葉を大切にしよう
我々は、言葉を使って、お互いの考え情報を交換している。
言葉の正しい意味がわからなければ、当然、相手が何を言っているのかわからない。
お互いの意志は伝わらない。
それも、日常的に、何気なく、お互いが分かっているだろう、わかってないと困る言葉を、本当は、わかっていないのに、わかっているつもりで、あるいは、わかったふりして、自分勝手に解釈している。
例えば、お客、商品、プロパンガス、キャンペーン、売上、目的、方針、事務、管理、マネージャー、お金等など。
こんな基本的な用語でも、その意味を正しく理解しているだろうか。

新人の特権は、何もわかっていないから、何でも、聞く事が許されている
新人のうちにこの特権を活用し、どんどん聞く
聞けば、聞いた相手の実力の底が見えてくる。
だから、実力のない人はすごく嫌がる。

力のない連中は、言葉をぞんざい、いい加減、曖昧、適当に扱う。
だから、仕事が、ぞんざいで、いい加減で、曖昧、適当になる。
わからない人は、聞かれると、まず、不愉快そうに、イラッとする。最初は、笑ってごまかそうとする
話をはぐらかそうとする。
次に、質問してきた人をバカにして、侮辱する
最後に怒りだす
そして、コソコソと逃げ出す

「キャンペーンて何ですか。」
「えっ、キャンペーンね。
そんな当たり前なこと聞かれてもね。」
「アハハハ、キャンペーンね。
やっているうちにわかるよ。
聞かなくてもわかるだろ。
学校でなに勉強してきたの。」
「そんなこともわからないの。困ったな。誰も教えてくれなかった。キャンペーンは、キャンペーンだよ。そんなの常識さ。」
「うるさいな。キャンペーンは、キャンペーンだよ。自分で考えろよ。調べればわかるだろ。」。
そういって、何も答えないで逃げ出す。

かと思うとすごく優しく、違うことを教えてくれる。
笑って無視される。

聞いた側が二度と聞きたくなくなるような雰囲気にして。
こういう人間は、まずわかっていないと思っていい。

実は、キャンペーンとはなにか、その言葉の定義から、仕事は、始まると思っていい。
だから、遠慮なく聞いていい。
そうでないと、仕事は、始まらない。
だから、わからない言葉があったら聞くし
わからない事は分からないままにしない。
わからないからそこから始めようという人がわかっている人

葉の意味を正しく理解する。
理解するというより、ビジネスでは、都度つど、用語を必要に応じて要件定義して、統一しておく。
キャンペーンとは、何か。定義してみよう。
キャンペーンの必須アイテム(項目)はなにか。
イベント付きキャンペーンイベントの付かないキャンペーンがあるが、どう違う。
イベントには、どんなものがあるのか。
イベントには、感謝祭、展示会、相談会などがある。
感謝祭と展示会、相談会はどう違うのか
また、キャンペーンはイベントのあり方によってどのような影響を受けるのか。

言葉の定義には、辞書的な定義の仕方と要件定義がある。
辞書的定義は、要は、わからなければ、辞書やインターネットで、言葉の意味を調べればわかる
ただ、辞書的定義は、実務ではヒントにしかならない。
実務では要件定義で。今回のキャンペーンの目的は、何々で、期間は、いつからいつまでで、誰が責任者でというように定義する。
つまり、一回いっかい、都度定義するので、キャンペーてなんですかと聞かれても、一遍には答えられない。だからわからないというのが正解
せいぜい、アイテム(項目)が挙げられるのがせいぜい。

辞書的定義(概念的定義)は、頭の中でするが、要件的定義は、現実の場で、何らかの行動や作業が伴う
つまり、辞書的定義は内(陰)的定義なのに対し、要件的定義は外(陽)的定義。

仕事は物事で成り立っている
即ち、で構成されている。
事とは、事実であり、行為である。
だから、仕事の定義は、物と事に裏付けられてなければならない。

認しましたと言って、確認した事になるのなら誰も苦労はせんわ。
いつ、どこで、誰が、どのように確認をし、誰が報告を受けたか。
それが明確に答えられなければ確認したことにはならない。
確認とは確認してみてわかるのである。

