神が、唯一だと言うのなら、キリスト教の神、イスラムの神、ユダヤの神、日本の神という神はなく。
神が、絶対と言うなら、どちらの神が優れているか、劣っているか。正しいか、間違っているかもない。
唯一絶対とはそのような事を表す。
神は神なので。
唯一絶対の神はすべてを超越し、無分別。
実は空しい。
空しいから実がある。
はじめ現象には意味はなく。
意味がないから真実なのである。

色即是空。
空即是色。

はじめ、実に名はなく。
人が名付ける。
名を持てば実は失われ、名が体を表すようになる。

神に名はない。
唯一絶対だから。

この世界には不完全な存在なんてないけれど。
一度、分別を持つと完全な存在はなくなる。
一度、完全な存在がなくなれば、完全という言葉が意味を持つ。
結局、完全も不完全もなくなる。
平安の貴族にとってヨーロッパの出来事など、存在しない事だし。
消息のない友は記憶の中でしか生きていない。
所詮人は自分の世界から一歩出られはしない。
この宇宙の果てで何が起こっているのか、空想の域を出ない。

はじめは、上もなく、下もない。
貴賤もなく。善悪もなく。長短もなく。美醜もなく。高低もなく。貧富もない。
それは、人の認識が生み出したこと。
しかし、一度、人が生み出せば、それが現実となる。

人は、自分の死を予感しても、死を知らない。
若い頃の自分は、記憶でしかなく。
老い先は予感に過ぎない。
確かなのは今の自分だけ。
自分が、今、見ているこの世界だけ。

戦場に住む人は戦場が現実なのだ。
平和な国に住む人にとって平和な日常が現実なように。

大金持ちの人は贅沢な日々が現実であり。
飢えに苦しむ人にとって飢えが現実なのだ。

十年前の自分は、十年前の自分で、十年後の自分は、十年後の自分。
今、生きて考えられるの、今の自分の事。
今、生まれて、今、死んでいく。

今から始めていくしかない。

自分が生まれた時の記憶はなく。
気がついてたら生かされていた。

ならば、この一日、この瞬間を、最善を尽くして生きるしかない。
この時を生きることを考えよう。
今、自分にとって何が最善な生き方か。
将来を憂えて、過去を悔いて、今、思い煩っても意味ない。

透徹した目で見れば、この世の真実が、おぼろに見えてくる。
欲を否定したら生を楽しめない、欲におぼれれば自分を見失う。

神は希望。
幸福になれと行く道を指し示す。

人はなぜ幸せを願わないのか。
幸せになる努力をしないのか。諦めるのか。
神は希望。
望めば、導いてくださる。

信じるというのなら、唯一絶対なる神を。
ただ心を空しくして無心に信じるがいい。

人は、幸せな時、神を侮り。
不幸になると神を罵る。

しかし、神は、神だ。
神を、必要としているのは、人間であり、
神は、人間を必要としていない。

神は何も求めていないからこそ、神が与えてくれるのは恵なのだ。
神は見返りを求めているわけではない。

人は、神に生かされているけど。
神は自らの力で存在しているのだから。
人が神を生かしているのではない。