計画の全体は、構想、基本計画、実施計画の三つから成り立っているとされる。
構想は、ビジョン、全体像、最終目標、動機、志、使命、主旨、夢など描いたもので、ストーリーを形成する。基本計画は、基幹、土台となる部分で、実施計画は、実際に実行する際の仕様を明らかにするもの。
基本計画は、計画全体を管理、統制する目的で作成され、実施計画の基準を提供する。
幹となる計画、骨格となる計画で、主として管理・統制(スタッフ)が受け持ち。
実施計画は、実際に仕事をするための計画で、作業計画、工程表だと言える。実際の作業仕様となる。
枝葉となる計画、肉付けとなる計画で実施部門(ライン)が担当、受け持つ。
基本計画が設計図なら、実施計画、詳細計画は、施工図といえる。
例えば、基本は予算、実施は、予実績管理。
構想というのは、計画全体や、最終的な目標を一つのイメージとして描いたもの言える。
故に、構想は、ストーリーになる。
構想は、最も計算しにくい、一番、目に見えない部分とされる。
何年にもわたって練り上げた構想もあれば、一日で書き上げた構想もある。
ただ、あながち、時間をかければいいというわけでもない。
また、構想というのは、形として目に見えるようになるまで、傍からは、何をしているのか、見えてこないので、工数計算が難しい。
基本計画は、計画の概要、全体の流れ、考え方、原則、制約条件、大枠等。
実施計画は、より具体的に、作業日程、五W一Hといた作業仕様を構成し。
また、サブプラン、個別計画、詳細計画を形成する。
イベントとか、展示会とかを例にすると、計画全体の大枠、全他の流れ、日程や、考え方、基準などを基本計画で作成し。
その基本計画に基づいて、会場の設営計画、招待計画、広報計画等の個別の作業計画などを指す。
実施計画は、現場(展示会なら支店)が立てるのが原則。
実施計画も、準備、実行、後始末の三つの部品を持つと言える。
そして、この三つの部分も各々違う組織が担う事になる。
このように、組織は、受け持つ部分や、段階に応じて姿を変えていく。
当然、構想、基本計画、実施計画は、担当する部署、組織も違ってくる。利害も違う。
構想が、基本計画の主旨、目的、方針などの基礎となり、基本計画は実施計画を作成する際の基準、制約条件、指針、仕様となる。
基本計画は、構想と実施計画の要、基幹に位置する。
企画や、調査、分析等をスタッフに任せるのはいいが、ライン、現場への指示はライン長がやらないと、統制ができなくなり、仕事のけじめがなくなる。
基本的に、スタッフにはラインに対する指揮権は与えられていないと思っていてほしい。
ラインに対する補佐は、また、別途考える。
例えば、連絡や資料の窓口、集計、根回し、お膳立て、調査、打ち合わせの準備など。
その場合でもラインに対する指揮権は、一般に、スタッフには与えられない。
ラインの担当とスタッフの担当は違う。
必要に応じて担当分けをしていく。
ラインとスタッフは、明確に分けて考えたほうがいい。
計画や組織は合目的的な事である。
つまり、計画は、一つの目的を達成することを使命としている。
また、組織は、一つの目的を達成するための集団である。
組織は、進展、段階、状況の変化に応じて成長、変態する。
準備、実施、後始末の段階ごとに組織は、違ってくる。
人間なんて皆、凸凹しているので。
凸凹しているから愛される。
いいところもあれば、悪いところもある。
長所も欠点もあるからやっていけるので。
何もかもが優れているから、いいというのではなく。
逆に、何もかもが優れている人は、それが弱点となるもので。
多くの人は、計画というものを誤解している。
計画は、結論、結果を書き連ねたものではない。
項目毎に、どのような工程で、どのようにして、結論を出す為に何をすべきかを書き表したもので。
計画は、自分たちが、何をいつまでに、やったらいいのか。
メンバーそれぞれが、自分は何をしたらいいのかをはっきりさせるために作る。
ところで、私は、何をいつまでにしたらいいんですかが、わかるようにするのが目的。
例えば、方針を、誰が、どのような工程で、いつまでに、結論をどのようにして出すのか。
その予定が計画である。
同じように場所や日時を決定する工程を予定するのが計画。
そして、方針を決めるための工程を導き出すためには、方針とは何かを定義する事が求められる。
つまり、方針そのものではなくて。
方針をいつ、誰が、どのように決めるかが、問題なので。
その為に、方針とは何かを辞書的に定義するのではなく。
方針は、どのような目的で何を根拠、基づいていて、作られるか、実務、実際に基づいて定義する。
このような定義の仕方を要件定義という。
故に、定義の内容は、都度変わる。
それは、その後、自分たちが何をするのか、作業を洗い出すための根拠となるからで、だから、作業に取り掛かる前に、方針を決める。
