仕事は、たくさんの作業が集まって構成されている。
作業は、単体ではなく、他の作業と結びつく事で効力を発揮するように出来ている。
また、仕事は直列的、直線的、単線的に作業が結びついてできているわけではない。
作業には、前後があり、また、並行作業がある。
このような作業を人に割り振り、関連付け、制御できるようにする仕組みが組織であり、組織を運用制御することがマネージメントとであり、実際に執行する人をマネージャーである。
故に、日本ではマネージャーを差配とか、仕切り、支配などと呼んでいた。

組織は、分業によって成り立っている。
たくさんの作業を、ばらばらに、文脈もなく、脈略もなくやれば、あたりまえに、まとまりがなくなる。
チョットした仕事でも何千、何万の、作業の集まりであるから、全体を一つにまとめ制御するためには、何らかの装置が必要となる。
その装置組織であり、組織は、システムでもある。
装置である以上、組織は、操縦しなければ、動かない。
ただ、組織の特徴は、組織は人によって構成されている。
それが機械と違うところで、組織を構成する人は自分で考え、自分の意志がり、価値観がり、感情があるという事だ。

組織は分業する必要から成立している。
ゆえに、作業をいくつかのグループに区分けした上で、人と人を結びつける必要がある。
また、組織は、人によって構成されているから、集団を制御し、統制をとらないと一つの目的に向けて力を結集する事ができない。
その為の働きが組織固有の管理業務である。

作業には前後があり、なおかつ、並行作業がある。また、集団をまとめる為の作業がある。
この事から、組織には集団をまとめる為の縦の関係と並行作業を繋ぐ横の関係が生じる。

先ず、作業と人を結びつける為に担当を置く。
作業には上下(縦の関係)、左右前後(横の関係)があり、それを結びつけるのは人(担当)だから、担当を置いただけでは作業と作業は結びつかない。そこで、担当は誰の指示に従うかによって縦の関係を作ると同時に、担当と担当を直接結び付ける。
主に、打合せ会議によって結びつきを作る。

担当者間を結びつけつために、情報の経路を作る。
その際、主管部署がどこか鍵となる。
中心、および、中心線、幹をとするのである。
その上で仕事の内容、粒度などに応じて担当者間を繋いでいくのがマネージャーの重要な仕事。
例えば、支店が会場の手配を受け取った場合、方針、考え方は、マネージャー間で決めて、詳細は担当者間で詰めるみたいに。

なるべく、情報の流れる経路を短くする。長くなるとそれだけ速度が落ち、間違いが起こりやすくなる。

担当者間の関連付けは会議を介すの原則だが。
実際は、会議では、原則や取り決めを決め、一々会議を開かなくても、直接打ち合わせられるようにする

例えば、お客さまを招待してイベントを開くにしても、イベント企画するチームと実際にお客様と接している現場のチーム、そして、会場など手配準備するチーム当日実施するチーム後片付けをするチーム、当然、後処理をする現場のチームなどのいくつかのチームが想定され。
それぞれが、連携しながら個々別々に行動しなければならなくなる。
縦割りの命令系統だけでは統制が取れなくなることは、着手する前から明らかで。
かといって、事を起こしてからチームを編成することはできない。
試合が始まってから、チーム編成ができないように。
なぜ、人事の辞令を期初にするのか、配置が決まらないと仕事に手が付けられないからである。

支店長会議や、マネージャー会議のような横つなぎの会議はセンターの体制、担当と現場の体制、担当のどことどこを繋ぐかそれが主たる部分で、その上で、進捗管理や予実績管理をしていく。

個別の問題は担当者にも任せ、全体の意思統一や方向性など上級幹部が責任をもって担う。
それが、組織の基本的原則。

共通したところをセンターが担い、個別な部分を現場が担う。
中心をセンターが通し、状況に応じて現場が対応する。

組織は、システム、仕組みだということ。
何度も言うけど。
組織は、役割を決め、分担を決めないと機能しない。
組織が機能しないとリーダーは、働けない。
なぜなら、リーダーは、頭だから。頭は、手足、目鼻口耳がなければ、動けない。

人が集まっただけでは、組織にはならない。それはただの集団、俗にいう烏合の衆である。
組織は、システムであり、各々の役割を分担して、はじめて、組織は編成される。
リーダーの仕事始めは、組織化する事であり。
組織化するのはリーダーの仕事である。

