この歳をしてね、なんとなく悟った事さ。
人は皆、関わりの中で生きている。
関わりがあって成り立っている。
何ものにも関わらずに生きていくことはできない。
故に、人生とは、自分が他といかに関わって生きていくかの問題なのだ。
関わりは、原因と結果から見えてくる。
因果だよね。縁でもある。
あらゆる現象は目に見えない原因による結果である。
皆、何がしかの縁で結びついている。
良縁もあれば、悪縁もある。
良縁を大切にすれば幸せになれる。
神は、人が幸せになることを望まれている。
そして、自分が望まないと幸せになれない、助け合わなければ幸せになれない事をお示しになられている。
苦があるから、望みが生まれる。それもまた、摂理。
楽をしても楽は得られない。
楽する事を覚えたら、幸せにはなれない。
楽は、苦の種になるだけ。
幸せになろうと望めば苦は乗り越えられる。
幸せを望まなければ苦界に沈む。
人は一人では幸せになれない。
一人では、幸せであることに気が付かないから。
自己は他者との関わりによって自分を知る。
外界との関わりがなくなると、自分がわからなくなる。
認識上において自己は、一人では、存在を認識できない。
自己は他との関わりによって形成される。
一人は、暗くて、寒くて、寂しい。
努力して成功をする。
修行をして悟る。
練習をするから勝てる。
共に努力するから喜びを分かち合える。
困難に打ち勝つから喜びが得られる。
働くから成果が得られる。
神は、生きとし生きる者が幸せになる事を望まれている。
だから、神は生きとし生きる者に試練を与えているのだ。
その試練に打ち勝ったものだけが幸せになれる。
ただ、神は試したりはしない。
幸せを望むか望まないかは人が選ぶものだから。
大切な事。
神は、人が幸せになる事を望んでいる。
ただ、幸せは、自分が望まないとなれない。
それは、この世の出来事を見れば分かる。
神は、幸せになれとは語らない。
ただ、お示しになっている。
自分を知り。
自分をわきまえる事が幸せのカギ。
人は神を超えられない。
神にはなれない。
神が最も嫌うのは傲慢さですよね。
傲慢になると我を見失う。
神は、幸せになる事を望まれている。
それは神が示されていることを見れば分かる。
何が、人を幸せにし、人を不幸にするのかを考えれば、何を神が望まれているかがわかる。
強欲は、人を孤独にする。
強欲は、人を不幸にする。
与えよ、さらば与えられん。
恵みを独り占めにすれば、人心は離れていく。
愛する人たちも。
分かちあえば、人は集う。
分かち合い事は、人を幸せな気分にさせる。
孤独は、人の心を、寒々と荒廃させる。
喜びを分かち合う事は、心をほのぼのとさせる。
怨念は人を乾かせ荒涼とする。
愛情は心を豊かにしてくれる。
憎しみや争いは人の心を凍らせる。
優しさや思いやりは、人の心を温め溶かしてくれる。
妬みは自分を惨めにする。
人を称えれば、栄誉を共にできる。
自分一人の事ばかり考えている人は自分を不幸にする。
一人では自分の喜びすら自覚できない。
好きな人の前で自慰するような事。
ただ、自分を惨めにするだけ。
お金は、人を幸せにするための手段だけど、幸せを望まなければ、お金だけが残る。
人を呪えば、自分も呪われる。
人を祝福する事は、自分も祝福される。
幸せは、自分でつかむもの、人に与えられるものではない。
誰も守ろうとしない家族は守れない。
誰も守ろうとしない会社は守れない。
誰も守ろうとしない国は守れない。
幸せはたやすくは手に入らない。
だから、何が自分を幸せにするかを考えさせられる。
対立からは、幸せは生まれない。
人は独りでは生きられない。
一人では幸せになれないから。
幸せは助け合い、分かち合わないと。
幸せは共鳴共感から生まれる。
だから、人は神の前で共に幸せになろうと誓うのである。
結婚は、楽するためにするのではない。
苦楽を共にするから幸せになれる。
愛は育まれる。
出産は苦しい。陣痛を経て生む喜びを実感する。
産みの苦しみがあるから、子を育てられる。
快楽は苦の種と覚悟しろ。
快楽は災いの種をまき散らす。
人は誘惑に弱い。
神が嫌うのは傲慢、虚勢、見栄。
実がないから。真、誠がないから。
だから、傲慢、虚勢、見栄は、素の自分を見えなくする。
神が愛でるのは、あるがままの姿、素のあなた。
真実。
神は、嘘を嫌う。
虚飾を捨てろ。
美醜、貴賤に関係なく。
神は、あなたの全てを愛されているのだ。
生ある物は、皆、神の祝福によって生まれる。
神の定めた罪と罰は、自分の心に聞け。
人の定めた罪と罰は、法の定めに従え。
許しは救い。
人を許せば自分も救われる。
それが愛。
相手が許せないのではない。
自分が許せないのだ。
他人を許すのは難しい。
しかし、それ以上に、自分を許すのは、難しい。
人は罪を犯す。
許しがなければ人は救われない。
神は許し。
自分で自分が許せないのなら。
神に許しを請え。
そして祈れ。そっと祈れ。
いつまでも自分を責めても許しは得られないよ。
神は恵み。神は愛。神は許し。
過ちを認め、懺悔し、悔い改めれば、神は許してくださる。
神を恐れぬ者は、自分の罪を認めず、懺悔せず、悔い改めもしない。
だから、自分だけでなく、周囲の人も不幸にする。
神は恵み。
人は神の恵みで生かされている。
神は与え尽くしてくれる。
「のさらん福は願い申さん」
「定められた暮らしの作法を守り、正しい行いをしていれば山の神は獲物を与えてくれるものだ。それ以上は望みません」という。
その心が「のさらん福は願い申さん」である。
「のさらん」とは授からないものという意味で「山の神から授けてもらったものだけで満足です」
宮崎県椎葉村で猟師に伝わる作法。
足らざるは貧なり。
満ち足りる事を知れば常に豊かになれる。
幸せを望めと神は。
求めよ、さらば、与えられん。
求めなければ、幸せにはなれない。
幸せは分かち合うことで自分のものになる。
幸せになりたいと心から望み、神に祈れば、神は希望を与え、進むべき道を指し示してくれる。
その道を信じて進むか否かは自分が選べと。
それが信仰。
信じあい、愛し合い、、助け合う事。
それが神が望むことだ。
事実がそれを指し示している。
求めよさらば与えられん。
与えよさらば与えられん。