僕はね。
皆に、本当の仲間になってほしい。
というか、本当の仲間になれなければ、これからの時代は乗り越えていけないんだよね。
本当の仲間は、問題を一緒に助け合って解決していける連中ね。
今の学校はね。
助け合うなんてできないし。
相手を信用して相談なってできないんだけどね。
それでは、ドラマにはならない。
ドラマでは、皆、何でも話し合って問題を解決していく。
だから、ドラマになる。
なぜドラマがはやるかって。
ドラマや漫画の世界には仲間がいるから。
でも、現実の世界には、仲間がいないからさ。
いなくなったからさ。
学校生活が長くなるとね。
なるべく、自分の事、隠してね。
悩みがあったり、失敗してもね。
悟られないようにする。
でも、それでは、ドラマは生まれない。
全てを、あからさまにすることはないけどね。
でも、本当に困たり、助けが必要な時はね。
何でも相談できるようにならないと。
何にも、解決できなくなる。
厭な事かもしれないけど。
隠し事されたら仲間は、何にもできない。
弱みを隠されたら助けられない。
一人でと頑張るのはいいけどさ。
一人では生きていけないんだよ。
誰かの助けを必要としている。
それを、早く認めないと。悟らないと。
どんどん、行き詰ってしまう。
最後は自滅してしまう。
殻を打ち破らなければ。
仲間ができないとね。
最後は一人。
孤独死が待っている。
定年退職するとね。
行き場所もなくなって。
ただ一人。取り残される。
今の皆とマンガやドラマの世界と、どこが違うと思う。
皆は、何を求めていると思う。
皆が求めとぃるのは、出会いさ。
漫画やドラマは、出会いから始まる。
今は、出会いが出会いではない。
出会いに縁がない。
出会ったとしても、仲間になれないで、ただ、群れている。
一緒に何かをしようなんてならない。
皆が求めているのは、本当の仲間さ。
自分の弱さをさらけ出し、悩みをぶつけ合い。
お互いの弱点、欠点を許し、補い合い。
悩みを共有し、克服する。そんな仲間さ。
共に泣いて笑って、苦しみも喜びも共にする。
苦楽を共にする。運命を共にする。
それが本当の仲間だ。
だから、本当の仲間にはドラマがある。
ドラマが生まれる。
人生はドラマなんだよ。生きるとは戦いなんだ。
必要なのは、一緒に戦い、苦しんでくれる仲間さ。
一緒に限界に挑んでくれる友だ。
目的を達成した時、喜びを分かち合える仲間さ。
一人では超えられない。
一人では寂しすぎる。
一人で泣いていたら救われない。
共に泣いて笑って生きていく、それが仲間さ。
仲間って背中合わせで、共に戦える奴。
仲間ができないから、自分の弱さ、短所、欠点、醜さをひた隠しにし、虚勢ばかりをはる。
悩みがあっても自分一人で抱えこみ、相談もできない。
相談できる仲間がいないから。
それでは、何をやっても虚しく、空疎だ。
今の学校では本当の仲間は、作れない。
試験に合格しても、喜びを分かち合えはしない。
イジメが悪いのではない。
虐められても誰にも相談できず。
誰も庇っても、助けてもくれない。
見て見ぬ振りをするする。
それがつらい。つらい。
誰も、信じられない。
信じられなくなる。
それが、現実なんだと思い込まされる。
違う。違う。
本当の仲間なら、そんな時、助けてくれる。
相談に乗ってくれる。
自分を犠牲にしても庇ってくれる。
本当の友なら、自分が困っている時、見てみぬふりなんてしない。
仲間は、共鳴共感する。言わなくったって、わかってくれる。
だから、信じ合い、助け合える。
信じあう事や助け合うことを、綺麗ごとだなんて言う人いるけど。
現実の世の中で実現しようと思ったら、綺麗ごとなんかじゃすまない。
確かに、現実の世の中は、騙しあい、出し抜き、裏切り、妬み、恨みが当たり前。
人を見たら、泥棒と思えと教えられ。
人がいいだけでは、生きてはいけない。
だからこそ、信じあえる仲間が必要なんだ。
綺麗事なんかじゃあない。
ドロドロの人間関係の中から、本当の仲間や友が生まれるんだ。
そして、本当の仲間がいなければ、世知辛い、この世は生きていけない。
早く、皆、気がついて。
本当の仲間になって欲しい。
一人ひとりが弱いのは本当の仲間がいないから。
強くなるためには、自分の限界を越えるためには、本当の仲間が必要なんだ。
人の心の痛みを分かち合う。
黙っていてもわかってくれる。
それが仲間さ。
仲間がいなければ、人のいないところで、一人、泣くしかないじゃないか。
