潰れっこない。今まで何とかなったんだから、これからだって何とかなる。
最後は、誰かが助けてくれる。
そういう考えになるから、働くなる。

そんな考えに染まったら、結局、堕ちるところまで堕ちるしかない。杞憂だ杞憂だと安閑としているうちに、何も考えられなくなり、馬鹿になる。
本当の危機に落ちいた時に、ただ傍観するしかなくなる。

確かに、十中八、九は、杞憂で終わる。
何とかなるものだ。
しかし、残された、一、二の時に、東日本大震災のような事が起こり、総てを失うだけでなく深い傷を残す事になる。
だから、杞憂に終わった時こそ大切なんだ。
その時、どれくらいの教訓を得ることができるか。
それが、いざという時に命運を分ける。

安きに居りて。危うきを思う。
大事は皆小事より起こる。(貞観政要)

結果なんて、やらなければわからないだからといって、何もしないわけにはいかない。
何もしない言い訳にはならない。

どうせ勝てはしないと練習をさぼるのは、最初から、勝負を投げている。
そんな考え方は、自分の人生を駄目にする。

自分の怠慢を、他人の性にするのは卑怯だ。
結果がわからないからこそ、やるべきことをやるのだ。

よく、親父に、家族も含めると社員かける四倍の人間の生活が懸かっているんだ。
おざなりな仕事はするなと。

真剣に、まじめにやれと怒られた。

潰れっこない。今まで何とかなったんだから、これからだって何とかなる。
最後は、誰かが助けてくれる。

そんな時代は終わろうとしている。
続くはずがない。

何もしない方がいい。
キジも鳴かずば撃たれまい。

事なかれ主義の、日和見主義。

一番、怖いのは、思考力が停止していることだ。

「何の目的で。」
「親睦ではないんですか。」

臆面もなく言ってのける。

目の前に、津波が迫っていても、現実を直視できずに、茫然と立ちすくんでいる。
逃げる事さえ忘れて。

もう時代が変わったのですよ。