経済の動きを知る為には、「お金」の動きをよく観察する事である。
「お金」の動きを見ていると経済の動きが予測できるようになる。
現代の経済は、「お金」によって動いているのである。だから、「お金」を動かしている仕組みを明かにしたい。
「お金」は、基本的に収入と支出、即ち、「お金」のインとアウト、出入りによって経済主体に働きかけ、経済の仕組みを動かしている。
故に、「お金」の出入りがどのような働きをするかを明らかにする。
収入は、定常的な収入と一時的な収入、借入金の和である。一時的収入には、資産(金融資産も含む)の売却収入と企業では増資、家計では、相続・贈与などの資本的収入の二つがある。
支出は、定常的な支出と一時的な支出、借入金の返済、そして、税金を足した和である。一時的支出には、投資(企業では、設備投資等を指し。家計では、建設投資、結婚投資、教育投資等を言う。)事故や災害等に対する突発的な支出がある。また、余剰資金(収入から消費支出を引いた値、預金など)は、支出と同じ扱いをする。即ち、預金(一般に余剰資金は預金にされる)は、支出の一部と見なされる。また、支出は、固定的支出(固定費)、変動的支出(変動費)に区分する事もできる。
債務は、短期的負債、長期的負債、元手で構成されており。債権は、流動資産と固定資産で構成される。さらに、資産は、金融資産と非金融資産に区分する事もできる。
基本的に経済主体が、現金残高が不足しないように経済活動をする事によって経済は動いている。
つまり、個々の経済主体の収入と支出、残高と部門間の遣り繰り、資金の流れを観察すると経済の実体的動きが見えてくる。
前提は、構造的に、経済主体内の収入と支出、債権(資産)と債務(貸借)、そして、経済主体間の売り買い、貸し借りは、均衡するという点である。即ち、市場全体の市場取引は、ゼロ和になる。
また、生産、所得、支出は、一体と考えられている。この要素間の関係が経済の動きを制している。
経済の仕組みは、生産、分配、消費の過程があり。経済の仕組みは、「お金」を分配する機構と市場によって構成されている。
また、生産主体と消費主体があり、生産主体と消費主体を補助する機関として公的機関と資金の循環を管理する機関として金融機関が機能している。
「お金」を分配する機関は、生産主体と一体となっている。消費主体は、生産に対する働きを提供する事で「お金」を得る。それが家計の経常的収入、即ち、所得を形成する。
所得の平均、分散が経済の実体を表している。
生産主体における「お金」の分配は、組織的に行われるのが一般である。
収入には、波があるのに対して支出は一定している要素が多い。
その為に、資金の過不足が生じる。その式の過不足を調節する機関が金融機関なのである。そして、収入の波を整流し安定した所得に変換するのが生産主体の役割の一つである。収入を所得に変換する過程で、支払いを準備すると同時に生産主体と消費主体とを結びつけているのである。
それ故に、費用対効果、収益と費用の関係が重要となり、利益が経済の中心的指標となるのである。
非金融法人企業は、生産主体である。
非金融法人企業の収入は、収益を根拠とする収入、借入金による収入、権利を含む資産を売却する事による収入、資本を増やす事による収入がある。
支出は、原材料などをしているための支出、費用に基づく支出、投資(原則資産を増やす事による支出)に対する支出、借入金の返済に対する支出、配当等に対する支出、納税に対する支出がある。
非金融法人企業の債務は、負債と資本からなる。資産は、流動資産と固定資産である。
家計は、消費主体の要であるが、生産主体の一部も担っている。これは、個人事業のような生産と消費が未分化な部分が残っているからである。
家計の収入は、所得(給与、年金などの定収)、一時的所得(家や金融資産を売却して得た収入、預金を取り崩したり、保険を解約して得た収入、見舞金・祝儀、遺産の相続、親からの贈与等)、借金による収入がある。
支出には、消費支出、投資(預金などの金融しさに対する投資も含む)の為の支出、借金の返済の為の支出がある。
家計の資産の一番大きいのは、住宅である。住宅には、持ち家と賃貸があり、賃貸住宅は、資産とはみなされない。
その他は、自動車の様な消費設備である。また、預金のような金融資産も多くを占めている。