テレビの番組で悲惨な出来事があった。
シェアハウスで自殺するなんて。
仲間づくりが目的だったはずなのに。
あんなのは嘘だよ。
作りごとさ。どこまでいっても演じている。
本当の仲間づくりなんかじゃない。
だから、あんな悲惨な事になるんだ。
本当の仲間なら、真実の友なら、自分が困ったり。
助けを求めている時、見捨てたりはしない。
助け合い、分かち合い、共に生きていくのが仲間だ。
だから、仲間は何物にも替えがたい存在だ。
今の世の中には、そんな仲間なんていない。
親子だって、兄弟だって、夫婦だって信じられない。
本当に信じあえる仲間なんて、どこにもいない。
そう思い込ませようと、世間の連中はやっき。
でも、皆が求めているのは真の仲間、
喧嘩しても、怒鳴り合って、失敗して、醜くても許し会える仲間。
許し会える仲間。
皆は、生涯の友、仲間を探して、さまよっている。
お前を、一人にしないよって、言ってくれる仲間を。
立ち上がって、振り返った時、共に、何も言わず、一緒に立ち上がってくれる友を。
虚勢をはったり、自分を隠していたら仲間に出会えない。
出会っても気が付かない。
友を得たければなりふり構わない事さ。
裏切られて、背かれて、ボロボロになることを恐れない。
自分を曝け出すことを恐れてはいけない。
心の友や仲間は目の前にいる。
皆を仲間は待っている。
お前を一人にはしないよと。
馬鹿だよね。
自分の頭の蠅も追えないで、他人の事なんてどうでもいいじゃない。
確かに馬鹿だ。
そういわれた身も蓋もない。
お節介、大きなお世話と罵られ。
馬鹿みたい。
面倒見がいいと言われても、どこが面倒見がいいのかわからない。
お蔭さま。お世話様。お互い様と育てられ。
仲間がいなければ、ドラマは始まらないじゃないか。
ドラマが始まらないから集まったんだ。
さあ、皆で始めようぜ。
人生劇場を。
いつまで、粧い、欺き、虚勢を張り続ければいいのか。
いつか、立ち去ることになったとしても、仲間に心だけは残していきたい。
今でも、思い、悩み、迷っているし、皆に助けてほしい。
仲間との間に終わりはない。
一人ひとりの悩みや悲しみ、苦しみが、全体に及ぶし。
一人の成果、成功は全体を奮い立たせるから。
仲間の事、わかったと思た瞬間わからなくなるし。
わからなくても、通じればいいさ。
一つの、到達点は、新たな出発点になるから。
仲間からは、伝統と歴史が生まれるけれど。
古ければいい。
長ければいいというわけでもない。
仲間は仲間さ。
なぜ、あいつの事をみんなに話すのか。
それは、あいつ一人の問題ではない。
あいつを仲間として受け入れるかどうか。
仲間の問題でもあるからさ。
だから、あいつには、何も飾らず、裸になって仲間に飛び込んできてほしい。
その時、何も言わずに、一人のあいつという人間を、仲間として受け入れてほしい。
だから、あいつ一人の問題でなく。
仲間の問題なんだ。
俺たち一人ひとりの問題なんだ。
友が、間違った道へ進もうとした時。
俺は、友情を賭けてぶん殴る。
殴れば、友でなくなるかもしれないが。
殴れなければ、はじめから友ではない。
仲間ってさ。
自分、一人、厭な思いをすればいい。
我慢をするばいい。
耐えればいいというわけにはいかないんだよ。
結局、仲間を苦しめ、つらい思いをさせ、悲しませねばならない。
自分一人でというわけにかない。
だからこそ、仲間は結束する。
反対に、仲間のために耐え、仲間の為に戦い。
仲間の名誉を守る。
どんなに酷い拷問だって仲間の為に耐えるんだよ。
一兵卒でもね。仲間の為なら耐えられる。
一人の自分は弱いけど、仲間がいれば強くなる。
ただ、仲間は、ママ友のような群れではないからね。
人は、仲間を求めて群れたがるけど。
群れと仲間は違う。
何よりも、仲間には、絆がある。
皆の思いや、希望が、会社に命を吹き込み、魂になる。
会社に自分たちの気を吹き込むためには、ルールがあり、手続き、段取りがある。
話し合いに仕方や、最低限のルールを早く身につけてほしい。
自分一人では、何もできない。
自分一人いくら力んでも、皆の共感共鳴が得られなければ、リーダーだって、仲間から、はじき出される。
いかに、共鳴共感、賛同、協力を得られるようなるかを、自分の夢、みんなの夢を共有できるようになるかを考えてほしい。
みんなの成長は会社の成長さ。
独りよがりでは駄目。
この指とまれ。