私は、神風特攻隊で逝った若者を考える時。
悲劇ばかりだとは言えない気がします。

死と言う現実です。
戦艦大和も然り。

死は人生の完結です。

それを忘れている。

無様に生き残るより、きれいに散る。
どうせ、いつかは、死ぬ身なのだから。
それが美学で。

死と言う現実を突きつけられた時、彼らは自分の魂を純化したのだと。
よく、戦後の日本の発展を目の当たりにして。
死んでいったものは損をしたとか。愚かだとか。

それは、逆に生き残った者の言い訳で。
そして、戦後、生き延びた者はずっと言い訳をして生きてきた気がします。

リアリズムみたいなもの持ち出して。
人間の本質なんて、皆、汚い。醜い。
誰だって汚いものを持っていると。
よってたかって、他人のあら捜し。
妬み、嫉み。
恨み、呪う。
汚く、醜く生きる。

戦後の日本には、清浄、純潔なんてありはしない。
あっても、信じようとしないから。
今の日本人にとって不純、不潔な方が居心地がいい。

人は皆、醜く、汚い事にしたい。

この世は私利私欲。
自分の事しか考えない。
世のため、人の為なんて嘘八百。偽善。
そんな人はいない。
そう自分に言い聞かせて生きてきた。

今更、この国の為に、次の時代の為に、人柱になって逝った多くの若者がいたなんて、口が裂けても言えやしない。それは幻。夢のまた夢。

彼らは愚かで、国家に洗脳されたのだと。
そう信じたい、信じさせたい。

しかし、かつてきれいな魂で死んでいった若者がいた。
それも生き延びた者たちのためにと。
世のため、人のためにと。
自分の命を投げ出し。

これは否定しようのない事実。
それなのになにゆえ、生き延びた者たちは、それを認めまい、隠ぺいしようと。
抗い、足掻くのか。

純な魂で我々に後事を託して逝った若者がいた。
これは否定しようのない事実で。
また、否定してはならない事実で。

彼等は愚か者ではない。
多くは、当時のインテリで。
狂信者でもなく。

死と言う現実を突きつけられて、何も考えずにいたと思うのか。

彼は、生きようとして生きられない現実に、必死に考えて考えて逝ったのだ。
人に言われて死ねるものではない。

誰のために、それは今この国で生きている我々の為になのだ。

まだ見ぬ子供たち、我々の未来を信じて礎にならんと逝ったのだ。
だからこそ。我々は彼らの遺志を、引きつでいかなければ、済まないのだ。

彼等は唯々諾々と命令に従っただけというのは、彼らを侮辱している。
洗脳されたから逝ったわけではない。
彼等にも自分の意志がある。

軍神とは言わないが。
今の日本人にと神なのだ。

特攻という事で自分の生を完結した若者がいた。
これはまごう事のなき事実なのだ。
それは彼らの美学で、醜く生き残る事ばかり考えるくらいなら、潔く死を選ぶと。

それはそれで、一つの生き方だと思う。
生き延びた者がとやかく言えない。

ただ、一途に生きて死んでいった若者たちがいたと。
その対極に、死にきれなかったもの。
未練な、未練なと呟きながら。

それでも生き延びた者は戦後のどさくさを生きなければならなかった。
特攻を命じた者もですよ。
ブツブツと、自分に言い訳をし。
俺は、特攻に反対した。
大体、俺は、戦争だってしたくなかった。
俺は騙されたんだと。

戦後は誰もが反戦、平和と言わざるを得ない。
国を護ろうなんて口に出そうものなら。

生き恥をさらして。
でも、贅沢三昧、美味しい物をたらふく食って堕落していった。

自分が生きていくためには、きれいな魂がある事は都合が悪い。
後ろめたい。
だから、きれいごとは言うなと。

人間なんて汚い。
完璧な人間なんていやしない。
どこかで折り合いをつけて生きていかなければならない。
一途に信じていった奴は馬鹿なんだと。
どんなに汚い手を使ったて生き延びた者の勝ち。

信義だって、仲間を裏切り、国を売ったって金を儲けた奴が栄えているではないか。
志なんて一文の得にもならない。

そういわなければ生きていけない。
唯、戦死していった戦友に顔向けできず。
過去から目をそむけ。
金に魂を売り。かつての敵に隷属し。権勢に媚。

「じゃあ、なぜ、誰のために特攻して国に殉じた若者がいたのか」と聞かれると、彼らは口を噤むしかない。
自分の為にしか生きてきこなかった人間には、他の人の幸せのために逝った人の魂を語る事ができないから。

徳島白菊隊。白菊(偵察員の訓練用機)最高速度百八十キロ/時。沖縄まで五時間。
ゼロ戦五百三十キロ/時、沖縄まで二時間。
夜間海上三十メートルの低空飛行。

五時間、漆黒の星空を、二十歳前後の若者が。
決して短い時間ではない。
死という現実に向き合うには十分な時間である。
ただ上官に命令された事に従うには長すぎる。

だからこそ、彼らの志、思いを甘くみる事はできない。

以下の言葉は、二十一歳の特攻隊兵士が、出撃直前に後輩に残した言葉です。

”なあ、お前たち、知っているか?
牛や馬は「一頭」、鳥は「一羽」、魚は「一尾」とこう数える。
なぜか?
それは、動物の数え方は、死んだ後に何が残るかできまるんだ。

じゃあここで一つ聞きたい。
俺たち人間はどうだ?

「一名」。
そう、名前だ。
俺たち人間は死んでも名は残るんだ。

お前たちは、自分の大事な大事な「名」に恥じない生き方ができているか?

一回きりの人生、
後悔せぬよう意識すべきことは、
「能力」ではなく「生き方」でな、
「知識」ではなく「行動」だ。
読むべきものは、
「空気」でも「本」でもない、
「自分の心」だ。

明日人生が終わると思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい。

それじゃあ、元気に征きます。

洗脳されたような人間が残す言葉ではありません。
最後はガンジーの言葉で、二十一歳の若者が結んでいる。
ガンジーの言葉を出撃直前に口にして逝ったのである。

武士道とは、死ぬ事とと見つけたり。(葉隠れ)

死という現実と向き合い逃げる事さえ許されなかった者と、生き残り言い訳をし続けた者。

どちらが自分の生を全うしたと言えるか。
でもいずれにしても、短すぎた、若すぎた。
何を言われてもね。無念。

かつて敵対した国々は彼等の恐れたものを否定したのである。
礼節。規律。秩序。忠誠。恩義。信義。愛国心。修身。武士道。大和魂。歴史。美学。伝統そして軍。
無条件にこれらを肯定しろというのではない。
ただ、一方的に否定してはいけないといいたいのだ。

戦後の繁栄を享受している者たちが、我らに未来を託して逝った若者達を、侮蔑する事は許されまい。

それにしても、私には、彼らに死ねと命じた者の心は分かりません。

僕は、やっぱり彼らを生かすことを考える
それが僕の美学です。

若者たちは生かすことですよ。
若者たちに活躍する場を自分を犠牲にしても作る。
それこそが年寄りの役割、覚悟だと、私は、わきまえています。

生きようとして生きられないと悟った時。
死中に活を見だす、それが武士の魂。