まずいこと聞いたのか、悪いこと聞いたのかなという気分なさせられて。
直接に聞けなくなり。
キャンペーンとは何か、わからないまま、曖昧なまま、キャンペーンの計画を立て準備してなんとなくやって、その結果から反省をする
うまくいっても、失敗しても、わけがわからないまま評価される。
いつまでも最初に抱いた疑念、モヤモヤははれない。
一体、キャンペーンてなんですか。

そんなものとか、それでいいと言われても。
いい加減、適当にしか見えない。
達成がえられない
自分の考えがもてない。

仕事では、言葉の定義はその都度その都度変わる
なぜ、都度つど変わるかというと、仕事上の定義は、要件定義だからだ。
要件定義というのは、物事で定義することをいう。
事と言うのは、具体的事象事実や行為を言う。
例えば、確認とか、打ち合わせという言葉は同じでも、人や物、状況や条件によって全く違う意味になる。
例えば、○○が確認するのと、△□が確認するのとでは意味が違う
電話して確認するのと、行って確認するのも違う。
確認するのと、明日確認するのも違う。
確認と言っても、人、物、場所、条件、状況によって全く違う意味になる。
故に、要件定義では、項目(アイテム)が重要となる。
例えば、ゲームでは、キャラクターの定義をアイテムでするような事

責任者の意味も、誰を責任者とするかによって違ってくる。

大統領の定義を、小学館の大辞典では、以下のように定義されている。これは辞書的定義

だい‐とうりょう〔‐トウリヤウ〕【大統領】

1 共和制国家の元首。国民の直接選挙または議会での選挙などによって選出される。米国などのように行政府の首長として強い権限をもつ国もあれば、形式的存在の国もある。
2 芝居に出演している役者などに対して、親しみを込めて呼び掛けるときに用いる語。「待ってました、大統領」

それに対して要件定義では、現実の大統領によって定義される。

アメリカ大統領

アメリカ合衆国 第46代大統領。
名前:ジョー・バイデン、本名:ジョセフ・ロビネット・バイデン・ジュニア、
アメリカ合衆国の政治家、弁護士。
史上最年長にしてアメリカ合衆国史上最高齢の大統領である。
生まれ: 1942年11月20日 (年齢 81歳), アメリカ合衆国 ペンシルベニア州 スクラントン
政党: 民主党
子女: ハンター・バイデン、 アシュリー・バイデン、 ナオミ・バイデン、 ボウ・バイデン
配偶者: ジル・バイデン (1977年から)、 ネイリア・ハンター・バイデン (1966年 – 1972年)
副大統領: カマラ・ハリス (2021年–)
大統領任期: 2021年1月20日から
身長: 183 cm

というようにである。

だから、要件定義では、名前、年齢、性別、配偶者、政党、役職名等と言った項目が重要となる。

辞書的定義が抽象的な定義なのに対し、要件定義は、具象的、具体的、事実による定義
辞書的定義を、内包的。要件定義を外延的という。

要件定義は、客観的事実に基づくことが求められる。

仕事は、物事に置き換えて考えるように。

例えば、支店を巻き込むとよく言うが、支店を巻き込むを物事に置き換えれとどうなるのか。
単に、支店を巻き込めと言われてもどうしていいかわからない。

支店を巻き込むというのは、実務的に言うとどういう事か。物事に置き換えたらどうなるのか。

仕事にする。仕事として考えろと、常々言われて育ってきたが。

最近、巻き込めとか、検討しておけとか、仕事に置き換えにくい事を、簡単に指示する人が増えてきた。
マネジャーとか、責任者を任せられたらこの辺を意図して考えないと、仕事にできない。

