今の日本にまん延しているのは、横並び主義で、何でもかんでも、同じ扱いにしないと気がすまない。
同等と平等は意味が違う。
条件が違うのに、何でもかんでも、同等に扱ったら、かえって不平等になる。

部下とか、人を使うとか言う言葉が使いづらい。
しかし、人を使えなければ組織は動かせない。
リーダーはリーダー。
リーダーとしての自覚がなければ。
危急存亡の秋、将兵は、総帥を仰ぎ見る。
リーダーは、見られている。見られなければならない。

チームワークは、常に、中心、リーダーを明らかにする必要がある。
誰が仕切っているか、誰が指揮しているのか、誰の指示に従うのかが明確でなければ統一的行動はとれない。指示すべき人間が指示しないのは最大の反抗である。

何をするにも布陣を最初に考えるべきで。
何でもかんでも、同等に見ていたら、現実に適合できなくなる。
人は皆違うので、その違いを認めるから平等に扱う事ができる。
子供と大人は違うし、女性と男性も違う。
人間には、誰にでも得手不得手がある。
長所欠点もある。お互いに足りないところを補い合い、助け合うから、社会は成り立つので。

支店長を支店長として一律、平らに配置していたら、よくなるはずがない。
支店長には、名前があるので、支店長と名の支店長はいない。
例えば、地の利がいい、経験がなくても、ある程度の業績が残せる支店には、新人を。
立て直しが必要な支店には、ベテランを配す等。

誰に、何をさせたいのか。

売上の責任を誰に持たせたいか。誰に、計画を立てさせ、管理をさせたいか。
財務の責任者は、実際の販売に立ち入れない、立ち入れないが知らないでは済まされない。
だから報告をさせる。
だから、予算を立てる過程で報告体制を作る。

まず、布陣から決めていく。
次に、手順、段取りを決める。
誰に、何をさせるか。
まず、コアになるメンバーで、政策、戦略、方針、大枠を決め、次に部門責任者を集め、伝達、分担を指示する。
部門長は、部下を集め、指示された事を伝え、担当を決め、センターに報告する。
詳細については、事前に担当者間に詰めさせ、最終調整を責任者間で調整し、最終素案をコアのメンバーがまとめ、トップに上申する。

例えば、売上予算、政策、考え方、方針をコアのメンバーと営業責任者が協議の上定め、その上で分担布陣を決める。
まず、営業(販売計画、キャンペーン、展示会、商品別販売数量等)、財務(数値、金額)、仕入れは、それぞれ、担当を決め、全体の考え、方針、基準、大枠(全体基本計画、ガイドライン等)を決め、支店、部門に指示。
支店、部門は、全体基本計画にそって、それぞれ、支店(支店別基本計画書)、部門の方針、施策を立て、営業員各自に個別計画(個人別販売計画書)を立てさせる。
問題は、誰に、どうやって、支店間、部門間の配分を決めるか。
誰に、商品企画、マーケティング等を担当させるか。
この辺が、政策や方針になる。
キャンペーンの責任者は誰にするのか。
展示会は誰に企画させるか、実際にやるのは誰か。

何を何台売るかは、財務や人事の責任者には決められない。
それは、営業の責任者が最終的には決めるのだが。
営業の責任者が一人で決められるわけではない。
担当を決めて、下準備をしなければならない。
まず、どうやって大枠を決めるか。
次に、各支店への配分は、誰がどうやって決めるか。
支店にどの程度任せるのか。
支店は、支店の基本計画を誰に立てさせるか。
各営業にどこまでさせるのか。
それから決めていく。

担当を決め、何をやらせるかを決める。
何を、やるのか。

責任者は、担当を決め、担当にやらせてみてから、自分がどうするかを決める。
実際に仕事をするのは担当者である。
担当者が決まったら、先に、打ち合わせをさせる。
その様な下打ち合わせをさせた後で責任者間で調整をする。
そうしないと折り合いがつかなくなる。

