自分が、教えたい事、伝えたいことは何か。
それが、指導の原点。
何ができるかではなくてね。
何を教えなければならないかでなくてね。
自分が何を教えたいか。何を伝えたいか。
その根底に、自分が何を求めてるかが隠されている。
自分の人生経験で、心底、誇れるものをね。
カッコいい事でも。
特別な事でもなくてね。
当たり前な事。
何でもない事。
飾らない事。
大切なのは、本心から、自分が伝えたいものは何か。
心にもない事や、ただ、自分の業績を言い立ててもね。
自慢話や苦労話にしか聞けないもの。
人を教え諭そうとしてもね。
偉そうな話より、
余程、失敗談の方が、人の心を打つ。
肩書だの地位があったりすると、素直に聞いてくれなかったり。
変な思惑に惑わされたりもするけど。
裸になれば、意外と素直に聞いてくれることもある。
自分で自分を責めたところで、自分を許せなくなるだけだよ。
自分の一切合財を受け入れ。自分を許しなさいと、神は。
自分の何を否定しようというの。
嫌で嫌でたまらないところがあっても。それも自分。
醜いところがあっても。自分。
否定したって仕方ないじゃあない。
そういう自分を受け入れ改められるところがあったら改める。
それだけ。
許すこと。
許しなさい。
過去の己や、今の地位に執着し。
我欲だの、見栄だの、虚勢を張ると毒になるけど。
己の、我執を捨て、抜けてしまえば薬になる。
枯れてしまえば。
押し付けや地位だの、名誉だのを守るとするなら毒になる。
怨念、嫉妬、憎悪、見栄、虚栄心。
そんな不要な夾雑物をからりと捨てて。
素の自分に戻れれば薬になる。
自慢話でも、苦労話でもなくてさ。
あるがままの自分をさらして語れれば、薬になる。
身を委ねるの。
ただ、ただ、神に。
よきにせよ。悪しきにせよ。
いいところも、醜いところも。
身を委ね。自分を赦しなさい。