考えるとはどんな意味だと思いますか。
考えるって簡単に言うけど、じゃあどんな事を言うのかと改めて聞かれても。
でも、大事な事さ。
デカルトが、考える故に我在りと定義したように。
じゃあ一体全体、考えるとはどんなことなのか。
考えるというのはね。
考えるという言葉にとらわれていたら、意味を理解できない。
考えるということを理解するためには、二つの点を考える必要がある。
一つは、何故、考えるのか。どうして考えるのか。何を考えるのか。
二つ目は、考えたどうするのか。
つまり、前後が大勢なのだ。そして、前後を理解せずに考えても意味がない。
だから、あなたにとって重要な意味がある。
ただ考えるだけでは堂々巡りになる。無限ループに堕ちる。
何故だろうと、どうしてだろうとかと疑問を持つ。
興味を持つ。これは人も、他の動物との違いだと思うし。
最初から問題意識がるわけではない。
何かのきっかけで、なぜだろうとか、どうしてと、疑問に覚える。
でもね。人間も最初は、子供の頃は何も疑念も持っていない。
無邪気なんですよね。
ただ、相手の言っていることを無邪気にやっていても、時々、あっれておかしなって感じる時があって、それから、考え始める。
ここが重要なんですよ。人だって最初から深かったわけではない。
そして、倫理とはそういう問題意識なしには成り立たない。
だって、どうしたらいいだろうと考えなければ、結論が出ない。
どうしたらの根源に倫理観が働くから。
データを分析する際、情報の取り扱いにこそ倫理が問われる。
情報源の信憑性を担保しつつ、情報源のプライバシーを守ることが求められる。
考える。なぜだろうと考える。
だから、考えるためには問題意識が持てるかが鍵になる。
自分で問題設定ができるか。
そこが、分かれ目だと。自立するね。
自立という事は自制心を持つという事で。
知恵はあるけど自立していない存在が怖いので。
それは、人から見ると自制心が持てるのは人だけだと。
それは、人の思い上がり。
ただ、自制心のありようが動物によって違うだけ。
牛には牛に、狼には狼の、鷹には鷹の、鳩には鳩の分別がある。
僕はそこが知りたいんだよ。
あなたは、自立したいのか。
あなたは、考える事を覚えたいのか。
あなたは、認めてほしいのか。
だって考えなしに生きている人も結構生きている。
条件反射的判断で生きているばかりで。
カントが哲学は教えられないけど、哲学をすることは教えられるといったような、言わないような。
でも、その考え方は、賛同できる。
哲学って、考える事が土台ですから。
よく考えろと叱られたけど。
考えなしってどういうことか。
考えなしに、条件反射的な判断では、危なくてね。
考えるの前後にどのようなセンテンスがあるかを分析してごらん。
考える事の意味が分かると思う。
人生について考えるとか。プライバシーについて考えるとか。安全について考えるとか。
そうすると、なぜ考えなければいけないのかの意味がうっすらと分かってくると思う。
そうそう、問題認識がはじめに来る。
何かおかしぞとか。普段と違うぞとか。異常じゃないかとか。
そこからなぜだろうって。
気付きですよ。
おかしいぞ、普通と違うぞ、変じゃない、異常だよ。
そう気がついたら。
問題意識って気づく事ですよ。
気がつかないというのが危ない。
僕は気付いてしまった。
そこですよ。
人の話を聞いたり、ニュースを見て、何か気がつかないかと。
気がついったら、気がついたことを糸口に、問題を整理する。
今度は自分たちの手で直そうとする。
このまま直進するとぶつかると、気がついたら、ブレーキを踏むでしょう。
運転手が察知できなければ機械が察知して車を制御する。
それを自動化というけど。
でも、平たく言えば、それが考えるという事。
自分で学習して制御できるようになる。
それが考えるという事の意味で、当然、倫理の前提となる。
他の動物に比べ、人が優れている点は問題設定にあるが、今の、若い人が衰えてきたのは問題意識、問題設定である。
その原因が教育にあるのは明らかである。
学校の勉強は、思考を停止させて、暗記させることに重点が置かれている。
だから、年号は覚えても。歴史から考える、つまりは、学ぶことは教えない。
だから、年号は試験できても、歴史から何を学んだかを試験できない。
それで、学校に長くいればいるほど考えなくなる。
今の、若い人が衰えてきたのは問題意識、問題設定である。
その原因が教育にあるのは明らかである。
これって、とても深刻でね。
異常な事、危機的な事に鈍感なって。
誰も対策が打てなくなる。
何故だろう、どうしてだろう、何なのだろうと考えて。
どうしよう。どうしたらいいだろうと考える。
そうすれば、考える事の意味が分かる。
そして、考えてほしい。