会議の計画書、資料を作る過程で、会議を準備し、仕事をするのが目的。
予算書を作る過程で、会社の考えや方針を全車に浸透させ、また、各々が、会社の方針に従って、目的を立て、行動計画を立案させることが目的なので。
計画書や予算書を作る事が目的なのではない。

会議と会議計画書、会議資料が結びつかないで、会議前日に、計画書を作ったり、三日前から、適当に資料を作りはじめたりする者が現れたりする。
そうなると計画なんて後付けの書類になるし、資料もやっつけ仕事になる。

計画書や予算書本来の目的、役割がわかっていない。
会議だの予算自体は、目に見えないのであり。
それを、目に見える様にするために、計画書や資料、予算を立てられるようにしたので。
計画書や資料、予算書を作る事が目的なのではない。
計画書と計画、予算と予算書は表裏の関係にある。

一か月後に会議するから資料を作っておいてでは、資料は作れない。
資料そのものを作るならば、パソコンを使えば三十分でできるかもしれない。
予算書だって、事業計画書だって半日もあれば、一人で作れるかもしれない。
しかし、それでは、何の意味もないのである。
資料や、計画は、皆で作るから意味があるので。
一人で作ってしまったら、作った人間しかかわからなくなる。
そうなるといざ実行しようという段階で何の準備もしていない。
誰もわかっていないから、誰も協力しない。
動かないという状態になる。
創業の頃は、いかに会社の方針を社員に浸透させるかで苦労するから、予算や、計画書を作らせ。
それをもって、社員教育もかねてきたが。
長い間、同じことを繰り返していると、本来の目的が失われ、形骸かし、作る事が目的となる。
そうなると、本来の目的がわからずに作る事になるから。
変更したり、抜本的に変えようとすると、意味もなく抵抗するようになる。
本来の目的がわからないから、変更したらどんな影響が、どこに出るか見当もつかないから、怖くて、変えられないのである。
しかし、矛盾に気がついている者からすると抵抗する理由がわからない。
だから、争いが生じるのである。

一か月後に、会食をするから準備してだけでは仕事はできないのである。
何の目的で、どれくらいの人数で、予算はどれくらいと言った、情報がなければ、準備に着手できない。
だから、会食のための簡単で見いいから仕様書、メモをぐらい造らないと仕事にならない。
会議などなおのこと。
次の打ち合わせ、会議までに、何をしなければいいのか、何位を準備しなければならないのか。
記録、メモを取らなければ仕事にならない。
またメモしただけではなく。
帰ったらそのメモを整理して、次の打ち合わせ、会議の準備に着手するから仕事になる。
ところが、なぜ、メモを取るのかもわからずに、メモとったり。
酷い奴は、メモすら取らない。
それで議事録、議事録というのはお門違い。
なぜ会議でメモを取り。
そのメモをどのように活用するかがわかっていないのである。
メモを取らなかたら、親父や先輩から、なぜ、メモを取らないのかを注意され。
メモの内容を確認され。
その後どうするかを聞かれた。
メモのつけ方から教えられた。
それが仕事の基本。
メモ一つ、つけられないで大きな口を利くなと。

計画書、予算書が完成した時にはほぼすべてに準備が終わっていて、すぐに、実行できる状態にしておかなければならない。
計画書が承認されたらそれに関わる人間が各々の役割、全体の方針を熟知した熟知にしておく。
その為には、企画に参加する者が計画の全容を理解し、関われるようにする。
その為には、企画書を作る。
家の設計図を作るのは、家を建てるのに参加する人が、自分が担当する部分、仕事の仕様がわかるようにするため。

そして、実行段階では、実際と予定との違いを目に見える。
できれば、数字でわかるようにして、その誤差を修正する事で事業や組織を制御する。

よく言われたのは、一番わかっていない奴にやらせろ。
やっているうちにわかってくるから。
わかっている奴にやらせたら、いざ、実行という時に、働ける者は限られるし。
問題が起きた時に交代できる者がいなくなるよと。
自分だけわかっている、できると言うのは組織にとって最悪な状態だからね。

それが仕事の基本である。

コンピューターで予算を作成し、管理なんてさせたら、コンピューターしか予算がわからなくなるからね。
それで、コンピューターを恐れるのは、自分の影におびえるようなものさ。