役割は役割なの。
仕事は、働き。
働かないと役割は果たせない。
リーダーは、リーダーという役割。
投手には、投手としての働きがある。
投手だと言われただけだは、投手にはなれない。
投手としての働きをしてはじめて、投手の役割がはせる。

リーダーは、俺はリーダーだと空威張りしてもリーダーになれるわけではない。

役割は役割で地位でも、名称でも、形式でもない。働き。
内部をまとめると、計画を立てるとか、旅行会社と交渉するとか、商品を売るとか、チラシのレイアウトを作りとか、スケジュールを作るとか。

副とか、事務とかはラベル、レッテル。レッテルを貼っても中身がなければ役には立たない。

名と体(実体)は一対となった効用を発揮する。名は名称、体は働き

役割を分担したら、仕事を割り振らなければならない。
バカみたいな話だが、この点を理解していない人が増えた。

監督が試合が始まっても選手の守備位置を決めないで、どっかとベンチに座り、なぜ試合をしないのか、なぜ、選手は働かないのかとわめいているようなもの。
その瞬間、試合は終わている。試合以前の話。

役割には責任が伴い。責任は権限を生む。
権限は行使しないと発効しない。

日本人は、長制度の悪弊で、役割とステータスが癒着している傾向がある。
役割は地位やステータスとは別物
欧米では組織の名称を働きで表すのに対し、日本人はステータスと錯覚していてそれが、組織が機能的に働かない原因の一つになっている。
四番だから偉いとか、待遇がいいとかと言うのではない。
四番を選ぶのに、過去の実績とか、年齢、経歴とか、人望とか、人気とか、コネで選ぶわけではない。
四番に求められている働き、役割に影響しないからである。

どんな働きを求めているのか、その役割を選ぶために、必要な情報は、何かが問題なので。

役割分担で必要なのは、何をするか、つまりは多岐である。

リーダーは、まず、自分が統率しなければならない集団を、どのようにまとめるかを考える必要がある。
それが組織化する時にまず着手すべきことで。
この事を理解していないリーダーが日本には結構いる。
これは学校教育の弊害かもしれない。
なぜなら、学級は生徒の集団であっても、生徒を組織化していないし、生徒が自発的に組織を編成できないようにしているからで。

組織と統率するためには、リーダーをサポートして、組織の内をまとめる者がまず求められる。
これが。俗に副とされる役割である。女房役ともいわれる。

三人を過ぎたら一般にサポート役を決める。所謂、副官である。
サポート役は、内を取りまとめる役で、俗に、女房役と言われている。

名称が、副の役割を象徴している。
副官は、次席、代理、サブなどの名称がつけられる。船では航海士。
これは、副間の役割、働きを象徴しているからである。

なぜ副官を決めるのか。副官の役割は何か。
第一に、副官は相談役。副官と何でも相談して決めれば、副官は、仕事に対して自分と同程度の習熟度を持つ。だから、代理が任せられる。
第二に代理である。通常、リーダーはチームの代表である。それでもリーダーは独りだといざという時、代理を務める人間がいないと組織が中断する危険性がある。
だから、アメリカでは大統領は常に副大統領と組んで考えられる。

第三に、リーダーが個々の問題の当事者になると、全体が見えなくなる。
だから、一旦、内輪の問題を副官にまとめてもらう事で、客観的全体を見えるようにする。
まとめ役。

第四に、また、自分が指揮をとれない状況に落ちいた時、自分に代わって指揮を執る
四六時中、仕事から離れられないと、トップは休息が取れない。だから、リーダーが休息したり、留守しても困らないようにサポートするのが副官の役割。

第五に、リーダーは公式副リーダーは非公式な部分を担う。
リーダーは、方針を示し、副リーダーは運用するみたいな役割分担。
一つの方針を示しても、例外とか、特例等が発生する事がある。その辺の運用を考えるのが副の役割。
例えば、全社員出席と言う大会でも留守部隊を残さなければならない時。その留守部隊の手配をするのが副。
リーダーが先頭に立てば、副はしんがりと言うように。
無論、リーダーの死角や側面を守るのも副の役割だから。どの位置をとるかはケース・バイ・ケース。