例えば、今年の予算の定義は、前年実績を基礎にして、それに今年の目標額を加えるとか。
販売計画に基づき売上予測を立てそれに基づいて作成するとか。
投資計画に基づき損益分岐点を割り出し、それに基づいて予算を立てるとか。
このように考えると方針は、経営方針や目的を前提としていることがわかる。
つまり、順序として経営方針や目的が先になる。
項目は、原則、早く決める事、明らかにする項目を上位に置くことを原則とする。
上から決めて、決まったことに従って下位の作業を洗い出していく。
方針は、計画を作成する際、早い段階で明確にする必要がある。
場所や日時は、方針を根拠として導き出されるからである。
例えば、予算を作成する際の根拠は、前年、実績とか、経済環境、市場動向等があげられるが、自分たちが何を根拠として、次期の予算を作成しようとしているのか、考え方によって定義の内容は変わる。
だから、一回いっかい、定義を見直すことで作業の構想を立てる。
それが計画。
いきなり、方針は何、場所はどこにするではなくて。
どうやって方針や場所を決める。
どういう手順段取りで目的や日程を決める。
そこにフォーカスして考える事に計画の意義がある。
計画は、予定であって結果ではない。
結果、結論は出てないし、わからない。
結果が出ているのなら計画はいらない。
結果がわからないから計画を立てるのである。
総て、計画は、予測から成り立っている。予定なのである。
その意味で、計画は、結果が出るまで常に、未完成だと言える。
最初から、完成度を求めるのは、土台無理な話である。
計画ができたら、計画に基づいて、役割を決め人と作業を結びつけていく事になる。
責任者は、何から始めるか。
方針を誰が決めるかを決める。
まずそれを明らかにする。
次に、決定権者が、どうやって決めるかを明らかにして。
決定権を持つ人が、決めるためには、何が必要。
どんな情報が必要か。それを洗い出す。
次に、誰が必要なもの用意するのか。
誰が、決めるために必要な情報を集めるのか。
用意したものをどうするのか。
また、集めた情報を、誰が、どのように整理し、誰が分析をし、報告書にまとめるのか。
こうやって決める人が決められるように、組織的に準備をする。
そのために必要とされるのが計画なので。
また、計画とはそのようなもの。
計画は立てることが目的なのではなく。
実施する時に活用することが目的。
つまりは、地図や道案内のようなもの。
焦って結論、結果を求めても何も得られない。
計画は、はじめは、何もわかっていない。
取りあえず枠組み、つまり項目から組み立てるのである。
いきなり答えや結果を求めても意味はない。
決まったところから、計画書に書き込んでいく。
目的や方針は、早い時期に決められるので、早い段階から、計画書の冒頭に書き込まれる。
つまり、計画書は、計画が実現されるまで、成長、発展をし、修正され続ける。
予算や計画が完成するのは、計画がすべて実現した時である。
計画は、複数の人が、協力して一緒に仕事をする基準であり。
メンバー全員が、決められた事、指示されたことを確実に実行しないと成立しなくなる。
組織は、複数の人が、協力して一緒に仕事をする仕組みだから、全員が、自分に与えられた役割を確実に実行することが求められ、また、全体の行動を統一する必要がある。
その為に規則や決まりがある。
規則や決まりには当然、拘束力や強制がある。
組織を統制し、目的を達成するためには、思想を統一する必要がある。
なぜならば、計画も組織も合目的な存在であり、統一した行動が求められるからである。
反体制主義者の中には、特に無政府主義者にはとにかく拘束や強制を嫌って、規則や決まりは悪だとする者がいる。
困った事に学校関係者の中にも強制や拘束は、悪いと教育する者がいる。
しかし、強制はすべて悪だとしたら社会は無法状態になり、暴力が支配する世界になる。
強制力のない法は効力を発揮しないからである。
何でもかんでも規則を決めて言う事をきかせようとするのも問題だが規則や拘束は無条件が悪いとするのも、極端から極端なのである。
無論、組織の仕事と関わりのない部分での強制や拘束は不必要であるが、規則や決まりそのものを否定することも意味がない。
思想や哲学なんて難しく考える事はない。
自分がいつも、日常、何気なく考えている事柄を洗練したものにすぎない。
例えば、恋愛観である。
だから、思想や哲学は、計画や家を建てる時などの土台となりうるので。
日常生活の根本に宗教が関わる理由も一つの社会や国を構成するためには、婚姻の在り方とか、法の根拠となる倫理観などを統一する必要があるからで。その根拠を与えてるのが宗教だからである。
ただ、仕事をやる上で価値観と統一するといっても、仕事にかかわりのないところまで一致させようとしたら、個人の思想信条に干渉する事になる。
そうなると一緒に働ける人も限られてしまう。
