決断というのは、武道、武術に通じる事で、腹が固まっていないとできない。
身構え前でないと、強いプレッシャーやストレスが掛かった時に支えきれなくなる。
よく、ヘラヘラ笑ったり、軽く考えたり、甘く見る事で衝撃を和らげようとする人がいるが、これが大きな間違い。
自分を追い込まないと決断はつかない。
決断というのは、その時、浮かんだ最善手であるはずだ。
ところが、次善手や、とんでもない博打のような手を選ぶ人がいる。
これは、悪い結果が出ても言い逃れできるよう、自分をかばえるように、最初から最善手を外している。
しかし、それでは成功は見込めない。
決断は常にその時の最善手であるべきなのだ。
理性で判断し、感情的に決断をする。
決断力のない者は、すぐに感情的になる。怒り出す。
怒って決断する。
それは、決断は、感情を爆発させるからできる。飛躍なのだ。
決断なんて冷静に簡単にできることではない。
決められない者は、決断を甘く見ている。
決断は気力、体力があるからできる。だから、若い頃に場数を踏んで鍛えておかないと、決断力はつかない。
若い頃に場数を踏んでないと、何も決められなくなる。
何も決められずに、追い詰められて、博打のような決断をする。それがモラルハザードである。
また、自分で決められないものは、いつだって他人の性にする。要は卑劣なのである。
あいつのせいで決めたか。或いは、決めさせられたか。
決めたのは、あいつだと装う。
自分では決められない。
自分が決めたのでなければ免責されると。
決めなければ失敗しないと決めつけている。
しかし、不決断は一番の誤判断である。
決断とは決して断じる事。
決断しなければ、自分は傷つかない。
他人からとやかく責められる事はないと決めつけている。
だから、決断力のない者は、決めなければならないところに追い詰められると、急に、「僕は、悪くないもの、悪いのは、あいつだ」とヒステリックに喚き出し、他人の性にしてその場から逃れようとする。
マイナスの感情で衝動的にきめるから。
幽霊のような、恨み、つらみしか残らない。
決断力のないものが集まると互いに責任を押しつけあって悲惨なことになる。
決めなければならない立場に立たされたら、最初から覚悟をしておかなければ、いざという時に、見苦しい事をする。
剣道で初手を打ち込むように、筋を通せ。
高校球児は、なぜ、夏休みに厳しい練習をするのか。
楽しければ、思しろければという動機では、誰もついてこまい。
リーダーが、甲子園に行くんだというからついていくんだ。
一本筋を通すから、ついていくのだ。
何故、自分は、任されたのか。
自分の仕事にどんな意義があるのか。
リーダーは、社長に抜擢され、事務、書記、企画は、選ばれたのだ。これを強く自覚する。
社長はなぜ、四人を選んだのか。そこにこそ、社長の真意が隠されている。
言葉より。
七十周年という節目のイベントになぜ四人は選ばれたのか。
七十周年は、新しい時代、ツバメが新たな時代に向けて旅立とうとする時。
新たな魂に生まれ変わり、再生する時。
その儀式を司るイベントの為に、山岸と石橋、勝呂、深沢は選ばれた。
なぜ。
そこに意義を見出すのは誰でもない、選ばれた四人だ。
悪ふざけの冗談に終わらせるか、自分たちの転機、チャンスとするのも、四人だ。
七十周年のイベントを任された。託された。そのことのにこそ、重大な意義がある。
その重大さに気が付かなければ、真意は伝わらない。
チームワークでは、一緒にやる、皆でやると言う意識が大切なのだ。
その気持ちを共有させること。
特にリーダーがその意志を持つ。
だとしたら、志を、リーダーが独り占めしてた、始まらない。
よく考える。そして、その意味、その意義を噛み締め共有する。
記念式ではなく、再生の儀式、新たな誓いのための儀式。
四人は、それを準備するために選ばれた。
人なんだよ。人。
誰を選んで誰にやらせるか。
自分のためにではなく。
自分を選んでくれた人の為に。
それが、心意気。
自分のためにではできなくても。
自分を認めてくれた人、仲間の為なら越えられる。
歯を食いしばっても。
頭というのは、動機付け。
なぜ、自分たちは、それをやるのか。
魂だよな、仕事の魂。
入魂だよ。創業の精神。
仕事や組織の頭に、魂が籠らなければ。
いい加減な気持ちで始めたらいい加減な仕事しかできない。
