことかというと、組織の枠組みを築き、会議体の構成を企画し、指示・命令系統のルートを確保するからである。

組織の役割というのは、実際の、役割分担を設計し、ラインへの指示・命令系統の流れを作る。

計画の道を作るというのは、先ず定例会、連絡会議をどれくらいの周期、頻度で開くかを、リーダーと相談して決め、後見人と組織の担当部門につなぐ。
それによって、組織内の位置を確保し、公式に記録させる。

会議の頻度と周期が計画のリズム、枠組みになる。故に、会議に階層をつけてもいい。
一年、一か月に一回なら、一月が単位で、十二回の枠ができる。

また、一か月のどこに(月初め、中旬、月末等)設定するか、また、日で設定するか、曜日で設定するかによっても、定例会の性格が規定される。

三つの会議で一つのステージを構成すれば、四枠の段落が想定される。
いずれにしても大枠を設定する事で、全体の構成が見えてくる。

注意して欲しいのは、これ等の事は、観念的ではなく、実体的に目に見えるようにして行う。
言葉や観念では伝わらない、実際の行動に表さないと伝わらない。
仕事は、現実的で、即物的なのである。

どのような手順で、メンバーやトップ、関連部署に、話を通していくか、それが指示命令系統の回線を開くし。連絡網を構築していく。
そして、主管部所との関係を設定する。
これをちゃんとしておかないと根無し草になる。

報告先が、主筋となる。相手先にもしっかり認識させる。

事務というのは、組織、計画、仕事のフレームワーク。
華々しさはないけれど、覚えると、組織や仕事で絶大な力を発揮する。

方針が定まったら、ゴールを決めて、大枠、作業単位を決めて、全体像を描き、基本計画を立てる。
計画の枠組みと全体像を作る。
一年後に、ゴールを設定したら。まず、定例会を設定する事で、区切りをつける。
定例会というのは目途である。月、一回の頻度で定例会を設定すれば、定例会が一つの目途となり、定例会と定例会の間にどれくらいの打ち合わせをするか。
そして、打ち合わせと、打ち合わせの間の作業を読んでいく。
仕事は、作業の洗い出しから始まるが、この作業の洗い出しは、ある程度経験がないと難しい。
経験者の指導に基づく必要がる。将棋や囲碁の様に定石みたいなことはあるが、絶対手というのはない。

仕事には、手順があり、段階があり、一つひとつの段階をクリアするためには、各々固有の作業が時間がかかる。

一か月を単位に全体の枠組みをしたら、年間で十二回の段階が組める。
三か月ずつグループ化すれば、年間を四つのパーツにまとめることができる。
このように、計画に、階層や段階を設ける事で計画の枠組みを組むことができる。
その上で、個々の段階に名称をつけ、全体、大雑把な下絵を描く。

そして、個々の定例会で決める事を定め、作業の目標、方針を明らかにする。
計画は、基本計画以外に、サブプラン、実行計画、詳細計画を別途作成する。

たとえば、この日に、方針を決めると定めたら、方針を決めるための資料や情報を集める。
この日に、場所を決めると定めたら、場所を決めるための資料と情報を集める。
また、方針を決めると定めた日は、方針の話に集中する。

一ヶ月目には、一ヶ月目の話を。
三ヶ月目には、三ヶ月目の話をするように設定をする。

最初の頃は、雑駁にいろいろな段階の話が出る。
最初の打ち合わせなのに、終いの話が出たり。
たとえば、家を建てる時、最初に、どんな家、建てると聞くと大きな窓と白いドアみたいな。
また、旅行を計画する際、仙台のどこどこにおいしい肉を出すレストランがあるといった情報。
最初から、それにこだわると、旅行の目的は肉食べに行くみたいな転倒が起こる。
むろん、おいしい肉を食べたいというのは一つの情報、参考意見にはなるが、目的を決める際の決定的な意見にはならない。
目的を決める時は目的を決める為の情報に的絞って収集し、整理する必要がある。

故に、会議や打ち合わせは、早い段階で、目的と方針を明らかにし、周知しておく必要がある。
決められた時に結論が出せるよう、資料や情報を用意する必要がある。
だから、宴会が始まってから、材料を仕入れに行くような仕事はするなと注意されたものだ。

一つ一つの会議、打ち合わせの目的を早い段階で分かるようにする。
そのために、定例会を設定して、時間を区切るのである。

一年、百人で仕事をするというのは、一年間、百人を引き連れて旅をし、目的地に送り届けるような事なのである。