私の息子は、カナダに留学しているが。
息子の親友のドイツ系カナダ人が志願してウクライナに行くそうだ。
息子も志願したいと言ってたみたいだが、家内は、息子には、今、国の為にやるべきこと、役に立つことは、別にあるし。焦らないで、様子を見なさいと止めたそうだ。
これが、世界の現実。
世界中の若者が銃をとって戦うべきかどうか悩んでいるのに、日本人は、自分、一人、蚊帳の外にいる。
日本でも、七十人ぐらいが志願したと聞きますが、それが驚きで受け止められている。
自分の国どころか、会社も、家族も、困ったら誰か助けてくれるだろうと、高を括って、自分で行動を起こそうともしない。
追い詰められると、パパ、ママが何とかしてとくる。
それが、二十歳前の子供ならいざ知らず。
六十ちかくなっても自分で何とかしようともしない。
それが、今の日本の現実。
情けない限り。
少しは、恥ずかしいと思え。
周囲で起こっている事を我がことと受け止められない。
ここまで来たら病気だよ。
当事者意識がない。
だから、自分の事として受け止められない。
何もが、他人事。
責任が持てない。
毎日、同じ事を同じようにしていれば無難に生きていけると固く信じって。
自分の掘った穴に閉籠って出てこようとしない。
いつの間にか、自分が戦場のただなかに取り残されても気がつかない。
自分の力で事態を打開できない。
自分の意志で何も決められない。
何もしないのが最善だと思い込んでいる。
三無主義。事なかれ主義。日和見主義。
自分は安全なところにいて他人を批判しても始まらない。
降りかかる火の粉は払わなばならぬ。
義を見てせざるは勇なきなり。
いま日本では、半導体が手に入らないと騒いでいるけど、カナダではいくらでも手に入るそうだ。
それだけ買い負けしている。
国力が衰えている。
もはや、今の日本は、かつてのような力はない。
それが現実。
自分の実力を直視しなければ、自分は守れない。活かせない。
四十年ほど前に、市場が開放された直後の中国にいた時、泊まったホテルの窓から家の建設現場が見えた。
年寄りが、手押し車にレンガを載せて現場まで運んでいるのを、周囲の工事人たちは、ただ見ているだけ。
運び終わってから次の仕事にかかる。
要は泥縄。これじゃ、いつまでたっても家は立たないわって当時、一緒の旅した人は、笑っていたけど。
今の日本人の仕事を見ていると何にも変わらない。
決めてくれないから着手できないとか。
結論が出なければ、やらないなんて、子供以下の逃げ口上。
そんなこと言ったら、最初から、やる気ないんだろと、どやされたよ。
敵は、待ってはくれないんだよと。
それが、本当の戦場を生き抜いてきた人なのでしょう。
今決めるべき事を、できる事から、決めるべき人が決める。
明後日の事、聞いているじゃないよ。今決める事、やる事を聞いているんだ。
着手するしないは自分で決まる事。
でもどこから手を付けるか、何から始めるかを決めるのが難しいんだ。
現実から目を背けないで、自分に何ができて、何が出来なか。
正直に認めないと着手は難しい。
いま世界中の目が注がれているのは、ウクライナだからですよ。
第二次世界体制後という言葉を何度も聞きますが。
世間知らずの日本人はこっろと騙される。
それを言うなら、湾岸戦争や、アフガン、ハンガリー動乱。
もっと言えば、ベトナム戦争は何だったんだと。
ロシアが、真っ先にチェルノブイリを抑えたという事は、ウクライナには核兵器を開発する技術があるという事ですよ。
ウクライナという国をなめてはいけない。
日本のマスコミも、世界も、ウクライナの主権を認めてきたかという事で、それが根本にある。
ウクライナは、自国の意志を明確にしたら、攻められたという事で。
それは、日本だって他所事(よそごと)では、すまされない。
本当に日本は自国の主権を主張してきたか。
いずれは、その問題が突き付けられることになる。
その時になって慌てても遅い。
戦争も、平和も、現実なんですよ。
戦争は、現実です。
平和と同じくらい、戦争も現実です。
今、こうしているうちも、戦いは続いている。
どこかのテレビ局が深夜なのに砲声が鳴りやまないと。
それが、戦争の現実なので。
平和な日常を送る人間には、戦争という現実が受け入れられない。
親父は、宮古島で終戦を迎えましたが。
リゾート地としての宮古島が終生受け入れられなかった。
自分は、東京下町生まれで、でも、関東大震災や大空襲という現実は、幻でしかなかった。
ただ、子供の頃通った小学校には生々しい焼け跡が残っていた。
家の斜め前には、何代にも亘って全滅した家族が住んでいたという空き地が残っていた。
それも現実。
親父は言ってました。
宮古島は着任した時は平和で穏やかな島で、上陸を阻む杭を海岸に敷設していた。
ある日、敵の飛行機が来襲して戦友の一人が、撃たれて死んだ。
それ以来誰も海に入らなくなった。
それも現実。
今、夏になると若者たちの歓声であふれるのも現実。
ただ、現実を直視ないと明日がないと言うだけで。
ある日突然、何もかも変わってしまうのも現実なのだから。
戦場で戦死するのが現実なら。
平和な街で孤独死するのも現実。
コロナで死ぬのも現実。
自動車事故で死ぬのも現実。
だとしたら、死を恐れて何もしないのは非現実的なのでしょう。