ここでいう、思想統一というのは仕事に関することに限定することが求められる。
ここでいう思想とは、組織の設計思想であり、作業思想である。
いわゆる、パワハラが悪いのは、組織を逸脱した行為だから悪いので。
仕事に関わりのない事を、仕事と関わりのない権限で、組織の力を借りて強要しようとするから悪い。
そもそも、パワハラ自体が組織原則を逸脱した行為なのである。
仕事上必要に応じて出される指示命令は、パワハラとは無縁である。
強制力があるからと言って指示、命令が悪いわけではない。
最近、始礼、終礼は、強制力があるから悪だと廃止する学校があるが。これは全く無意味な事であり。
指示、命令、礼儀、法に対する間違った認識を生む原因となる。
サッカー部員を鉄拳制裁をするのはパワハラだが、ルールに従ってイエローカード、レッドカードを出すのは正当な行為である。
組織では、一人では仕事ができないように仕組まれている。
契約でも、手続きがあり、一人ではできないようになっている。
故に基本的に一人仕事はない。
一人で、仕事をしているつもりなっているのは、一部のパーツを任せられたことを錯覚しているにすぎない。仕事を統制・管理するためには、総ての仕事を通しで把握ておく必要がある。
通しですべての仕事を把握していないと、仕事は、断片の積み重ねになり、統制的な制御ができない。
特定の作業に精通していても、全体を掌握できなければ、仕事を制御、統制、管理することはできない。
誰が指揮するか、仕切るかは、都度つど、最初にハッキリさせとかないとね。
僕らは、「今回、誰が仕切る」とか、「この場は誰が取り仕切るか」って最初に決めてたけどね。
まあ、鬼ごっこの鬼決めみたいの事。
鬼を決めないとゲームは始まらない。
よく買って出ろとも言われてた。
つまり、場数を踏んだ方が勝ちだからって。
やな役だとか、難しい時こそ買って出ろと。
逃げていたらいつまでも度胸が付かないよって。
誰が仕切るかなんて決まってないんだよ。
仕事では、誰から上げると。
それで貸し借りも作る。
今回は、俺から上げるけど、これは貸しだからねとか言って。
でも今は、みんな黙って下向いているか、顔を見まわしているばかりだから、収まらないんだな。
ここは俺に仕切らせてくれとか。
お前の出番じゃないかとかね。漢気(おとこぎ)の問題だよ。
一つひとつは、つまらないこと。
その時に、できる事だから。
その時に、できない事、わからない事は、話しても意味ないから。
その時に、できる事、わかる事だから、たわいのない事が多いけど、確実にやらないと次の手が打てなくなる。一歩踏み出さないと、二歩目が踏み出せない。
それから、つなぎをどうするとか。
こちらの担当は、誰々にするけど、そっちの担当はどうするとか。
手前の担当を決めても相手の担当が決まらないと、受けがない。
いつ、担当者間の打ち合わせをするとか。(ここが一つのターゲット)
そういう一つひとつね。
そこを順番にこなさないと答えに至らないから。
そういう道筋を詰めておかないとね。
スタッフの作業の進捗に合わせて、どのタイミングで、現場の担当につなぐかを決めるのが、ライン長と支店長の仕事で、詳細は、担当者間で詰めさせればいい。
なぜなら、実際に仕事をするのは現場の担当だから。
いきなり完成度の高いものをぶつけても、現場の担当者は受け付けない。
ある程度、早い段階で現場を巻き込んでおかないと、現場は動かなくなる。
担当者同士がつながると、いよいよ、組織が動き出す。
次に考えるのは、如何にセンターと現場、また、部門間を連携させていくかだ。
担当だけが仕事をするわけでない。
まず、センターが作成した基本計画に基づいて現場の担当者に実施計画を立てさせる。
その際、センターの担当、スタッフと現場の担当に何を担わせるかである。
担当は、支店長と打ち合わせながら、実施計画を、立てることを通じて、現場のチームを編成しいく。
勘違いしてはならないのは、担当は、仕事の要であって、担当が一人で仕事をするわけではない。
ライン長や、マネジャーが担当と同じ仕事をしたら、担当と被ってしまい、対立、競合関係に陥る。
マネージャーとスタッフ、担当長と担当と言う縦の働きだけだと話が横展開できず。話が煮詰まってしまう。逆に、横の働きだけでは統制が取れなくなる。
縦方向の働きと横方向の働きをいかにバランスさせるかが鍵である。
担当を決めたからといって担当一人で仕事をするわけではない。
ちょっとしたイベント、防災訓練、会議のような催し事でも、芝居と同じくらいの役割がある。
例えば、構成、シナリオ、演出、監督、舞台装置、配役、広報、事務等。
その中で、担当に何を担当させるのか。
そして、担当者が、担当した以外の役割を誰に割り振るのかが課題なのである。
基本的に、担当と言っても、企画や事務方、あるいは、補佐、補助的な仕事を任される一般で、そのほかの仕事は、おろそかにされがちである。
