正しいことを正しいとし、間違いを間違いとする心。それが誇り。
だから、誇りは自分の心に根ざす。自分がなければ虚栄心になる。
誇りを失うとは、正しいことを正しいとできなくなり、世に阿るようになること。
誇りと自慢は違う。
辞書によると誇りを自慢する事と定義しているものがあるがこれはとんでもない事。
誇りは他と比べようのない心。
実があるかないか。誇り高い者は、自慢はしない。
自慢は、自惚れだから。
私はあなたを誇りに思うというのは、あなたを自慢に思うというのと意味が違う。
私はあなたの正しさを信じるということで。
誇りがある人は謙虚になれる。なぜなら、自信があるから。
誇りある人は、気高く。なぜなら、自分を信じ、他人と競わないから。
誇りある人は、寛容になれる。なぜなら、自分の力を信じているから。相手を卑しめることは自分の誇りが許さないから。
見る目のない人に侮辱されても、気にかけることはないよ。誇りにかけて。
自分を認めていない人から馬鹿にされたところで何の影響もない。
実力のある者は誇り高くなれる。
実力のない者は、虚勢しか張れない。憐れなもの。
実力のある者は、誇り高くあれ。
倫理というなら何故と問うこと。
何故、どのような条件で、個人情報を守る必要があるのか。
前提条件と目的かわからなければ、守りようがない。
黙って言うこと聞けというのは、相手の誇りを傷つける事。
兵士に人を殺してはならないという倫理は成り立たない。
ならば、人として何を守るべきか。
その狭間で兵士は苦しみ続ける。
だから、武士にとって誇りはよりどころ。
これは、あなたの倫理を問う時も同じ。
守れと言うなら、守れるようにするのは義務であり、守ろ事を強要されたら前提条件や目的を聞くのは権利。
孟子は言う。
自(みずか)ら反(かえり)みて縮(なお)からずば、褐寛博(かつかんぱく)と雖も吾惴(おそれ)れざらんや。自(みずか)ら反(かえり)みて縮(なお)ければ、千万人と雖も吾往かん。
顧みて、自分に非があれば、どんなに賤しい(いやしい)、とるに足らない人間でも恐懼(きょうく)するが、顧みて自分が正しいという確信があれば、この世の中全てを敵にまわしたとしても、吾一人になっても、突き進んでいく。
人に何を言われようともね。気高く、自分の正しさを守る。
それが誇り。孤高ともね。
戦後の日本人は誇りを失った、残されたのは欲望。
今の世もね。
誇りなんて誰も求めない。
でも、誇りを失えば、自尊心が持てない。
自分の中心が持てない。自立心が持てない。
欲望だけでは鵺のような化け物になる。
化け物にしてしまう。
なぜと問う事さえ許されなければ。
なぜと問うのは誇りがあるから。
兵士,侍が敵を殺すのは大切なものを護る為。
戦場では敵を殺せずに空に向かって引き金を引く兵士が多いという統計もある。
敵を殺さなければ自分が殺されるとわかっていても。
命を懸けて守るというのではなく。
相手を殺しても守らなければならないのは何か。
だからこそ、誇りが問われる。
ただ悲壮感なのか。
涅槃寂静の世界か私にはわかりません。
でも覚悟。
その覚悟を今の日本人は失った。
大和魂を。誇りを。
僕は日本人の誇りを取り戻したい。
一度、生を受けた者に滅せぬ者のおるべきか。
死のうは一定。
そう舞って桶狭間に出陣した織田信長を多くの日本人は最高の美学を見るのですね。
ただただ、日本人として生き抜く事(笑)潔く。
そう心に決めて生きています。
人に知られないことを恥じず。
ただただ信じて。己の誠つくす。
何もことさらに構えることなく、その時そのときに最善を尽くす。
それが誇り。
自慢することなく。
心静かに自分を見つめなおす。
そのためには矜持、誇りが必要なのです。
顧みて、自らが正しいと信じるのならば敵は幾万ありとても吾一人行かん。
命がけで守るべき事。
侘び寂びは、生と死の境。狭間を意味している。
そこには、生もなく死もなく、時間からも解放されている。
涅槃ですね。涅槃寂静。
だから、詫び寂なので。
徳島白菊隊。
白菊(偵察員の訓練用機)最高速度百八十キロ/時。沖縄まで五時間。
ゼロ戦五百三十キロ/時、沖縄まで二時間。
夜間海上三十メートルの低空飛行。
五時間、漆黒の星空を、二十歳前後の若者が。
決して短い時間ではない。
死という現実に向き合には十分な時間で。
そこで彼らは、何を見て、何を信じたのか。
その先に何があったのか。
ただ悲壮感なのか。涅槃寂静の世界か私にはわかりません。
でも覚悟。
その覚悟を今の日本人は失った。
大和魂を。誇りを。
僕は日本人の誇りを取り戻したい。
一度、生を受けた者に滅せぬ者のおるべきか。
死のうは一定。
そう舞って桶狭間に出陣した織田信長を多くの日本人は最高の美学を見る。