責任者と担当とは役割が違う。
この役割の差を理解していない、責任者や担当者が増えている。
それで、仕事が横並び主義が横行し、収拾がつかなくなる。
要は何も決められない、指示されない、当然まとめられないという状態になる。
誰が責任者か。要するに責任者不在という事になる。

担当が決まったら、先ず、担当者間で打ち合わせる。
第一回の打ち合わせをどうするのか(やる事;打ち合わせをするために、何をやる必要があるか)
その後定期的に打ち合わせろ。(何回くらい打ち合わせるのか)
最初に決めるのは、誰を担当にするか、いつ打ち合わせるかで、結論ではない。

誰に人件費の何を管理させるのか。勤怠管理をどうするのか。
例えば、支店長は、どのような考え、方針があって。
会議費とか、福利厚生費、勤怠管理があって。
例えば、年末、繁忙期を前に何がしたいかがあって予算をつけるので。
間違っても、予算があるからやるわけではない。
それでは、本末転倒である。

予算を作成することを通じて、実際に何をするのかを決めていくのが、本来のあり方。
歓送迎会をどうするのか。
皆が、頑張って、良い結果を出したらどうやって報いるか。
褒美をどう出すか。
どうやって、皆の心を一つにまとめるのか、やる気を出させるのか。
それがあって予算が立てられる。予算のための予算では、立てる意味がない。

投手と捕手、外野手の仕事は同じではないし、全ての投手の仕事も同じではない。
また、野球の選手は、大谷のように何でもできるわけでもない。

とりわけ、リーダーには、リーダーの仕事がある。
監督の仕事は、打席に立つことではない。
ぴちゃーマウンドに立つ事でもない。
決断し、指示する事である。

仲良しクラブじゃあないと言われたけれど。
ミッションのある組織には、リーダーが必要である。

リーダーは常に中心をとる。リーダーが中心をとらないと、組織は求心力を失いバラバラに分解してしまう。
そうなったら、組織は制御不能に陥る。
何も虚勢を張れとか、偉そうにしろとかいうのではなくて、決める時に決めて、指示すべきときに、指図すればいい。
そうすれば、組織は中心が明らかになり、一本筋が通る。

今の人は、何でも自分の仕事、自分でやることばかり考えて他の人の仕事が見えない、だから、他の人と連携することができない。
自分のやる事だけを考えていればいいというのは、担当者ならわかる。
ただ、いつまでも、一担当者レベルの仕事をしていたら。言われた事しかできない。言われないと何もできない。
自分の考えを持てない。自分の考えを持たない方がいい。
何も考えない方が楽だ。そして何も考えられなくなる。
決断というのは、傍で見ているより、ずっと気力も体力もいる。
決断力は若い頃にしか身につかない。
だから、常に自分だけの事でなく、他の人との連携、協力を考えていないと…。
そんな状態で、十年、二十年、三十年と。四十年と無為に過ごしたら、どうなると思う。

視点を、段階的に挙げていく事だよね。
担当者の視点から、先輩の視点。
たんと責任者の視点。
部門責任者の視点。
全体を統括する視点。

ただ、若いうちから、いろんな視点で物事を見る目を養う事だね。

下地ができたら、「どうする」とはじめて言える。
「じゃあ、どうする。どうしたらいい」とも一段考える。
基礎ができないうちに、上物を作っても土台から崩れてしまう。

指示されたり、結論が出たら。
まず、伝える事を考える。
皆、簡単に考えすぎているから、さあよろうとした時、つまずく。
伝えるというのは想像以上に難しい。

伝えるためには、伝える場(朝礼、打ち合わせ、ミーティング、イベント等々)を設定する事。
伝えるための回路(チャンネル)を開く事。(指示命令系統)
伝えるための手段を明らかにする事。(口頭、文書、メール、プレゼ等々)
伝えるため、伝えるための体制、特に、足元の役割分担(日程、連絡、資料作成等々)を固める。
伝える相手、範囲を特定する。(相手や範囲を間違うと情報は、正しく伝わらない。)
伝える時を決める事。(伝達には、伝達する時がある。その時を外すと情報は陳腐化したり、ブレたりする。)
これらを定義するのが、要件定義。