第六に、リーダーを見れない所を補う。前方が見えれば前方を。
留守をする時は、留守番を。俗に後方に備えるのが副。

第七に、リーダーに直接言えない事や、相談できない事を聞き。
リーダーとメンバーの仲介役。

このような役割があるのでサブは真っ先に決める。

組合の三役は委員長、副委員長、書記で、この他に、議長。
これが組織運用上の基本。注意すべきなのは組織と会議の両方に書記はまたがっているという点。

実務というのは、組織的に最適解を選択することで、その為に要所要所に課題毎、担当者を置く。
実例を挙げると、例えば、チラシを作成するにしても、現場ごとに考えや要望、事情と言った条件が違う。
チラシの原案作成を担当させられても、現場の意見、考え、要望、様子などを聞かないと一方的な仕事しかできない。
かと言って、担当は、現場の誰から聞いたらわからない。
それで、現場にも担当を置くのだけど。

今度は、担当を置いただけでは、直接、一々、間に、それぞれの上司を噛ませなければならなくなる。
間に人を噛ませれば靴の上からかゆいところを掻く状態になるから、次に、担当者間を繋いで、細かいところは担当者間で詰めさせ、要所ようしょを責任者が締める、決められる体制を最初に作る。

だから、担当者が決まったら、可及的速やかに担当者間の顔合わせをして、担当者間をつなぐ。
これは、顔つなぎだから、時間をかけず、自己紹介と今後の予定程度に済ませる。
その上で、現場の考え要望、事情など聞くのだけど、それは、集まってするか、個別にするかは、担当者間で打ち合わせて決める。

また、旅行の添乗者等は、まず、主管部署で趣旨目的を確認し、候補者を、ラインナップし、そこから、候補者から事情を聴いて消し込んでいく。
ただ、候補者の希望や現場の要望ばかり聞いているだけでは決まらなくなる危険性があるから、最終的には、責任者が決める。
ただ、実際の話は、当日、添乗する者の意向が鍵になるから、責任者だけでも早く決め、早い段階で、打ち合わせに参画させる。
このような手順は、なるべく早く全社員が身に着けておく必要がある。
なぜなら、このような手順はチームワークの基本だから。

野球の試合では、なんの打ち合わせもせずいきなり守備位置つくわけではないし、工事現場の働く者誰の指示も受けずいきなり作業に取り掛かるわけではない。
少なくとも自分はどこを担当するかを指示しなければ作業に取り掛かれないし、その指示をするのは建設会社の社長でもなく、施主でもないことは確かだ。

チラシでも、いきなり、完成形を示したら、現場は、自分たちの考えや事情が反映されていないから、受け付けない。
かといって、現場に全てを任せたら、テンデンバラバラになり、まとまりがつかない。
だから、センターが全体の方針を示し、現場は最初に、現場の考え、要望を伝えてから、分担を決めてから作業に着手する。

この様な手順は管理職以上は常識的にみにつけていた。
だから「どうする」ときけば、
「そうだな、顔合わせだけでもしておくか。上かも、顔合わせだけでもしておけよ。
後の段取りがつかないからと言われたから。」
「わかった、担当にいておくから日時が決まったら早く伝えてくれ、こちらにも都合があるから」
「他の連中はそれでいい。それでよければ早めに担当を決めうちの××まで伝えてくれ。」
「それはいいけど、後の段取りだよな、期日はまだ半年あるんだろ。」
「半年あるけど詰める事はたくさんあるから、細かいところは担当に任せて、定期的に打ち合わせるか」
こんな話は、管理職、支店長なら言われなくてもできた。
それができないと仕事にならないからな。

ただ、かつてはそれぞれの立場で話をしたから立ち位置が変われば全然話の内容が違ったけどね。

管理職の仕事は、組織を制御、運転、管理することにあり、単なるワーカーではない。

組織は、典型的なシステムでそれも、人でできた。
会社も組織、システムだから、操縦、運転する必要がある。
組織を維持制御するための役割があり、それが管理職であり、部門責任者の役割。
担当者の仕事ではない。
担当者が仕事をしやすくするのが仕事。

