これから、皆は、助け合って、一緒に生きていかなければならない。

俺は、関係ない、自分さえよければいいんだ。
俺一人くらい、いい加減にしたって、怠けたって、どうということないじゃあないなんて、そんな人間ばかりになったら、会社は、潰れてしまう。
国だって成り立たない。
ツバメに不必要な人間なんてね。ツバメの社員である限りいないんだ。
ツバメの社員である限り、皆、必要とされているんだ。
それを忘れないでほしい。

今の、二十代、三十代の若者が、ツバメの中心になった時、僕は、ツバメにいない。
ツバメどころかこの世にいないだろう。
俺がいなくなっても、みんなは、生きていかなければならないんだよ。
その時、どうしたらいいか、わからない。
何も決められないというのでは、おしまいさ。

みんなで一緒に助け合って生きていけるようになる。
そのための、予行練習がね、社員旅行なんだよ。

社長だって人件費をケチろうなんて思ってはいない。
ただ、人件費を上げるためには、利益を上げないとね。
ない袖は振れない。

営業が実績を上げないで、給料ばかりを挙げるわけにはいかないんだ。
会社がノルマを課すからとか、目標を達成しないと肩身が狭いというのは私情なんだよ。
それより、売上を上げないと、みんなの給料を上げられないというのが本当のところ。
みんなのために、それがわかれば、目標の意味も分かってくる。
なぜ、目標を達成しなければ、ならないかもね。

業績が悪いのに待遇ばかりよくしたらたちまち潰れてしまう。
これが道理さ。

自分の為というより、皆の為、会社の為、そう思えば頑張れる。

一人は皆のために、皆は、一人の為に。

何もベテランに冷たくしようなんて思ってはしない。
定年を迎えたからもう赤の他人というわけにはいかない。
ただ、次の世代の事考えてくれと言っているだけ。

定年を迎えて、行き場所がなくなったら、自分の人生なんだったんだろうと考えるよね。
挙句に、自分の家にすら居場所がなかったら。
それを見ていたら若者達だって虚しくなるだろ。
定年を迎えたからと言って帰るところがあればね。
だから、会社は、帰れる場所でなければならないさ。
サラリーマンにとってね。会社ってふるさとみたいなところ。
そこで、愛をはぐくみ、結婚をして、子を産み育て。
サラリーマンにとて人生そのものなのさ。
それを笑う事は許されないさ。

サラリーマンと言ったて人生があるのだから。
人間なんだよ。

だから、年相応の生き方がね。
できるようでないとね。

年をとったんだよ。
若者のようには働けない。若い頃のようには動けない。
でもね、年寄りには年寄りのはたき方があるし、そうすれば、自分の居場所も見つけたれる。
年功序列と、右肩上がりに、待遇をよくする事はできないし。
一番働き盛りに時に、一番金も必要になる。
だから、若い連中にチャンスを与えるべきだと言ってるだけ。
年相応の生き方をね。

何を若者たちに残せるのか。
何を若者達に残していかなければならないのか。
これからの生き様で見せていかなければならない。
残り少ない人生と言うのなら。

年をとり、子育てが終わったら、身を縮めることも覚えるさ。

一番のベテランだった石垣松雄が、引退したよ。
八十を過ぎたら、さすがに限界だよ。
でも律義にちゃんと筋を通し、礼を尽くしてくれた。
石垣は、自分でよく承知していたよ。
松川が、スイカをもって訪ねてきてくれた。
それができる会社にね。
たとえ、定年退職してもね、かつての仲間が生活苦に陥らないよう、孤独死しないよう最低限の配慮は欠かしては駄目さ。
やっぱりツバメに勤めて幸せだったと。

僕が言いたいのはね。
年寄りには年寄りの役目があるんだという事。
若い者にチャンスを与え、育てるのが、年寄、最大の仕事だと。
手本にならなければ。
年寄りがでたらめすることで、一番怖いのは、若いのが、常識もまだ身についていない者が、いい加減な事しても、道理に反した事しても、許されるんだ。いいんだと錯覚してしまうこと。

若いうちに責任を持って最初から最後までやり通すことを覚えさせろ。
奴働きばかりさせていると、奴の集まりになる。
そう親父はいつも言っていた。

奴の集まりにしないためには、若者を信頼して任せるしかないさ。
後は、自分が責任をとる。その覚悟だけだな。

未熟だから、経験不足。
それは承知の上さ。
未熟なのも、経験不足も主知している。だから、信頼して任せるしかない。
未熟で経験不足なのを承知しているから、その結果にたいしては自分が責任を持つ。

それが侍さ。

ある時ね、自分が悪いんだと気が付いたのさ。
信頼して任せようとしない自分が悪いと、だから一線を退いた。
だから、好きなようにやればいいさ。
ただし、責任をもってやり抜く。
責任は俺がとるよ。