何事も、分担で、仕事を割り振ることが重要となる。
そのためには、まず、仕事の全体像を把握しておく必要がある。
その上で、役割を決めて担当同士、また、マネジャーやライン長を結びつけていく。
ライン長、マネージャー間で、それぞれが受け持つ部分、大枠を決め、担当間で詳細を詰めさせる。
詰めきれない部分は、センター長が裁定する。
詳細は、担当者間で詰めさせ、マネージャーは、調整役にまわる。
そうする事で組織の相互牽制、制御が可能となる。
できない理由を突き詰めると些細なことに突き当たる。
最初にできることは簡単で些細で、つまらないことなので。
簡単で些細なことだから、聞くこともできないし、認めるのも恥ずかしい。
だから、厄介なのである。
最初にしっかりと聞いて、記録を取り、なおかつ確認することである。
そして、わからなかったら聞く。
基本、こんな手順で作業を進めていく。
手順に沿って段取りを組むが、その際、目安とするのが、定例会議。
どの会議をベースとするかで、おおよその期間と大枠を決め、
それに担当者会議を絡めて日程を担当者は、事務方と打ち合わせて決めていく。
組織は成長する。
計画が進化するに伴って担当を細分化し、担当分けしていく。
センターにもスタッフとライン担当が、現場にもスタッフとラインの担当が必要となる。
仕事には、一般的な事項と特殊な事項があり。
一般的な事は、基本計画が、特殊な事は、実施計画が、受け持つのが原則。
一般は、共通とか、普遍。
特殊とは、固有とか特別と捉えてもいい。
イベントを例に取ると。
まずやることをスタッフが基本計画から洗い出す。
その上で、センターと現場どちらが受け持つかセンター長と現場の長が協議してセンター長が決める。
招待客名簿は、センターと現場、どちらが作成するか、大枠をライン長と支店長が決め、詳細を担当者間で詰めさせる。
目的や担当を決めたら、次に、担当と相談して方針を決める。
仕事全体に方向性を定め、一つにまとめるための役割が、方針である。
いざとなれば、自分を追い込まなければ、なかなか、決められない。
百人足らずの会社で、二、三ヶ月の仕事でも、何千何百のパーツから構成されていて、その一つひとつ、いくつかの決断をしなければならない。
百人いれば百人、全員、何らかの決断が求められる。
しかも、統制の取れた決断。
一定の方向に向かって全員が統制の取れた決断、行動をするために、方針を決める。
システム化やマニュアル化で、かなり自動化が進んでいるとはいえ、まだまだ、人間の決断に頼るところは多い。むしろ、人の決断の質が問われるようになる。
一人でも、先送りしたり、方針と違う決断をすれば、仕事も組織も乱れる。
だから、構想や基本計画が必要となる。
根本のルール、原則を一致させておく必要がある。
野球をする時は、全員が野球のルールに従わなければならない。
いい加減な仕事を教えるのは、子供に毒を飲ませる事と多くの民族が教訓にしていることを忘れないように。
方針というのは、作業方針で、方針が定まるといよいよ、作業に着手できるようになる。
故に、とりあえず、方針か担当を決めておけと躾けられてていた。
この点は、意外と、重要で、方針の性格・役割を表していると言える。
方針、戦法には、例えば、組織的な方針には、総力戦、営業を中心、少数精鋭等。
時間的な方針には、短期戦、持久戦等。場所的な方針には、安近短などがあります。
また、方針とは仕事を始めるにあたり、全体が向かうべき方向、指針を、簡潔に、一言で表したものと言える。どこに向かっていいかわからない方針は、方針としての働きをしていないと言える。
原則的には、基本計画に対して実施計画は一段階遅らせて並行作業にすることが多い。
基本計画と実施計画を直列的につなぐと、基本計画による制約が強くなりすぎ、柔軟性に欠けるきらいがある上、現場の考えが基本計画に取り込めなくなるからである。
計画の実施は、基本計画から実施計画を一連につなぎ、流し込むように実行していく手法をウォーターフォール方式といい、個々の計画を自己完結的に進める手法をアジャイルという。
基本計画と実施計画は、人やチームを変えた方がいいという人のいる。
少なくとも、基本計画と実施計画の違いは理解しておいた方がいい。
実施計画は、決めるための、決断するための計画である。
問題は、この段階でまだ決断できない人間がいる事である。
決断できない者は、なんだかんだ言って、決断を先延ばししたり、寸前に、自分の仕事を、投げ出して逃げだしたりする。
無責任なものは、他人の決める事には、自分は責任がないと、他人に決めさせようとする。
決断力のない者は、自分が決断しなければ、結果が悪くても、自分だけは、許されると思込み、なるべく決定を先送りするよう画策する。
彼らの行動が、計画を破綻させる原因となる。
その原因が、単に、決められないという事にあるとしたら。