例えば、支店を巻き込めというのは、仕事に置き換えると、どのようなことを意味するのか。

支店を巻き込めとは、支店と一緒に仕事をしろという意味なのか。支店に協力してもらえというのか。
支店と分担してやれという意味なのか。意見を聞けという事なのか。

巻き込めというのは、支店のどの部分なのか事務なのか、営業なのか。

どの段階を意味するのか。最初から、加えておく必要があるのか。

支店を巻き込めという指示を上司が、担当に出したとして、担当に何ができるのか
担当に何を期待しているのか。
上司は、担当に、それを説明する義務がある。

支店を巻き込むためには、支店を動かす必要がある。

現段階で、担当は支店のどこを動かせるのか。

今の段階では担当の個人的な力によらなければならない。
では、担当のどのような力をあてにするのか。期待するのか。
そのためには。担当の力の源泉を正しく理解する必要がある。

だからこそ、要件定義が求められるのでである。

たとえ、担当は計画を立案できたとしても、直接、支店を動かせるわけではない。
支店を動かすためには、支店を動かすための権限が必要。
そもそも、その権限を担当は持っていない。
担当に権限がなければ権限が上司が代行する必要がある。
支店を巻き込むためには、あらかじめ、支店長に指示を出しておく必要がある。
支店を巻き込むという事は支店に仕事をさせる必要があるからで。
では誰から支店の誰に指示を出すのか。

これがである。

誰が支店指示が出せるか、一般に、明確に、職務分掌のような規定で定まっているわけではない。
何か、役職によって権限も自動的に定まると思い込んでいる人がいるが、もともと、仕事上の定義は要件定義である。
権限こそ要件定義されるべき事柄である。

状況や前提条件が変化すれば、必然的に、権限も変化する
絶対的権限などないのである。
だから、権限も要件定義である。
組織は状況や環境の変化に速やかに適応する必要があるからで、環境の変化に応じられなければ危うくなる。

じ事違う人間別々に指示したら、組織は、たちまちに分裂する。
また、指示は極力、一元化しておく必要がある。組織が割れるからである。
注意するのは、担当は、正式な指示を現場に出せないのが原則。

次に、マネジャーは何をするのかを考える。

マネジャーは、支店に、あらかじめ、指示をする。
部門間の役割分担、方針を明確にしておく必要がある。
誰が担当に指示するのか一元的に決めておく必要がある。
指示命令が複数のカ所から統一性もなく出されると担当者は誰の指示に従っていいのか迷う
その結果、部下が上司を選ぶという現象が起きる。

指示、命令系統を一元化する必要性はその点にある。
指示は上下左右、整合性が保たれなければならない

マネジャーが支店長に指示する場としては、週次会議、支店長会議がある。

マネジャー間で、これらの会議の前に、何を伝えるか意思統一をする必要がある。
意思統一はどのように図るか事後に意思統一を図る事はできない。
事前に意思統一が図れなければ、強引に従えることになる。

基本、マネジャー間で事前打ち合わせで意思統一を図り、必要に応じてトップの承認を得る。

だからこそ、いつ、マネジャーは、何を打ち合わせるのか、話はついているか
そこが肝になる。

このように、仕事は段取っていく。

仕事は、十決めたら十やらなければならないので、一つやったからいいじゃないですかというのは許されない。一つでも欠ければ、仕事としては失敗。
だから、曖昧な記憶に頼る事は許されない。
しかも、ひとり合点も許されない。
だからこそ、指示されたり打ち合わせの直後に相互に確認の上、文書にする。
それは、ある種の契約であり。
それが、一神教徒の仕事の基本。今の仕事の基本でもあるが、日本人は分かっていない。
文書にして確認する事を怠るから、仕事がいい加減になり。
後々、言ったいわないの論争の元となる。
よく、何の記録も取らずに、しばらく間を開け、あわよくば、相手が忘れるのを待つ
それでなくとも、決められた事と違ったこと、自分に都合がいいように話の内容を変える者すらいる。
しかし、欧米人から見るとこれは犯罪行為に等しい
詐欺ぺってん背任みたいのこと。
残念ながら日本人は信用できないと見られている。

ええから、ええからは、やめる。
そうしないと、いい加減な仕事しかできなくなる。

その都度その都度、出された結論や、指示を紙に書いて確認する。
こんな簡単な事もできないで、難しい仕事などできるはずがない。