今、何を決めなければならないかを考えよう。
今決めなければならないのは、基本計画なのか、基本計画の素案を誰に作らせるかなのか。
目標金額か。商品なのか。方針なのか。重点施策なのか。
いつ、何から着手するのか。
日程なのか。
それとも、次回をいつ、誰とするのかなのか。次回までに何をしてこなければならないのか、なのか。
今何を決めなければならないかがわかれば、そこに集中すればいい。
日と場所、予算が決まらないとホテルは予約できない。
日と場所、予算が決まれば一年前でもホテルを予約することができる。
予約をすれば、キャンセルもできる。
日にち、場所、予算を決めないとホテルは予約できない。
では、日にち、場所、予算の何から決めるのか、着手するか、そこが問題となる。
その時、目的を明らかにすることが求められる。
手順が決まったら、手順に決めていく。
日から決めるか、場所から決めるか、予算から決めるか、この辺の順序が難しい。
しかも、組織的になると、日程の担当、場所の担当、予算の担当、さらに、人の管理や企画なども別々に担当を決められたりするから、ややこしく面倒になる。
大体、予定を立てるのなら、やるのかやらないのか最初に決めなければならない。
ところが。大概の日本人は、やるのかやらないのか曖昧にしたまま予定を立てようとする。
そして、それが混乱の一番の問題となる。
言い訳は、「結果がわからないのに決められるか。」
つまり、「できるかどうかわからないのにやると決められるか。」
結果は、やらないとできない。だから、寸前まで何も決められなくなる。
自分の言っていることの矛盾に気が付いていない。
結果が出たら、予定なんて立てる必要はない。
「どのような予測に基づいて予算を立てたのですか」と聞いたら、「来年の事なんてわかりませんよ」と堂々と主張した者がいて。
彼に同調した者が何人かいた。
因果関係が頭に入っていないのである。こんな大人では。
総ての予定は、やる事を前提に立てられる。
故に、やるのか、やらないのかを最初に明確にする必要がある。
この事を理解していない、日本人が多い。
大谷の事件の水原被告が無罪を申し立てた時、「あれ、水原は、自白したんじゃないの」という人が言って、テレビでも手続き上なんて説明していた。
裁判は、被告が無罪を申し立てることによって成り立つ。被告が罪を認めたら裁判は成り立たない。
少しでも、異議を申し立てたければ、無罪を申し立て(コール)しなければならない。
これは、ルールであって手続きではない。
予定を立てるためには、やる事を宣言しなければできない。
この時点で、実際にできるかどうかは、問題にならない。予定だからである。
予算も同じ。予算を立てますと宣言する事で、始まる。
この時点で、予算通りの結果が得られるかどうかは問題とならない。
結果は、やらないと出ないからで、結果が出てから予算を立てるというのは、順序、因果が逆である。
原因があって結果が出る。
実際に仕事をする時は、順番を守る必要がある。
一日目を飛び越えて二日目から着手しようとするからうまくいかない。
多くの人は、一日を飛ばして、二日目から、酷い人は、一週間先の予定から、決めようとする。
しかし、一日目が違えばあとはすべて違ってしまう。
多くの人は一日目の事なんてわかっていると。簡単で当たり前と思い込んで、一日目の事を決めないで二日目以降の事決めようとする。
しかし、一日目の事が決まらないと。二日目は決まらない。だから決まらない。
予算を作るとか、新春の会とか、社員旅行とか、投資とか言っても、最初にやる事は、誰と打ち合わせる。
誰を担当にするという事で。
いきなり、企画書の提出ではない。
総てのメンバーには役割があり、一人一人の作業は、固く結びついている。
一人でも、期日まで作業を終わらせ次につなげていかないと、影響は、全体に及ぶ。それが組織である。
次の打ち合わせまでにやってくること、言われたことを一人でもやってこないと、全体の作業が一回先送りになる。
組織は一人の怠慢は、一人の問題に終わらない。
一人の遅れは全体の遅れとなる。
伝えるべき人が伝えないと伝わらない。口に出さないと伝わらない。
この点がリーダーとメンバーの違い。
指示はリーダーが伝えなければならない、リーダー以外のメンバーが伝えてはならない。
メンバーが、リーダーを差し置いて指示を出そうものなら、リーダーは烈火のごとく怒る。
メンバーの時代が長い人は、指示を出すことを怖がるようになり、人の顔を窺うようになる。こうなると一種の病気である。
正直、何を迷っているのかわからない。
「なぜ決められないの」ときくと。
「できるか、どうかわからないじゃないですか」と答える。
訳が分からない。
「わからないから決めるんでしょ。わかていたら決める事はない。」というと。
「だって、当日、雨が降るかもしれないし。地震が来るかも」
おいおい、そんなこと言ったら何も決められないぞ。
「勝てるかどうか、わからないから、練習をしないの。」
「合格するかしないかわからなければ、試験勉強しないの。」
そう言うと彼らは、決まって、「やるに決まっているでしょ」と答える。
そうなのである。彼らにとって決まっていることで、決める事ではない。
だから、訳が分からなくなる。
最初から決まっていることで、自分が決める事だと思っていない。
結果がわからないから決めるので。
合格するかしないかに関わらず、受験すると決めるので。
勝つか負けるかわからないから、勝負する。
幸せになるのではなくて、幸せにするので。
そこを勘違いするから、迷って決められなくなる。
僕らの頃から子に、「よく考えて決めなさい」と躾けるようになった。
でもよくよく考えると、私は、「決めろ。考えたら決められないぞ。決めてから考えろ」と躾けられた。
決めるとというのは、考える事をやめる事、迷いを断つこと。
だから、覚悟して決断する。
決断する時に必要なのは、覚悟。
だから、男は度胸と、一言、未練と迷いを断つ。
考えたら迷うから考える事をやめる。
この一事に決める。この人に決めると覚悟する。
そして第一感を鍛える。直感を磨く。
覚悟し打ち込むそれが決断である。
好きになる人は決まっているのではない。決めるのである。
だから、男は自分の行動に責任が問われる。
男は決断しなければ子は生せない。
責任が負えないというなら、単に欲望に負けただけ。
決めろ。決めて覚悟しろ。覚悟して責任を持て、それが男。