いかに、自覚ある行動を促すか、それが計画の成否を握ることがある。
基本計画と実施計画では、人の役割や権限も性格の違いがある。
基本計画では、基本的な事、基準的な事、原則的な事にとどめ、極力、実際的な実名を上げないようにする。それに対し、実施段階では具体的な実名や時間を決め、各々が役割に応じて確定し行動に移すことがが求められる。
基本計画と実施計画は、表裏にある。
基本計画は、理性的、客観的、受動的。
実施計画は、感情的、主観的、能動的。
基本で作り、実施で壊す。
基本はきれいに作り、実施で汚す。
百、企画して百、捨てる覚悟が必要ってね。
基本計画と実施計画の違いは、わかる人は、わかるし。
わからない人はわからない。
できる人はできるし。
できない人は、できない。
実施計画段階では、ドンドン決めていかなければならない。
つまり、計画から実施、実現、結果に置き換わり。
計画は崩されていく事になる。
計画に囚われると、実施できなくなるからである。
実行時には臨機応変。
基本計画は原則、実施計画は、現場合わせ。
基本計画は標準、基準的なところで留め、あまり、色を出さない。実施段階で柔軟に対応できるよう原則的な事柄、表現にしておく。
実施計画は、生々しく、いつでも決められるように、詳細まで詰める。
斬れば血の出るような計画。
基本計画で留まれば、計画倒れで終わる。
計画は実行されて初めて効力を発揮する。
最後のカギは実行計画にある。
実施計画ができたら、後は決断、行動あるのみ。
頭の切り替えが求められる。
いよいよ戦闘開始である。
故に、実施計画は、実行することを前提に、実行できるように、実行する寸前まで詰めておく。
基本計画は、客観的に作って、実施計画は、感情的に実施する。
だから、実施計画の中には、出陣式、開会式、キックオフといった儀式、イベントが最初に組み込まれ。閉会式で閉じられる。
基本で基準、原則を作り現場で状況、環境に合わせる。
仕事は、所詮、現場合わせ。
だから、人も組織も変える。
指揮権は現場に持たせ、スタッフに持たせない。
マネジャーは、ある程度、任せられると見極められたら、任せた人以外の人の仕事に目を向けるようにする。マネージャーの仕事は、任せた人が仕事がしやすい環境を作る事。
組織は、一人では、仕事ができないように仕組みまれている。
人と人、人と作業、作業と作業を結びつけていく、組み立て行くのがマネジャーの仕事なのである。
投手を決めたら捕手を、捕手を決めたらというように、監督は、選手と選手を関連付け、常にz、全体を把握することが求められる。
だから、監督は、鳥の目を持てと。
個々の仕事は、担当に任せ、マネージャーは、担当と関係者をどう連携させていくかを考える。
全員が守備位置についたら、試合は始まる。
基本計画と実施計画とでは、正反対な対応が求められる場合がある。頭の切り替えが求められる。
基本計画では基本的な事、実施計画では詳細、実際的な事を表してるといえる。
実施計画は、決定段階でもある。
それに対し基本計画は、基本的な事、決めるための基準や原則、考えを明らかにする事。
実施段階では、誰が、何を、いつ、どの程度決めていいかをあらかじめ明確にしておかないと決めることができなくなる。即ち、決定権を予め明確にしておくことが求められる。
それに伴い、権限を移譲しておく必要がある。
実施計画では、実際にやる事、させることを考える。
実施段階で、照準となるのは作業で、行動、動作レベルまで詰めることになる。
作業には、行動や動作が伴う。
つまり、何を、いつまでに、誰が、何をやるか課題となるのである。
現場に指示する時は、作業レベル、即ち、誰が、何を、いつまでに、どうするのかまで事前に詰めておく必要がある。
実施段階では、曖昧な指示は、致命的なミスにつながるからである。
基本計画の段階では、基本的に要件にとどめ、細かい事は、後段階に任せる。
だから細かいことに囚われず、それは、現場に任せろと指導される。
それに対して、現場では、
その時そのとき、その場で、詳細まで決める、詰めることが求められる。
正反対な対応が求められるのである。
それを誤解している人が、細かいことは任せろと丸投げしてしまう。
任せるのはいいけど、最後に決めるのは、現場指揮官の仕事だぞと注意された。
担当(一兵卒)は責任を負えないだろと。
仕事をするためには、自分の考えを、自分たちの考えに昇華しなければならない。
どうやって、自分の考えを自分たちの考えに昇華するのか、それは話し合う事である。
計画が、構想から始まり、基本計画を経て、実施計画へと成熟させる必要があるのか。
それは自分の考えを、自分たちの考えに昇華させ、仲間が一体となるため。
自分で仕事を組み立てるためには、自分の考えがなければならない。
なぜなら、自分で仕事を組み立てるというのは、言い換えると、自分の考えに基づいて仕事を組み立てることを意味しているからで、当然、自分の考えがあることを前提としている。
