本当に決められないな。
決められないのは、決め方がわからないからじゃないのかと、気がついている人どれくらいるかな。
決めると言ったて、簡単には決められない。
その辺の事、我々は、子供の頃から厳しく躾けられてきたけど、今は、自分で一人で決めれば決まると思っている。
世の中、そんな甘いものではない。
自分一人で決められる事なんてない。
自分で決めろと言うのは、自分で決められるようにしろと言う意味。
重要な会議で会社の方針を決めたり。
誰を、感謝祭に応援にだすかも、それなりの準備や手続き、時間が必要。
一日二日で決められる事ではない。
小さな決断を、積み重ねて、最終決断に至る。
決めると言うのは、それに関わる人すべてに影響が出る。
だから、一つひとつ、決めていかなければならない。
めんどくさくて、手間暇もかかる。
それを面倒くさい、鬱陶しいと避けていたら、何も決められない。
習近平が、三期目の党主席に選ばれたが、一日二日で決められたのではない。
党主席に選ばれた時から、いやそれ以前から、周到に準備していたから、決められたのだ。
それだけ時間をかけられたらかなわない。
その点を、勘違いしていると何も決められなくなる。
しかも原因がわからない。
そうすると、個人攻撃になる。
これが怖い。
今の子は決め方を教えられていない。
それで決めろと言われても、何も決められない。
自分で決めろと躾けられた。
それは、決め方も含まれたいた。
それでどうやって決めると最初に打ち合わせた。
だから、最初の決定は、いつ打ち合わせる。
何から決めると言う事。
時間があれば、簡単事から決められるが。
時間が無くなれば難しくなり。
何も決められなくなる。
今の子は決め方を教えられていない。
だからどうやって決めたらいいかわからない。
決めなくても、周囲の大人が決めてくれた。
だから自分が決められなくなると、誰も決めてくれないと文句を言う。
これは、怖い事だからね。
いつかは自分で決めなければならなくなる。
その時、何も決められなかったら、悲劇だからね。
決めるには、手順、段取り、ルール。作法がある。
ゲームだよね。
だから、ゲーム世代の若い子の方が、柔軟な意思決定ができるはず。
ただ、決め方を教えてもらえればね。
だから、年寄りは、その辺のこと教えてこなかった。
若いのに敗けるから。
でもね。そんなことしていたら、人は育たない。

俺は、真剣なんだよ。
真面目な話をしてるんだよ。
暗いとか、難しいかをしてるとか言われてもね。
厳しかをしないでとか、明るくとか、楽しければいいなんてできないんだよ。
俺達は、人が、真面目な話をしているんだから、真剣に聞けとか。
ヘラヘラして話していたらこちらの思いは伝わらないぞ。
歯を見せるなと叱られたし。
真面目な話をしているのに、真剣に聞かなかったら、それだけで、相手は、二度と本音を聞かせてくれなくなるぞって。
でも今のご時世、なんせも感でも、暗い話は避けて。明るい話題をと。
俺は、いろんな会合に出てある種の違和感があるんだな。
sれは、これほど深刻な時代なのに、当たり障りのない話や、遊ぶ事ばかりに終始って。
時間と金と労力をかけた割に収穫がない。
昔、ジャパニーズスマイルと言って他国の人は不気味がっていたと聞くけどね。
深刻な話をしているのに薄ら笑いを浮かべたりね。照れ笑いしたり。
なんだか、連日流れている深刻なニュースが別世界に感じる。

僕の痛恨の極みは、変えられなかったと言う事かな。
変えなけれならない事、変わらなければならないところまで分からせたけど。
結局、変わらなかった。
変わらないまま時間ばかりがすぎ、変われなくなってしまた。
変わらなければならない事がわかっていても、
変わる事には、苦痛が伴うから、だから、先送りしてきた。
それがもう限界に達してる。
変われなければ、お終い。
後がない。
どん尻だな。
でも変われればね。まだ道が開けてくるよ。

自分は、指図されるのが嫌だったから、自分も指図するのは嫌だというのは、子供じみている。
強制するのは、悪いことと学校で教えていたから、指示、命令に従わなくていいと信じていたら痛い目に合うのは自分。

