学校教育、最大の弊害は、学ぶという姿勢を失わせることだ。
わからない事、できない事が、あったら聞けばいい。
学ぶ事である。
わからない、できない事が恥かしいのではない。
わからない事、できない事を隠し学べない事が恥なのだ。
師は、自分で選ぶのだ。
何を、学ぶかは、自分で決める。
だから、覚悟を決めて自分から頭を下げる。
かつては、師は自分で選んだ。
師は師なのである。
学ぶという事は、学ぶ事である。
学ぼうと思えば、師はどこにでもいる。
若者から学ぶ事はたくさんある。
素人、初心者から学ぶ事は、多くある。
子から学ぶ事もある。
お客様は、最高の師である。
真の師は、弟子からも学ぶ。
弟子は、師を尊敬し、師は弟子を認める。
今は、真の師弟関係が失われた。
学ぼうと思えば、師はどこにでもいる。
学べないのが一番問題なのだ。
師は、師である。
教師でも、コンサルタントでも、トレーナーでもない。
単なる労働者とも違う。
師は師なのである。
だから、師と弟子の絆は、何よりも強かった。
師弟愛というのは、夫婦愛や、親子の愛より濃い事さえあった。
今の学校は、学ぶ事を教えない。
学校は、学び舎である。
工場ではない。
学び舎で学ぶ事を教えられなければ、人は生涯学ぶ事ができなくなる。
師と出会えなくする。
自分が、わからない事、できない事を受け入れ、能動的に学ぶ事ができなければ、いつか人は狂う。
今の学校は、社会不適合者や精神異常、未熟者を大量生産している。

先ず、マスタープランを作らなければならないんだけど。
マスタープランは、ある程度の経験と知識、技術が必要。
皆、馬鹿にしているけどね、一応、何十年かの経験と勉強をいているから、基本くらいは教えられるよ。
そんな事、お前に教わらなくてもわかってるよ、態度は感心しないな。
マスタープランを立てて、それを仕事に落としていくというのは簡単ではできないし。
仕事だからね。作業や結果に結び付けていかないと、組織が締め上げてくるからね。
学ぶ姿勢がないと頭変になるよ。
何度も、警告を発してきたけど、聞く耳を持たず、学ぶ事ができないで潰れていった人間を何人も見ているの。
ほとんどの人間が、学ぶ事ができないで、自壊していった。
頼むから、人が指導している時に大声を出したり、罵倒するのはやめてほしい。
自分から学ぼうとする姿勢のない者は指導できないの。
教わってやるという態度では、まず無理だね。
仕事というのは、ケースバイケース、相手によっても変えていかなければならない。
マスタープランは、マスタープランだけで成り立ているわけではなく。
一般に、概念設計、基本計画、詳細計画(実施計画、サブプラン)から成り立ていて。
最初に取り掛かるのが概念計画で、ここの部分は設計思想を担う部分。
作業の洗い出しが難しので、今は、先に、成果物を決めてから、成果物を作成する作業として洗い出す手法がとられるようになってきた。
それがWBSなんだけど。
概念というのは、主旨目的とかコンセプト、制約条件、前提、組織概念、手法などを言う。
手法というのは、マスタープランを作成、実施するための手法を言うのだけど、従来は、はじめっからすべての計画を作っておいて、流し込むように実施する方式(ウォターフロー)が主流だったんだけど、現在は、大枠を設定しておいて試行錯誤繰り返していくアジャイルが主流になりつつある。
まあ、やりながら、覚えるしかないね。
仕事は、本当に厳しいから、学ぼうという気がなかったら、覚えきれないよ。
とにかく、お前なんかに教わるかなんて態度ではね。
以前は学ぶというより盗めというほど厳しかったけどね。
学ぶなんて言うのも甘いと言われて。
はじめっから、相手を馬鹿にしていたら、勉強にはならないよ。
馬鹿に思えるのかもしれないけれど。
教える側は、自分の身を削って教えるんだから。
最終的に、詳細プラン、実施プラン、サブプランに落とし込んでから、実施段階に移行させるのだけど、この辺には、コツがあって。
一定の形があるから。一般に、仕事は、人鳥経験して身につけていくんだな。
それから、システムサイドの目的は、サブプランの目的で、マスタープランの目的は、ユーザーサイドの目的の依るのが一般的。
まあ、僕の常識が違うと言われればそれまでだけど。
だから、概念設計は、ヒアリングから入るのが一般的だけど。
ヒアリングそのものにもマスタープランや仕様が必要となる。
だから、計画は手順よく立てないと、入り口にも立てないよ。
難しき考えないで、素直に教わればいいのに。
じゃないと、頭が変になるのは時間の問題。

