決めて、指揮するのが、指揮官、リーダー。指揮とは、決めて指示すること。
指示された事に従って実際の作業をするのがメンバー、担当。
物を作ったり、営業といった直接的な作業をするのがライン。
情報を分析したり、計画を立てたり、後方を準備するといった関節的な作業をするのがスタッフ。
指揮官が不在、或いは、何らかの理由によって決められない、指示できない場合は、指揮官に代わって指揮をするのが副官。
ラインは現場、現業を受け持つ。
ただ、ライン、スッタフの別は相対的で、一般に管理部門は、スッタフと見なされるが、経理は経理で現業部分を持っている。
状況、条件応じて判断する事でと考えればいい。
これは、未開の部族でも、原始時代でも、猿でも、狼でも、野生馬でも、蟻でも、僧侶でも、精鋭部隊でも、先端技術の開発部隊でも、野球でも、オーケストラでも、人間だけでなく、群れを持つ動物の常識。
この常識がなければ猿以下。
ただ、家畜や動物園の動物は別だけど。
何も決めない、指示しないリーダーは、リーダーではない。
リーダーは、決めて指示するのが仕事だから、一見、暇に見える。しかし、頭は、フル回転に動いているし、責任も重い。
人が多くなると、すべての作業を一人の人間で掌握しきれなくなるから、いくつかのグループに分けて、自分に代わって権限を移譲し、指揮が取れるようにする。
決めもせず、指示もしないものはリーダーとは言わない。
決められなければ、組織は動かない。
リーダーの仕事は、決めて、指示したら終わる。
決めて指示したら、次に決め、指示することに備える。
それを補佐するのがスタッフ。
家畜やペット、動物園の動物は誰からも指示されず自由に生きていると錯覚しているだけだ。
家畜やペットこそ、一人では生きられない。
引き籠りする子ほど一人では生きられない。
ただ、自覚しないで、自分一人で生きていると錯覚しているだけである。
指示は、大きな声で、ハッキリと、断定的にする。
そうしないと、受令者が迷い、惑う。
ただ馴れない者は、叱られているように錯覚する。
俺は、辞めるから指示に従わないというのは間違い。
組織に所属している限りは指示に従うにが掟。
決めて指示するのが仕事。
じゃあ、自分勝手に決めたいように決めていいかというと、そうではない。
与えられた条件、決められた範囲で決める。
事前に打ち合わせる事、事後の報告する事が常に求められたいる。これは、実務の鉄則。
法令は、法で定められた命令。
指示命令は絶対。
なぜなら、組織は、全員が指示された事を守る事で成り立ていって、一人でも指示に従わない者、指示と違った事、指示を守らなかったら、その影響は全体に及び、最悪、組織が解体してしまう。
指示命令に従う従わないは、自主的に決めるなんてありえない。
決定が出されるまでは、自分の意見を言うのは自由だが、決定が出たらそれに従う。
従えなければ、去るしかない。
試合の途中で、疲れたとか、面白くないからといって、許可なく、一人でも守備位置から離れたら、試合は成り立たなくなり、チーム全員が試合を放棄したとみなされる。
非常時、緊急時は、客室乗務員、駅員、店員の指示に従ってと言われる事はあっても、自分お責任で買ったに逃げてくれと指示される事はない。(これも指示)
津波の様に指示する人がいない場合に限って、自分お判断で逃げえろと言うだけ。
指示命令は、主として、冒頭と、最後に集中する。
特に、最初に指示が出されないと言うことはない。
また、一日の最後に、報告を受けるのは、止めの指示を出す目的もある。
担当者は、仕事の見切りがつけられずエンドレスになる事がある。
また、仕事の終いが揃わないと、足並みが乱れるれる事にもなる。
やる事が決まったら、最初に、どこで、誰から、どのように、指示を出すかが求められる。
これも、実務の鉄則。
例えば、この後、関係者を集めて。僕から、口頭で指示しますと言う具合。
もう一つ、注意しておくけど、野生の動物には、プライベートの時間、仕事の時間なんてないからね。
そんな境界線引いたら、人格まで分裂するから。
それよりどんな時でも、自分の統一性を守れるようにふるまうことだな。
