以下の事はね、自分が高校時代に気が付いた事なんだけどね。

自分は、自分だという事。
自分に代われる事の出来る人はいない。
自分は他人にはなれない。
自分の痛みを自分に代わってくれる人はいない。
親父がよく、痛みは、自分、持ちよってね。
私は私で、私でしかない。
自分は、この世界で、たった一つしか存在しない。
そして、総ての前提。自分が存在しなければ、自分にとって何も存在しない。

ここから先があるのね。
自分というのは自立しているんだけれど、自分で自分の顔を見ることができない。
つまり、自分を直接見ることができない。
自分が今どんな顔をしているかね、直接見ることはできない。
一度、鏡に写さないと、自分の顔を見ることができない。

という事はね。自分を知るためには、一旦、自分を外の世界に投影しなければならない。
そしてね。自分と外の世界とのかかわりによって自分を知るんだよね。
つまりさ、僕は、人生って自分探しの旅じゃないかと。

一番、知っているつもりの自分が、実は一番、わかっていない。
そう気が付いたんだ。

鏡に写った自分が本当の自分なのか。
鏡に写った顔は見えるけど後頭部は一枚の鏡では見えない。

というより、自分を写す、世界が平らとは限らない。
歪んだ鏡には歪んだ姿しか写らないし。

自分が、直接、見れないとしたら、鏡に写った自分を本当の自分だと思い込む。
つまりはさ、地位だの、名誉だの、風評ね。
みんなが自分のことどう思っているのだろうとか。
でもそれは、外に写った姿に過ぎなくて。
本当の自分ではないのね。

それで、思ったんだ、自分は自分だ、自分を信じようって。
ほんとの自分を信じながら、本当の自分を探す、それが人生だってね。

だからさ月輪観なんだよ。
自分の本体を満月に託して、自分の本性をじかに感じて、改めて、周りの世界をみなしてみよ。

池に投げた石は、水に写った月影を乱しけど。それは、水が乱れたからで、月そのものには何の影響もない。
月は、満ち欠けするけれど、月そのものに変わりはない。

だから、自分を信じて、心を乱すことはないよってね。