今の日本には正論がないですよね。
国防と言うことを正面に据えないで、どんな議論をしても無意味です。
国家の機能の余計な部分をはぎ取ると残るのは、国防と治安だと思うのです。
いかに国を守り、国を治めるか。
国防抜きに国家の主権や独立を語るほど虚しい事はありません。
国家国民を、いかにして、外敵や犯罪から守るか、それが、国家の起源ですよ。
事の是非は別に、国防という視点を欠いたら、外交も、国家戦略も語れない。
民主主義も暴力革命によって始まったという事を忘れてはならない。
国家は、圧政や外敵から、国民を守る、そこが肝なのです。
だから武士なのです。
アフガンだって、ミャンマーだって、香港だって、いくら、自由、人権といったって自分たちの力で護る事ができなければ、少数の人間の暴力の前に従わざるをえないのである。
メディアの人間は、タリバンや中国共産党が、人権を守る、あるいは、多数者に意見に従うかのような、とち狂った考えに毒されています。洗脳されている。
日本国憲法のように、日本人以外の国は、良識的で、非暴力主義だと、本気に考えているの。
以前、言論の自由も、ヘアーを出す出さないの議論に矮小化したように。
安易な議論終始して、正々堂々の論陣がはれなければ、結局、逃げです。
よくよく、時代の流れを見ないと。
中国は、共産主義国だという事。
共産主義は、資本主義が破綻した方が都合がいいんだよ。
革命的状況になるからね。
問題は、タイミングだよ。
今が、その時か。
日本には、侍も、武人も、軍人もいなくなった。
いつの時代にも、国を守るという視点で考えられる人間は必要なのです。
国を守るという気概を持たぬ者に政治を語る資格はない。
国家の本質は、国防と治安にある。
国家の独立と主権は、国防と治安によって守られているからである。
義を唱える者は自衛せよ。
自分の力で自分を守れぬ者に正義も自由もない。