この世の中の出来事は、この世の中を構成する要素全てが関連づけられ、連鎖して生起する。
総ての人が働けるわけではない。
自分の働きによって「お金」を稼げる人は限られている。
人は、組織を必要としている。
報酬は働きに応じて支払われる。
人は、自律している。
人は自己実現を目的とする。
人は自分の働きから自分を知る。
認識の作用反作用。
故に、生産活動を通じて自己を人間関係の中に位置づける。
人は一人では生きられない。
人の経済は人の働きの連鎖反応で成り立っている。
人の経済の根本には人の関係がある。
人は家族を作る。
人は組織的生物である。
経済を動かす動機。経済を動かしている根本原因、それは人だと明確に定義しておく事が肝心。
お金は、経済の仕組みを動かしているエネルギーだとして。
先ず人に対する洞察。
それを抜きにお金の流れを見ても経済がなぜ動いているのかは解明できない。
経済を動かす根本原因が何か。
個々の要素の位置と働き、関係が重要であり、それが解明できればかなり精度の高い予測が可能となる。
それで、相関分析がもてはやされるのだけど、相関分析の多くは一対一分析にならざるを得ない。
本来の相関性を明らかにする必要がある。
一対多、多対一、多対多の分析が必要とされる。それは、人では限界がある。
どうやって構造的な分析をするかというと。
全体の構図を設定し、仮に特定の一つの要素を変えたら、どの部分に影響が出るかを見る。
世の中の出来事は複雑に関連し合っていますね。相関分析はその関係性を明らかにするための重要な手法ですが、従来の一対一の分析では限界があります。
多対多の分析を行うためには、全体の構図を設定し、シミュレーションを行うことが有効です。具体的には、以下のようなステップが考えられます:
- 全体の構図を設定する:まず、分析対象となる要素や変数を洗い出し、それらの関係性を図示します。これにより、全体像を把握しやすくなります。
- シミュレーションを行う:特定の要素を変化させた場合に、他の要素にどのような影響が出るかをシミュレーションします。これにより、因果関係を明らかにすることができます。
- データの収集と分析:シミュレーション結果を基に、実際のデータを収集し、統計的な手法を用いて分析します。これにより、仮説の検証が可能となります。
このようなアプローチを取ることで、より精度の高い予測や分析が可能となります。
因果応報。
神は働きと言えるかもしれない。
世界は構造的に制御されている。
神はこうせよと言われない。
ただ示される。
この世はすべて全体があり、部分がある。
全体には、常井に均衡しようとする力が働いている。
この世の運動の基本は直線運動と回転運動である。
経済の場は、拡大と収縮を繰り返している。
この世の中は、総て、関連付けられ連鎖している。
この関係から逃れられる者はいない。
人は一人では生きられれない。
どの様な独裁者も、一人では、何もできない。
人の事は人でしか解決できない。
自分の行いが巡り巡て自分に降りかかる。
自分の悪行が自分い災いするのであり。
自分の善行が自分を幸せにする。
時に何故と問いたくもなるが、人は神に与えられたものを基に生きていくしかない。
それが定め。
それを呪っても恨んでも幸せにはなれない。
なぜなら、自分は自分にしかなれないから。
神は見ておられる。
全ての人は、経済的に結びつけられている。
経済的価値は、単独で成り立っているわけではない。必ず複数の要素が掛け合わさることで成り立っている。
貨幣価値は、名目的価値(お金)と実質的価値(数量)を掛け合わせることで成立する。
数量は、物理的量であり、物理的制約がある。
時間は一日、一月、一年の制約を受ける。
お金は、制約を受けない。上に開いている。
故に、貨幣基準は人と物の力関係によって均衡を保っている。
お金を除いた人や物、時間等の要素が、経済的関係を形成する。お金は、そのようにして形成された関係を反映しているにすぎない。
お金は消費財ではない。つまり、消費されずに蓄積される。
お金は循環する事で荒野用を発揮する。
故にお金の働きは、流通量と、速度と、方向と、回転数、貯蓄量で決まる。
お金は、何らかの対価として支払われる。
お金は生産活動を活性化する。
経済的価値は、人、物、時間による制約、相互牽制作用によって定まる。
実質的経済量は即物的なので、人と物の関係で定まる量です。例えば、人口も生産量が変化しないのに景気が乱高下するような現象は貨幣的現象なのです。
ですから、貨幣的現象は貨幣的現象として処理する。ただ経済の実体を見失わない事です。
経済に与える実質的要因が人口ですが、人口構成の変化。総人口に対する生産年齢人口、あるいは労働人口の比率は決定的であり。しかも、単に比率の低下だけでなく。高齢者が増えると、その介護に、生産年齢人口が割かれることになり。
市場から生活に必要な資源を調達しなければならない者は、お金がなければならない。
言い換えれば、市場から生活に必要な財を手に入れる者総てに、予め、お金が配布されていなければならない。
お金は使えばなくなる。使えばお金は不足する。不足した分は常に補充されなければならない。
