目的の意味を知らない人が結構いる。
そう言う人間に、この会議の目的って何と聞くといい加減な事言ってごまかそうとする。
要するに、自分が、目的の意味わからないけど。
目的の意味が解らないというと、馬鹿にされそうだから、知ったかぶりして、虚勢を張り、誤魔化そうとする。
それが、そいつの返答の目的になる。
目的の事、誤解している人の中に、目的は一つだと思っている人がいる。
目的は、数限りなくある。
例えば、一つの会議を取り上げても、会議の目的もあれば、一つひとつの議題の目的、一人ひとりの出席者の目的という具合に。
目的は、仕事に応じて派生するから、仕事の流れを理解しないとわからない。
例えば、今日の会議は、方針についってみんなの意見を聞く事が目的で、次回の会議は方針を決めるのが目的とか。
こうやって個々の会議の目的をハッキリさせれば、おおよそ、何かいくらいで、基本計画を決めるかと言った計算が立つ。
また、一回いっかいの会議に何をするのか、また、何をしてくるのか、どんな資料を作成するのか。
また、その時点そのじてんで何を作成し、次に何をしたらいいのかも予め想定できる。
だから、目的は重要なので。
ところが、目的の意味を解らない者は、自分が目的の意味が解らない事をごまかす事、言い訳する事が目的化して。
目的なんて適当でいいんだよ教える。
それで、目的の本当の意味が解らない、いい加減、誤魔化す人ばかりになる。
俺達は、「今日の会議の目的はわかってるんだろうな。目的がわかっていなければ出る資格ないからな」
「それで、お前の目的は」「議題の目的は」と詰問された。
今は、「目的、目的ってうるせいな」「目的なんて適当でいいのに。解ってないな。」という責任者ばかり。
それでは、無責任になるし。
わかってないのはお前なんだ。
例えば、方針を検討する時は、検討する。
決める時は、決める。
検討してから決める時は、検討してから決める
検討する時は、検討することに徹する。
検討を目的とした、資料を集め、やっておく事はやっておく。

どんな家にするかを決める前に、椅子や壁紙の話をしても意味がない。
どこに行くかも決める前に、水着を用意しても…。強引じゃない。
何もしてないのに、負けたと思うのは負け犬根性。
先ず、何をするかを決めてから。決める時には決める。決められるようにする。
そのために、目的を明らかにする。何を決めるのかをね。

場所だけ先に決めようとなると、場所だけ目的が違ってくる。
その場合、会議の目的とは別に、場所に関する目的は違う。
用意する資料の、やってくることも違う。
担当の目的も違ってくる。
だから、担当は事前に全体の目的と自分が担当している事の目的を確認しておく必要がある。

この様に、全体の目的と個々の目的を照合しながら、進捗状況を調整する。

よくレベル合わせとか、後で打ち合わせという者がいるが、目的がわかっているなら、レベル合わせとか、打ち合わせの意味は分かるが、目的が若手いない者が言うのは単なるいい訳、言い逃れ。
こういう言い訳や言い逃れを覚えてはならない。
何のレベルで、どういう目的で合わせるのか。何のうち合わせで、どういう目的で、打ち合わせの後、どうするかの説明ができなければ、言い逃れと叱られた。
先輩に真似をしているのかもしれないが、悪い癖である。
言い逃れや言い訳ばかり覚えてしまう。

目的がはっきりしないと、やるべき事が定まらない。
だから、目的や方針は最初に明らかにする。
あたりまえに思えるかもしれないが、実践している人は少ない。
「今日は、顔合わせ。会うのが目的だから、会って、話をきてくればいいよ。」
「今日は、意見を聞くのが目的だから、結論は出ないだろうけど、次回の目的と次までにやってくることを忘れずに聞いてこいよ。」
「次は、場所と日程を決めないと間に合わなくなるから、それまでに、場所担当は、目的に合った場所の候補を、二、三、調べておけよ。そうしないと決められなくなるからな。それと、営業は、参加者の都合を聞いておいて事前方向をして。」
というように、目的がわからないと、やることが分からないし、段取りもつけられない。

目的の意味が解っていない奴は、思い付きで、目的を言うものだから、仕事の脈略も、順序も、筋も、段取りも、バラバラになって収拾がつかなくなる。
その癖、自分だけが解ってるフルをし、人を小ばかにしたような態度をとるからまとめ様がなくなる。
人をはぐらかしたり、言い逃れ、言い訳ばかり考えないで、仕事の流れ、目的を考えろというの。

打ち合せの目的を理解していないリーダーは、一回いっかい、打ち合わせた結果を、記録も取らずにリセットしてしまう。
そのために、仕事の進捗状況も脈絡も分からなくなり。
また、追跡もできないから、訂正、修正もできない。
挙げ句に、記録をつけないことで言い訳をして、責任を人に転嫁する。

