最近の税に対する議論は、増税か減税か。あるいは、財源がどうたらこうたらと。
土台に財政問題が隠されていて。
税は使い道が問題なので、いかに税収を増やすかではない。
なぜ、使い道かというとそれは、国家の存在意義、目的の問題が隠されているから。
なぜ、税を必要とするのかは、税の集め方、使い方に深くかかわている。
税は、国家の成立に深く関わっているということを忘れてはならない。
戦国時代の武将も、寺院も、ヨーロッパの君主も教会も税金目当てだった。
国民国家以前の国はそういうものだった。
それは、君主も教会も自分達の必要性から税を徴収したからで、そのうちの一部を民に恵んでいたにすぎない。
ここでいう民とは国民でなく臣民みたいな事。
税は、権力の象徴のように見られていた。
権力者は徴税権を持ち、人民から徴収した税を好き勝手に使えた。
その権力を守るために武装し、軍隊を養っていた。
この時代の民は、民と言っても国民ではなく奴婢みたいな存在である。
また、徴税の制度にも問題があった、例えば、徴税請負人で、税を私物化して勢力を拡大していった。
この時代の税の多くは、君主や領主の私的目的で徴収されていたのである。
君主国の税と、国民国家の税は、そもそも、成り立ちも目的も違う。
ところが、君主国時代と同じような感覚で税を捉えていつ人が多くみられる。
このような錯覚に陥ると、税は利権でしかなくなる。私的な利益としてしか理解できなくなる。
税が、利権、既得権益化すると、財政はたちまち破綻する。
税の目的が損なわれ、歳入と歳出の均衡が維持できなくなり、財政を制御できなくなるからである。
税制ほどその国家の本質を表しているものはない。
税は国家そものと言っていい。
歳出純計に占める軍事費の比重は,日中戦争開戦前の1935年度には47% 。
開戦後の37~44年度には70~80%の水準にまで達していた。『大蔵省史』第 2 巻
税が先にあったのか、軍事費が先なのか、そこが問題なのだ。
軍事費とは軍である。
軍事費を問題とする時、国防とは何かを考えなければ意味がない。
そうなると、国防と建国の理念が問題となる。
国家目的、国家計画。
ところが敗戦によって日本人は、国家目的とか国家計画とか国益という言葉を大ぴらに言えなくなった。
今でも。それが税の問題をわかりにくくしている原因の一つである。
今の、知識人は税を経済上に留め、国家理念や国家目的、国家目的、国家計画、国益と切り離して論じる傾向がある。
それで、増税か減税かと目先の議論になるのである。
当時の日本人の思想が問題。
何を恐れてこれほどの歳出を許したのか。
戦前の日本人は馬鹿だったからと片づけるには事は重大なのである。
税を考えるためには、神と戦争は避けて通れない。
中世の教会も寺院も、自分たちの領地をもっており、免税された上、税まで徴収していた。
その為に、当時の政府の財政を圧迫し、時には財政を破綻させもした。
今でも、どの国でも巨大建造物は、城か寺院、教会と言った宗教関連の建造物である。
ある意味で、宗教は経済的なのである。
宗教は、聖でもあり俗でもある。
最も、人間臭い行為である。
神を金儲けの種にしてはならない。それは、大罪である。
しかし、宗教というのはその性格上、儲かるのである。
宗教ほど、堕落すると、俗ぽいものはない。
強欲で。金に汚くなるのである。
本来が、禁欲的で、献身的、敬虔的なのだから。
カルトが好例であるが、狂信的になると、何もかも貢いでしまう。
しかし、宗教には社会や国家を裏から支える働きがある。
それ故に、宗教は、経済を考えるうえで避けて通れないのである。
戦争のために税を徴収する事は、歴史を見ると往々にある。
それが高じると産軍複合体みたいな体制を構築する。
つまり、軍は最大に利権となる。
税が軍に従うようになると、国家体制は軍の従属物のようになる。
こうなると国民生活が犠牲となる。
税も軍も国家理念に従うべきで、それは根本思想によって定まるのである。
軍拡競争に落ちいたら、経済は忽ち不健全なものになる。
国民国家も、経済も、貨幣も、税も、人為的な仕組みである。
国民国家も、経済も、貨幣も、税も、役割や働きなどが明確に定義されているわけではない。
後付けによるものばかりである。
例えばお金である。お金の三要素は、交換機能、価値保存機能、価値尺度機能なんて後付けの定義。
国家百年の計といわれ。
元来、都市計画の延長線上にある。
国家は本来、人為的な仕組みであり。
税が、経済に与える影響、経済の仕組みを入念に考えた上で構築されるべき事である。
そうしないと財政の健全性は計れない。
それが、国家も、経済も、貨幣も、何ら定義さえされずに,対処的に政策をとられたら破綻するのは必然である。
日本人は、国家の根本理念や体制を抜きにして、国防や税制等を議論するが、それでは、最初から的外れな議論になる。