当たり前に、自分の考えで判断し、自分で決めていくのだから、自分の考えがなければ仕事を組み立てることはできない。当然と言えば当然だが、自分の考えで仕事を組み立てることはできない。
そして、仕事は、一人では、できないのだから、仕事を一緒にする人は、皆、同じ考えに、つまり、同じ思想に基づかなければならない。
それが、設計思想であるし、政策、施策である。
いずれにしても考えが明確でなければ、仕事を一緒にすることはできない。
思想は、日常的な判断をしていく上での基準。
経営思想とは、会社を経営、あるいは制度を制定する時の基準。
営業政策や仕入れ政策の根拠。(いつもニコニコ現金払いも経営思想の一種。)
仕事の思想は、仕事上の判断を下す時の基準、尺度。
設計思想とは、設計をする際の判断の基準。
だから、思想を明らかにしておかないと、統制の取れた判断はできない。
思想は絶対的、普遍的の事とは限らない。
思想の根源は構想にある。だから構想から着手するのである。
構想というのは、実施段階、細目、詳細を決める時に現れてくる。
だからこそ、しっかりと構想を練る必要があるのである。
構想がしっかりしていて、全体に浸透していれば乱れることがない。
計画や予算は、できた時が終わりなのではなく、始まりだという事。
よく計画や予算が、「できた、終わった。」という人がいるが。
かつては、そんなこと言おうものなら、「何言ってんだ、仕事は、これからだぞ。」と。
予算や計画を立てたら、それをどうやって仕事にしていくか。
現場に落としていく、つなげていくか。
組織や関係者に浸透させるか。
誰から、誰に、指示を出して、いつ誰と打ち合わせをするか。
実際の計画や組織に置き換えるか。そこが肝心なので。
計画や予算はそれだけでは活用できない。
担当というのは、端子、接続子で仕事も組織もシステムだから、担当がどんな働きをするか、担当に、どんな仕事をさせるかは、その時、その場で決めていく。
会議や打ち合わせに出ているからと言いて、窓口だからと言って、実際の作業をしているとは限らない。
担当を置いたからと言って、担当が一人で仕事をするわけではない。
高校の野球部のマネジャーは、監督や選手でなければならないという決まりはない。
常に、リーダーは実際の仕事をどうするかを想定しなけれが務まらない。
大体、結論が出た後、どうするか、何をするかを詰めないと仕事にならない。
どんなにいい計画や企画であっても、むき出して、投げ与えたら、かえって毒になる。
計画や企画がうまくいかなかったら、その原因を正確に理解することが求められる。
計画や企画、予算がうまくいかないと指摘されると、すぐに、計画や企画自体を見直そうとする人がいる。
多くの場合、計画や企画自体を見直しても、原因や理由がわからず徒労に終わる場合が多い。
売り上げの目標が達成できないからと言って売り上げ目標、予算を変更したら土台から崩れてしまう。
挙句に、誰かが邪魔をしてるんじゃないかとか、あいつの性だと、個人攻撃を始めたら組織解体などの最悪の結果を招くことにもなりかねない。
個人の責任を問うにしても。責任の所在を明らかにした後、最終段階で行うべきであり、最初から、犯人探しを始めたら、収拾のつかない状態に陥る。
先ずは、改善できること、変えられることに絞って問題を解決すべきで、それは、実際の仕事の軌跡、段取り手順、筋道、道具等、事実関係をたどる事である。
それが、アメリカの会計基準でいうところの追跡可能性である。
企画や計画、予算が出来上がったら、いかに、どうやって、誰から現場に伝えるかが、喫緊の課題となる。
情報の伝達のルート、情報伝達の責任者・主管部所、情報の伝達の手段、伝達場所、伝達相手、伝達時間、伝達媒体(メールなど)、伝達道具・資料など。
計画を企画した人間に「伝えておいて」と漠然と指示するのかなり乱暴な話。
現場サイドに企画担当からメール一本流されて、それで、誰も理解しないというのは、当然の反応で。
最悪、現場から、拒絶反応されてしまう。
企画担当から現場に伝えさせるにしても、現場が受け入れ、理解し、実施できる環境を作るのは企画者の仕事ではないし、往々の場合、企画者には、一人ではできない。
現場に、担当者を置くのは、現場の端子、接続子、窓口を明確にし、実施するための体制を作るためである。
計画、企画、予算がうまくいかないからと言って、計画や企画、予算案をいじくりまわしても、かえって、原因がつかめなくなり、組織を解体する事にもつながる。
まず、情報がどのような経路で流れたかを確認することが先決なのである。
今の仕事は、乱暴すぎる。チャットすればいいでしょというのでは。
現場の受け入れ体制も含め、バックヤードを整備する事から始めないと、仕事を始める前にとん挫する。