概念設計から入らなければならないけど。
概念設計というのは、結構厄介なんだよ。
この部分だけ設計というようにね。デザインという事だよな。
構想だよね。絵を描くようにと言われるんだけど。
それで一時僕はデッサンから学んだんだけど(余談)。
ここは、出だしだけ手伝ってやるよ。
基本的に、ヒアリングをベースに組み立てるんだけどね。
そのためには、誰が、キーマンか、それとエンドユーザーを特定する必要がある。
キーマンというのは、いろいろな人がいて。
一般には、トップ、発案者、計画立案者など、その時の状況や条件によって特定する。
キーマンと立案組織と実施組織の核となる人を結びつけるように作成していく。
勘違いしている人いいるけど、目的は、ただ作ればいいというのではなく。
核となる人間を結びつける過程で概念や、構想を共有させることが目的だから。
共有させるための作業、仕事が必要になる。
キーマンが一人だけで独走されるのが一番厄介だからね。
いかに、共同で作業する人間に浸透させるかが鍵。
俺は、わかってるていうのは、禁物。
独りよがりになる。
いかに、キーマンの構想を理解し、理解させるかが鍵。
わかったつもりになるのが一番怖い。
だから、ヒアリングがベースになる。
何度も何度も、話、そして聞く。同じことをね。
暗記するくらいにね。聞いて聞く。
根気だよ。喚かない。怒鳴らない。

要件定義というのは、皆の頭の中にある事を表に出し、皆に見えるような形や作業、物に置き換える事を言うので。
言葉だけでは、実体が伝わらないので、物や行為という実物的な事で表すようにする。
例えば、企画ではなく。企画書を書くといた具合で。
この辺は一人でなく相対、あるいはグループでやる事に意義がある。
企画は、形がないけど。企画書は、実物があり、作業や項目を洗い出すことが可能だからね。
それが所謂、見える化さ。
目的というのもそれだけでは、掴み処がないから、主意書の作成するみたいにする場合もある。
この様に成果物、一般には書類を指すのだけど。
最近は、動画やプレゼなんかでもいいので成果物とする。
目的は、概念の共有にあるから最近は、プレゼとか、動画が主流になりつつある。
頼むから、鼻で笑ったり、どななったり、囁き合って、ニヤニヤするのはやめてほしい。
剣道場でも許されないと思ているのだけど。
最近は違うのかもしれないが、職場で僕には真剣な場、神聖な場なんだ。
何度も言うけど、自尊心の塊で、他人を受け付けることができないと。
狂うよ。

自分の頭の中でこねくり回しっていたら狂うからね。
仕事にならないから。
でも仕事には期日があり、結果が求められるから。
本当に狂うよ。
要するにはけ口がなくなるの。
当人の問題なんだけど、当人が気がつかない。
自分で直そうとしない限り治らない。