税は、建国の理念に準じている。
何故なら、税制の目的は建国の理念に基づくからである。
君主国と国民国家とでは税の目的が違う。
君主国の税は、君主の為の税であるのに対し、国民国家の税は国民の為の税だから、基礎となる哲学が違うのである。
国民国家の税は収奪ではない。また、あってはならない。
この点を理解していない日本人が多い。
国民の為というのは、国民に税の使い道が常に公開されており、国民の合意がなされていなければならない。
ところが、税の議論は、税の制度や手段にのみ注目され、なぜ、その税が必要なのかは議論されていない。
だから、いつも財源が忘れられるのである。
今の日本は税の使い道は、利権でしかない。日本が国民国家というのならば、先ず国家目的や建国の理念を問うべきで。
どのような目的、即ち、何に使うかに基づいて税制は設計されるべき事なのである。
また、税は国民の為に使われるべき手段だから、税の経済的効用も重視されなければならない。
故に長期的見通しや計画があって然るべきである。
つまり、税が経済に与える影響抜きには語れない。
第一、税は、所得の再配分の手段である。
国民国家というのは、要件定義によって建国された国。
国民国家は、設計された国。
国民国家というのは計画に基づいている。ルーツは都市計画である。
国民国家とは、国民によって建国され、国民によって構成される国家。
手続きによって正当性が保証されている国。
国民国家は法治国家である。
国民国家は憲法を法源としている。
国民は、憲法によって定義される。
国民国家の主権は国民にある。主権在民。
一、建国の理念、国家目的。
一、国家の定義
一、国民の定義
一、権利と義務
権利と義務は、作用反作用関係にある。
このような国民国家であることを前提に税は考えるべきなのである。
納税は、義務であると同時に権利である。これが、権利と義務の作用反作用の関係である。
日本人はお上意識が抜けないから、簒奪されていると。しかし税は所得の再配分、国民の福利、そして、治安、国防、防災、インフラ、教育と国家の役割を基礎に構築されるべき事。
もう一つ重要なのは、税が貨幣制度や市場に対する働きで。税があるからお金は市場に循環する。
税と税金の違いで。税を金納する事によってお金が社会に浸透し、かつ、循環するようになった。
近代の貨幣制度は、金納を義務付ける事で成立したと言っていい。そのために、騒動もあった。
そして、紙幣が、金属貨幣から主役の座を奪った。今やお金というと紙幣を指すように。貨幣の本質が変わった。
紙幣は国債と裏腹の関係にある。言い換えると借金が経済の根底に入り込み、負債と資産の関係を構築した。つまり、負債が経済の裏反面を受け持つようになった。
貸借が基礎となったのである。
以後世界は負債を根底とした経済体制に取り込まれることになる。
紙幣は借用証書が源にある。
資本主義の礎も負債である。
資本も負債の一形態とみる事もできる。
この点を理解しないと財政問題は解決できない。
この事は税と国債(負債)、紙幣、金利、そして、財政の関係を暗示している。
なぜ、財政は破綻するのか、それはそもそも、紙幣が借金であることが関係していると思われる。
実物貨幣の時も、財政は破綻するが、それは貨幣を一方的に流すだけになる。
そうなると資源がなくなると財政は破綻する。
また、銀貨などは大量に流通するようになると、貨幣価値を低下させる。
結果的に実質的、支出だけが増加する事で財政は破綻する。
それに対して紙幣は借金であるから回収を前提としている。
歳入と歳出の均衡が崩れると雪だるま式に増える傾向がある。
何故なら、紙幣は、名目的価値を象徴しているからである。
紙幣は、実物貨幣と違って資源に際限がない。
紙幣は回収する事を前提とする。それが税の在り方を変えたのである。
回収を前提とした税と回収を前提としていない税とでは働きが違う。
スペインが多くの金銀を手にしながら破綻した原因はその辺にある。
財政破綻を防ぐためには規律が必要で、規律は、根源的思想、国家計画に基づく必要がある。
思想や計画がないと、自制するのが難しく、場当たり的になる。
公共投資は利権ではない。
国家計画に基づき、国民生活不可欠な事業に対する投資なのである。
根本に建国の理念に基づく国家計画になければ制御不能に陥る。
哲学なのである。
根本は。でも今の日本人は哲学がない。
ポピュリスト。人気取り。
だから財政は破綻する。
制御できなくなる。
使い道の根拠、目的が曖昧だから。
どんな国にするのか、どんな国を目指すのか。
根源的構想、それが建国の理念。
長期的構想に基づいて。
そうしないと、国防費を抑制したり、無駄な公共投資を抑制できず、景気対策などの口実に振り回される。
また、国民の理解を得られず、場当たり的な人気取りに走りがち。何より信念も志も持てなくなる。