それは、企画のよし悪し、人がどうのこうの以前の問題。解決の仕様もない。
どんなにいい計画、企画でも、実行できなければ、絵に描いた餅となる。
やる事が決まったら、どうするかを打ち合わせ、詰める。
計画が承認されたら、
下絵は描かれている。
基本計画はできているという事を意味するので。
後は、どう色付けするか。
どう実施していくかの問題。
それが前提なので、次にやる事は、基本計画を新しく作る事でも、やる直すことでもない。
それを前提にして、「どうする」と聞かれているのである。
結論が出てから、「どうする」と聞かれるのは、「何を、する」で。
やり直せという意味ではない。
結論が出たことは、結論が出ているので、蒸し返しことは許されない。
結論が出ていることを前提として次を考える。
どうすると聞かれて、基本計画が否定されたとか、自分の仕事をやり直せと言われたと思うのは、思い過ごしである。
方針が決まったら、方針が決まっている事を前提として、どうするか、聞かれているので。
方針そのものを、どうするか、聞かれているわけではない。
実際に仕事をするのは、現場であり、実行計画をたてるのは、現場。
基本計画が出来ていて、それをいかに現場の責任者、担当に伝え、実施させるかを考える。
それを前提として、センターの役割、現場の役割分担、そのうえで、自分は何をするのかを決めていく。
自分たちが決めたことを念力や超能力で伝えられるわけではない。
関係する者全員にそれぞれの役割に応じたことを指示、伝達するのは、部門長やマネジャー、事務方の仕事。
現場に誰がいつ、どのように伝え、どう指示するのかを決めるのはマネージャーの仕事。
実行するのは、現場、ラインの仕事。
計画や予算が、正式に決められたとしても、計画を実行する部署に、実行できる形で伝達されなければ、実行できない。絵にかいたモチになる。
絵にかいたモチになる。
アンプとチューナーとスピーカーがただ並べて置かれて、結線されていない状態。これでは音は出ない。
エンジンとアクセル、ブレーキ、タイヤが結びついていない。
これでは、エンジンをかけても車は動かない。
ブレーキとだけ、繋がっていなく、他と繋がっているだけ危ない。
要は設置されていないのだ。
回線は、回線。単なる導線だけど、単なる導線、配線と侮るから、正しい設定ができない。
アンプやチューナー、スピーカーを設置するのは、設計技師でも工員の仕事ではないし、経営者の仕事でもない。
それは現場の仕事だし、場合によっては、エンドユーザーの仕事。
最終的には、ユーザーと販売責任者が打ち合わせて決める事。
設置することはできるかもしれないが、総てを引き受けることができないのは、誰が考えても明らか。
結論が出たら、それを、どのように、実施部門に伝えるかが次の課題。
やる事が決まったら、どうするかを打ち合わせ、詰める。
音の出ない原因をたどると、多くの場合、配線ミスで、設計上の問題ではない場合が多い。
ところが組織に関しては、配線ミスと考えないで、設計ミスとか個人的な問題と取り違える。
そして、取り違えた瞬間、解決不可能な問題となる。
単なる配線ミスだから。
朝、八時半に会う約束をしたけど、九時に起きたから十時に会う予定にしたなどということはありえない、許されないので。
予定は、結果から決められるのではなく。
朝、八時半に会う約束したから七時に起きる(予定)ことにしたと考えるの常識。
計画は、予定であり。予定は、予測な基づく。
組織的な仕事には、後先、前後、順番があり。段階的に仕事を進める必要がある。
その為に、計画を立て、会議、行事、儀式を必要に応じて設定する必要がある。
一つの工程は、単独で機能するのではなくて、必ず、前工程、後工程がある。
同様に、一つの作業には、前作業と、後作業があり、この順番を間違うと、総ての作業にブレーキがかかる。
好例が準備、実行、後始末で、実行に後に、準備するという組み合わせはない。
調査、結論も、調査が先で、結論が後。
調べてから結論を出すのが原則。調べないで結論を出しても、根拠が不明となり、独善となる。
計画は作業や工程を組み合わせる事で形成されるので、作業や工程の手順、順番がわからないと作れない。
例外的に、着手する順序が前後せざるを得ない事がある。
例えば、新年会、賀詞交歓会、旅行計画で、桜や紅葉、祭りなど季節の制約を受ける場合など。
その場合は、暫定的処置として仮押さえ等の処置が必要とされる。
ただその場合でも、ある程度、見通しを立っておかないと計画に齟齬が生じる危険性がある。
場所を決めるにしても、日程や規模、予算は抑えておかなければならないし、先決めしたことは制約条件となるからで、本計画に戻すとき、再度見直しすることを予め計画に組み込んでおかないと計画に支障きたす恐れがあるからである。
例外があるとしても基本的には手順、順序に従うのが原則。
手順段取りによる制約があるので、全社的な仕事は、作業量にかかわらず、最低、三ヶ月かかる。