要するに、情報を伝達すると言っても、単純ではない。これだけの要件を組み合わせて設計する必要がある。

自分にできなければ、できる人にやらせる。
自分がわからなければ、わかる人を探してくる。

自分はできても、手が出せない時がある。
自分は分かっていても、自分からいえない時もある。
だから、チームワークが求められるので。

結論を出すにしても、みんなの意見を聞いてから結論を出すのか。
何も聞かずに、結論を出すのか。

自分に決定権があるなら、最初から、手の内を見せる必要はない。
相手の本音がどこにあるのかわ探りたければ、本音が出るよう、仕組んでもいいし。
例えば、挑発したり、さくらを仕込んでおいて言わせたり。
事前に根回しを終わらせておいたり。
一番まずいのは、何の策もなく、まともにいて、自分の思い通りにならないと癇癪を起すこと。

だから、落としどころを考えておけよと。
不味いのは、何でもかんでも独り相撲を取る事。
相撲は相手がいなければ。

何を伝えたいか、何が知りたいか。
それによってセッティングを変える。

リーダーも、高飛車に行くか、低く丁重に行くか、
押していくか、抑え気味に行くか。
自分が前面に立つか、他の人間を前面に立たせるか。

自分から言うのか、他の人に言わせた方がいいのか。
みんなの状態を見たいなら、あまり自分が当事者にならない方がいい場合もあるし。

その辺が味だよね。

一方的にまくしたてても相手は理解できないし、ついていけない。
どこで、どのタイミングで切り札を切るのか。

大体、相手がどの程度理解したかは一方的伝えたら確認の仕様がなくなる。

ただ伝えればいいというのではない。
伝えるにも付帯条件や目的がある。
例えば、相手の本音を引き出しておいて決めるとか。
相手がどの程度理解したかを確認して決めるとか。
教育を目的として決めるとか。
後々の協力を取りつけしつつ決めるとか。

伝えるにしても工夫が必要。

会議なら、議長を誰にやらせるか。
議長以外にリーダーを置くのか。
事務方を誰にさせるか。
発言者をどうするか。
どんな資料に基づくか。
冒頭、誰から入るか。

三月に、十二月の話をするなと教えられた事もね。
仕事を一年で例えると、大体、最初の仕事は、想定が付く。
一月は、トップの話を聞いて構想を固め、二月、三月は、勉強と調査、この段階で詰めの段階の十二月の話をしても意味がない。
通常、仕事は、一年、二年と長丁場になる事が多いので。
スタート時点は、何もわからない、混とんとしていることが多い。
こんな時に、結論じみた事や、結果も出てないのに反省をしても意味がない。
やる前から、弁解や言い訳をするなと。
家で言えば、基礎もできていないのに、壁紙や家具を買ってどうするのといった類。

しかし、仕事に慣れていない人はどうしても、仕事の尻を追い求めて、入り口のもたどり着けない事が往々にある。

仕事は、一年とか二年、長ければ三年越しになる事もよくある。
故に、年間の工程や一連の流れには、一定の形がる。
また、定型的業務は、一年の経過に沿っている業務が多い。
馴れてくると仕事に季節感が出てくる。経理や人事など典型である。
衣替えの季節になったからとか、そろそろ年末に備えなければみたいな。

よく季節のない仕事はするなと諭された。

不定期な業務でも一連の仕事には一定の型があり、それが、伸びたり、縮んだりしているでけで。どんなに小さい仕事でも、短い仕事でも。すべての仕事の要素は兼ね備えている。だから、通しで仕事をやりぬかせる。そのような経験を積むことで、仕事の段取りを覚えさせる。
この時に、途中で投げ出したり、ずるしたり手を抜くことを覚えると生涯祟る事となる。