そういうリーダーは、仕事の全体像をつかんでいないのである。
仕事の全体像をつかんでいないから、全体の目的も、個々の目的も理解できず。
全体の目的と個々の目的との関係もつかめない。
だから、とりとめのない、得体のしれない、鵺のような仕事になってしまう。

目的は、自分の意志で決める。
目的は、決める事で自然に決まるものではない。
だから、目的を持てと言われた。

目的を明確にするというのは、何をすべきかを明確にすることを意味している。
逆に目的がハッキリしないと何をしていいかわからないから仕事が始まらない。
いい加減な目的を設定すると、それで仕事ができるかと窘められた。

例えば、方針を伝える事を目的とした会議と、方針を決める事を目的とした会議と、方針を検討することを目的とした会議は、事前にやること、用意する資料、当日の会議の進行、ルール、事後の処理、手続きが違う。
だから、最初に目的を明らかにしておかないと仕事はできない。

今は、目的の意味を正しく理解している人がいなくなった。
だから、目的を正しく伝える事ができない。
目的は自分で決める。自然に決まるものではない。それがわからない。
目的というのは、何答えがあって、放っておけば自然に決まると思い込んでいる。
目的を自分で決められない者は、成り行き任せで目的を決めていく。

結果は、本来目的によって測られる。
成り行きで仕事をしている者は、結果を測れない。
だから、こういう者は、結果から目的を、類推しようとする。これを、本末転倒という。
こういう人は、意図した結果は出せない。
こういう人間は、最初から最後まで無責任に終始する。

仕事は、目的から決めていく。

何故、仕事をするのか、その目的は自分で決める。そこに、自分の意志がある。

目的から、結果は、想定される。目的とする結果をより具体的、できれば数値化したことが目標である。
結果は、目的から測られる。
だから、仕事が終わると目的は達成できたかと確認された。
逆に言うと、目的が明確にできない者は結果を出せない。

だから、かつては、仕事を始める前に目的を定めた。
目的が定まらないと、結果が出せないからである。

かつての上司は、目的の意味も、重要性も理解していたが、今は目的の意味も重要性もわかっている人がいなくなったから。
正しい目的を教える事ができなくなった。
目的の意味も解らないくせに、安直にいい加減な目的を設定するから、仕事がちぐはぐになり、段取りも組めなくなってしまっている。

目的は、必要に応じて決める。
会社の全体の目的もあれば、部門の目的もある。担当の目的もあるし、個人の目的もある。
目的には、レベルもあるし、一人ひとりの考え方によっても違ってくる。
だから、答えが一つあるというわけではない。
目的は自分で決める。
だから、これが目的だとか、これを目的にしなさいと決めつける事はできない。
目的を決めなさいとしか。

目的をどう決めるかで後の仕事、生き方、やり方が決まる。

目的をいい加減、適当に決めると、仕事もいい加減、適当になる。
目的を曖昧にすると全てが曖昧になる。

目的というのは、本来、あからさまな事なんです。
例えば、人に会いにいくなら、何をしに会いに行くのか、会いに行く目的をハッキリさせろと。
会いに行く目的は、会うことなのか、あって話をすることなのか、会って食事をすることなのか。
ハッキリしろと。
しかし、目的をハッキリさせると、やることもハッキリせざるを得なくなる。
目的を曖昧にしておいた方が都合が悪くなったら言い逃れができる。
何をしたいかをハッキリさせたくない人は、目的を曖昧にしておいた方が都合がいい。

また敵を攻めるとか、攻略しようとしたら敵に目的を悟られないように秘匿する。
しかし、その場合でも、味方には目的を伝えておかなければ、戦いにならない。

いずれにしろリーダーは、目的を明らかにしろと。
目的が明らかにされれば、後は、任せても構わないが、目的が明らかにされなければ、仕事のやりようがない。

結果は、目的から測られる。
目的が決められていないと結果を測れない。
だから、いくら仕事をしても評価が定まらない。
とりとめがなくなり、終いには、自分が何をしているのかわからなくなる。
だから、迷ったら、目的に戻れ、目的を見直せと言われと言われたけど。
目的を決められない人は、それもできない。

手段と目的の違いを理解する。
目的を忘れると結果だけが問題になる。

勉強は、手段であって、目的ではない。
目的のない勉強は、もなしい。何の成果も期待できない。
勉強の目的が、いい大学に行く事だとしたら、受験に失敗したら、受験勉強に費やした時間も努力も無駄になるし、合格したらしたで、単純に、目的を達成して後には何も残らない。
生きる事に必要な事を目的としたら、結果はどうあれ、一生、役に立つ。

