何が自由だというのだ。
自由の意味もわからずに。
今、自由を問われている国はどこかわかっているのか。
自由を守るということは、この国の独立を主権を守ることに、他ならない。
この国の自由を守っているのは自衛隊なんだ。
香港を見ろ。
台湾を見ろ。
アフガニスタンを見ろ。
ロシアを見ろ。
中国を見ろ。
北朝鮮を見ろ。
ミャンマーをみろ。
何が自由で、誰が自由を守ろうとしているのか。
誰が、自由を踏みにじろうとしているのか。
自由は口先だけで守れるものではない。
自由は命がけで守るものなのだ。

国家とはなにか。
このことをとう必要がある。
国家とは、領土なのか。
憲法で定義された領域なのか。
ただ、国を守る者にとって国境線は、現実なのである。
我が国が国民国家となったのは、明治以後である。
しかし、今の日本は国民国家と言えるか。
それは甚だ怪しい。
それは、自分の国の主権と独立を、自分たちの意志で守ろうとする決意がかけているからだ。
これは自衛隊員の問題ではない。
国民の問題なのだ。
自衛隊だけが我が国の自由と独立のために戦うわけではないからだ。
これこそ本源的な問題なのである。

自衛隊にだけ国防という現実を押し付けて、空理空論を戦わせている時ではない。

自由は、与えられるものではない。
自分の意志と力で勝ち取るものである。
自由を勝ち取る為にどれほど多くの血が流された事か。
反戦反戦と騒ぐだけでは、平和は守れない。
平和こそ戦わなければ守れないのである。

今の日本人は、平和は当たり前なんだ。普通なんだと思い込んでいる。
平和は戦いとる事だという事がわからない。
治安は、警察があるから維持される。
国民が安心して生活できるのは、健全な警察にお陰である。
なぜ、アメリカ人は、銃の所持を基本的な権利だと主張するのか。
自由と独立は銃によって守られると多くの国民が信じているからだ。

戦前の軍隊と自衛隊と同列に語るのは愚かである。
根本思想が違うのである。
守るべきものが違う。
今の自衛隊が守ろうとしているのは、日本の自由と独立であり。
何よりも、国民の生命、財産、そして権利である。

自由を守っているのは自衛隊なんだ。
日本の平和を守っているのは、自衛隊なんだ。
これは現実であり。
自由と独立の本質である。

今朝、九十歳の母に玉音放送を聞いた時どうしたと尋ねた。
母は、そりゃあ泣いたわよと。
皆も泣いていたわ。
その後、ものすごい虚脱感に襲われて。
だって、それまで皆、ものすごく高揚していたから。
戦後、七十年以上経っても、日本は未だに、その虚脱感から抜け出していない。
負け犬根性にひったている。
それでは、子供たちを守れない。
この国を守れない。

自衛隊は、最後の砦。
自衛隊の健全さだけが、唯一の救いとなる。