迷惑なんてかけなさいよ。

この世の中に他人に迷惑をかけずに生きられる奴なんて一人もいない。
親に迷惑をかけない子はいないし、子に迷惑をかけない親もいない
部下に迷惑をかけない上司はいないし、上司に迷惑をかけない部下もいない。
先生に迷惑をかけない、生徒はいないし、生徒に迷惑をかけない生徒もいない。
会社に、迷惑をかけない社員はいない、社員に迷惑をかけない会社もない。
国に迷惑をかけない国民はいないし、国民に迷惑をかけない国もない
それが、どうした。
それでいいじゃない。何か悪い。
友達に迷惑をかけてはいけないなんて、なんて、哀し事を言うんだ。
水くさい。
迷惑をかけてはいけない。」「迷惑をかけるな」なんて躾けるから。
「ご迷惑ですか」なんてつまらんことを聞くの。

挙句に、「他人に迷惑をかけなければ、何をしてもいい」なんて、馬鹿なこと教えるから…。
終いには、「俺は誰にも迷惑なんてかけていない」と言い出して。
何をしてもいい」と振舞うようになる。
要は、自分が迷惑をかけている自覚がないから。
惑をかけなければの頭がなくなり。
何をしてもいいだけが残る。

それにしても、迷惑、迷惑って「やかましい」と言うの。
迷惑をかけるなんて当たり前だからな。
当たり前な事をことさらいうな。
ただ、迷惑を掛けていると言う事実は忘れるなよ。

それに、「迷惑、迷惑」と言っても、当人が迷惑をかけたと思わない限り、何の効果もない。
鬱陶しいだけ。

それでみんな委縮して。

迷惑かけちゃ駄目なんて言われたら何もできなくなるの。
俺は、「迷惑ですか」って聞かれたら、「迷惑だ」って答えるよ。
「お前の存在が」
それで、「だからどうした」ってね。

責任をとってくださいって。
それが俺の仕事だ。

迷惑かけたからってどうなの。
俺と一緒に仕事するの辞める。
それが一番、迷惑だけどな。
仕事仲間に迷惑を掛けずに仕事なんかできるかっての。
だから、「迷惑かけます」って声をかけ。
そして、最後に「ありがとうございます。」って感謝するの。

迷惑だけはかけないようにしますから」冗談、言わないでよ。
迷惑かけずに何ができると言うの。

迷惑かけられて当たり前だし、悪いなんて思っていないから。
逆に、迷惑をかけられるとチョット嬉けれどね。
「おおそうか、そうか」って。

迷惑をかけられるのが嫌なんじゃなくて、迷惑をかけている事を自覚していないのが嫌なんだ。
昔は、「迷惑かけます」って、挨拶したものさ。
そうしたら「お互い様」って返すの。

迷惑をかけたと思うから、素直に「ありがとうございます。」って自然に口をついて出る。

「迷惑をかけなければ」なんて言うから、「俺がいつ、あんたに迷惑をかけた」って。
「迷惑なんてかけていない」と開き直られたら、残っているのは、「何をしてもいい」
だから、傍若無人の若者が増える。
あいつら自分が迷惑かけているなんて思てやしない。
「だから、俺は、いつあんたに迷惑をかけた」って。

「俺が、いつ親に迷惑をかけった。」
「親は、勝手に俺を生んだんじゃないか。」と

逆に「迷惑をかけたくないから」なんて引き籠る奴も出てくる。

「迷惑をかけたくない」なんて、水臭い、哀しい事を言うな。
うちの社員なら大いに迷惑をかけろ。
ただ、「迷惑をかけます」と自覚しろ。

日本人はな、「お世話様」「お互い様」「お蔭様」「迷惑かけます」「世話になります」って挨拶し。
それで「ありがとうございます」と心から言えるようになるの。

これから、皆、俺の顔見たら「迷惑かけます」と挨拶しろ。
そうしたら、「お互い様」って返事してやるから。

狡いんだよ。
迷惑をかけるなというのは、できこないんだから。
最初からできない事を条件にして、それで、何をしてもいいと言うのは、
何もするなという事を意味するのだから。

もっともらしく聞こえるけど、要するに何もするなと。
その嘘の仕掛けに気がついた子は、「俺が誰に迷惑をかけた」と、ひらきなおるけど。
元から、欺瞞だから。
今度は、「迷惑かけるな」というところまで全否定され。
若い連中の暴走に歯止めがなくなる
だから汚いと言うの。
最初から、矛盾しているんだよ。
本当は、迷惑をかけてもいいけど自覚していろよなの。

自分が、誰にも、迷惑なんてかけてないと、他人に迷惑をかけている事を自覚していないのに、「人に迷惑かけなければ。何してもいい」なんて言うものだから。
前段の「他人に迷惑をかけなければ」と言うのが消えて、「何をしてもいい」だけが残る事になる。
曰く、「俺が、どんな迷惑かけた。俺は、誰にも迷惑をかけていないのだから、何をしてもいい」と傍若無人の振舞をする。
「他人に迷惑をかけなければ、何をしてもいい」なんて言うからである、

親に向かって、「俺は、迷惑なんてかけていない。」と勝手な事を言い出す。
世の中に迷惑をかけていないと、したい放題
注意をしようものなら、「あんたに、どんな迷惑をかけた。」と食って掛かる始末。

人は成長する時、周囲にたくさん迷惑をかける。
師にたくさん迷惑をかけた弟子ほど成長する。
会社にたくさん迷惑かけた社員ほど成長する
弟子の成長は、師の喜び。
社員の成長すれば、会社も伸びる。
だから、迷惑を掛ける事を恐れる事はないさ。
迷惑をかけたくないなんて水臭いこと言わないで。
ただ、恩を感じてほしい

その恩を忘れないでほしい
恩というのは強要できやしない。
恩ぎせがましくしたら、真の恩は育まれない。
恩は、自分が感じる。
迷惑を掛けたと感じるから、恩を感じる。
子は親に迷惑を掛けたと思えば親の恩を感じるし。
弟子は、師に迷惑を掛けたと思うから、恩になる。
迷惑を掛けたと思わなければ、恩なんて感じない。
その恩を、これから大勢の人に迷惑を掛けて成長しようとする者に返してほしい。
そして、皆で助け合い。幸せになってほしい。幸せにしてほしい。
それを考えたら、迷惑なんて…。

迷惑を掛けるのではなくて、迷惑を掛けたの忘れて。
俺は誰にも迷惑をかけていないと、誰にも感謝することなく
人の迷惑を顧みず、自分さえよければと、破廉恥のになるのが悪い事。
人は、自分一人では生きられない。
誰かしらに迷惑を掛けているのだから。
お蔭さまと少しでも恩返し。
世の為、人の為になる事を。
それが恩返しというものさ。

かつての日本人なら、「ご迷惑様。」「お互い様。」「お世話になります。」と挨拶をした。
「迷惑をかけないなら、何をしてもいい」なんて言うはずがない。