目的を間違ったら、努力も時間も無駄になる。
勉強は手段に過ぎない。
肝心なのは、何を目的として勉強するのか。
それを問うたら、今の学校はなる立たなくなる。
だから、目的なんてどうでもいいと教える。
目的なんて考えないで勉強しろ。

そうなると、勉強の成果は、成績と受験の成否でしかない。
希望する学校に合格できなければ、敗北感に責められる。
でも本当の目的は入学した後何を学ぶかにある。
燃え尽き症候群など、悲劇であり、喜劇でもある。

金儲けは手段である。
問題は何を目的として金儲けをするか。
その目的が見失われたら、金儲けが目的になる。
金儲けの為にすべてを犠牲にしても、省みる事がない。

目的を曖昧にして、テンデンバラバラに仕事をしていたら、何の成果も期待できないよ。

誰が良くて、誰が悪いなんて言ってはしない。
目的を持って仕事をしているかを問題にしているんだ。

それぞれがどのような目的だったか。
結果ばかりを問題にして、目的を忘れてはいないか。

自分がしっかりしないから。自分がしっかりしていれば自分を見失う事ないと言ってたよね。
じゃあ、どうしたら、自分をしっかりさせることができるか。
自分で、自分の仕事を組み立てられるようでないとね。どうしても待ちになり、受け身になる。
自分で、自分の仕事を組み立てられるようになる。
そのためには、先ず、自分お考えをね持てるようにする。

なぜ、うまくいかなかったんだろう。
それは、自分の考えで仕事を整理できなかったからじゃないかな。
自分の考えで自分の仕事が整理できなくなると、自分が、なんで、何の仕事をしているのかがわからなくなる。

例えば、なぜ、今、この部署にいて、なぜ、この仕事を任されているのかがね。
そうしたら、自分の仕事の見通しもね。

だったらどうしたらいいのか、仕事の整理の仕方をね、まず、覚えないと。

誰も教えてくれないと、嘆く前に、自分が何を学びたいか、教わりたいのかを知る事さ。
それが、自分をシッカリさせることの手始め。
自分が今何を必要としているかを考えてごらん。

自分が何を必要としているかを正しく理解していなければ。
不平、不満にしかならない。

だから、どうしてほしいのかが相手に伝わらないから。
教えてほしいなら、助けてほしいなら、何を、教えてほしいか、助けてほしいか、自分でハッキリいいなさい。

それでも、誰も目的を教えてくれなければ、自分で目的を設定する事を覚える。

ハッキリ言てね、最初は右も左もわからない。
自分は、何を必要とし、何を教えて欲しいか、何に困っているのかもわからない。
だったら、そこから始めるしかないでしょ。

何故、一人でできる事を、複数の人間でやらなければならないのか、その目的が理解できないから、手作りができない。
一人で仕事をするのと、チームで仕事をするのは、そもそも目的が違う。
例えば、一人で勉強するのと、みんなで勉強するのと目的が違う。

自分でやらなければならない。
でも、自分一人ではできない。
それがチームワーク。
なぜ、周囲の人間の協力を求めないの。
いつも、それが障害になってきた。

自分から、始めなければ、何も始まらない。
でも、自分から始めようとしたら、すぐに気がつく。
一人ではできない。

そこまで、気が付いいたらやる事は一つ。
同じ思い、志、仕事をする人を探して相談する。協力を求める。
なのに、なぜか、誰の助けも借りずに一人でやろうとする。
それでは、何もできない。止まってしまう。

わかっているのに、助けを求めようとしない。

それほど、自分の弱みを見せて、他人に相談し、信じて、助けを求めるのが嫌なのか。

何故、一人でできる仕事を、皆で手分けしてやる必要があるのか。
一人仕事は、あくまでも一人仕事。
それは、一人で勉強と同じ。
一人で勉強しても、その成果は誰にも理解できない。
また、分かち合う事も、助け合う事も、わかりあう事、協力する事もできない。
皆で学ぶから、苦楽を共にし、助け合い、分かち合う事ができる。
そのためには、最初から、チームで、役割を分担し仕事をする事である。

例えば、自分の補佐役、副を任せるとする。
副を指名された者は、先ず、現状を確認した上、仕事の点検をする必要がある。
そうしないと、自分の役割が果たせないからである。
先ず、仕事の概要を求める事になるだろう。
次に、目的、方針、基本的な条件の点検と進む。
これが、重要なのである。

先ず、何をしたらいいんですか。
次に、目的は決まっていますか。
そして、方針は決まっているか。
どの様に考えているのか。
現時点で、どの様な条件が、決まっているのか。
今、わかっている事、確かな事は、何か。
そして、どの様な制約条件があるのか。