これも勘違いしている人いるけど。
僕は、マスタープランの作り方は教えられるけれど、マスタープランを作るのは、自分たちで。
目的の作り方は教えられても目的を決めつけることはできないからね。
そうしたら、教えた事にならない。
何を目的とするかは自分で決めなければ。
だからと言って目的の作り方を教えている時に、目的はもう決まってるうです。
あなたは、自分の話を聞いていないなんて怒鳴られたら、教える気は失せるし、だいいち、教えられないからね。
教わった事を実行するかどうかは、また、その結果までは責任は持てない。
教えたところで、教わった者が実行しなければ、結果は出ないから。
無垢敵の決め方のメニュは示せても、何にするかまでは教えられない。
例えば、ホームページの件だけど。
先ず中心線を決めってという事だけど。
統括、単と責任者、担当者。
中心線が決まったら、中心を決めて。
それに、関係者どう配置するかだよね。
基本的に、機動力を重視するなら、担当者。チーム内のバランスを考えたら、担当責任者。全体の統制と他部門との関係を関係を考えたら統括かな。
いずれにしても、それをどうするかを、決めるのは統括で。
統括が誰と相談するかは、統括が何を重視しているかで違うからという具合ね。
その先は、統括が決めて。
これでいいという事になったら俺に報告してくれればいい。
そうしたら、次は、俺ができることをやるからって感じかな。
ただ、統括から聞いてこないと、教えることはできないからね。
これは、強制的に指示する事とは違うんだよ。
目的の決め方は、教えられるけど。
強制できないから。
ただ、正直、自分で抱え込んでいるケースが多く見えるけど、危険だなって。
結論が出せる条件がそろってないから。
時間ばかりたって、それでいて結果が求められるから。
もう少し素直になったらと思うのだけど。
人から指導されるというのが死ぬほど嫌いなんだね。
正直、かたくなに人拒んだら、助けようがなくなるんだよ。

目的と言っても一つではなく。
例えば、マスタープランの目的以外に、ホームページの目的とか調査の目的とか、企画の目的とか、システム更新のための目的とか、個々のサブプラン、作業の目的がある。基本プランの目的は、全体の統制、制御することを目的としているので、包括的で、整合的な事が求められる。
また、チーム全体が共有する必要があるので、チーム全体にいかに浸透させるかが、一番の課題となる。
自分一人が解っていればいいというのではない。
だから、目的を定める過程が決めてとなる。
また、目的に限らず、基本計画を構成する要素、項目、例えば、日時、場所、責任者、担当者と言った要素も基本的にはサブプランにもある。
だから、手順よく効率的に仕事、作業を組み立っていかないと、最後まで行きつかない。
だから、チームのメンバーは目的をよく理解し、協力しないと結果はやる前から出てしまう。

マスタープランの目的から詳細プランの目的を導き出し、詳細目的から調査対象、調査範囲、調査手段等の項目を特定し、プラン全体の統一をはかる。
マスタープランの目的をコアとする事で、プランを分割できる。
つまり、責任を持たせて分業できるようになるのである。
計画にペグを打つ事や、マイルストーンを置く事が出来る様にもなる。

現状分析とか、現場ヒアリングと言っても、それを、組織的に実施するためには、事前に計画を立て、準備もし、手続きを踏む必要がある。
だから、現状分析とか、ヒアリングと書いてガントチャート図を作っても、それだけでは仕事はできない。
単と責任者に指名された者は、マスタープランを作って関係者を集めて仕事のしていかなければならなけど、それが結構難しくて経験がないとできないから、わからなければ聞きに来れば教えてやるよと言ってるの。
ただ、基本的に任せたら強要できないから、わからなければなるべく早く来てほしい。
教えるのはいいけど、それをやるかやらないかは自分で決めるんだよ。
俺だけでなく、飯田や、鈴木や、望月さんがいくら教えても無視されてきたから。
それで、何も教えてないと言われてもね。
一度くらい教えたとおりにやっても罰は当たらないと思うよ。
ただ、強制してもね。
いっくら教えても教えた通りにはやらないからね。
頑固というか、頑なというか。

教えたとおりにやってくれれば、フォローできるけど、違うことされたからフォローできないんだよ。
だから、教えるのはいいけど、最初からね。来てほしいんだけど。
途中から教えてくれと言われても限界があるんだよ。

なんか、頑なだよな。
教えた事は、意地でもやらないみたいなとこあるものな。
だから、教えるのやめたけど。
今度は、教えないとできないし。
何も教えてくれないと言い出すし。
子供だよ。

