人は、欲によって、身を亡ぼす。
欲は人を惑わし、悪へと誘う。
欲は、心の平安を乱し、
人を底なしの沼へと引き摺り込んでいく。
人は、欲によって我を忘れ、
己を抑えられなくなって悪をなす。
ならば、欲を断てば、悪から解放されるのか。
欲を断てば人は善良になれるとするのが、禁欲である。

善を実現しようとする者、志ある者、事を為そうとする者は、よろしく、欲を断てとする。
多くの宗教や修行は、禁欲を目的とする。

しかし、欲は、姿を変えて自分に背かせようとする。
欲を断つ事が、根本的な解決になるとは私には思えない。
食欲、性欲が欲なら。
欲は、生きるための力の源。
子孫を残すために、不可欠な事。
欲がなくなれば、人は生きられない。
生きる意味がない。
生きている限り欲は、失われない。
だから、禁欲の究極の姿は死だ。

死を神は望まれてはいない。

欲によって悪を為すのは、己を、見失うからだ。
欲を抑えられなくなり、暴虐となるからである。

何を善とし、何を悪とするかは、自分の自由な意志だ。
自分で選ぶしかない。
何に忠誠を誓うかは自分で選べ。

人は、神にはなれない。
神は超えられない。
人の意識は相対的で、分別は、不完全。
絶対者である神、超越者である神は超えられはしない。
超えられないが故に、人は、常に、自らを省みて、自制しなければ、正しきを保てなくなる。

善と悪。
生と死。
そのいずれも欲によって実現する。
欲は、善にも悪にも働く。
生にも、死にも、関わっている。

人は、神にはなれない。
欲と葛藤するの人が神から与えられた宿命である。
欲が悪いのではない。欲に自分が負けるから悪となるのである。

神は、欲を捨てる事を求めてはいない。
欲を、飼いならすことを求めているのだ。
自制を求めているのだ。
欲を、制御する事を求めているのだ。
欲と戦い屈服するのが、人に与えられた宿命である。

今の日本人は、己かない。
芯がない。
借りてきた善悪の基準に上っ面で従ているに過ぎない。
何が真であり、善であるかを見極められない。
人の言いなりになって偽善となる。
自分の意志では何も決められなくなる。

だから、欲ボケ、平和ボケするのだ。

自分がない者に、自主、自発を求めるのは愚かだ。
自分のない者は主体性を持てない。
ただ、欲望に従い、他人のなす我慢に隷属するしかない。
醜悪な餓鬼となるだけだ。

欲に負けるのではなく、欲に支配され、欲望の奴隷となるだけだ。
今の日本人には、このまま、誇りを忘れ、欲に吞み込まれ、主権を明け渡し、独立を諦めたならば、家族を奴隷として差し出し、大国の憐憫にすがる道しか残されなくなる。
高貴なる魂、孤高な精神、純真なる真心を取り戻さない限り救いはない。

自分の欲でも、他人の欲でも、欲は同じだ。
欲に負けて自分に屈したら。
自由も、独立もない。
隷属しかないのである。
克己心。
己の欲、悪を克服するしか、自分を解放する術はない。