物価が高騰するのは、物不足による。
物不足は人と物の関係から生じる。
数量は、物理的量であり、実質的価値の根拠となる。
故に、実質的価値は、物理的制約を受けている。
お金や時間は、名目量であるから、物理的制約を受けない。
その代わり、人と物との関係によって制約される。
例えば、供給は生産量と在庫量によって制約される。
生産量は、生産手段と生産資源、労働力、時間の制約を受ける。
生産手段は設備、労働量は人数の制約を受ける。
というように、必ず、何らかの要因と結びつき、要因間の関係と働きによって経済的価値は定まり、経済的価値を計測するのが貨幣価値である。
経済の仕組みは人々が生活するのに必要な財を生産し、分配する事で、総ての人の生活を成り立たせる事にある。
故に分配の仕組みで交換は等価であることが前提であるから、市場取引の総和はゼロに均衡する。
規制緩和は万能薬ではない、競争は原理ではない。カルテルは絶対悪ではない。
経済の施策は、経済の置かれている状況や前提条件、為政者の意図や目的によって定まる相対的行為である。
経済的施策は、善悪で測れない。
どのような状況が最適かが問題なのだ。
産業が成熟すると過飽和になり、縮小均衡に向かう。
市場は拡大と縮小を繰り返す。
市場は発展段階によって変わる。
成長、拡大だけ経済ではない。成長で明けを経済政策の前提とすべきではない。
成長段階では拡大均衡。成熟期では縮小均衡。
利益は、国民経済計算では利益として現れない。ここが味噌ですね。営業余剰なんですよ。象徴的でしょ。
これらを前提にして国民経済統計を整理分析する。それが僕の基本的スタンス。つまり経済の場に働く力と、要素間の位置と関係から法則を導き出す。
ただ、何が、貨幣的現象の背後にあるのかというと貨幣を循環させるという事で。基本的に貨幣過不足によるのですが、それだけでは力不足、動機にならない。そこで時間価値を活用する。時間価値を付加するのが、金利と利益。
要するにですね。資金の循環を阻害する要素、淀み、偏り、歪、溜まり.堰、壁、断層等ですね。一定方向に流れるようになったらお金は循環しなくなります。貧困層から富裕層に一方的にお金が流れたり。企業から金融に一方的に金が流れるようになるといずれは破綻する。
貨幣的現象で重要なのが、貨幣の流通量ですが、実質的な問題は物不足。
ですから、貨幣的現象は貨幣的現象として処理する。ただ経済の実体を見失わない事です。
実質的経済量は即物的なので、人と物の関係で定まる量です。例えば、人口も生産量が変化しないのに景気が乱高下するような現象は貨幣的現象なのです。
物価は複数の要素の均衡の上になり立っている。その時の状況によってどの要因が強く働くかが違う。
経済を表す要素間の関係は、関数で表すことができる。
なぜならば経済を表す要素は、数と量だからである。
経済上の取引はは等価交換を意味するから、総和は常にゼロに均衡する。
これは認識の作用反作用に由来する。
故に、取引は作用反作用の関係が成立し、基となる。
貨幣価値は、貨幣単位と数量の積である。
実質的価値は、人、物、時間といった即物的な事を元とする。
数量は物理的量である。
貨幣は、名目的数である。
経済現象は複数の働きが同時に作用するから、一対一の点を繋ぐような直線的展開では解が出せない。
経済的現象は空間的展開、一対多、多対多、多対一の展開が求められる。
その為にはまず空間を構築する必要がある。
空間は連立方程式、あるいは、行列式によって構築する。
非線形モデルになる。
根本はTransformerの技術である。
ノードを考える。ノードをどう設定するか。
経済の要因の数式も積和である。
均衡モデルを考えるべきだよね。作用反作用、ゼロ和を考えると。
国民経済計算はフローもストックも、名目、実質も、差も、縦も横も世界も総て均衡で成り立っているという事が肝だよね。
ベースは消費で人の問題ですね、その視点がないから経済が無機質になる。
経済は人をどの様に定義するかで決まる。特に人の一生をどう思うかである。
経済は「お金」中心でも、物中心でもなく、人中心の事象である。
人は感情的動物である。
定義としては微妙なのだが。
ただ、経済や社会、政治的現象を分析する時には有効なんですよね。
そこで了解可能性の問題となる(笑)
結局、あらゆる哲学も、宗教もそこに行き着く。人とは何か。自分は何によって生かされているか。人の一生ですね。それが経済の根本で。それでブッタは四苦、生病老死と定義し。諸行無常と。生まれて。幼児期、思春期、青春期、壮年期、老年期、それぞれに経済がある。
人は生まれた時と老いた時に人の助けがないと生きられない。
つまり、保護者と扶養家族が生じる。これが経済の始まりですね。
ここで生産と消費の分岐があり。生産の場(職場)と消費の場(生活の場)が分離する。そこから家計が成立する。働く場は企業法人、金融、財政に分離する。つまり、根っこ、出口にあるのが家計。
このように生産と消費の場を繋ぐのが分配の場で、その媒体が「お金」。
ところが「お金」が本来の機能以外の働きをするようになりそれが経済を混乱させる元凶となる。
お金を制御する機構ですねそこが重要になるのです。