組織は、人で、といいつせよというのが原則ね。
思想や文書だと解釈の差が出るし。
規則や基準だと固くなって柔軟が失われるから。

今は、誰がカギを握っているから、キーマンから教わろうとしないとね。
最初は、勉強会だよ。
俺はわっかてるんだと思い込むのは、一番危険だな。

決められたこと、指示された事、約束は、守ろうね。
確実に期日までにやる。
決められた事、指示された事を確実にやる。
そうしないと、計画が土台から崩れるし、他のメンバーにも迷惑が掛かるから。
だから、指示されたり、決められた時に一旦指示された事、決められた事を整理して、やる事を決めて、計画を立てておく。
その時、どうしたらいいかわからなかったら聞きに来て。
計画を立てて期日に間に合いそうになっかたら、速やかに、総括に報告して計画を組み替える。

自動車を買い替えるのは、車検が切れたからではなくて。
自動車を何いつ買うかが根本にあるので。
最終的には、どの車に買い替えるかを決める事ではあるが。
どのように車を使うかが解らないと、どの車にするかは決まらない。
自動車を買う目的というのは、ユーザーのニーズの事を言うので、どの車にするかは、副次的な目的に過ぎない。

いくら計画を立てても実行されなければ、絵に描いた餅になる。

例えば、会計システムの目的を決めるにあったて財務に対する考え方から導き出すのは妥当であるが、この場合の財務というのは、ユーザーがどのような意味で言っている財務であって、学術的な財務でも金融的な財務でもないので、ユーザーから直接聞き取るのが妥当な手段。
ユーザーから直接聞きだすのが難しい時は、ユーザーが書いたものを代用する事も可。
その上で、どの様な形(成果物)にするかを決めて、ユーザーの確認をとる。
こういうのが仕事にするという事。

また、使用者からヒアリングする場合は、とりあえず、プラン(目的、方針、基本的考え方、段取り、手順、担当、日時、場所、用意する物)を立てて、総括と相談をする。
具体的な行動計画がないと、実施はできない。
だから、指示された事や決められた事を確認の上、整理する事から着手するのが妥当。これが実務。

社員旅行をすると決めたら、社員旅行ができるわけではなく。
社員旅行をすると決めてから仕事が始まる。
現状分析をすると決めたら現状分析ができるわけではない。
現状分析をすると決めてから仕事が始まる。

プランがプランで終わって、実務に置き換えられなけらば。
つまりは、インプットだけで、アウトプットができない状態に陥るから、ストレスがたまる一方でおかしくなるよ。
おふくろの友人が突然死したのは便秘だったそうだけど。
インプットされても、アウトプットとされないのは、精神の便秘状態だからね。

現在は、使い手、使用者、ユーザーが、どのように使うか、その場面を想定してシステムを構築するのが一般的である。それを、ユーザーインタフェースというのだけれど。
今回は、最終的に、機種の更新だから、使い手がどんな使い方がしたいかに留め、ユーザインターフェイスの設計、デザインまで立ち入る必要はないと思う。
ただ、エンドユーザが、(今回は、専務だけど)どのような場面でどのように使おうとしたいのかは、イメージして機種を選択した方がいいと思う。

学びは、一方的な事ではない。
師は弟子であり。
弟子は師である。
夫婦も、互いに学び合う事ができれば、互いを尊重し、認め合う事ができる。
それが、互いの愛を深めるのである。
学ぶ事を忘れない事である。

弟子が師に挑んではいけないと言っているのではない。
むしろ、弟子は、師に挑んでいくべきである。
弟子は、師を超えることを目標とし、
師は、弟子が超えていくことを喜びとする。
だから、礼節が大切なのである。
師は、身を削って教え導ている。

我々の子供の頃は、教わり方、学び方から、躾けられた。
時に、礼儀を。
でも今は、そんな事どうでもよくて。
自分が解らないのは、できないのは、教えないからだみたいに、刷り込まれ。
だから、実際に社会に出たたらどう聞いたらいいのか、教わったらいいのかわからくて。
結局、引きこもる。
先ず、教わりたかったら、自分から、頭を下げて、何が、聞きたいのか、わからのいのか、教わりたいのかぐらいは自分で考えておくものだと。それが、最低限の礼儀。
教わってやってるんだなんて態度では教えられなし。
自分から、頭を下げるから自分も覚悟ができる。
教えることもできる。
自分から学ぼうとしない者を、教える事はできない。

克己復礼。