僕は運転しない。
だから、僕の会社で運転が一番下手なのは、私である。

チームワークというのは、自分の限界、至らない処を自覚する処から始まる。
自分一人ではできないからチームを組む。
自分一人でできるなら、何も他人と手を組む必要がない。
ああ、俺一人ではできないと悟ったところから組織は、始まる。
相手の力を認める事から組織は始まる。
上か、下かというのは、役割分担から生じる事だが、始まりはお互いをみとる目あう事で、この原点を忘れるとえらい事になる。
組織は、土台から瓦解する。

それで、俺は、自分一人で何かをしようと思いあがったら、
「だって、お前、運転できないじゃない。」と自答する。
運転は、できないと結構、面倒である。
困るし。自分が困るし、それ以上に廻りの者が困る。
家族が困る。
子供なんて、結構、肩身の狭い思いもさせたかもしれない。

それでも、平気でいられたのは、親父のお陰かもしれない。
親父は小学校しか出ていない。
親父は、よく言っていた、俺は、小学校時代、毎日先生に殴られていた。一番、前に、座ってたので、丁度、先生がぶん殴りやすいところに座っていたんだろうと。
ある日、あんまり頭にきたので、こんな教室にいられるかとカバンをもって隣の教室に行ったら、追い返されたと。
また、小学校に上がる前、トラックに、ロープで、体を結び付けて、スケボウに乗っていたら、転んで車に引きづられたとか。
これも小学校に上がる前に、扁桃腺になった時、家が貧乏なので近くの病院の院長室に行ってただで手術してくれと訴えたら、爺さんに後でこっぴどく叱られたとか。
そんな天真爛漫な親父が好きだったから、小学校しか出ていないからと言って誇らしく思った事はあっても、恥ずかしいと感じた事はなかった。
ちなみに、祖母は、学校に上がる前に子守奉公させられたそうだ。だから、字を読む事が出来なかった。
だから、運転ができない事くらい何とも思わない。

ある時、お客がお前のところの大将は運転ができないのかと馬鹿にしたと言ってきたら、腹心の一人が、何を言ってるんだ、運転手付きなんて、僕らは憧れてきた。そんなのほっとけばいいですよと言ってくれた。それが信頼というものである。
俺が運転をすると言えば真剣に止めるだろう。命にかかわる事だからね。
かといって、運転ができないからと馬鹿にしたりはしない。
それがチームである。

人に自分の弱味を知られたくないとか。
馬鹿にされたくないとか。
そんなこと気にしていたら、共に苦楽はできないよ。
いじめが悪いというよりさ。
弱い者いじめが悪いんだ。

パンツを脱がなければ、夫婦にはなれないのよ。
医者の前で裸になれなければ、病気は治せない。
信頼というのはそういう事。
チームを作るためには、互いに信じあわなければね。
自分の弱味、弱点、限界、至らぬところを自覚するから、助け合うことができる。
他人を受け入れる事が出来る。

独断と偏向と、先入観。まずそこから始まる。
一度表に出さないと、何が、独断で、何が変更で、何が先入観かわからない。
独断、偏向、先入観を取り合え巣瀬表に出す。
悪いのは、無自覚に独断、偏向、先入観で行動する事。
言ってみな。叩き潰すから。
戦う。自分の独断、偏向、先入観と。
相手の独断、偏向、先入観と戦う。

役職に応じて権限が与えられる。
それは特権である。
特権が悪いと言われたら、誰も自分の責任が果たせなくなる。
特権が悪いというのは、権限を目的以外の事で乱用したり。
限度を超えたり、既得権化するからである。
特権そのものが悪いと言われたら組織は、機能しなくなる。
権力も然りである。
反権力者は、何でもかんでも、権力、特権は悪だと決めてかかる。
権力、特権の全てを否定したら、無法な暴力に支配されるだけだ。

リーダーなんてね。
自分一人では何もできない。
何もできないのに他人を指図する。
だから、偉そうに見える。
そういうのは、子供から見ると滑稽に見えるかもしれない。
でもリーダーの役割は、そういうものと割り切るしかない。
だから、リーダーは、虚勢を張るとみっともなくなる。
だから、リーダーは、徳を求められる。

組織というのはね。
人と人が出会い、意気投合した時から始まる。

組織は、共鳴共感が源なのである。
対立から始まるわけではない。