負債は、住宅ローンが大きい。ただ、相対的に資産に対して負債は少ない。
一般政府は生産主体と消費主体の両方を兼ね、所得の再配分をする。所得の再配分によって所得の不均衡を是正する。但し、政府の仕事は、非営利的な仕事であり、所得以外の付加価値を生まない。その意味では、消費が主である。
一般政府の収入は、税収、事業収入、国債、即ち、借入金による収入がある。
支出は、行政費用、公共投資、所得の再分配(年金や各種給付等)、借金の返済である。
金融機関は、「お金」を融通する事で金利と所得以外の付加価値を生まない。
金融機関の役割は、「お金」の過不足を補い、「お金」を市場に循環させる事で、金融機関は、生産活動はしない。つまり、生産主体ではない。故に、金融機関以外の法人企業とは分けて考える。
金融機関は、生産主体ではないが、金融機関に働く者に賃金を払うという事で分配主体ではある。
金融機関の収益は、基本的に金利差である。金融機関は多額の資金を扱うが、元本にあたる部分は、仕入に相当する。収益を直接構成するのは、預金金利と貸付金利の金利差である。預金は、金融機関にとって貸付原資であると同時に、負債でもある。
貸付先がない状態で金利が低下するのは、金融機関にとって泣きっ面に蜂である。
一国の経済で不足する資源は、海外との交易によって補う。
国は、常に、一定の額の支払い準備を用意しておく必要がある。
経常収支が不足する場合は、他国から、借金をする必要が生じる。その場合、担保するのは、一般に、国富と徴税権である。つまり、国家の主権にかかわる、独立に関わる問題である。
市場経済では、全ては、「お金」を調達する事から始まる。なぜならば、「お金」がなければ何もできないからである。最初に調達した「お金」を元手とする。元手が資本に転じるのである。
「お金」の効用は、交換によって現れる。
交換とは売買、決済である。貸借は、交換を準備する為の行為である。
経常収支と資本収支の関係を見てもわかるように、交換を準備する「お金」と実際に交換に使われる「お金」は、単位期間内では均衡するはずである。
しかし、「お金」の動きは、表面に現れる動きだけではない事に注意する必要がある。
単位期間に生じた資金の過不足は蓄積されるのである。
市場表面に現れる「お金」の動きの裏には貸借による「お金」の動きが隠されている。
支払いを準備する為に、「お金」を貸し借りする必要が生じる。この「お金」の動きは、市場の表面には表れない。しかし、元本は蓄積される。
長い期間蓄積されると返済資金は、単位期間内の売上(収益)による収入を上回る場合がある。
そうなると、売上だけでは、資金を賄われなくなる危険性がある。
企業の売上に相当するのは、家計なら所得、政府なら税収、金融機関なら金利差であり、この点に変わりはない。市場に表面ばかり見ていたら、経済の実相は見えてこない。
ストックがフローに与える影響を計算しないと「お金」は、市場に流れなくなるのである。
売り買いや所得に基づく「お金」の流れに、貸し借りや給付等による「お金」の流れが取って代わると、どの様な弊害が生じるかを箇条書きしてみると、第一に、金融が機能しなくなる。
第二に、生産と消費が関連しなくなる。
第三に、需要と供給の調整ができなくなる。
第四に、労働の意義が失われ、モラルが崩壊する。
第五に、物価(価格)を制御できなくなる。
第六に、金利が抑制され、時間価値が働かなくなる。
第七に、市場が機能しなくなり、市場に「お金」が流れなくなる等があげられる。
特に、働く事の意義が失われるのは大きい。
いくら機械化が進んでも労働そのものがすべてなくなるわけではない。
また、労働は、「お金」儲けだけを目的しているのではなく。
自己実現の手段でもある。
働いても働かなくても同じなら、働く意欲を失ってしまう。
また、労働は、個人を社会に結び付けてもいる。
自分の働きが社会に役立つと思うから存在意義も自覚できる。
また、自分の能力や働きに応じた評価がされるから、自己の位置づけもできる。
働く必要がなくなると言われたら、自己を社会の中に位置づけるすべを失う事になる。
苦役から解放する事に意義はあるが、労働そのものを否定するのは行き過ぎである。
労働そのものを否定したら、自分の倫理観を保つ事が出来なくなる。