システムである、組織は、分業を旨として、全員に役割を割り振り、配置して、それぞれが連携して一つの仕事を成し遂げる。

担当の役割は一部の人間だけでなく全員が理解しないと一緒に仕事ができなくなる。

担当を置くのは、指示を出しやすくするという意味もある。
いきなり、直前に指示を出すと相手は、事情がわからないから指示の内容を理解できなくなったり、前後の経緯をわからなく作業の脈略がつかなくなる。
担当にしておけばあらかじめ事情を飲み込めるから、慌てることがない。

また、担当を置くのは、事情がよくわからないからで、すべての作業がわかってから担当を置いても意味がない。
現場の事情が分からない上、現場の協力が必要だから現場に担当を置くのでそうしないと現場の誰と相談したらいいかわからない。
だから、担当を置いたら必要に応じて担当者間で打ち合わせができるようにする。

何もかも決まってしまったら担当の出番はない。

役割は、役割で。
自分の役割をよく理解しておけと。
投手には投手の役割があり、監督には、監督の役割がある。
自分の役割だけでなく、他の人の役割も理解していないと、一緒に仕事ができない。
一緒に仕事をするというと組織の基本的ルールをマスターしてないと。
野球がやりたいと言っても野球のルールを理解していないと野球がどうのこうのという以前の話。

担当というと何か重く受け止め、担当した仕事全部一人でやると錯覚している人いるけど、担当になったからといっていきなり、仕事があるとは限らない。
ただ、担当となったことで窓口になったり、相談役になったり、まとめ役、情報を貯めたりといった役回り、実際の仕事は分担してやる。
例えば、販売店を担当すると言っても、以前のように何か販売店に対する業務いきなりしろというのではなく、とりあえずは支店長の相談や手伝いをしたりサポートセンターとの連絡や下打ち合わせみたいな役割だと考えるればいい。

例えば、販売店様の送迎などがあたっ場合、いきなり、支店長ではなく。
担当者間で下打ち合わせをした上で最終的に部門長から支店長に指示を出すという様に。
無論、最終的には決定に従うにしても、一方的になるのを防ぐ意味で。

野球は、選手が守備位置についたのを確認してから試合は始まる。
守備位置につかないと試合は始まらない。
チームワークは、担当は、仕事を始める前に配置する。
仕事が始まってから担当を配置するのでは手遅れになる。
学校ではチームワークは教えられない。なぜなら、学級はチームではないから。

野球で試合前に定まっているのは、九回裏表の得点差で試合が決まり、同点の場合は、勝敗が決まるまで延長される。
仕事では、事前に決められるのは大枠。
実際のプレーは投手の投じる一球いっきゅうによる。
実際の仕事は大枠にそって分担して、その時点じてんの状況に応じてする。

作業は、担当の考えを尊重、実際に仕事をするのは、担当だからである。
単純な作業はマニュアルによって標準化できるが、過度にマニュアル化すると思考力や責任感の低下を招く。

サポートセンターは、名前通り、サポートが役割。

ボールが飛んできてから守備を配置しても、手遅れで。
守備を配置しておくからボールが飛んできても対応できる。
だから担当は決めておけよ。
担当だけは置いておけよと注意された。

やれば分かる。やらなければ分からない。

基本の基本は基本動作で、野球の基本はボールの投げ方で、ボールの投げ方が分からなければ、いくら、高度な理論を知っていてもボールの投げ方が分からなければ野球はできない。
同様に、打ち合わせの直後に次回までにやってくることを紙に書き出せなければ、仕事の基本はできない。
やってますよと意地を張ってる限り仕事は身につかない。
なぜなら、ボールの投げ方みたいな事だから、

最終的には基本動作。
スイッチを入れる。
スイッチの入れ方。
ボタンを押すとか。
鍵をさして回すとか。

スイッチを入れると言うのはわかるけれど、スイッチの入れ方がわからない。

実際の場面ではスイッチの場所とか、入れ方というのは一通りではなく。
スイッチを入れた経験があるものには当たり前でも、入れたことのない人は勇気がいる。
ただ、最終的には基本動作。
紙に書くとか。伝票をつけるとか。声に出す。集まるとか。聞くとか。
この基本的なことができなかったり、逆らうと…。

話を聞くと言っても、簡単そうに見えるが結構難しい。

今の組織の多くは昭和レトロな基盤の上で動いているようなものが多く。
時代遅れな組織であふれている。
昭和の時代に作られた車で、故障したら、どこからかその時代の部品を持ってきて、代わりをさせてきたけどそれも限界。
基礎から腐って。