なぜ、こんな大切な仕事を任されたと思う。
チームのメンバーが強い使命感と責任、信頼関係が持てるようにする。
それがモチベーションに繋がり、モラルにもなる。
そして、強い使命感があるから、チームの心は一つになる。
野球やサッカーの日本代表があそこまで一体になれるのは、日本を代表してという使命感、プレシャーがるから。
そしてそのプレシャーが、一人ひとりに自分の限界を超えさせ、その結果、自分達も評価を高め、次のステージへと飛躍させる。プレッシャーに負けるようでは、碌な人間にはなれない。
チームワークでは、一緒にやる、皆でやると言う意識が大切なのだ。
その気持ちを共有させること。
特にリーダーがその意志を持つ。持たせる。
リーダーが思いを独り占めしてた、始まらない。
指示されたことは確実にやり遂げなければならない。
その為には、作業を総て洗い出す必要が有るが、最車に総てを洗い出すのは、結構、熟練を必要が有る。
最初のうちはどうしてもヌケモレが生じる。
最初から完成度を求めず、気がついた時に書き留めて、都度追加していく。根気よくやることである。
組織においては権限があるからといって、一人では決められない。
なぜなら、組織に、決まったことを認識させる必要があるからで。
一般に決定も分業で行う。
つまり、組織決定は、提案(起案)、決定、承認という流れ、手順で決める。
また、決定は、前後、左右、上下という関係をつなぐ作用がある。それは、指示、命令、連絡、報告、相談という形、働きによって実現される。
そこに、責任者と担当の関係が必然的に形成される。
会議にも役割分担がある。
例えば、七十周年の件を会議で発言しようとした場合、それぞれ立場に応じた役割がある。
ゲームのキャラクターや、アイテムのようなものだ。
カードみたいに考えてもいい。
会長には、権威はあるが権限はない。
社長は、権威も権限もある。
リーダーは、計画全般やチームを取りまとめ差配する指揮権があるが、ラインに対する権限は持たない。
総務は、計画やチームに対する権限を持たないが、ラインに対する権限を持つ。
部門長、支店長は、配下の部下に対する指揮権を持つ。
事務は、チーム内の打ち合わせや手続きに対する権限を持つ。
企画は、企画全般に権限と責任をもつ。
リーダーは、このようなそれぞれのキャラとアイテムを目的に応じて組み立てて全体の仕事を演出する。
リーダーは、チームや計画全般対する指揮権はあるが、ラインに対する指揮権はない。
これがリーダーの限界。
総務は、現場に対する指揮権があるが、社長の指示か、承認がないと執行できない。
ライン長は、現場の指揮権があるが、センターの指示がなければ執行できない。
つまり、現場に担当をおきたいとリーダーが思っても、直接、現場に指揮することはできないので、総務を通して社長の承認を取り、ライン長に指示して貰う。
この段取りをするのが事務方で。筋道は一通りではないから、その筋道を通すのが事務方。
自分に与えられた制約条件をいかにうまく補って目的を達成するか。
話を聞く時も、事前に役割分担を決めて、聞くんだよ。
例えば、記録をそれぞれの立場で書かせる。
リーダーは、リーダーとして聞く。つまり、まとめ役として聞く。
事務局は、あとの段取りをどうするか考えながら聞く。
(次会、どうするか、次、どうするかを考えながら聞く)
企画は、企画として、社長の話を企画としてどうするかを考えながら聞く。
書記は、書記として全体をまとめ整理するように聞く。というように。
そして、それぞれの役割に沿って打ち合わせる。
例えば、事務とは、次回どうするか、次にどうするか。そして、担当を増やすかどうか。その場合、どういう手続き、手順でやるかを相談する。
企画とは、どんな構想、コンセプトにするか。
書記とは、社長への報告をどうするかを打ち合わせ。
世帯係は、招待客の基本計画をどうするかを打ち合わせる。
お前たちは、選ばれたのだ。
なぜ、自分たちが選ばれたのか。
当たり前に、選ばれたことに対する、反発や反感、妬みはあるさ。
それと一致団結して戦えるか。
自分達を選んでくれた人、社長のために。
戦えなえのなら尻尾をまいてとっとと逃げだすんだな。
敵前逃亡する輩とは共に戦えない。
七十周年に意義を持たせ、魂を吹き込むのは四人だ。