重点は、個々の経済主体間、部門間の内外、主体内部の収入と支出の構成と釣り合い(バランス)をみることである。バランスをとる事である。
つまり、経常的収入の部分と借金の返済の部分の比率がバランスがとれているか。経常的収入から必要最低限の支出を差し引いた差額が、借金の返済額を下回ったら経済は成り立たない。借金が自己増殖を始め、債務の拡大を抑制できなくなるのである。
だから、フローとストックの釣り合い(バランス)が大切なのである。
現代の経済で問題なのは、ストックの拡大に歯止めがかからない事である。
その為に、ストックがフローを圧迫し、市場に「お金」が流れなくなってきている。
市場に「お金」が廻らなくなってきた結果、市場を経由しない「お金」の流れが派生している。
それは市場経済の破綻を意味している。
収支に占める借金の割合(借金による収入と借金の返済に対する支出)が大きくなると、「お金」本来の仕事、働きによって得た報酬によって市場から生活に必要な資源を購入するという働きが作動しなくなる。
収益と負債の割合(回転率)、所得と借金の返済額が見合っているか。将来の支出に対する準備はできているかが、経済を見ていくうえで重要なのである。
バブルのような現象は、市場にだけ起こるわけではない。経済主体、一般に同様な症状を呈する事がある。これは、市場経済の病気みたいなものである。
例えば、家計では、借金の返済に困って高利貸しに手を出し、挙句に、月々の返済が月収を上回り、首が回らなくなるような状態である。それでも、「お金」が借りられるうちはいいが、「お金」が借りられなくなればお終いである。借金の返済に困るようになる原因は、いろいろあり、同情の余地がある原因もある。しかし、経済が成り立たなくなることに変わりはない。気をつけなければならないのは、借金ができる状態が続く場合である。例えば、大変な資産家で、担保となる広大な土地を所有していると言った場合である。「お金」が廻ると言っても経済が破綻している事には変わりない。
旧国鉄も同様な状態に陥った。その為に、民営化する事で救済せざるを得なくなったのである。
一般政府も同様で、借金できればいいじゃないかというのは、市場経済の仕組みを無視した暴論である。市場経済は、現金収支、フローとストックの関係の上に機能している。
また、働いて得た「お金」を基礎としているから、働く事の意義や役割が明確となるのである。
働く事の意義が失われれば、モラル(道徳)の喪失を招く。
それは市場の規律を崩壊させる原因となるのである。
リーマンショックや大恐慌等は、モラルを喪失した典型的な事例である。
バブルも同じ様に、モラルの喪失を招いている。
泡銭は、身を亡ばす。
汗水流して働いて得た「お金」だから価値があるというのは、市場経済の本義・鉄則なのである。
付加価値は、GDPの素である。つまり、GDPというのは、付加価値を総計した値と考えていい。
付加価値(営業キャッシュフロー)を構成するのは、利益(経常的収入と支出の差、国民計算では営業余剰)、過去の投資に基づく支出(減価償却費、国民計算では固定資産減耗)、所得(国民計算では、雇用者報酬、混合所得の一部)、金利、税金である。利益は、企業の収支、所得は、家計の収入、金利は、金融機関の収入、税金は一般政府の収入を意味する。気をつけなければならないのは、過去の投資の結果は、減価償却費として一律にとらえられないという事である。
付加価値だけでは、貸借による「お金」の動きはとらえきれない。GDPからは、貸借による「お金」の流れは見えてこない。
だからこそ、財務キャッシュフローとの照合、そして、将来の収益を予測する為には、投資キャッシュフローを見る必要があるのである。
損益以上に資金需給を見る必要がある。損益計算書や貸借対照表だけを見ていても、市場の裏の「お金」の流れは見えない。
何故なら、資金需要は差額勘定だからである。減価償却費と内部留保、そして、長期借入金の増減、運転資本と短期借入金との関係を見極めないと経済、経営の実態は解明できない。
同時に、見かけの損益だけでなく、貸借取引をも加味して資金が回るように市場を規制する必要がある。そうしないと「お金」を融通している金融機関が成り立たなくなり、金融不安、金融危機を引き起こす危険性が高い。
金融が機能しなくなったら、市場経済は、破綻する。