言い換えると三ヶ月前に着手する必要がある。
計画には、通常、前段、中段、後段があり、それは計画書の構成に反映される。
前段にあたる部分が、計画の概要、考え方にあたる部分で、中段が、計画を構成する要素、そして、後段に、段取り・手順を構成する。
前段が、第一段階で、ここで、主旨目的、方針、原則など明らかにする。
先ず、実際的作業に着手する前に関係者に周知する必要があるので節目に当たるところで会議や儀式などを設定することが求められる。
方針は、目的から導き出され、目的は、主旨から導き出される。
仕事に対する考え方や原則、基準は、方針による。
そして、具体的な施策は、方針から導き出されるので、よく、目的を後回しいて、結論から適当に作文すればいいなんて指導する者がいるが、こういう人は計画の意味が分かっていない。(三無主義、実務を理解してない人に多い。)
こういう人の指導を受けた人は不幸である。
このように後工程、後作業は前工程、前作業の影響下にあり、前段の結果によって大きく違ってくる。
つまり、前作業、前工程の結果を受けて後工程に引き継げるように処理することが求められる。
後作業、後工程にひき繋げられなければ、やりっ放し状態になる。
第二段階では、日時、場所、出席者、企画、予算などを具体的に立てていく事になる。
計画というのは、何をどのような考えで、作業し、どの時点で決まるかを予め定めておくことを意味している。
結論、結果は、結論、結果である。予測とは違う。
予定は、結果が出てないうち、即ち、計画は、結果が出る前に作る。
ハッキリしてないから予定や計画を立てる。
不確かだから、決断するのだ。
結果がわかっているなら決める必要はない。
基本的に、計画というのは、準備する事、用意することに重点があるので。
試合の結果は試合しなければわからない。
計画は、主として試合までに何をやるかを問題とするので、試合の結果ではない。
第三段階では、準備に着手することで。
この段階で重点が置かれるのは、実際の作業の段取り、手順、実施組織である。
この段階では、実施計画、詳細計画、個別計画が前面にでる。
逆に言うと、この段階では、実施計画が立てられ、実施できる状態になってなければならない。
そのためには計画が現場の隅々まで浸透している必要がある。
計画は、観念ではなく、現実であり、実際の実務、作業を組み立てて作られる。
計画をどの程度、わかっているか、理解しているかは、言葉より行動を見れば実証される。
何をやる事になったか。どうするかを最後に確認することで、明らかになる。
会議の最後に、「でどうする」と詰めておいたほうがいい。
支店長は、支店に戻って、今日の会議で決められた事、指示されたことを、いつ、だれが、誰に、何を、どのように伝えるかを確認する。
言葉より行動を見れば実証される。
何をやったか。
何をやるかが、わかっているかを言わせて確認する。
口で言えない者は、やらない。
口に出して言うものは少なくとも、戻ってどうしようかを考えている。
口で言うだけなら、一分もかからない。
その手間を惜しんだら誤魔化される。
そう言われたものさ。
現場に帰って最初にやる事は、初期設定を意味する。
簡単に答えられないという事は、考えていない。
この場で、言えなければ、後になって考えられない。
大体、この場で帰って何をしたらいいか考えておかないと、聞きたいこと、聞いておかないと困る事も思い浮かばない。
だから、「ちゃんと聞いて、かえって何するか、考えてこの場で質問しろよ。後で聞かれても応えないからな」と厳しく指導を受けた。
遡って言うと、前月の会議の直後に何をしたか。
いつ、どこで、誰から誰に会議で決められたことを伝えたかを確認すれば、どの程度、結果が実行されたかが、大掴みわかる。
試合に勝つことは目的だとしても、計画に反映できるのは、勝つために、やる事でしかなく。
試合に勝てる、勝てないは、試合をやってみないとわからない。
試合にに勝てるかどうかは、不確かな事である。
「試合をする前から、ああだ、こうだ言っても仕方ない。
試合に勝ちたければ、ああだ、こうだ言っていないで、練習をしろ。
お前らに求められているのは試合に勝つことで、そのために練習をすることで、評論をすることではない。」とどやされた。
聞くと従うの意味を履き違えている人が結構いる。
聞くというのは、話を聞くのであり、従うというのは、指示に従うことを意味する。
リーダーは、メンバーの話は聞いても、従う必要はない。
メンバーは、リーダーの指示には従わなければならない。
これは、組織上の役割の違いからきているので、別に差別しているわけではない。
リーダーは、メンバー全員の意見に従うことはできない。
メンバーは、リーダーの決定に従うことはできる。
なぜなら、メンバーは、多人数で、リーダーは、一人だからである。