現代の経済は、蜃気楼のようなもの。
皆、夢を見ているようなものなのかもしれませんね。
醒めてしまえは、何もない。
海辺の砂浜に、裸で一人、立ちすくんでいて。
遠い彼方を、ぼんやりと、見ていたのに過ぎないのかもしれません。
経済とは、一人ひとりの人生を語る事に他ならない。
資本主義なんて、怪しげな新興宗教とちっとも変わらない。
人々は、有限と無限のはざまで翻弄され、漂い、我を忘れている。
気が付けば、純なる魂なんて、どこにもなくなってしまっている。
純な魂は、最初から存在していたし、失われもしていないというのに。
誰も、純なる魂の所在がわからなくなってしまっている。
純なる魂を見失ったら、自由には、なれないというのにね。
「お金」は、虚構ですよ。
仮想現実が、仮想であるように…。
だから、情報社会だなんて言ったところで、幻でしかない。
その意味で、音楽こそ、今の経済を最も象徴しているのかもしれません。
あるようでないような経済。
「お金」が全てであるように思えるから、音楽家は、豊かさを満喫できる。
「お金」のない世界では、音楽家は、貧しい。
でも、それが、現実であり、生々しい、実体を持つ。
嘘と言えば嘘。虚しいと言えば虚しい。
でもそれが現実なんです。
ドンキホーテの言う、見果てぬ夢。
追い求めれば、見つからないけれど、確かに、自分の傍の枝にとまっている青い鳥のような。
幻想というなら。
我を忘れさえしなければ。
それはそれで、生きようもあるし、溺れる事もないでしょう。
人生五十年。夢幻(ゆめまぼろし)の如く。
一夜の夢に酔いしれるのも一興でしょう。
ただ、ただ、自分らしさを追い求めて。
純なる魂を忘れずに…。