それが基本動作からできないのが深刻。
スイッチを入れろと言っても、何故スイッチを入れる必要があるんですかとか、スイッチを入れるとどうなんですかと。
さてスイッチを入れる段階のなる、そんな簡単な事と聞かない。
基本動作だからこそ、簡単な動作だからこそできないと深刻な事態を引き起こす。
なぜなら、他の人にはできない理由、やらない理由がわからないから。

「プレーボール」とコールしないと試合が始まらないといくら言っても、コールできない主審の様なもの。

組織もシステムだから、スイッチを入れないと動かない。
そのスイッチを握っているのは個々の部門責任者。
責任者が指示しないと声を出さないと。

会議や打ち合わせの最後に必ず、次回までに自分が何をやってくるのかを自分で書いて確認し、帰ったら伝える。
そうすれば、新しい作業の起点となるから。切れ目なく仕事が継続する。
議事録を当てにしない。
他人が書いたものを当てにしていたら、いつまでたっても他人事、自分のものにならない。

言いたいこと、伝えたいことがあったら口に出して言う。
自分の口に出して言わないと相手には伝わらない。

これは愚痴、不満を指しているわけではなく。
いうべき事があったら、言うべきところ、勇気を出して言う。
陰口を聞くなと。正々堂々といえ。

特に、部門長は、自分が口に出して指示しないと、相手は、正式な指示として受け止めない。
それこそ、立ち話で、酒宴の席で酔っぱらていったとしても、それは正式な指示として受け取止めないし。受け止められない。
それから、決定権のない人に、陰で愚痴を言っても、正式な会議では何も言わないで、非公式なところで反対したり、批判しても、個人の見識が疑われるだけで。
要するに発言権というのは正式な会議でのみ認められる。
逆に、正式な場で言うべきことを言わなければ、それは暗黙に賛成したことになる。
だから、あえて欠席する事も認められるけど、その場合も、欠席する理由を明確に伝える必要がある。

指示命令は、出すべきものが自分の口でちゃんと伝えなければ。それもみんなの見ている前で伝わらない。

しかも、伝えるべき時に、伝えるべき場所で、伝えるべき人に伝える。
伝えるべき時と場所と人を選んで伝えるのが大人の分別。
それを間違えてはいけない。
叱られるのは、伝える時でない時に伝え、伝えるべき場所でない時に、伝えるべき人でない人に伝えるからで。

それが簡単そうで、簡単でないから。
その時、その場で指摘しないとわからないから。

打合せの最後の、次はいつやるか、それまでに自分は何をやってこなければならないのかを紙に書いて確認し、それを自分の部署に戻ったら速やかに、報告なり指示によって伝える。その上で、どうするかを具体的に詰める。
やっているというなら、必ず、メモ程度でも、ノートでも証拠が残っているはずで、それを見せろと。
見せられなければ、やっていない。
メモでも残っていればそれを起点にして説明がつく。
だから、行動を聞いているので。

メモがあるかないかは嘘がつけない。
ただ、直後に自分がやる事を記録しておかないと、つかみどころ後なくなるから。
とにかく書けと言ってるだけだ。

紙に書け。声に出して言え。約束は守れ。担当をおけ。伝えたかと聞いているだけ。
やってなければ言い訳や言い逃れをいいから、どうするかを言えと言ってるだけ。

ただ、基本、初歩的な事だから、やってないと結構大変。

子供に注意するような事をいい大人が注意されるのはお互い不愉快なのは分かるが。
子供が注意されるような事をしているからだという事を気がつかないと。

すっぽかしてはいけない。約束は守ると子供躾けなければならない人が、自分が守れなければ。
自分の口で言わないと伝わらない。
やってますといっても現実に組織が動かなければ。
とにかくやればわかるけど、やらなければいつまでたっても、いくつになってもわからないと言ってるだけ。

躾レベルの話だから厄介なのだ。

よく昔は子供が見ているよ。
親の顔が見て見たい。
子供を叱るの辛いけど、世にでて子供が辛い思いをしないよう心を鬼にしてとにと。

それが通用しない社会に日本がなったら、お先真っ暗なんだ。