芯がないから虚勢を張る。
芯とは、自分の内にあって、確固たるもの。

玉葱のような人間になるな。
玉葱のような人生は送るな。
玉葱のような仕事はするな。

玉葱は、剥いても剥いても芯がない。

芯とは、自分の内にあって確固たるもの。
外に求めても駄目。
内にあるもの。
芯のある者は、何があっても動じる事がない。
若いうちでしか芯は作れない。
芯があれば歳をとっても揺るがない。

仕事の支度、準備、用い、お膳立て、点検、後始末、掃除、道具の手入れ。
家の手伝いをしながら基本を躾けられ。
そうやって芯をもたされた。
今は、支度や準備、面倒くさい事は人任せ。
準備ができてない、支度が悪いのは、親の性、他人の性。
後始末もいい加減にして逃げ出していく。
だから、いつまでたっても芯が持てない。
自分がない。
自分の形が作れない。
辛い事、厭な事、汚い事、面倒くさい事、下働きをするから芯ができる。
厭な事から逃げていたら、芯なんかできない。だから逃げるな。投げ出すな。
辛抱、我慢ができる若いうちだから芯はできる。
若いうちは、買ってでも苦労をしろ。
親父は、口癖のように言っていたな。
肝心な事は教えられない。
痛い目にあってわかるものと。
仕事は泣きながら覚えるもの。
悔しければやってみろ。見返してみろ。
歳をとったら辛抱が聞かなくなる。頑固になる。
だから、素直なうちに芯を作れと…。

芯のない仕事はするな。
芯というのは、原点にある。
志すところにある。
自分の内にある。
仕事の礎石、中心にある。
芯がないから段取りが組めない。
責任が持てない。
最後の詰めが甘くなる。

何をするにしても、目的があるはず。
それが芯。芯があって守るべき事がわかる。
何が何でも目的を達成しようと思えば、己の虚飾をしてることができる。
己の限界を認め、人を受け入れ、他人を認める事もできる。
自分がないから、芯がないから、つまらぬことで腹を立て、人を妬み、自分を偉く見せようとして虚勢を張って孤独になる。
芯さえあれば、素の自分に戻って、自分にできる事できない事を見極める事が出来る。
芯がないから人に頭を下げる事もできないで、我を張って孤立する。
何が目的か、何のために、何を為そうとしているのか。
その為なら、なりふりなんて構っていられるか。
芯があれば、他人に敗けたところで動じたりはしない。
芯があれば、自分より力のある者を受け入れられる。
外見なんてどうでもいい。関わっていられない。
果実は腐っても、芯は残る。芯には、種がある。

芯がないから外見を取り繕い。
些細な事で腹を立て。
苦しくなると取り乱し。
自分を誤魔化し。言い訳、弁解をする。
目先の事に囚われ、大局を見失う。
自分を信じられなくなる。
誇りを失う。

通すべき筋が見えなくなり。
悪に騙され、妥協し、取り込まれ、加担し、堕落する。

何が、己の芯なのか。

何が己が信じなければならない芯、真、神なのか。
守らなければならない芯なのか。
自分自身なのか。

芯を突き詰めてみれば自分となる。
自分の実力に下駄を履かせ、虚勢を張っているかぎり、芯は見えてこない。
自分の限界を知った時、自分の芯が見えてくる。
素の自分を隠して、下駄を履かせ、虚勢を張っていると成長が止まる。
だから、親父たちに下駄や、虚飾は引っ剥がされた。
本当の自分を見ろ。本当の自分の実力を知れ。

劣っている事、欠けている事、できない事、失敗した事、過ち、人を傷つけた事、罪。
劣等感、障害、醜い事、厭な事、忘れたい事、できない事、隠したい事、認めたくない事、認められない事。
自分ではどうしようもなくて、受けいれなければならない事。
厭でいやでどうしようもなくても、それが事実ならば、しようがないではないか。
受け入れなければ一歩も先に進めなくなる事。
だけど、素の自分を素直に受け入れられたら、そこから、始められるんだぜ。
今の自分にできない事を受け入れ、認めれば、努力して将来できるようになる可能性も開ける。
自分の限界を認めない限り、自分の限界は超える事はできない。
できないと認めた時、目標が定まるのだ。
できる事も、できない事も、成功も、失敗も、善行も、恥ずかしい事も、後悔も、美しいところも、醜いところも、素の自分をあるがままに、一切合切受け入れ。
自分の虚飾を突き詰め、かなぐり捨てていくと、最後には、純なる魂が残る。
それが自分の芯だ。初心、原点だ。