後悔する事があるとしたら、もっと早くみんなを信じて任せればよかったという事かな。

トップを孤独、孤立させるなんて最低だよ。
うちの社長はいつだって、社員を第一に考え、一人ひとりの事を思って夜も眠れなくなる。

ブランドを身に着けるわけでもなく、食い道楽でもないし、ゴルフ三昧でもない。
豪邸に住んでいるわけでもなく、高級外車を乗り回すわけでもない。
偉そうにして虚勢を張らずに気さくに何でも相談に乗ってくれる。

だからと言って、何から何まで甘えていいと思う。
いつまで甘えているんだ。

どんな世界でも、トップをとられればゲームセットなの。
もっと、トップを守る事を考えないと。
元も子もなくすよ。

フランクで、飾り気のないリーダーほど側近は守りにくい。
民主的リーダーは守りにくい。
だから、アメリカでは暗殺騒ぎが絶えない。
それでも、アメリカのリーダーは命がけで民主主義を守ろうとする。
リーダーをガードするのも命がけ。

これから、自分達で一緒にね、みんなで助け合って、生きていかなければならないんだ。
その辺の筋道を通すことを覚えないと。
大切のものを失うよ。

これから自分で自分たちを守っていかなければならない時代になるさ。

一人では何もできない。
皆で一緒に仕事をすることを覚えないと。
それを身に着けるために社員旅行をするのだ。
ただやればいいというのではないよ。

社員旅行は、学びの宝庫なのだ。

担当を決めたからといって一方的にならないように。

簡単にやる事をあげて、考える癖をつける。
実務屋は実務で考える。

仕事や行為を通じて意義や目的を浸透させる。

一回、言ったくらいで、わかると思うな。
一回聞いたくらいで分かったと思うな。

三回は、人や場所を変えて説明させる。
他人に伝えさせる、説明させる、報告させる事、指示させる事で、理解させていくので、自分が説明するのと、説明を受けるのでは天と地ほど違う。
自分で、相手が納得がいくように説明しなければならないとなれば、話の聞き方も違ってくる。
ただ、話を聞けばいいと思っていたら緊張感もなく、理解も浅い。

自分がわかっているだけではなく、実際にやる担当者まで、自分がないをすべきかがわかっていなければならない。
どうやってわからせるか、それがわかって、わかりましただ。
自分だけわかっても、わかったことにはならない。

言わせてみれば、やらせてみれば、わかる。

だから直後に、言わせて確認する。
何から着手するかを確認する。

わかっていない者は、誤魔化そうとするか、嘘をつく。
わかっていないのに、わかりましたというのは、明らかなウソ。

自分がどうしたらいいか、わかるまで聞け。
中途半端に聞いて、自分が何をしていいのかがわからないで、話を打ち切ると、結局実行段階で手詰まりとなる。
詳細というように、実行段階は、事細かく詰めておかないとできない。
さあ実行という時に詰まるのは細かし事なので、だから、最少は曖昧にするのである。
なぜなら、前提は、実行直前でも変わるからだ。
たとえば、山の転機と女心は気まぐれというように。
だから、細かい事は言うなというのは、決定段階以前の事で、決定段階、モードに入ったら、細かいことを詰めていかなければ決めれらない。決めるという事はそういう事。

会議に同席させ、この会議で決まったことで、自分たちがやらなければならない事があったら、帰ってから、みんなにお前から説明せえと予め言っておくのと、言っておかないのとでは、全然違う。

できないのは、教えてないか、聞いてなかったかのどちらかだ。
教えておかないとできない。聞いていないとできない。

私は、このように教わった。
直属の部下が、苦情を受けていたり、叱られている時、見て見ぬふりをしてはならない。
部下が、解決できると見とどけたら、任さればいい。
しかし、手に負えないと判断したら、速やかに介入し、責任を持って対応する。
その場合、どのレベルで止めるか、最高責任者、決定権者まで話をもっていくと話が大ごとになる。
その辺を見極めるのが責任者の役割だと。
自分が引き取れば、担当は、自分に代わって叱られたり、謝ってくれたと思うから、自分の注意や指示に従う。
そこで見て見ぬふりをすると担当は、なぜ、自分だけが責められるのかと思いうし、注意も聞かなくなるし、指示にも従わなくなる。
だから、部下が困っていたら見て見ぬふりをしないようにと。

背水の陣とか。甕割り。
自分で自分尾逃げ道を断つくらいの覚悟がなければ、なかなか、決断はつかない。

社員旅行は、学びの宝庫だ。
社員旅行で何を学ぶか、学んだか、それは一人ひとりの心掛けによって違ってくる。
なぜなら、社員旅行は内輪のイベントであり、多少の事があっても許される。
お客様を相手の旅行は、許されない。そこそこの結果が得られれば目くじらを立てて怒られることも、責任を問われることもない。
だとしたら、徹底的に問題点を洗い出すことができる。
だから、学びの宝庫なのである。
楽しければいい、面白ければいいと言うのなら、何も学べない。
堅苦しい事、厭な事はいいこなしだとしたら学ぶところはない。
何も学ぶことがなければ、何のための社員旅行なのか。