指示、命令は絶対なんですかと聞かれたが、指示命令は絶対である。
明日朝、八時に草薙駅の改札の目に集合という指示に対し、行くの面倒だから、俺一人くらい行かなくてもとか、指示命令なんかに従う者かとか、うっかり忘れたとかで、一人でも指示に従わなかったら。
その後の計画が総て狂ってしまう。
下手をすると、一人の為に、計画どころか、大騒ぎになる。
リーダーは、決めて、指示を出す。
ことさらに偉そうにしたり、えばったり、虚勢を張る必要はない。
虚勢を張ったところで、決めるべき時に決める事を決めて、指示が出せなければ、誰も従わない。
決めも指示も出していないからである。
かといって、決めもせず、指示もしないで、担当がする作業をしたところで、担当は感謝するどころか、馬鹿にするだけである。
そんリーダーは、ピエロに過ぎない。
滑稽だけど、部下にとっては悲劇である。
指示、命令は絶対なんですかと聞かれたが、指示命令は絶対である。
明日朝、八時に草薙駅の改札の目に集合という指示に対し、行くの面倒だから、俺一人くらい行かなくてもとか、指示命令なんかに従う者かとか、うっかり忘れたとかで、一人でも指示に従わなかったら。
その後の計画が総て狂ってしまう。
下手をすると、一人の為に、計画どころか、大騒ぎになる。
リーダーは、決めて、指示を出す。
ことさらに偉そうにしたり、えばったり、虚勢を張る必要はない。
虚勢を張ったところで、決めるべき時に決める事を決めて、指示が出せなければ、誰も従わない。
決めも指示も出していないからである。
かといって、決めもせず、指示もしないで、担当がする作業をしたところで、担当は感謝するどころか、馬鹿にするだけである。
そんリーダーは、ピエロに過ぎない。
滑稽だけど、部下にとっては悲劇である。
組織は、人の集まりだからね、雑な指示を出しても、ある程度は結果が出せる。
それは、野球だって草阿求とプロの野球との違いだよ。
野球をただやる、楽しむと言うだけなら、いい加減な指示、それこそ、サインなんて無視しても。
ただ、プロ野球となったらそういうわけにはいかない。
一球いっきゅうサインを決めて、確認しながら決めていく必要がある。
小学校に上がる前の子供だって、指示、命令の重要性はわかる。
母親は、真剣に子供に指示し、指示を守るようにしつける。
子供の躾けの始めは、自分のいう事をきかせる事。
それが大の大人がわからない。
指示って従う必要があるのですかと切ってくる。
野生では、指示に従わなければ命にかかわる。
戦場や災害では、指示に従わない人間は守れない。
それを今の学校は、指示命令は、強制だから悪だ。
子供の自発性に委ねないと自分で判断できなくなる。
本気ですか、三歳の子供に主体的な意見を求めるのですか。
危険なジャングルにひとりで行かせるのですか。
一人で犯罪地帯に遊びに生かせるのですか。
本気で、子供の意志の任せて子供を守れると。
無論、指示命令といえども、従えない場合はある。
それは極力、指示を出す前に察知して、指示命令が通用するようにしておく必要がある。
最初から、できない指示や道徳に反するような理不尽な指示は、拒否できる。
ただ、一度出せれた指示は、おいそれと撤回できない。
朝令暮改といって最も忌むべき事とされる。
だからこそ、決定は最新の注意をもって下される必要がある。
しかし、だからといって、決断できない、指示しないと言うわけにはいかない。
また、言い訳にはならない。
決めなければ、指示しなければ、仕事にならないからである。
気を付けなければならないのは、必要な要件を満たしていないと指示命令は成立しない。
必要な要件とは、
第一に、誰から出された指示か。指示者。
第二に、誰に出された指示か。受令者。
第三に、いつ、出せれた指示か。
第四に、いつ、発効するのか。
第五に、いつまでに、実現されなければならないのか。期日。
第六に、実現が可能か。実現可能性。
第六に、何をしなければならないのか。目的。
第七に、どのよう様にしなければならないのか。手段。
第八に、道徳的に許されるか。倫理性。
これらの要件を満たしていないと、指示としては成立しない。
つまり実行されなくても、文句は言えない。