成長しようとしたら一つ上の限界に挑戦する。
限界に挑戦できなくなったら成長は止まる。
二つも三つも上の限界に挑戦したら、限界を越えられずに挫折する。
人間でも、会社でも、成長させようと思ったら、手始めに、一つ上の限界に挑戦する。
一つ上の限界なら克服できる可能性がある。
一つひとつ限界を変えていくとあるところから加速度がつく。
そこに至るまでは我慢我慢。
だから、人を成長させようとしたら、相手の限界ギリギリのところを攻めていく。
ギリギリを攻める為に、相手の限界を知る必要がある。
だから、下駄をはかれたり、虚勢を張られるとその人間の本当の限界が見えてこない。
だから、先輩や親父たちは、下駄を脱がせるところ、虚飾を引っ剥がすところから始まる。

学生時代。仲間が家に遊びに来た時、親父に挨拶しなかった。
親父が、「あいつは、俺に挨拶もしなかった。」怒ったから。
俺は、「挨拶をしないんじゃなくて挨拶ができないんだ。」と答えた。
親父は、「俺は、小学校しか出てないが、挨拶くらいできる。あいつは最高学府言っているではないか。」というから、
「最高学府言ってるから恥ずかしくてできないんだよ。」と答えた。
だから、基本は、若いうちに身につけろ。若いうちなら許されると教えられた。

自分が傷つく事、失敗を怖れるな。
自分が傷つくことを恐れ、失敗を怖れて、他人を拒む方が、臆病になる方がよほど怖い。
一歩前に出なければ、先には進めないのだ。
勇気をもって一歩目を踏み出そう。

十代なら、できなくても、聞いても許されるが、歳をとったら許されなくなるし、人間も卑屈になって悪くなる。
だから、己(おのれ)の素を知れ、限界を知れ。
つまらぬ虚飾を捨てろ。
人様に見せられないところを見せない限り、医者に診てもらう事はできない。
人様に見せられないところを見せない限り、夫婦にはなれない。
人様に見せられない処を見せ合うから絆は深まるのだ。
限界を知り、限界を認め、一つ上の限界に挑戦する事が出来る限り、人は成長できる。

できない事は、できないと言え。
できない事が悪いわけではない。
できない事を認めないのが悪いんだ。
できない事を認めるから自分の芯が見えてくる。
できない事がわかればやりようがある。
できない事がわからなければやりようがなくなるではないか。

できない事や解らない事を知られるのが怖くて、嘘をつき。
虚勢を張ったり、見下したりもする。
挙句、自分をも欺こうとする。
頑なに自分を偽る事は、自分だけでなく周囲も傷つけ、問題の解決を遅らせる。
社会を混乱させ、破滅へと導てしまう事さえある。
できないことがハッキリするから、できることも見えてくる。
芯もあからさまになる。
自分ができない事を、受け入れ、他人を認めるからこそ道が拓ける。
それなのに、人は、かたくなに自分の限界を認めよとしない。
年をとると猶更の事。

歳をとると恥ずかしいと聞くことも憚るようになる。
老いを受け入れ、己(おのれ)を知れば、枯れはしない。
泰然自若として生を楽しむ。

歳をとると、芯が細く、小さくなる。
自分の限界が見えてくる。
歳と伴に芯は小さくな値が、押し固めれば硬くなり、最後はダイヤモンドのような輝きを発するようになる。
限界に達し、小さくなっているのに、老いを受け入れる事が出来ず。
限界を知らなければ、芯なんてあって言う間になくてなってしまう。

苦しい時、限界に達した時こそ、自分に立ち帰る。
それが自分の核芯なのである。