以上の事を、副官は、事務的に、客観的に、ビジネスライクに聞いていくことになる。
この手順、この段取りが重要で、これが、先ず一人でできない。
慣れてない者は、この段階で、怒り出す。
副官なり、参謀なる、事務官なり、いずれも、全体の概要がわからなければ、自分の責任は果たせない。

だから、ここはお互いに、その時点にできている事、わかっている事を、棚卸する必要がある。
この仕事の過程で、仕事の全体像を明らかにし、組織の土台をを構築する。
そして共通認識を形成していくのである。
組織、チームの魂は、一人で作る事ではない。
皆で一緒にチームに吹き込む。形成していくものである。

チームワークのわかっていない人間は、仲間をパートナーとして認識できず。
単なる、手伝い使いぱっしりとしてしか認識できない。

チームワークの手始めは、チーム作り、組織作り。
手作りから始める。
干渉されたくない。他人の意見を聞けないとなると、チーム作りはできない。
なぜなら、相手を受け入れ、信じあい、助け合い、任せる事によってチームの基礎は作られるからである。
信頼関係がチームの土台なのである。

採用の目的も、また、教育の目的も、唯、使う事が目的なのか、それとも、一緒に仕事をし、生きていく仲間づくりを目的とするのかでと全、アプローチの仕方も変わってくる。
だから、よくよく、目的を、お互いに確認し、納得がいくまで話し合っておかないと、齟齬が生じる。

かつての、先輩は、仲間づくりを目的として教育をした。
だから、唯、仕事だけを教えたのでなく。
人との付き合い方や、礼儀作法、口のきき方、常識、生き方なども教えてくれた。
今は、唯、マニュアルを与えるだけ。
マニュアルには、人としての生き方までは教えてくれない。

だから、目的を明確にする必要があるのである。
結果は目的から測られるので、結果から目的を後付けする事は邪道である。

何故、一人でできる仕事を、皆で分かち合うのか、それが、チームであり、仲間だからである。
一人で、頑張っている限り、チームも仲間もできない。
何故、仲間を信じて、仕事を分かち合えない。
最初に、役割分担をする目的は、仲間を作る事にある。
僕にとってはね。

僕は、仲間を必要としているから。

それを面倒くさがっていたら一生仲間はできない。

副や補佐というのは、リーダーと表裏、鏡の役割となる役で、リーダーは、副や補佐に自分の考えを伝えることによって、全体の概要を掴む、整理する。
目的は何か。ハッキリしているか。決まっているか。決まっていなければどうするか。
それを、副官や補佐役との対話、やり取りを通じて、明らかにし、整理、対策を立てていく。
これを一人でやってる限り、組織はできない。だいたい、一人ではできない。
その役を誰にさせるか。
それによって組織の核が作られる。

副や補佐役は一人とは限らない。
目的や、必要によって役割を与え、分担させていけばいい。
それによって組織は形作られていく。
ただ、組織に決まった形というのはない。
組織にせよ、目的のせよ、どちらかと言えば、アートの世界で。
学校のお勉強ではない。
どうやって絵を描くかの問題である。

つまりは、組織は、センスの問題である。

一人が二人となり、二人が三人になり。
細胞分裂を繰り返しながら組織は成長していく。

指示された仕事を責任を持って果たす為には、細かい判断を積み重ねていかなければならない。
自分で一つひとつの判断をしていく為には、目的を理解しておかなければならない。
目的がわからなければ馬鹿になる。
馬鹿になるのは、頭が悪いからではなく、目的がわからないからである。
だから、目的を明確にしてくれないのは、馬鹿にしているのである。

「目的、わかってる」と聞かれて。
「わかて言いますよ、馬鹿にしないでください。」というのが、自分を馬鹿にしていると気がつけ。
わかていない事をわかっていないといえる。
それが、賢くなる近道だ。
報告の意味が解らないのに、わかったつもり、わかった振りしていたら、本当に馬鹿になるぞ。

聞くは一時の恥。聞かぬは、一生の恥と諭されたものさ。

縁あって、一緒に仕事をする仲間になったかぎりは、相手が、俺を見限らない限りは、仲間である限りは、面倒をみるさ。
好意や、親切心で面倒を見ているわけではない。
仲間にするために、面倒をみるのさ。
好意や親切心なんて随分見下されたものだ。
相談役、世話役として、仲間の面倒をみるのが、束ねとしての目的。
それを、忘れたら、リーダーとしての本義をなくしたも同然。
親が子の面倒をみるのは、道義であるようにね。

目的は何か。
自分の生きる目的を、しっかりと持てるような生き方をしないとね。