自分が正しければ、何をやっても許されるよ。
礼儀なんて封建的で悪い事と刷り込まれていたら、自分は間違っていないと思い込んで、忠告したら。
なんだ、その口のきき方はと、どやされたなんてこともある。
それである時気がついたよ。
正反対だと。
礼節さえ守っていれば、長間違っていても許される。
その礼節の中に、きちんと、根拠を調べ、筋道を立てて説明できるようにする事。
群れつにべb¥ン強をする事。
相手に反論する余地を与える事も含まれている。

確かに、昨今、引き継ぎがされないことによる不祥事が目立つ。
しかし、それを前任者の責任にしたり、言い訳にしても、不祥事に対して免責されるわけではない。
批判、言い訳をする前に、一人ひとりが責任を持って改善する事。

自分が引き継いだ後、不備、間違いがあったら、前任者の責任にはできない。
不備や間違い、問題点に気がついた者は、速やかに、上申し、改善に着手するよう。

問題点に気がついていながら、放置したら、放置した者の責任となる。

聞いてないよは、責任逃れにしかならない。

問題に気がついたとき、自分がどのような行動を起こすかが問題なので、責任は気がついた時から発生する。
見てみぬふりをするには、無責任の極み。
特に責任ある立つ場の者はね。

不都合な事に気がついたら、速やかに着手する。
それが最低限の責任。
だから、不都合な事に気がついていながら、見てみぬふりをして、着手しないのは最低。
責任あるものは批判する事は許されない。
批判する暇があったら、速やかに改善に着手する。

自分が今、会社の経営がうまくいかないのは、親父の性でと言ってもいい訳にもならない。
そりゃ、言いたくなることgないと言えばうそになるけど、口が裂けても言わない。
言えない。なぜなら、自分の責任が果たせなくなるから。
言い訳は誰にするのか。
それは自分に対してだ。

普通、店員は、客と支店長を天秤にかける。
客より店長が怖いと思えば、客に向かっていくが、客の方が怖いと店長に向かう。
いつも試してくるから、店長はなめられるなと厳しき躾けられた。

親が、子に厳しくするの世間の風は、厳し事を身をもって知っているから。
親が子を甘やかせば、子は世間に出るのを怖がり引き籠る。
後々、子が、甘やかされたの恨んでも、親にしてみれば、やさしくしたことのどこが悪いとわからない。
誰も他人の子厳しく叱ろうなんて思わない。
自分の子だから、責任があるから叱る。
上司が部下を叱るのも同じ。
部下の過ちを正すのも、厳しくするのも、自分に責任がるから。
親や上司に優しさなんて求めるな。
自分が甘くなるだけ。
部下に指示を出せないのも、厳しくできないのも、無責任。
ただ、自分に甘えているだけ。
それは育児放棄をしているに過ぎない。

問題とされるのは、結果ではないんだ。
どう行動したか。
結果は結果さ。
やってみないとわからない。
結果に囚われていたら何もできないからね。

不都合な事に気がついた時。どう行動したかが問われる。
見てみぬふりをするのが最悪なんだ。
これはいい訳ができない。
気がついていながら、なにもしないというのは許されないから。

結果と言われても。もう長く、経営者やってるけど、納得の言った事がどれくらいできたと聞かれてもね。
今でも必死に取り組んでいますとしか。
切りがないからね。
どの経営者も忸怩たる思いだと。
要は、何もしないと言うのが許されない。
特に、責任ある立場の者が、他人の批判して、責任を持って取り組もうとしない事。
それは駄目だね。

何もよくならないからね。
自分も会社も。
気がついたら他の人、批判なんてしてられないよ。
さどうしようかって考え始めるし。
どうするって相談し始めるもの。

自分で、変わらないとね。
悪い方に変わっていくんだよ。

人は、年をとるからね。
老い衰えるのさ。

だから、放っておくとね、悪くなっていく。
だから、変われる時に変わるさ。

自分の意志でね。そうしないとね、
外の力でいずれは変えられてしまう。

変わるのは、簡単ではないさ。
でも外の力で変えられるのはもっと辛い。
壮絶、悲惨。

だから、変われるうちに変わるさ。
若い若いと思っているうちに年をとる。
若い時できても、年をとったらできなくなる。
変わる事が出来なくなってから変われと言われてもね。
決断力は若いうちにつけて、磨くしかないよ。